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今回は、「離婚」について考えてみたいと思います。まだ未婚の方は、そもそも「離婚のことまで心配できるわけないやろ」と思われるかもしれません。でも結婚前から、離婚の知識は必要なのですよ。

「いざ」というときのために? いえいえ、そんなレベルではありません。そもそも1年間に受理される婚姻件数と、1年間に受理される離婚件数の比率ってどれくらいだと思いますか?

2013年の場合、結婚が66万3000件に対して、離婚は23万1000件(人口動態統計推計値)。約35%となります。これを「離婚打率」と言い換えましょうか。すると打率3割5分。世界中どこのリーグに行っても、首位打者になれるような成績です。全盛期のイチロー並み。都道府県別に見ると、「夢の4割」を超えるところもあります。

「その年に結婚したヤツが、その年に離婚するとは限らへんやん」。

おっしゃるとおりです。結婚と離婚にはタイムラグがあります。ただ、この離婚打率、1998年からもう16年連続で3割を超えているのです。驚異的な3割バッターです。つまりタイムラグを考慮しても、現在の日本社会では、結婚式は3つ出たうちのひとつは別れてる。仕事の手をちょっと休めて、うつむいて、自分の両側の同僚をチラッチラッと見てください。あなたを含めた、その3人のうちのひとりが離婚するわけです。ね、人ごとじゃないでしょ?

別れたら次の人

この離婚打率の例えからは、いくつかの教訓を得ることができます。

その1。3割5分などという好打者は、抑えたときに喜べばよいのであって、イチローにヒット1本打たれたくらいで人生に絶望していては、ピッチャーは生きていけません。

むかし「別れても好きな人」なんて歌があったのですが、そんな後ろ向きな姿勢では、今の時代は乗り越えられません。「別れたら次の人」というくらいの構えでいきましょう。いちいちショックを受けていては、やってられないのです。

その2。ピッチャーはバッターを抑えようと思ってマウンドに上がります。いつの世も、離婚しようと思って結婚する人はいません。それでも結果として、離婚には3割以上打たれるわけです。

むかし「永久就職」なんて言葉がありました。ナンセンスです。3分の1の確率で倒産することがわかっている会社に就職して、喜ぶ人はあんまりいないのではないでしょうか? これは普通、夕刊紙なんかで「経営が危ない!」なんて風評が立つような状態です。女性週刊誌に出てくる「○○と××、離婚の危機か?!」と同じように。

この「永久就職」という感覚には、実はそれなりに根拠があって、1970年代くらいまで、離婚打率はほぼ1割程度だったのです。つまり今、結婚しようとしている人の親御さんの世代では、離婚打率は今ほど高いわけではなく、私の産まれた1963年は戦後の最低値で7.5%。2割台に突入するのも、1982年と遅いのです。ですから、親は勝手に「娘が片付いてよかった」と思っていても、現実には、その3分の1に、もう一度「リセット」が来てしまうのです。

専業主婦は、とっても危険な選択肢

親はともかく、問題はご当人のほうです。就職活動でも、東大の女子学生に聞くと「他大の女子学生は、就活でも『早く結婚して専業主婦になりたい』なんて言っている」のだそうで、こちらは少し心配です。

今の日本社会でいちばん家計が苦しいのは、子どもを抱えて母親のみが働く、母子家庭です。「4年制大学を卒業して、条件のいい大企業に就職し、外見も磨いて、晴れてステキなパートナーを見つけ、夢の専業主婦生活!」という人の3分の1が離婚すると考えると、事態の深刻さがわかっていただけるでしょうか?

「結婚する前から、夢まで壊すな!」と言われれば謝るしかありませんが、「結婚すれば何とかなる」という人生設計は、少なくとも現在の日本社会にあっては、男女の平等といった話以前に、純粋に人生のリスク管理の問題として、危険きわまりないのです。

専業主婦世帯というのは、夫の稼ぎの多い世帯に集中しており、離婚をすると、そういう恵まれた経済環境から、一気にもっとも経済的な困難を伴う母子家庭に突入します。

もしくは、逆にその経済的なギャップゆえに、相手への不満や鬱憤を飲み込みながら、不本意な結婚生活を続けるのかもしれません。「あのとき仕事を辞めずにいたら、どうなっていただろう」などと、心の奥底で澱のように揺らぐ気持ちを抱えながら……。

離婚にまつわるシビアなおカネの問題

実は、離婚打率は、失業率と相関関係を持っています。都道府県別の離婚打率と失業率を見ると、正の相関が見られるのです。

私はそれを見ながら、「何だかなぁ……」と思ってしまいました。失業してしまい、経済的に厳しいときこそ、2人で暮らしたほうが節約できるはずです。

ところがこのデータを解釈すると、2人で苦境を乗り越えるというよりも、給料をもたらさない男性というのは、見捨てられる確率が高いことになるのです。女性が収入を補填するという方向には働かずに。(もっとも、失業しても家事すらしない男性も多いんでしょうが……)

