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世界の人々全員が、礼儀正しく、生きて行きましょう。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150809-00000011-xinhua-cn
(以下は、コピーです)
済南時報は8日、湖北省武漢市で開かれたEAFF女子東アジアカップについて、ピッチの内外でさまざまなエピソードが生まれたとしたうえで、試合に対する日本女子代表の態度について紹介する記事を掲載した。

日本女子代表は試合が終わるたび、選手全員でサポーターに感謝を示す。特筆すべきは、自国のサポーターにだけでなく、さらにそれぞれのスタンドにまで行ってお礼をするのだ。たとえスタンドに観客がいなくてもである。

こういった行動からは、日本代表の試合に対する態度が見て取れる。彼女たちにとって試合の90分はあくまで一部分に過ぎず、一たびスタジアムに入ればサッカーに対する畏敬の気持ちで満たされるのだ。

彼女たちはペットボトルの水1本1本に日の丸が印刷された白いテープを貼りつけている。これは選手の闘志を高める方法の1つなのだが、試合が終わると選手全員、そしてスタッフまでもがペットボトルを回収するのだ。しかも、相手選手が残していったペットボトルまでも片づけるのである。

この情報に対して、中国のネットユーザーからは以下のようなコメントが寄せられた。

「中国でボトルを拾われて、中国人にとっては頬を叩かれたような思い。国民のモラルを高めねば」

「あちらの民度はこんなに高い。器量の狭い民族的恨みはわれわれに失敗をもたらすとともに、われわれを痛い目に遭わせる」

「まじめな民族だ。われわれは反省しないと、将来後悔することになるぞ」

「日本人は好きじゃないけど、彼らの民度がわれわれより高いことをどうしても認めざるを得ない」

「ボトルを拾う行為は、学ぶに値する」

「とどのつまり、中国の教育がひどいということだ」

「日本人は本当に恐ろしい民族」

「相手のサポーターにもお辞儀をしてその度量を示すといったように、われわれが学ぶべきことがある」

「みんな注意して見てよ、日本の選手は交代でベンチに下がる時にみんなスタンドに向かってお辞儀するんだよ」

「中国でやたらとボトルを拾ったら、それで食いつないでいる人に殴られるよ。彼らのために残してあげて」

「中国を侵略して人を殺し火を放った残虐な鬼子とは区別せねば」


  


Posted by いざぁりん  at 23:27
安倍内閣は、直ちに退陣してください。
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/nnn?a=20150809-00000025-nnn-pol
(以下は、コピーです)
NNNが8月7日~9日に行った世論調査によると、安倍内閣の支持率は37.8%となり、安倍首相が二度目の首相に就任してからの最低支持率を4か月連続で更新した。

 世論調査で安倍内閣を「支持する」と答えた人は前月より1.9ポイント下落して37.8%となった。一方、「支持しない」は46.7%となり、前月より5.7ポイント上昇した。これにより、不支持と支持の差は前月の1.3ポイントから8.9ポイントに広がった。

 安倍首相が今月14日に発表する戦後70年の首相談話については、村山談話などで用いられた『お詫(わ)び』『侵略』『植民地支配』との表現を「すべて入れた方がよい」が35.1%で最も多く、『お詫び』を抜いた『侵略』と『植民地支配』は「あった方がよい」が26.4%、「いずれも入れる必要はない」が24.2%だった。

 また、安全保障関連法案をめぐり「法的安定性は関係ない」と発言した礒崎首相補佐官の進退について46.4%の人が「辞める必要があると思う」と答え、「辞める必要はないと思う」と答えた人は36.7%だった。

<NNN電話世論調査>
 【調査日】8月7日~9日
 【全国有権者】2050人
 【回答率】50.7%
 http://www.ntv.co.jp/yoron/  


Posted by いざぁりん  at 23:22
こちらです。
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150809-00044434-gendaibiz-soci
(以下は、コピーです)

まるでロックコンサートのようなデモ

 現場に身を置かないと、わからぬ熱気というものがある。衆院特別委で安保法案が強行採決された7月15日の夜、国会正門前の集会でそれを痛いほど感じた。ひょっとしたら、この熱気は歴史を変えるかもしれない。

 主催者は、安保法案を「♯本当に止める」を合言葉に集まったSEALDs(自由と民主主義のための学生緊急行動)だった。合言葉の「♯」(ハッシュタグ)はツイッターで検索しやすくするための記号である。

 今年5月、東京の私大生らを軸に結成された。メンバーは関西グループを含め約250人とされるが、本当のところは誰にもわからないのではないか。というのもデモや集会をやるたび参加者が急増し、全国各地に運動が広がっているからだ。

 15日の国会前にはSEALDsの呼びかけで数万人が集まった。老いも若きも、男も女も、目の不自由な人も、車椅子の人もである。皆がコールに合わせて「国民なめんな!」「勝手に決めるな!」と叫んでいる。

 誰もが真剣な面持ちで、しかも楽しげだ。若い女性が大勢いるから場が華やぐ。心が躍る。まるでロックコンサートの会場にいる気分だ。いや、広々とした野原にいて爽やかな自由の風に吹かれているみたいだ。

