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http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160801-00000059-mai-soci
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 ◇「費用算出して舛添氏に返還請求を」都に勧告

 舛添要一・前東京都知事の公私混同問題を巡り、都監査委員は1日、家族同伴の野球観戦やコンサート鑑賞で公用車を利用したことについて「知事の裁量を逸脱しており違法、不当」と判断した。その上でかかった費用を31日までに算出して舛添氏に返還請求するよう都に勧告した。

 勧告は、舛添氏が昨年8月18、29の両日、家族と東京ドーム(文京区)でプロ野球の巨人戦を観戦し、公用車で一緒に帰宅したと認定した。12月23日にもNHKホール(渋谷区)で開かれたクラシックコンサートに公用車で妻を同伴したと認めた。

 監査委員は、家族を同伴していたことなどから「公務と関係のない私的活動であるとの疑念を強く持たざるを得ない」と指摘し、運転手の人件費やガソリン代などの経費を舛添氏に返還請求するよう求めた。  


Posted by いざぁりん  at 00:35
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http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160731-00000006-jct-soci&pos=1
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 2016年7月31日投開票の東京都知事選で、候補のジャーナリスト・鳥越俊太郎氏が、同日夜放送の池上彰さんの選挙特番に出演しなかったことがネット上で波紋を広げている。

 報道番組「池上彰のニッポンの大問題~都知事選スペシャル~」(テレビ東京)での一幕で、ツイッターでは「敵前逃亡かよ」「聞く耳はどうした」「逃げないで下さい」といった厳しい指摘が相次いだ。

■「私の質問を受けない、ということのようですねぇ」

 候補者と繰り広げる1対1のインタビューが名物の池上特番。しかし、視聴者が期待していたジャーナリスト同士の掛け合いは実現しなかった。小池百合子・元防衛相に当選確実が出た20時過ぎ、鳥越事務所からの中継で、相内優香アナウンサーが「今交渉していますが、1対1の掛け合いはできないかもしれません」と険しい表情で伝えた。

 これに、スタジオの池上さんは「私の質問を受けない、ということのようですねぇ。うーん」と言葉をつまらせ、苦い表情。結局、番組終了まで鳥越氏本人を含め、鳥越陣営のインタビューは実現しなかった。鳥越事務所との中継は、このシーンしか放送されなかった。

 番組放送中、小池氏はインタビューに答えたほか、増田寛也・元総務相の陣営からは自民党の下村博文・総裁特別補佐が出演した。鳥越氏はテレビ朝日のニュースキャスターの経験もあり、現在、もっとも人気のあるテレビキャスターである池上氏との掛け合いに視聴者の注目も集まっていた。

 そのため、鳥越氏が池上さんとの掛け合いから「逃げた」と解釈する視聴者も多く、ツイッターに

  「敵前逃亡かよ」
  「聞く耳はどうした」
  「逃げないで下さい」

と鳥越氏への強い批判が相次いだ。  


Posted by いざぁりん  at 00:34
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http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160729-00000500-san-musi
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 ショパン国際ピアノコンクールで4位に入賞し、世界各国のピアノコンクールの審査員も歴任した世界的ピアニスト、中村紘子(なかむら・ひろこ、本名・福田紘子=ふくだ・ひろこ)さんが26日に大腸がんのため死去していたことが28日、分かった。72歳だった。葬儀・告別式は近親者で行った。喪主は夫で作家、庄司薫(しょうじ・かおる=本名・福田章二)氏。

 山梨県生まれ、東京・世田谷育ち。指揮者の小澤征爾さんらを輩出した桐朋学園「子供のための音楽教室」で幼児期から学んだ。慶応義塾中等部在学中の昭和34年に日本音楽コンクールで史上最年少で第1位特賞を受賞し、翌35年にはNHK交響楽団初の演奏旅行のソリストに起用された。その後、米ニューヨークのジュリアード音楽院に留学。1965年の第7回ショパンショパン国際ピアノコンクールで4位に入賞した。

 チャイコフスキー国際音楽コンクール、ショパン・コンクールなど数多くの国際コンクールの審査員も歴任。その体験に基づく著書「チャイコフスキー・コンクール」は大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した。

 後進の指導にも情熱を注ぎ、平成8年から「浜松国際ピアノアカデミー」を開催。一方、大腸がんの治療のために、平成27年2月から音楽活動を休止したが、同年3月にはステージに復帰。その後は闘病生活を送り、活動休止と復帰を繰り返しながら公演にも励んだ。