日本は世界一離婚のしやすい国のひとつで、当事者2人の署名捺印と証人の署名があれば、裁判手続きなどは一切なく離婚をすることができます。離婚の9割は、この「協議離婚」です。残りの1割が当事者双方の合意がない場合で、裁判離婚(=調停や審判などでの離婚)になります。ちなみに、近年、このケースの約7割が、妻側からの申し立てです(『司法統計年報』より)。一方で協議離婚は、親権の帰属さえ決めれば、子どもの養育費の支払いをどうするかについての法的な裏付けすらとることなく、簡単に離婚ができることを意味しており、結果として母子家庭の貧困が放置されます。

仮に夫側が月5万円の養育費を送金する取り決めをしていたとしましょう。ところが何年かして夫にも新しい家族ができて、送金が途絶えました。約束違反だとして、2年分たまった養育費をもらうために訴訟を起こして、弁護士さんにお願いし、100万円ほど勝ち取りました。

でもそれ以降、また養育費が振り込まれず、2年後に「また訴訟?」なんてことが起きるのです。ですので、最低限、養育費については、子どもの福利という観点から、離婚時に公正証書の形で取り決めをするべきだと考えます。不履行が起きると、裁判なしに強制執行がかけられますから。

「有責主義」は、むしろ女性を縛っている?

日本の離婚訴訟というのは、基本的には「有責主義」といって、有責配偶者(=離婚の原因を作った側)からの離婚請求を認めないことになっています。

これには「夫が浮気して、よそに女を作って離婚する」などというのは、妻の立場を考えると「踏んだり蹴ったり」だという有名な判例があります(最高裁、1952年)。妻の座を守るべきだというのですが、裁判離婚の約7割が妻側からの申し立てとなると、逆に有責主義は妻の座から逃れたい女性を縛ることになっている可能性があります。

そこで1987年に判例が少し改められ、実務上は数年の別居で、夫婦関係が破綻していると見なして離婚を認める「破綻主義」の立場を、一部導入するようになりました。

母子家庭の貧困と子どもの福利を考えれば、安易な離婚を認めるべきではないのですが、一方で、別れたい側に数年も婚姻関係の維持を強いるというのは、少し酷かもしれません。むしろ養育費の送金を確実に行わせることとセットにして、離婚を認めるほうが、現実的な場合もあるでしょう。

もちろん、離婚を勧めるつもりはありません。ただ、離婚の自由がある社会というのは、離婚すらできない社会よりは「ましな」社会であるはずです。恋愛結婚という形で入り口を自由化した社会では、当然、結婚後にもステキな異性と出会う機会があり、出口の離婚を防ぐことは、基本的にできません。結婚したら、決して異性に会えないようにするといったことでもしないかぎり。

あ、ちなみに、「養育費はいらないから別れて!」というのは、反則ですよ! 養育費はあなたの権利ではなく、あなたの子どもが持つ権利で、あなたが代わりに放棄することはできません。
  


Posted by いざぁりん  at 23:41
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小学校にはびこるワケのわからない規則

まず戸惑ったのが、わけのわからない規則の多さです。6年生の保護者会の場で、担任の先生が「シャープペンシルは認めません」と言うので、「なぜですか?」と聞くと、「正しい字を書けるようにするためです」。

「シャーペンでは正しい字が書けないという科学的な根拠があるのですか?」と聞くと、「ありません」。「根拠もないのに、なぜそういう規則を課すのですか?」「キャラクターものなどもありますから」「それはなぜダメなのですか?」「値段が高かったりして……」「ならば、図柄のないシャーペンならよいのではないですか?」。

もう禅問答です。「それは規則では許されません、なぜならばそれは規則だからです」という同義反復。どう考えても教師自身が、自分の頭で考えて発言しているとは思えません。

これは子どもに向かって「ものを考えるな、黙って従え」というメッセージを発するもの。フーコーの指摘するような、思考停止をさせての規律訓練です。軍隊や刑務所がとるやり方で、学校という教育の場でこんなことをやるというのは、子どもを画一化された「工業製品」としてしか見ていないことの証左です。出る杭を打って、潰して、均(なら)していく、というのが実態と言わざるをえません。

日本の大学生が、日本でも、海外でも、ゼミの討論のときに黙ってしまうのは、こうした思考停止と関係しています。規則や現状を追認するのではなく、「問題点に気づき、論理的に考え、言語化し、議論する」というトレーニングをさせない環境を、日本の公教育自体が作り出しているからです。これでは独創的な発想は生まれず、一歩世界に出ると、沈黙するだけです。