 私は人の渦に呑み込まれながら思った。若いってこんなに凄いことだったんだな。今やSEALDsは万人の共感を呼んでいる。機動隊に石や火炎瓶を投げることしか頭になかった私たちの世代とは大違いである。

 何よりショックを受けているのは、ヘイトスピーチをばらまくネトウヨ諸君(その中心は40代だ)だろう。第2次安倍政権が誕生して我が世の春を謳歌していたのもつかの間、もっと若い世代の運動に軽々と乗り越えられてしまったのだから。
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手垢のついた決まり文句を使わない

 それにしてもSEALDsの自由で軽快な発想はどこから生まれたのだろう。私はついさっき見た場面を思い起こした。

 最初にオッ! と思ったのは午後7時すぎのことだ。SEALDsの中心メンバーである奥田愛基君(明治学院大国際学部4年)がマイクを握った。

 「いつの時代も『若者は何やってんだ。無関心だ』と言われ続けてきたんですよ。で、いざ声をあげると『何だへらへらして。ちゃんと勉強してんのか』と言われ、そうやって大人との溝が延々とあった。でも、今は自分のジイチャン、バアチャン、トウサン、カアサンぐらいの人たちと一緒に集まっている。僕はそのことに希望を持ちたい」

 赤い花模様のキャップ。白いTシャツ。小さ目のリュックを背負っている。その声には少年のようなあどけなさが残っている。が、彼は手垢のついた決まり文句を決して使わない。自分の胸に積もり積もった言葉で人々に語りかける。

 「僕はあと30年たって戦後100年になったとき、ついに100年間、戦争してこなかったという祝いの鐘を鳴らしたいんですよ。何で立憲主義を理解できない人たちに我々の生活を語られなきゃいけないんですか。僕は諦めることができません」

 聴衆から「そうだっ!」と合いの手が入る。と、そこで奥田君は声のトーンを一変させる。

 「アソウさんが不良グループに囲まれても守れないとか、スガさんがどうのとか、そんな説明に納得できるか、ボケッ! 納得できるわけないじゃないか」

 ワーッと大歓声がわく。奥田君の言葉にはユーモアとメリハリがある。彼は自分の気持ちを人に伝えるにはどうしたらいいのかと心を砕いてきたのだろう。今までの運動にいちばん欠けていた部分だ。

「民主主義ってなんだ!」

 そう言えばSEALDsのサイトやパンフもデザインがおしゃれだ。たとえば青空に浮かぶパラグライダーの写真を背景に白抜きの字で自分たちの主張をわかりやすく訴えている。

 もっと驚いたのは、スピーチの合間にスピーカーから流れるコールだ。ドスの利いた渋い声で「戦争ハンタイ!」「戦争ハンタイ!」のリフレインがまずつづく。リズム感と迫力があるから、単純な言葉でも胸にじんわりと沁みこんでくる。

 やがてコールは「民主主義ってなんだ!」という問いかけに変わる。人々がそれに「なんだ!」と問い返す。「民主主義ってなんだ!」「なんだ!」。

 途中でコールのテンポは一変する。「アッベェー(安倍)はやーめーろっ」。すると、皆も「アッベーはやーめーろっ」。次は早口で「アベはやめろっ」「アベはやめろっ」。「民主主義ってなんだ!」「なんだ!」。

 ウーンと唸った。これほど主催者と参加者の気持ちが一体になる集会は見たことがない。

 掛け合いはつづく。「なんか自民党、感じ悪いよね」「独裁やめろ」「憲法守れ」「言うこときかせる番だ、オレたちが」「安倍晋三から沖縄守れ」「自由を守れ」「子供を守れ」……。

 次々と繰り出される言葉はもはやコールではない。無数の男女によるラップだ。ヒップポップの心地よい音楽である。

 SEALDsの面々は3年前の官邸前デモの高揚を見て育ったのだろう。だからデモへの抵抗感が微塵もない。ヘイトデモの醜悪さにも呆れ果てたにちがいない。彼らの理念は〈戦後70年でつくりあげられてきた、この国の自由と民主主義の伝統を尊重〉することである。

 社会学者の上野千鶴子さんがスピーチに立った。

 「私は45年前、学生でした。その時は闘いました。今時の学生はどこにいて何してるんだと思っていたら、ここにいるじゃないか! おじさん、おばさんと若者たちが一緒に闘う。こんな日が来るとは夢にも思わなかった。ありがとう。生きてて良かった!」

 さすが上野さんである。SEALDsの運動がどれほど画期的なことかちゃんと分かっておられる。万雷の拍手の後、またコールが始まった。「民主主義ってなんだ!」「なんだ!」。数万の声が夕闇の国会前に響き、私は日本の未来に確かな希望の灯を見たような気がした。

 *参考:東京新聞7月12日付朝刊

  『週刊現代』2015年8月8日号より
  


Posted by いざぁりん  at 23:20
総理の本音は、非核三原則を廃止したい、ということなのです。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150809-00000029-jij-pol
(以下は、コピーです)
 安倍晋三首相は9日、長崎市で行われた平和祈念式典のあいさつで、非核三原則を堅持する方針を明言した。
 6日の広島市での平和記念式典では、首相は非核三原則に言及せず、野党や被爆者団体などから批判の声が上がっていた。国内外に明確に発信することで、懸念を払拭(ふっしょく)する必要があると判断したとみられる。
 首相は9日のあいさつで、「世界で唯一の戦争被爆国として、非核三原則を堅持しつつ、『核兵器のない世界』の実現に向けて、国際社会の核軍縮の取り組みを主導していく決意を新たにした」と述べた。
 非核三原則について、首相は7日の衆院予算委員会で「国是」「考え方に全く揺るぎはない」などと説明。長崎のあいさつには三原則を盛り込むと約束していた。
 首相は第1次政権を含め、昨年以前に出席した原爆忌の式典では三原則に言及している。 
  