 今年4月には「日本パデレフスキ協会」の副会長の就任会見で元気な姿を見せていた。

 20年に紫綬褒章を受章したほか、国内外での受賞多数。著書に文芸春秋読者賞を受賞した「ピアニストという蛮族がいる」「コンクールでお会いしましょう~名演に飽きた時代の原点~」など。  


Posted by いざぁりん  at 00:34
歩きスマホが前提のゲームは、規制されるべきです。
親子対話の増進や、引きこもり問題の解決は、別の方法で行われるべきです。
そもそも、携帯の無い社会を目指すことこそが、重要です。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160727-00000031-dal-ent
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 タレントの水道橋博士が27日、テレビ東京系「モーニングチャージ!」に漫画家のやくみつる氏とともに出演。やく氏が大人気スマートフォンゲーム「ポケモンGO」をやる人を「侮蔑します」と発言したことを受け、水道橋博士も「そうやって決めつけるコメントする人を心の底から侮蔑します」と反論した。

 番組では先日配信されたポケモンGOについて、東京メトロがホームなどにポケモンを出現させないよう要請したというニュースを取り上げた。それを受け、水道橋博士とやく氏がポケモンGOについて意見を交換。

 3人の子供を持つ水道橋博士は、ポケモンGOのおかげで中学生の長男との会話が増えたとコメント。また、自宅近辺の公園に日本人だけでなく外国人も集まりゲームをしているシーンを目の当たりにし「世界が一変した。衝撃的な光景だった」と振り返った。

 そんな博士へ、やく氏は「(水道橋博士の)次男はせっかく歴史が好きなら、その芽を伸ばしてあげるのが親の務めでは」と言葉をかけると、水道橋博士は「そんなことはない。ポケモンGOをきっかけに神社に行くようなったら、その歴史を調べるようになるとか。大人だってそうです」と断言すると、「そうやって決めつけて、コメンテーターとしてポジショントークしている人をぼくは心の底から侮蔑しますよ」と、やく氏の“決めぜりふ”を逆手に使って反論した。

 これには司会の大橋未歩アナウンサーも「でました!」と苦笑い。やく氏も苦笑いするしかなかった。

 その後、やく氏は、ポケモンGOが地方活性化にも役立っているという指摘に対し、「本来、来ようとしていた客は、相当期間寄りつかなくなるというリスクをどこまで考えているのかと思う」と持論を展開していた。  


Posted by いざぁりん  at 00:33
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http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160727-00000110-spnannex-ent
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 爆笑問題の太田光(51)が26日深夜放送のTBSラジオ「TBSの爆笑問題カーボーイ」(火曜深夜1・00)に出演。スマートフォン向け人気ゲーム「ポケモンGO(ゴー)」を楽しむ人々について「バカじゃねえかって思うね」と斬り捨てた。

 「ここへきてポケモン旋風。バカじゃねえかって思うね。世界中でやっているんだろ?日本人ってさあ、皆やり始めると皆やるみたいな感じで、アメリカ人とかはそういう人たちじゃないって思ってたんだけど、世界中でやってる。みんなそうなっちゃったんだね」と指摘。「皆同じことをして楽しむっていうさ、人と違うことをやらず…いまの人間って夢中になれることが何もないんだろうな」と持論を展開した。

 その後も「なんで歩きスマホはダメだって言いながら、歩きスマホを推奨するようなゲームを許すの?推奨してなくても(歩きスマホ)やるに決まってんじゃん。歩きスマホやってくださいって言っているようなもんじゃん」と毒づいた。

 「ポケモンGO」に関しては芸能界でも賛否両論があり、漫画家やくみつる氏(57)はテレビ番組で「愚かでしかない。こんなことに打ち興じてる人を心の底から侮蔑します」と否定。この発言に対して高須クリニックの高須克弥院長(71)がツイッターで「他人の価値観が理解できない人を気の毒に思います」と反応するなど、話題となっていた。

 27日のテレビ番組では、やく氏と共演したお笑いコンビ「浅草キッド」の水道橋博士(53)が子供たちとのコミュニケーションツールとして有効だと主張し「大人が(こうだと決めつけて)コメンテーターとしてポジショントークしている人を僕は心の底から侮蔑しますね」と、やく氏の発言を使って批判した。  


Posted by いざぁりん  at 00:33
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http://www.news-postseven.com/archives/20160728_433857.html?PAGE=1#container
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 神奈川県のJR相模湖駅から車で川沿いに15分。コンクリート造りの平屋や二階建てが何棟も連なる施設がある。それが、7月26日未明に起きた大量殺人事件の現場になった障害者福祉施設「津久井やまゆり園」だ。