規則というのは、金科玉条のごとく従えばよいものではありません。おかしいと思ったときに議論をして、それを変えていく力こそが、何よりも重要です。歴史に名を残した人権活動家は、ほとんどの人が当時の法律に意図的に反旗を翻し、投獄され、それでも抵抗を続けました。信念を持って規則を変えていく努力をすることは、「悪法もまた法なり」などと盲従することより、はるかに尊い作業なのです。なのに、私の見た教育現場は、それを押さえつけようとする言動ばかり。なんともはや……。
  


Posted by いざぁりん  at 23:30
子育てサークルは、やりたい人だけが、やればいいのです。
やりたくない人は、やらなくて良いのです。
ゆえに、PTAは、廃止するのが正しいのです。
http://toyokeizai.net/articles/-/69315?page=3
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その点、「前年どおり」は“安全な近道”です。みんなに意見を聞く必要がありませんし(もちろん本当は「前年どおりでよいか」を確認したほうがいいのですが、聞かなくても文句を言われることは少ないので、多くの場合は省かれます)、苦情を受けるリスクも高くはありません。

もし何年もずっとかかわり続ける組織であれば、「手間やリスクを引き受けてでも、活動を見直そう」という人が出てきやすいのかもしれませんが、PTAの場合、保護者がかかわるのは子どもが学校に在籍する6年(あるいは3年)、または役員を引き受けている間だけのことです。

「そこまでの手間はかけられない」と判断して、「とりあえず前年どおり」を踏襲し、お役目を終える人が多いのも無理はありません。

そのため、「これ、誰のため?」と首をひねるような仕事でも継続されやすいのです。

●理由2「子どものため」の範囲が広すぎるから

もうひとつの理由は、「子どものため」というPTAの目的が、漠然としすぎているからではないでしょうか。

「子どものため」というと、かなり広範囲な活動が含まれ、削りづらくなってしまうのです。

たとえば、昔からPTAで行われている「保護者(多くの場合、お母さん限定)のバレーボール活動」。「不要では?」という声もしばしば聞きますが、「保護者同士が親睦を深めれば、間接的に子どもにいい影響を与える」と考えることもできます。

ほかにも、花壇の手入れ(学校の手伝い)や広報紙の発行、保護者向けの講演会、ベルマーク活動……等々、ほとんどの活動が「子どものため」ということができてしまいます。
  


Posted by いざぁりん  at 23:23
学校備品は、税金によって購入されなくてはなりません。
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150702-00075218-toyo-soci
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子どもがいる人は、誰もがかかわることになるPTA(Parent-Teacher Association)。学校と保護者、地域との橋渡し役を期待されるこの組織には、さまざまな謎や問題が付きまといます。いったいPTAとどうかかわるべきか? 『PTAをけっこうラクにたのしくする本』の著者・大塚玲子が迫ります。■ 30年前と同じアナログなシステム

【詳細画像または表】

 連載名のとおり、PTAというのはまさに“善意が生んだナゾの活動”だと思うのですが、その代表選手とも言えるのが「ベルマーク」です。「PTA活動のなかで不要なものは何だと思いますか?」と経験者に尋ねたとき、最もよく挙げられるもののひとつでもあります。

 「えっ、ベルマークって子どものころ学校でやっていた、あのベルマーク?  まだやってるの!?」と驚いた方も多いのでは。

 ええ、そうなのです。昔と比べると参加校はだいぶ減ってきましたが、今でも少なからぬPTAでベルマーク活動は続いています。

 しかもやり方は、皆さんの子ども時代からほぼ変わっていません。

 商品パッケージに印刷されたベルマークを集めて送ると、点数分(1点=1円)の備品を学校に寄贈できるという、非常に昭和でアナログなシステムです。その仕組みに、母親たちからは“悲鳴”が上がっています。
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 「ベルマークの仕分け作業のため、平日の日中に召集がかかるんです。『絶対休んじゃダメ』と言われるから、その都度、仕事を休んで参加しています。1円にも満たないマークもあるんですよ。そんなものを切り貼りするために、有給使うんですよ?  『倍のお金を寄付するから勘弁して!』って、心の底から思います」

 「30人で半日作業して、たった数千円分ですから、かかる手間に対して成果が小さすぎますよね。前もって日にちがわかっていればパートの日はずらしておけますけど、『この時間にもっと稼げるよ』って思う……」

 「やり方が古すぎます。一刻も早くなくしてほしい!」

 なお、ベルマーク活動を担っているのは99%が母親です。これまで筆者が取材した中で、活動に参加したことがある男性はひとりだけでした。

 ほかのPTA活動も実作業を担うのは母親が多いですが、中でも最も母親率が高いかもしれません。ベルマーク活動は、父親も母親も「男がするようなことではない」と考える人が多いようです。

■ 自校の備品を買うと、自動的に寄付もできる

 そもそもベルマークというのは、どんな目的で、どのように始まったものなのでしょう?  ベルマーク教育助成財団・広報の小菅幸一さんに聞きました。

 「ベルマーク運動が始まったのは、1960年です。その数年前(1957年)に、へき地校に勤務する先生たちが朝日新聞に対して、戦後十数年が経っても教育環境が整わないことについて、アピール文を寄せたことがきっかけとなりました。