Posted by いざぁりん  at 23:07

2015年08月09日

「内的参照価格」

内的参考価格を無視した価格設定は、誤りです。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/44266?page=3
(以下は、コピーです)
人は何かを買う時、無意識のうちに「内的参照価格」、つまり「このくらいまでなら出せる」という金額にモノの値段を照らし合わせるという。エルメスで服やカバンを買うときは「20万円出しても仕方ない」となる。だが、良くも悪くも「普通の服」ばかりというイメージが染みついたユニクロでは、1万円払うのも高いと感じる。どうしようもない現実だ。  


Posted by いざぁりん  at 23:03
Posted by いざぁりん  at 23:02

2015年08月09日

エルアル航空1862便

Posted by いざぁりん  at 23:02

2015年08月09日

JAL 747 Classic Last Flight

Posted by いざぁりん  at 23:01
新作が出ました。
拡散希望。
https://www.youtube.com/watch?v=WVpX-fuN98s  


Posted by いざぁりん  at 11:07
Posted by いざぁりん  at 11:05
こちらです。
http://www.asyura2.com/15/senkyo190/msg/286.html
(以下は、コピーです)
「戦争に行きたくないのは自己中」武藤議員に聞かせたい、蛭子さんの“究極の自己中”反戦論
http://lite-ra.com/2015/08/post-1364.html
2015.08.07. リテラ


「戦争に行きたくないのは自己中で利己的個人主義」――。自民党の武藤貴也議員のトンデモ発言に非難が集まっているが、しかし、これはある意味、自民党=安倍政権の本音でもある。

 実際、安倍首相をはじめ、党三役や閣僚に名前を連ねている連中は、今でこそ政権をとって安保法案を通すためにトーンダウンしているが、これまでみんな武藤議員と似たようなことを主張してきた。

 日本国憲法や戦後教育のせいで国民に公に貢献する精神がなくなった、愛国教育や徴兵制で国民の精神を叩き直すべきだ――。

 麻生太郎副総理が武藤議員に対して「自分の気持ちは法案が通ってから言ってくれ。それで十分間に合う」と思わずポロリと漏らしたことが報じられたが、おそらく、安保法案が成立した次は「戦争に行きたくないのは自己中」と批判されるような教育、社会の空気づくりが本格化していくのだろう。

 そのとき、いったい私たちはこの乱暴な全体主義にどういう言葉で対抗すべきなのか。実は、そのヒントを与えてくれそうなイデオローグがいる。それは、あの蛭子さん、蛭子能収だ。

 蛭子さんといえば、バラエティや旅番組などでもまったく空気を読まないマイペースな発言を連発している“ミスター自己中”。本人も常々「誰かに束縛されたり、自由を脅かされることが何よりも大嫌い」と公言していて、自著『ひとりぼっちを笑うな』(角川oneテーマ21)では、「長いこと、自由であることを第一に考えていると、いわゆる“友だち”と呼ばれるような人は、あまり必要でなくなります。」とまでいっている。
 
 そんな蛭子さんが「女性自身」(光文社)8月18日・25日合併号の戦後特集「私の70年談話」に登場して、戦争について語っているのだが、これがなかなか説得力のある内容なのだ。

 原爆投下された2年後、長崎に生まれた蛭子さんは「小さいときから、戦争は嫌」だと思っていたという。その原点になっているのは死ぬことへの恐怖。蛭子さんは小学生の時、一瞬で消えてしまう流れ星を見て、人間のそして自らの“死”を実感した。

「人の一生も同じなのかと思ったら、すごく恐ろしくなって。以来、死なないことが人生の目標になったんです」

 人生の目標が「死なないこと」となった蛭子はその目標を第一優先にして行動してきた。それが「怒りを表情に出さない」そして「暴力に頼らない」ことだったという。

 中学時代、パシリにされたりイジメを受けたりしたとき、蛭子は内心では腹が立ったというが、それを抑えることで、理不尽なものに対処していく。

「怒りを表情に出すことはしませんでした。もしオレが手を出せば、相手は殴ってくるかもしれません。ちょっとの憎しみでもたちまち大きくなります。その憎悪の連鎖が、しまいにはナイフで刺されることにつながるかもしれませんからね」

 挑発に乗って、感情を爆発させれば自分にも暴力が向けられるし、やり返せば憎悪の連鎖も起こる。だから蛭子は考えた。

「とにかく相手から嫌なことをされても、怒りの感情を出さない。暴力に頼らない別の対処法を考える。それが憎しみの連鎖を断ち切る唯一の方法。これは大人になった今でも変わりませんね」