 そこで朝日新聞が“継続的にへき地校を支援できる形”を検討した結果、『自校のために備品を購入すると、自動的にへき地の学校に寄付できる』というやり方を生み出したのです。

 たとえばベルマークで溜めた点数で1000円の商品を購入すると、900円は協力会社(ベルマークで買える商品を提供している会社)に支払われ、残り100円は自動的に財団に寄付されます。財団がこのお金を、へき地校などに寄付するのです。

 当初、支援対象はへき地校だけでしたが、今では養護学校や盲学校などの特別支援学校や、被災した学校などにも寄付を行っています」

なるほど、「困っている学校に寄付しましょう」というだけでなく、「自分の学校の設備を整えましょう」というだけでもなく、その両方を一度に実現する形にしたのが、なんともうまいところです。

 ただの寄付であれば、単発や短期間で終わってしまいがちなところ、「自校の備品を買える」仕組みとセットにしたことによって、継続的な支援を可能にしたわけです。

 厳密に言えば、義務教育にかかわる費用は公費で負担するのが原則ですから、PTAがベルマークで学校に備品を寄贈するのは法的に微妙なところもあるのですが、そこをいったん脇に置けば、けっして悪いものではないでしょう。

■ 人件費がタダだから? 煩雑な作業もそのまま温存

 さて、ではなぜ母親たちは、このように意義深いベルマーク活動を、そんなに嫌がるのでしょう?  何がどう、よろしくないのか? 

 問題は「要求される作業のハンパない煩雑さ」にあります。ここで、ベルマーク活動の「詳細な作業手順」を説明しておきましょう。

①PTA会員、またはベルマーク係(委員)が、各家庭で商品パッケージに印刷されたベルマークを切り取り、学校に持参。校内に設置された回収箱に入れていきます。(ここまではいいのです。子どもでもできます。問題はこの先です)。
②回収されたベルマークを係(委員)が手分けして、会社ごとに分類します。協賛企業は全部で約60社。ベルマークは1~2センチ四方の小さなものが多いですから、大変細かい作業となります。
③これをさらに、点数ごとに分類します。たとえばマヨネーズでおなじみのキューピーの場合、0.5~70点までさまざまな点数があります。ちなみにベルマークが付いた商品は、全社合計で約2000種あるそうです。
④次に、会社&点数ごとに分類されたベルマークを、数えやすいようキリのいい枚数でまとめていきます。よくあるのは切り取ったマークを一列に並べ、セロテープで台紙(裏紙など)に貼りつけるというやり方です。
⑤台紙に貼ったベルマークを「会社ごとの専用の袋」にまとめて入れ、財団に郵送します。このとき、各点数の枚数や合計点数を計算して、所定の記入欄に書き込みます。なお、この「会社ごとの専用の袋」は財団から取り寄せる必要があります(他社の袋を流用することは厳禁)。

 こういった煩雑な仕分け&集計の作業(上記②~⑤)を、ベルマーク係(委員)のお母さんたちが担っているわけです。

さらに添えておくと、これらの作業効率はベルマークが印刷された「パッケージの素材」によっても大きく左右されます。丸まりやすい素材や、カーブした素材は、大変扱いづらいのです。

 とくに、薄い素材のものは風で飛んでしまうので注意が必要です。軽い鼻息でさえ、たちまち散らばってしまいます。そのためベルマーク係のお母さんたちは、マスクをつけて作業にあたることもあります。

 「夏の暑い時期に集計作業をやっていたんですけれど、たまたまそのときはPTAの部屋のクーラーが壊れていたんです。でも窓は開けられないし、扇風機も使えないから、みんなものすごく暑そうで……」(てぃーこさん)

 会社の仕事であれば、こんなことをしていたら人件費がかかりすぎますから、とっくの昔にやり方が見直されていたはずですが、なにせベルマークは「ボランティア」です。“お母さんの無償労働”に頼っていれば、誰も痛くもかゆくもありません。そのため、このような煩雑なシステムが温存されてきたのです。

■ 悲鳴が上がっても続いてきたのはなぜなのか

 母親たちがなぜベルマーク活動に悲鳴を上げるのか、これでご理解いただけたかと思います。いくら意義のある活動とはいえ、これはさすがに“費用対効果”が悪すぎるのではないでしょうか。