 そして、蛭子さんはこうした体験をふまえて、戦争の動きについてこう批判している。

「オレは好戦的な発想は好きではありません。最近、中国や韓国との関係がギクシャクしてからの、相手の攻撃的な言動により攻撃的な態度で返しているような人たちを見ていてそう思います。(略)向こうが高圧的に来ても、受け流しておけばいいんですよ。その間に、歴史や法律を勉強したり、戦争をしなくてもすむ仕組みを調べたりするほうがいいんです」
「国同士だとちょっとした『憎しみ』が戦争につながるんですから、その連鎖を早い段階で断ち切ることが大切。それができるのは「弱さ」を武器にすることだと思うんです」

 どうだろう。安倍首相による例の「トモダチのアソウくんが不良仲間に喧嘩を売られたら、一緒に戦う」といったたとえ話よりも、はるかに現実的で説得力のある言葉ではないか。

 実は蛭子さんは少し前から、安倍政権の戦争できる国づくりにしきりに異を唱えていた。

 昨年6月24日には朝日新聞紙上で、集団的自衛権を「正直、難しいことはよく分かりませんが、報復されるだけなんじゃないですか。『集団』っていう響きも嫌いですね。集団では個人の自由がなくなり、リーダーの命令を聞かないとたたかれる。自分で正しい判断ができなくなるでしょ」と批判したし、前述の『ひとりぼっちを笑うな』でも「ここ最近の右翼的な動きは、とても怖い気がします。安倍首相は、おそらく中国と韓国を頭に入れた上で、それ(集団的自衛権)を通そうとしているのでしょうけれど、僕はたとえどんな理由であれ、戦争は絶対にやってはいけないものだと強く思っています」と警鐘を鳴らしている。

 おそらく安倍政権を支持する連中は、蛭子さんのこうした反戦の主張に対しても「自己中」という言葉を投げつけるのだろう。しかし、蛭子さんはただの「自己中」ではない。

「僕自身が自由であるためには、他人の自由も尊重しないといけないという信念であり、それが鉄則なんです。人それぞれ好きなものは違うし、ライフスタイルだって違う。そこをまず尊重しない限り、いつか自分の自由も侵されてしまうような気がしてなりません」
「戦争ほど個人の自由を奪うものなんて、他にはないんですよね。誰かの自由を強制的に奪うようなものは、いかなる理由があっても断固として反対です」
(『ひとりぼっちを笑うな』)

 蛭子さんは何よりも自由を大事にし、そして自分が自由であるために、他人も尊重するし、多様性を認める。だからこそ、「自由」を奪う戦争には、徹底的に反対していく。しかも、そこにはたんなるエモーショナルな思いではなく、どうやったら生き延びることができるのかという冷静な計算、「弱さを武器にする」というしたたかな戦略がある。
 
 一方、安倍政権とそれを支持する連中はどうだろう。自分たちのグロテスクなプライドを慰撫するために歴史をつくりかえ、国民に「国のために命を捧げる」という価値観を強要し、戦争のできる国にするためにわざわざ緊張関係をつくりだす――。いったい、どっちが「自己中」で「非現実的」なのかは火を見るより明らかだろう。

 蛭子さんは「女性自身」のインタビューで「弱いことを武器にすることは、本当は強い者にしかできないことですよね」とも語っているが、私たちは安倍政権やネトウヨ政治家ががなりたてる「見せかけの強さ」でなく、蛭子さんのような「しなやかな強さ」を求めるべきなのだ。
  


Posted by いざぁりん  at 02:18
こちらです。
http://www.asyura2.com/15/senkyo190/msg/318.html
(以下は、コピーです)
安倍官邸が怯える8月30日 「安保反対10万人デモ」の破壊力
http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/162515
2015年8月8日 日刊ゲンダイ


 安倍周辺が「最後の日曜日」に警戒を強めている。夏休み最後の日曜日(8月30日)、10万人規模の「反安保デモ」が予定されているからだ。もし、10万人が国会を包囲したら、憲法違反の「安保法案」は廃案になっておかしくない。

「安倍官邸はいまからピリピリしています。学生グループ『SEALDs』が毎週金曜日、国会周辺でデモを行っていますが、参加者は2万~3万人です。10万人が国会周辺に押し寄せたら、革命前夜のような雰囲気になりかねない。台風でもなんでもいいから、デモが中止になって欲しい、というのがホンネです」(官邸事情通)

 実際、首相周辺は、デモを潰そうと必死だ。安倍チルドレンの筆頭、武藤貴也衆院議員(36)は、SEALDsのことを〈利己的な集団〉と誹謗し、自民党の幹部職員は〈チンピラ〉と罵倒している。デモに参加する学生をおとしめることで、これ以上、賛同者が広がらないように画策しているのはミエミエだ。

 警察による規制もどんどん強まっている。国会周辺の道路には鉄柵が張り巡らされ、警察官がズラリと並んでいる。デモを行っても、簡単には国会に近づけない。

 安倍官邸がデモ潰しに必死なのは、もし10万人を超えるような大規模デモが行われたら、参院での強行採決も、60日ルールを使った衆院での再可決も難しくなるからだ。

「もともと、自民党の参院議員は強行採決はやりたくない。彼らには、良識の府という自負心があります。なにより、1年後には参院選が控えている。選挙の時、野党から攻撃されるのは確実なだけに、世論に敏感になっている。10万人の大規模デモが行われたら、強行採決に二の足を踏むはずです」(政治ジャーナリスト・鈴木哲夫氏)

 ポイントは、特別委員会の委員長が鴻池祥肇氏だということだ。

「鴻池さんは、思想信条は“右寄り”ですが、任侠というか、スジを通すタイプ。先日も、委員会で『参院は衆院の下部組織ではない』『官邸の下請けではない』と宣言している。たとえ安倍官邸が強行採決を命じても“まだ議論が尽くされていない”“国民は納得していない”と考えたら採決しないと思う。参院が採決しない場合、衆院が60日ルールを使って再可決するのは、現実問題、難しいでしょう。結果的に廃案になる可能性があります」(鈴木哲夫氏)

 すべては世論の盛り上がり次第だ。首相周辺は、8月30日のデモをなんとか4万~5万人程度に抑えたいらしいが、こうなったら10万人ではなく、30万人で国会を包囲するしかない。



 
  


Posted by いざぁりん  at 02:11
こちらです。
http://www.asyura2.com/15/senkyo190/msg/311.html
(以下は、コピーです)
夜回り先生、武藤貴也議員のSEALDs批判に反論
http://www.huffingtonpost.jp/2015/08/07/mizutani-osamu-muto-takaya_n_7954302.html
2015年08月07日 18時58分  The Huffington Post


自民党の武藤貴也・衆院議員(36)が安保法案に反対する学生グループSEALDsを「利己的個人主義」などとツイートした問題で、子供たちの非行防止に取り組み「夜回り先生」として知られる元高校教諭の水谷修さんが「完全に武藤衆議院議員が間違っています」と反論した。

水谷さんは8月4日、公式ブログで国会議員らとともに故・菅原文太さんと食事をした時のエピソードを紹介。議員の一人が尖閣諸島に不法侵入した中国船について「法律を改正し、自衛隊を送り、武力を持ってしても、中国船舶を追い返し、国土を守らなくてはいけない。これでは、日本の名誉が損なわれる」と言ったときの、菅原さんの言葉を次のようにつづった。

「君が、行くのかね。もし、そこで、一発でも銃弾が飛べば、戦争が始まる。そして、自衛官の命が失われる。それでもいいのかね。君に聞きたい。君たち国会議員が、守るのは、国家の名誉なのか、それとも、国民一人ひとりのいのちなのか。君は、何もわかっていないようだ。私は、あの戦争を体験している。どんなことがあっても、二度と戦争はしてはいけない。名誉なんてものは、一度失っても取り戻すことは出来る。でも、いのちは一度失われたら二度と取り戻すことが出来ない」
 
(自民党武藤衆議院議員の発言について|夜回り先生は、今!(水谷修ブログ)より
http://www.mizutaniosamu.com/blog/010diary01/post_361.html
2015/08/04)

水谷さんは学生らが声をあげていることについて「この国の明日と世界平和を深く熟慮している」と評価する一方、「国があって国民があるのではなく、国民があって、はじめて国がある。今、この発想が多くの国会議員のあたまの中から消えている」と、国会議員を批判。国会議員は国の名誉より国民の命を守ることが大事だとの考えを主張した。

水谷さんは武藤議員に対しても「ツィッターでこのように無造作に侮蔑のことばを投げ捨てるのではなく、彼らのところに出向き、彼らの意見をきちんと聞き、また自分の意見もきちんと話すべき」と呼びかけている。
  


Posted by いざぁりん  at 02:08
政府が意図的に、学校教育や社会教育から、歴史的事実に触れることを遠ざけてきた結果です。
国民が戦争の実相を知ることは、軍国主義復活を目論む政府にとって、不都合だったのです。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150807-00000006-withnews-soci&pos=1
(以下は、コピーです)

戦後70年、原爆が広島と長崎に投下され、戦争が終わった8月を中心に様々な催しや報道が戦争の歴史を伝えている。しかし、NHKが実施した世論調査の結果から、原爆の投下日という基本的な事実すら伝わっておらず、被爆地の広島・長崎でも記憶の風化が進んでいることがあきらかになった。
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原爆投下の日、正答率は全国で3割切る

 NHKが戦後70年にあわせて実施した世論調査で、広島市と長崎市に原爆が投下された日付について聞いたところ、「正しく答えられなかった人がそれぞれ全国で7割程度」(NHK)だった。

  記事で「『昭和20年8月6日』と正しく答えられた人」と書いたことから、ツイッターなどでは「元号で聞いたから正答率が低かったのでは」という指摘が相次いだ。しかし、NHK広報局に問い合わせたところ、「西暦で答えても正解とした」とのことで、この批判はあたらない。世論調査の詳細は、NHK放送文化研究所のウェブサイトでも公開されている。
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被爆地の広島・長崎でも進む風化

 同様の世論調査は10年ごとに実施されていた。NHK広報局に過去のデータを問い合わせると被爆地の広島や長崎でも記憶が風化していることがわかる。(各年の世論調査手法は記事の末尾)。広島市、長崎市、全国、いずれも右肩下がり。特に長崎市ではこの20年で両都市への投下日の正答率が8割台から5割台にまで急減した。