 いまは忙しい保護者が増えていますし、Webで管理できるポイントサービスが全盛の時代です。このやり方はあまりにも非効率に感じられます。

 「お金を払うから免除してほしい」「ベルマーク活動をなくしてほしい」という声が上がるのは当然ではないでしょうか。

 ところがどっこい、ベルマーク活動はなかなか変わりません。なぜなのでしょう?  続きは次回の記事でお伝えします。  


Posted by いざぁりん  at 23:10
PTAは、廃止すべきです。
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子どもがいる人は、ほぼ誰もがかかわることになるPTA(Parent-Teacher Association)。学校と保護者、地域との橋渡し役を期待されるこの組織には、さまざまな謎や問題がつきまといます。いったいPTAとどうかかわるべきか?『PTAをけっこうラクにたのしくする本』の著者・大塚玲子が迫ります。

「子どもがいなくてよかった」とまで言わしめる団体

先日、子どもがいない友人から「PTAって大変そうだね? 子どもは欲しかったけれど、PTAのことを考えると『いなくてよかった』と思う」と、真顔で告げられました。

友人が前向きになれたことはよかったですが、そこまで嫌われているPTAって、ある意味スゴイなとも思いました。

先に行われた朝日新聞のPTAに関するアンケートでも、「PTAは少子化の一因」とする意見が散見されました。中にはズバリ「私が第2子をあきらめた理由のひとつはPTAです」という声も。

そもそも、PTAはなぜ、ここまで嫌われるのでしょうか? 原因は、いろいろ考えられます。たとえば……

1 「平等な負担」が目的化しているから

2 やり方に無駄が多すぎるから

3 人間関係そのものが忌避されているから



丁寧に見ればまだほかにも原因はありますが、今回はこの3点について、順番に見ていきましょう。

●嫌われる理由1 「平等な負担」が目的化しているから

委員や役員決めをする際、保護者の間に漂う、いや~な“押し付け合い”の空気。これも、PTAが嫌われる最も大きな要因のひとつです。

この陰湿なシチュエーションは、保護者が「平等な負担」を求め合うことによって引き起こされます。

PTAでは本来の目的が忘れられ、「前年どおりの活動」が目的化しやすいことは前回記事で述べたとおりですが、これと同時に「仕事をみんなで平等に負担すること」が目的化してしまうことも、よくあるのです。

「平等・公平」第一で、無視される個人の事情

本来、PTA活動は「やりたい人がやるもの」であるはずですが、加入が強制になっている(選べない)うえ、「1クラスから委員を○人選出する」などといった決まりがあるため、やりたい人がいないときでも、無理やり「誰か」を選ばざるをえません。

すると過去に委員や役員の経験がない人が「ズルイ」という目で見られ、役職を押し付けられたり、じゃんけんやくじ引きで「公平に」誰かが選ばれたりしてしまうのです。

しかし実際はもちろん、「誰でも、いつでも」PTA活動に参加できるわけではありません。

身体や心に病気を患っている人や、ひとり親など「家計を支えるので精いっぱい」という状況の人もいますし、パートナーや親の介護をしている人もいます。また平日日中の活動にせよ、土曜や夜の活動にせよ、都合が合わない人だって必ずいます。

そういった事情をいっさい無視して、「さあ、やってください」というのですから、それは無茶な話です。嫌な空気にならないはずがありません。ですから、まずは「見た目ではわからなくても、保護者の中にはいろんな状況の人がいる」ということを、みんながよく理解しておく必要があります。そしていちばん大切なのは、「やりたい人だけでやる形」をつくることでしょう。

そもそも、なぜ「平等の負担」を求めてしまう人がいるかというと、その人が「やりたくないのに、やっているから」です。もしみんな「やりたくてやっている」のであれば、「やりたくない人にやらせよう」という発想は出てきません。

「平等な負担」を目的化させないためには、「やりたくない人がやらないで済むシステム」をつくることが必要不可欠です。たとえば、「1クラスから委員を○人ずつ選出する」という“委員会制”をやめるのもいいでしょう。

以前も紹介しましたが、最近は“委員会制”をやめて、個々の仕事について人を募集する“ボランティア方式”を採用するPTAも増えています。やりたい人がいないときでも無理やり「誰か」を選ぶ形をやめれば、「平等な負担の目的化」は、だいぶ避けられると思います。


想像を絶する、グダグダな進行

●嫌われる理由2 やり方に無駄が多すぎる

「会議や作業の効率が悪くて、とても耐えられない」という声も、しばしば耳にするところです。たとえば、よくあるのはこんなシーンです。

・「お祭りのパトロール」や「卒業式の記念品の手配」など、分担したほうが効率がよい仕事内容でも、いつもみんなで集まって一斉に取り組む。人が余ることもある。

・会議を始めても、すぐ話が横道にそれ、おしゃべりで長引いてしまう。

・行事のスケジュールなど、紙やメールで連絡すれば済むだけのことを、みんなが集まった場で全文読み上げる。

これらは、時間に余裕がある人にとってはあまり苦にならないことかもしれませんが、仕事や介護に追われる忙しい人にとっては、なかなかの拷問です。「PTA、勘弁して!」と思われるのも、無理はありません。