■広島への投下日の正答率
【広島市】
77.0%(1995年)
68.6%(2015年)
【長崎市】
85.1%(1995年)
50.2%(2015年)
【全国】
37.5%(2005年)
29.5%(2015年)

■長崎への投下日の正答率
【広島市】
57.9%(1995年)
54.2%(2015年)
【長崎市】
89.8%(1995年)
59.2%(2015年)
【全国】
25.6%(2015年)
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「投下、許せない」減少

 戦後70年の世論調査の結果でもう一つ注目を集めたのが、「米国による原爆投下をどう考えるか」という質問への答えだった。広島市で44.2%が「やむを得なかった」と答え、「今でも許せない」(43.1%)を上回ったことだ。わずか1ポイント差で、世論調査の誤差の範囲内だが、約14万人の死者(1945年末まで)を出した被爆地で半数近くがその被害を「やむを得なかった」と答えた。

 全国の回答者で見ると「今でも許せない」が48.8%、「やむを得なかった」が39.6%、長崎では前者が45.7%、後者が40.8%で、広島とは逆の結果がでている。

■米国による原爆投下をどう考えるか
【広島市】
今でも許せない:43.1%
やむを得なかった:44.2%

【長崎市】
今でも許せない:45.7%
やむを得なかった:40.8%

【全国】
今でも許せない:48.8%
やむを得なかった:39.6%

戦後70年、記憶の継承のために

 朝日新聞社は戦後70年の今年、平均年齢が80歳を超えている被爆者のうち約2万2千人を対象にアンケートを送り、5762人から回答を得た。

 「被爆体験は次世代に伝わっていると思いますか」という質問に「十分伝わっている」と答えた人はわずか2.2%。「ある程度伝わっている」が36.2%で、「あまり伝わっていない」(46.5%)と「まったく伝わってない」(4.2%)があわせて5割を超えた。

 戦後70年という節目を迎え、原爆だけでなく、広く戦争や戦後の歴史を伝えるサイトも数多く公開されている。

「戦後70年 被爆者5762人アンケート」(http://t.asahi.com/i6kf
「戦後70年:朝日新聞デジタル」(http://t.asahi.com/gua2
「NHK|ニッポンのポ」(http://www.nhk.or.jp/po/index.html
「戦後70年 - 毎日新聞」(http://mainichi.jp/feature/afterwar70/
「戦後70年 未来に残す 戦争の記憶 - Yahoo! JAPAN」(http://wararchive.yahoo.co.jp/
「検証・戦争責任:読売新聞」(http://www.yomiuri.co.jp/special/70yrs/

  


Posted by いざぁりん  at 01:27
抵抗権は、非暴力・非服従、がオススメです。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150808-00010000-videonewsv-soci
(以下は、コピーです)
アメリカの世論調査会社ピュー・リサーチ・センターが今年4月に行った世論調査で、70年前の広島、長崎への原爆投下が正しかったと考えるアメリカ人の割合が、56%にまで減ってきていることが明らかになった。1945年9月にギャロップが行った同様の調査では、85%のアメリカ人が原爆投下は正しかったと答えていた。

 アメリカでは当時の政府の政治宣伝の効果もあり、アメリカは原爆投下によって日本を早期に降伏に追い込むことに成功し、結果的に多くのアメリカ人の命が救われたと受け止める意見が支配的だ。しかし、世代を追うごとに、そうした政治宣伝の効果が弱まる一方で、原爆の非人道的な実態を知る人の数が、徐々にではあるが増えているとみられる。

 世代間のギャップも明らかになった。65歳以上のアメリカ人の間では、7割を超える人が依然として原爆投下は正しかったと答えているのに対し、18歳から29歳の間ではその割合は47%だった。また、軍事を重んじる傾向がある共和党支持者の間では74%が原爆投下を正当化しているのに対し、民主党支持者では52%だった。

 原爆投下を正当化してきたアメリカ政府の姿勢を批判している映画監督のオリバー・ストーン氏は、2013年8月に来日した際の記者会見で、「原爆投下の正当化に歴代アメリカ政府の嘘のすべてが凝縮されている」と語り、実際には「ソ連を牽制する目的で」使用した原爆を、あたかも人道的な目的のためだったかのようにすり替えて正当化するアメリカ政府の姿勢を、厳しく批判している。

 その他、「国民の抵抗権は民主主義の重要なツール」「再販によって保護されている日経がFTを買収しても問題にならない理由」などを、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。  


Posted by いざぁりん  at 01:21
憲法第9条は、変えてはなりません。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150808-00010000-socra-pol&pos=1
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改憲派の私が改憲に反対なわけ

安保法制を関して、もともとは改憲派で自民党議員とも親しいがいまは安保法制に反対している小林節慶応大学名誉教授に聞いた。第二回目インタビュー。(聞き手:ニュースソクラ編集長 土屋直也)

―― 安保法制が閣議決定された日、安倍首相は会見を開き、米国の戦争に巻き込まれることは絶対にあり得ない、戦争法案というのは「無責任なレッテル貼りだ」、という旨の発言をしていましたが。

 これまで70年間、制服を着た日本の自衛隊員が海外で、殺されないし、殺さなかった。だから、一発も銃弾を撃っていないというのは、自衛隊の自慢ですよね。それが今後は、後ろから参戦する「後方支援」であれ、後前関係なしに参戦する「集団的自衛権」であれ、戦争したことのない日本が戦争をすることになる。

 世界中でけりがつかない戦争ばかりやってきたアメリカ。そのために人心も疲弊してきたし、財政も破綻してきているじゃないですか。だから、何人ものアメリカの当局者は私に聞いてきたんです。「いつ日本は憲法9条を改正して、アメリカと一緒に戦争できる国になってくれるの?」とね。
 だから、日本国政府の公式の解釈と称する開き直りで、憲法9条の枠組みを取っ払ってしまった以上、アメリカは「助けにきて」というに決まってるじゃないですか。今までできなかった戦争に、日本が参戦する以上、日本にとって危険は増しますよね。

 だけど、いろいろな人が自民党に問いかけると、「いや、危険は増しません」という答えが返ってくるんです。その根拠としていわれることは、二つです。
 一つは、アメリカと仲良くなることによって、襲われる危険性が減るから、安全になる、という理屈。

 もう一つは、戦闘が起きたら自衛隊は帰ってくるようになっているから、という理屈です。この考え方は、昔の周辺事態法の「後方支援」という言葉にすでに含まれています。後方支援をするということで考えられているのは、戦闘が起きていない場所で後方支援をし、戦闘が起きたら中止・撤退をしなさい、ということですから。

 でも、実際には、撤退なんてできますか? 戦地に助けに行くわけでしょ。周辺事態法で設定した「非戦闘地域」というのは、過去・現在・未来にわたって、戦争のない所、という保証があって設定されていたわけですよね。だから、イラクで戦争があったときにも、誰も使っていない砂漠の中に基地を作って、でも日本が基地を作ったらミサイルが何発も飛んできた。今のルールだったら、ミサイルが飛んできたら自衛隊は帰ってくるそうです。

 今回の安保法制では、後方支援といっても、アメリカ軍と一体になって行動するわけです。じゃあ、その軍が攻撃されたら自衛隊は帰ってくるんですか? 帰ってこられるわけないですよ。そんなときに帰ったら、戦っているアメリカ軍は殺されますし、そんなときに帰るのは仲間とはいえないです。

 あるいは、敵側から見たら、敵将と戦うときに、敵将の馬を狙えばいいんですよ。日本は「後方支援」で、まさに馬なわけですからね。しかも、自衛隊は銃を引くことに消極的ですからね。ぼくが敵だったら、日本を狙います。

 それか、敵としたら、前線で戦っているアメリカ軍の裏にまわればいいんです。そうしたら、挟み撃ちにできますからね。前線のコンバットが来る間、敵は「後方支援」をしている日本に対して、やり放題ですよ。

 だからね、「アメリカと仲良くなることによって襲われる危険性が減る」「戦闘が起きたら自衛隊は帰る」なんていう、戦争ごっこをする子供でも気が付くようなウソをついちゃいけないですよ。
  


Posted by いざぁりん  at 01:18
自公政権がこのまま行けば、徴兵制は、導入されます。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150808-00000003-wordleaf-pol&p=1
(以下は、コピーです)

安全保障関連法案の審議が、参議院でも始まりました。「集団的自衛権」が憲法解釈の変更によって可能とされることから、徴兵制についても同じように可能になるのではないかという議論が、衆議院から引き続いて行われています。7月5日にも、民主党が安全保障関連法案への反対を説明するパンフレットで、「いつかは徴兵制?募る不安」といった見出しをつけ、直後に修正したことも話題となりました。安倍首相は、答弁の中で「徴兵制の導入はまったくあり得ない」と明言していますが、将来的に、憲法解釈の変更によって徴兵制が導入される可能性はないのでしょうか。

<集団的自衛権>中谷元氏「徴兵制は憲法上、絶対にない」
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安保法制 「徴兵制」は本当に将来導入されることはないのか?


[写真]憲法18条を根拠に「徴兵制」は明確な憲法違反であり、解釈変更の余地はないという安倍晋三首相。写真は安保法案の閣議決定後の記者会見(ロイター/アフロ)


徴兵制は「意に反する苦役」が政府見解

 政府の公式見解によると、徴兵制とは「国民をして兵役に服する義務を強制的に負わせる国民皆兵制度」であるとされています。つまり、戦時だけでなく、平時においても軍隊を常設して、これに必要となる兵を国民から強制的に集めるということです。

 安倍首相は、7月13日に放送された自民党の動画チャンネル「Cafe Sta」でも、「憲法18条には『意に反する苦役』、これはダメですよということが書いてあります。そして徴兵制度の本質は、意思に反して強制的に兵士の義務を負うことです。ですから、徴兵制は明確に憲法違反なんです。これは憲法解釈で変える余地は全くありません。これははっきりと申し上げておきたいと思います」と発言しています。

 確かに、1980年の政府答弁書において、「徴兵制は平時であると有事であるとを問わず、憲法第13条、第18条などの規定の趣旨からみて許容されるものではない」との見解が述べられています。安倍首相の発言も、これを根拠としたものと考えられるでしょう。
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米最高裁は「意に反する苦役ではない」