こういった場面に出合ったときは、率直に「こんなふうに変えてもいいでしょうか?」と、効率化を提案するのがよいでしょう。

たとえば、こんな感じです。

・「今日は、○時までに帰らなければなりません」(=「○時までに会議を終わらせてください」の婉曲表現)。

・「すべての日程には出られないので、各日程を2人ずつで分担する形にしてはどうでしょう。私は○日なら出られます」

・「先に決まっている連絡事項は、メールで流してもらってもいいですか」

働いている人に限らず、専業主婦(主夫)でも忙しい人は多いので、提案してみると意外と歓迎されるかもしれません。「これまで誰も指摘しなかったから、ただそうしていただけ」ということも、実は多いのです。

ただし、提案をするのは「周囲の人と、ほどほどに信頼関係を築いてから」がおすすめです。いくら理にかなった提案でも、人によっては「今までのやり方を否定された」ととらえ、傷ついてしまう(しばしば攻撃の形をとる)ことがあるからです。「敵ではない(利害が共通している)」ことを示したうえで提案をすると、比較的受け入れられやすいと思います。

また、一見、ムダなやり方に見えても、「実は深い理由がある」場合もあります。そういったときは素直に教えを請いつつ、相談しながらベストな方法を探るとよいでしょう。

なお、やり方以前の問題で、「そもそも仕事が多すぎる」というのもPTAが嫌われる大きな理由のひとつだと思いますが、これについては前回詳しく書きましたので、そちらをご参照ください。

ウェットな人付き合いに巻き込まれる?

●嫌われる理由3 人間関係そのものが忌避されているから

数年前に「無縁社会」という言葉が流行しました。この言葉に表されるように、今は「人間関係そのものが忌避されている」ことも、PTAが嫌われる要因ではないかと思います。


PTAに限らず、人付き合いはどんな場でもややこしいものです。気の合わない人がいたり、行き違いがあったりすれば、面倒に感じて断ち切ってしまいたくなります。

特にPTAは、職場やサークルなどと違って、趣味も生活環境も年代も異なる、共通点の少ない人たちが集まります。そのため、関係を築くのが難しそうに感じられ、最初から「かかわりたくない」と思う人が多いのではないでしょうか。

でも、実際にかかわってみれば「意外と楽しい」と感じる人が多いのもPTAの特徴です。みんな同じ地域に住んで、同じ学校に子どもを通わせる保護者ですから、実際に話をしてみれば、思ったよりも「壁はない」ことに気づくのでしょう。

PTAがなければ知り合えなかったであろう人と知り合うことができ、「かかわってよかった」と感じる人も多いのです。

ストレスを回避するため、人間関係そのものを回避してしまうと、そこから得られる楽しみも手放すことになってしまいます。必ずしもPTAでなくてもよいと思いますが、なんらかの保護者同士のつながりをもっておくことは、悪くないのではと思います。

運が悪ければ、気の合わない人と当たったり、ほかの人と意見が食い違ったりして、ストレスを感じることもあるでしょう。そんなときは、ほどほどに距離を置いて、そっとフェードアウトしたっていいと思います。無理をする必要はありません。
  


Posted by いざぁりん  at 23:06
給食費その他の費用は、行政が負担しなければなりません。
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 学校給食費の未納が3カ月間続いたら、7月から給食の提供を停止します。その間は弁当を持参させてください――。埼玉県北本市の中学校が6月、保護者に通知を出したところ該当する43人全員が納付するか、納める意思を示した。学校のやり方に「ほかの家庭は払っているのだから当然だ」という声があがる一方で、「親の責任を子どもにおしつけるのはやり過ぎだ」との声もあがる。

■「苦渋の選択」通知で効果

 未納家庭の生徒への給食停止を決めたのは、北本市に四つある全市立中学校。生徒1人あたり月4500円の給食費の滞納総額は、4~6月分だけで約180万円(一部未納も含む)に上る。計画通りに食材購入ができなくなる恐れが出たため、4校の校長は「未納額がこれ以上膨らむ前に手を打とう」と措置に踏み切った。

 同市は、給食費の管理を各校に任せる「私会計」方式をとる。未納の家庭に担任教諭が訪問し、生活が苦しければ給食費などが支給される就学援助の仕組みを説明したり、「一部だけでも納めて」と求めたりしてきた。それでも応じない未納の43人について、学校は「払えるのに払わない」事例だと判断した。

 6月、保護者に配布した通知には「給食を停止する際にはお子様にも告知する」「『有料』なものに相当額の支払いをするのは社会のルール」などと明記した。すると、6月末までに全家庭が納付するか、納める意思を示した。このため、7月も引き続き全生徒に給食を提供している。

 市教委によると、給食費未納問題は10年近く前から続いてきた。1年以上納めないまま卒業した例もあるという。元校長は、卒業生宅を督促に訪れた際、母親から「払えないのよ」と財布をたたきつけられたという。

 4校の校長は法的措置をとるよりもまず、通知を出して解決をはかることにした。市教委は「通知の効果があったのは良かったが、できれば避けたい苦渋の選択だった」とする。弁当を持参させれば、未納だとほかの生徒にもわかるからだ。

 通知後、市教委には20件近い意見が寄せられた。ほとんどが「支払うのが当然だ」と理解を示す声だったという。だが、市内の中学2年生女子の母親(46)は「子どもに罪はないのに、親の責任を押しつけるようで、やり過ぎだ」と話す。

■ほとんどの学校、未納でも提供

 全国のほとんどの学校は、給食費が未納でも給食を提供している。福岡市教委健康教育課の高着(こうちゃく)一孝課長は「給食は教育の一環として実施している。給食の提供は市の責任で、未納を理由に食べさせないことは考えていない」という。

 同市は2008年度の累積滞納金が約1億9700万円に膨らんだ。09年9月、政令指定市で初めて、一般会計に予算計上して自治体で一括管理する公会計方式にし、保護者は口座振替で市に給食費を納める仕組みにした。

 また、市教委には未納者に対応する専従職員が6人いる。督促しても納付されない場合は法的措置をとる。昨年度、市が裁判所に支払い督促を申し立てたのは53件。滞納額が50万円を超え、市が支払いを求めて裁判所に提訴したのは4件。うち計36件で納付の誓約がなされた。

 対策の強化で、前年度までに累積した未納金の収納率は09年度の10・7%から13年度は14・7%に改善。しかし、給食費の値上げもあり、13年度の累積滞納金は2億8692万円と、公会計化前より膨らんだ。

 文部科学省が全国の公立小中学校583校を抽出して行った調査では、12年度の未納者の割合は0・9%。法的措置をとった学校は1・1%あった。完全給食を実施する公立小中学校(約2万9千校)全体での未納額は推計21億円余りに上る。

 今年度も、群馬県高崎市が4月、約30万円を滞納している1世帯を提訴。埼玉県川越市が今月2日、約6万5千円を滞納している1世帯を提訴した。

 文科省は1月、各都道府県教委などに対し、未納者には就学援助などの活用を奨励することや、やむを得ず法的措置をとった過去の事例も参考に適切な対応をとることなどを通知した。(川崎卓哉、三島あずさ)

■懲罰的対応ではなく支援を

《鳫(がん)咲子・跡見学園女子大准教授(行政学)の話》 生活保護や就学援助を申請していないからといって「支払い能力がある」と考えるのは短絡的だ。援助を申請できない事情を抱える保護者もいる。滞納を続ける家庭は、子どもが育つ環境として何らかのリスクがある可能性がある。学校や行政は懲罰的な対応ではなく、滞納を福祉による支援が必要なシグナルととらえる必要がある。

■保護者と信頼関係築く必要

《教育評論家の尾木直樹さんの話》 公立中学校の教員だった経験から、子育ての能力や責任感に欠けるなど様々な保護者がいるのは分かる。ただ、どんな親や子どもにも、きちんと対応していくのが公立学校だ。教員は部活などに費やす時間が長すぎて、保護者と十分なコミュニケーションをとって信頼関係を築けていない。十分な対応ができるようにするためには、働き方も見直すべきだ。

  


Posted by いざぁりん  at 20:39

2015年07月04日

深夜食堂2 中華涼麵 08

Posted by いざぁりん  at 00:44
こちらです。
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=227&id=3497837&from=pickup_news
(以下は、コピーです)
『会社で落ちこぼれる人の口ぐせ 抜群に出世する人の口ぐせ』(吉田典史著、KADOKAWA/中経出版)の著者は、25年にわたって2,000人ものビジネスパーソンを取材してきたのだそうです。

その結果として気づいたのは、勝者と敗者の分かれ目には、一定の法則があるということ。会社員が競争で負けるのは、自らの意識や考え方に原因があるという考え方です。

■仕事ができない人とできる人の考え方

では、組織内で落ちこぼれてしまう人には、どのような傾向があるのでしょうか?

そのことについて著者は、「なぜ、ライバルに負けたのかと突き詰めて考えることをしない」と指摘しています。

現実から逃避し、負けたことの検証ができないから、結果として問題点や課題を残すことになり、成功から遠ざかっていくというわけです。

一方、抜群に出世する人は、ことばの大切さをわかっているのだそうです。特徴としては、人との距離をとるのがうまく、上司や同僚、取引先やお客様の心が晴れるように話すのだとか。

だから、「この人と仕事をしたい」「この社員と取引をしよう」と思われるようになるということ。

■すいすい出世する人がよく使う口ぐせ

とはいえ現実的に、上司が部下から信頼されることはなかなか難しいこと。それどころか、「いったよね?」「聞いてないぞ」などという口ぐせで部下を威嚇し、抑えつけてしまう上司も少なくありません。