 しかし、実際には、徴兵制が憲法18条に違反すると政府が考えているかは微妙なところです。1970年に行われた答弁では、当時の内閣法制局長官は、『(憲法)18条に当たるか当たらないかというのは、私どもから言いますと確かに疑問なんです』と明確に述べています。どういうことなのでしょうか。憲法問題に詳しい伊藤建(たける)弁護士は、次のように話します。

「内閣法制局が、安倍総理のように『徴兵制は憲法18条に明確に違反する』と言わない理由は、とあるアメリカ連邦最高裁の判決にあります。アメリカ合衆国憲法修正13条は、日本国憲法18条とほぼ同じ文言なのですが、アメリカ連邦最高裁は、徴兵制は『意に反する苦役』にあたらない、と判断しているのです。修正13条は、南北戦争直後である1865年に奴隷制を廃止する目的で追加されたのだから、『意に反する苦役』とは奴隷制度に類似するものを意味し、徴兵制度はこれに当たらないというロジックです」

 このアメリカの解釈を参考にすると、憲法18条だけでは徴兵制が憲法に違反するという確信を持てないからこそ、1980年の政府答弁書では「個人の尊重」などを規定した憲法13条もあえて挙げていると考えられます。安倍首相は、この点について明確な説明はしていません。

「1980年の政府答弁書は、徴兵制は憲法13条や18条などの規定の『趣旨』に反すると述べるにすぎず、どこにも『憲法18条に明確に違反する』とは書いていません。つまり、明確に憲法違反であるとは言えないけれども、憲法13条や18条などの条文を一緒に読んで、その背後原理を推理すると、ようやく『徴兵制は憲法違反だ』といえるというわけです。そのため、『徴兵制は憲法上許されない』という政府見解は、砂上の楼閣にすぎず、いつかは解釈改憲により変更されてしまうという危険をはらんでいます」(伊藤弁護士)

 安倍内閣の一員である石破茂内閣府特命担当大臣も、「政府見解に従うことは当然」としつつも、「『兵役は苦役』のような発想が国際的には異様だ」という持論を今回の国会でも展開しています。民主党のパンフレットで懸念されていた通り、やはり法解釈の可能性という観点からは、徴兵制も「集団的自衛権」の場合と同じ問題があり得るのです。


現代の戦争で徴兵制に合理性はあるのか

 しかし、現実として、日本において徴兵制が必要とされることはあるのでしょうか。現代の戦争においては、ハイテク兵器を駆使して戦う必要があるため、徴兵制で集めた経験の浅い兵士では役に立たないから、徴兵制には軍事的合理性がないという意見があります。これはその通りで、現に世界各国では徴兵制は廃止される傾向にあります。長年、徴兵制を維持してきたドイツも、2011年に廃止に踏み切りました。

 ところが、現代の戦争はこうしたハイテクの兵器を用いる戦争に限られるわけではありません。「正規の軍や情報機関、義勇兵、民兵その他を組み合わせることで、平時とも有事ともつかない状況下で軍事作戦を遂行する『ハイブリッド戦争』では、徴兵制が必要になる場合もあり得る」と軍事アナリストの小泉悠氏は指摘します。公式の宣戦布告もなく、突然に国内に戦闘地域が出現し、延々とゲリラ的な消耗戦を強いられる「ハイブリッド戦争」では、少数の職業軍人よりも大量の徴兵を動員せざるを得ないというのです。

「軍事的に弱体な小国は、大量の国民を動員した武装抵抗によって、侵略のコストを仮想敵に認識させることが、安全保障上重要となります。 実際、ウクライナやリトアニアなどでは、最近になって徴兵制が復活しました」(小泉氏)

 しかし、地理的な要因、軍事的な装備などを考えても、こうした東欧諸国と日本の状況は大きく異なります。日本は島国であり、海上自衛隊及び航空自衛隊によって海上防衛や対空防衛の戦略が確立しているため、容易に敵が侵入することができません。つまり、可能性としても、ハイテク兵器を用いた現代型の戦争以外は起こりにくい状況なのです。小泉氏も、次のように指摘します。

「中国が南沙諸島への実行支配を強めているのは事実ですし、いずれは尖閣、沖縄も視野に入れていることは確かですから、遠い将来そういった場所でいわゆる『ハイブリッド戦争』が起きるかもしれません。しかし、そのような局所的な紛争に対して、日本国全体で一般の国民を総動員するような徴兵制が必要かは極めて疑問です。本土まで侵略されてゲリラ戦で対抗しなければならない事態も論理的には想定できますが、日本の国防能力を考えると、その可能性は将来的に見ても極めて低いでしょう」
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 確かに、現実として古典的な徴兵制が日本で導入される可能性は低いようです。ただ、法令の解釈は、今回の「集団的自衛権」と憲法9条の関係を見ても分かる通り、そもそも絶対的なものではありません。安倍首相が、憲法18条の『意に反する苦役』の解釈が1つに決まっているかのような説明をすることには、少し違和感を感じます。また、若者の貧困や自衛隊員の応募減少などの側面から、将来的には徴兵制に近い状態が生まれることを懸念する声もあります。今後は、「古典的な意味での徴兵制の導入」というテーマから一歩踏み込んで、実質的な問題点について議論していく必要があるかもしれません。
  


Posted by いざぁりん  at 01:14