そういう人が成功できないのは、むしろ当然の話だといえますが……。

しかし逆から考えると、「出世する人の口ぐせ」を見極められれば、下につく人間はやりやすくなるということにもなるはず。

そこで本書から、「すいすいと出世する人の口ぐせ」をいくつか引き出してみましょう。

(1)「君なら、大丈夫」

出世する上司は、部下に「この仕事をするように」と命じるとき、ことばに気をつけているもの。そのひとつが、難易度の高い仕事をさせるときなどに使われる「君なら、大丈夫」というフレーズだそうです。

自分がいわれたときのことを考えてみると、このことばに意識を高ぶらせる効果があることがわかると思います。

(2)「ここまでやってくれるなんて、驚いた」

これは、出世する管理職の代表的な口ぐせだとか。たとえば部下に仕事を任せ、その仕上がりを確認したあとなどに口にするわけです。

仕上がりや成果物などを確認したうえで「ほめていることをアピールする」ことは、上司が部下に対し、「あなたのことをきちんと見ているよ」と知らしめることになるといいます。

「見ている」「見てくれている」という双方の信頼関係が、一緒に仕事をするうえで大きな効果を発揮するようになるわけです。

だから、これを口ぐせにできる上司の指導は、部下の心にジャスト・ミートするということ。

(3)「たいしたものだ」

「すごいよね!」「たいしたものだ」など、上司が部下を称えることばを口ぐせにしている上司は魅力的。

聞く側の心が明るくなるから、部下もそのことばを投げかけてくれた上司にいい思いを持つわけです。このことについて著者は、「こういう徳が増えると、その人は守られていく」とも記しています。

できる上司についていくことも、ビジネスパーソンにとって重要なこと。だからこそ、上司の人柄や考え方を見極めるために、本書を活用すべきかもしれません。
  


Posted by いざぁりん  at 00:43
敵国から見れば、個別的自衛権も集団的自衛権も、攻撃、となります。
個別的自衛権による攻撃よりも、集団的自衛権による攻撃の方が、ソフトでまろやか、ということにはなりません。
集団的自衛権による攻撃が、敵国には、個別的自衛権による攻撃と、解釈されることでしょう。
http://news.mixi.jp/view_news.pl?widget_type=1&media_id=4&widget_setting=0&from=widget&id=3497680
(以下は、コピーです)
 安倍晋三首相は3日午前の衆院平和安全法制特別委員会で、自民党若手議員が勉強会を開き、沖縄県民世論を批判、報道機関を威圧する発言を行ったことについて「大変遺憾だ。非常識な発言、国民の信頼を大きく損なう発言であり、看過できない」と厳しく批判した。


 首相は「報道、言論の自由を軽視する発言だ」とした上で、「自民党が長年行ってきた沖縄振興、基地負担軽減の努力を水泡に帰するものだ。沖縄の皆さんの気持ちを傷つけたとすれば申し訳ない」と陳謝。「党本部で行われた勉強会であり、最終的には(党総裁の)私に責任がある」と認め、「谷垣禎一幹事長と相談し、直ちに処分した」と説明した。民主党の長妻昭代表代行、枝野幸男幹事長への答弁。


 長妻氏は、日本防衛に従事する米艦船が公海上で攻撃を受けたケースを例示し、日本の対応を質問。首相は「法理論上は個別的自衛権の行使もあり得る」としながらも、「これを(日本への攻撃)着手とみて個別的自衛権を発動するのは、国際的に先制攻撃とみなされる可能性が極めて高い」と指摘、集団的自衛権で対応すべきだとの見解を示した。 

  


Posted by いざぁりん  at 00:41
Posted by いざぁりん  at 00:37
Posted by いざぁりん  at 00:36
こちらです。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150703-00000140-spnannex-base
(以下は、コピーです)
 プロ野球史上初の珍事だ。勝率5割ながらセ・リーグ首位に立っていたヤクルトが3日、広島に1―7で完敗。同率2位の阪神もDeNAに3―4で逆転サヨナラ負けしたため、全6チームが勝率5割を切る異常事態となった。

 首位ヤクルトが37勝38敗(勝率・4933)、2位阪神が36勝37敗(勝率・4931)でともに借金1。この日試合がなかった巨人が37勝39敗(勝率・487)で3位、DeNAが36勝38敗(勝率・4864)で4位、広島が35勝37敗(勝率・4861)で5位、そして中日が33勝44敗(勝率・440)だが、首位から5位までは0・5ゲーム差に接近した。

 リーグ全チーム借金は、セ・パ交流戦がスタートした2005年以前にはありえなかった現象で、今季の交流戦でセが44勝61敗3分けと大きく負け越したことに加え、異例の大混戦となったことが史上初の珍事を生んだ。  


Posted by いざぁりん  at 00:35