 殺人未遂などの疑いで逮捕された植松聖容疑者(26才)はこの施設の元職員。植松容疑者は警察の取り調べに対し、「障害者なんていなくなればいい」という旨の供述をしているという。今年2月には、衆議院議長公邸に「私の目標は重複障害者が安楽死できる世界」「今こそ革命を」「作戦内容」などと書かれた殺人予告文書を渡している。植松容疑者の中の狂気。その原点は──。

 植松容疑者は一人っ子として、東京・日野市の多摩平団地で生まれた。多摩平団地が竣工したのは1958年(昭和33年)、日本が高度経済成長をスタートさせた頃。

 団地で3人が暮らすのは手狭になったのか、両親は念願の一戸建てを購入。植松容疑者は生まれてまもなく、「津久井やまゆり園」から約500mのところにある現在の自宅に引っ越してきた。

「聖くんの夢はずっと小学校の先生になることでした。地元・相模原の公立高校を卒業したあと、“教員免許がほしいから”といって都内の私立大学に進学。教職課程をとっていました」(植松容疑者の友人)

 しかし、この頃から、植松容疑者の様子は変わっていった。

「はじめはワンポイントで刺青をいれたんです。よほど気に入ったのか、背中から胸、腕にかけて、どんどん彫り足していきました。“彫るのにお金がかかってしょうがない”なんて言ってました」(別の友人)

 植松容疑者の父親は、都内の小学校で図画工作の教師をしている。父の背中を見て育った容疑者が教師を目指すのは自然なことだった。大学の教職課程では教育実習も経験した。

「実習では家のすぐ近くの母校の小学校に行ってました。児童数は80人もいない小さな学校です。気さくで明るい聖くんはすぐに“児童の人気者になった”って喜んでいました。でも、結局は教職員免許を取得することはできなかったんです。ものすごくショックを受けていました」(前出・友人)

 夢を絶たれた植松容疑者は大学卒業後、大手飲料メーカー関連の配送会社に勤め始める。配送車を運転し、缶やペットボトルを自動販売機に補充する仕事をしていたが、「給料が安い」と半年で辞めた。近所の評判は、礼儀正しくて、優しい青年。しかし、両親とも溝ができていく。

「家族3人暮らしでしたが、4、5年前から親子げんかの声が頻繁に聞こえるようになりました。近所まで響くぐらいの。その直後にご両親は八王子市のほうに引っ越しされ、聖くんが1人、戸建ての自宅で暮らすようになりました」(近隣住民)

 フェイスブックやツイッターに、友人と一緒に写っている写真が多数アップされている。皆一様に肌を浅黒く日焼けさせ、威嚇するような目つきで写る友人も少なくない。

「成人式のとき、袴を着た地元の仲間たちと軽トラの荷台に乗って一升瓶の日本酒を回し飲みしながら町を走ってましたね。その軽トラが駅前でひっくり返って、えらい騒ぎになってましたよ。暴力団だとか愚連隊だとか、そういうのではありません。ちょっと強がって不良ぶっている感じ。地元のつきあいの長い仲間たちとつるむ、いわゆる“マイルドヤンキー”でした」(前出・別の友人)

「津久井やまゆり園」に非常勤として働き始めたのは2012年12月。翌年4月に常勤の社員となった。ところが昨年1月末、ツイッターに背中の刺青写真をアップし、《会社にバレました》と書き込んだ。

 そして、今年2月19日に突然退社している。その日、彼は《会社は自主退職、このまま逮捕されるかも…》と書き込んでいた。全国紙社会部記者が言う。

「この2月18日の勤務中に“重度の障害者は安楽死させたほうがいい”と発言したので、翌日に施設は警察に通報、市は20日に彼を緊急入院させました。その時、尿から大麻の陽性反応が出た。診断は大麻精神病や妄想性障害。その後、反省の弁があったので、家族と同居するという条件で退院させたんです」

 しかし彼は退院後も家族とは暮らさず、一人暮らしを続けていた。なぜその時に刑事事件にならなかったのか──。植松容疑者は学生時代から薬物を常用していたという。

「大学時代からだと思いますが、地元・相模原のクラブで、うつろな眼をしている植松くんをよく見かけました。彼はヒップホップやレゲエ音楽が好きで、よくクラブに来ていましたが、そこで合法ドラッグを吸っていたんです」(前出・別の友人)

 犯行のあった26日夕刻、植松容疑者の父親に直撃すると、「私たちにもまだ何もわかりません」と言うのみだった。幼い頃から植松容疑者を知る地元住民が言う。

「この集落周辺の人々は、52年前にできた『やまゆり園』に経済的に依存しているところがあります。住民の雇用先であり、理髪店や食料品店などにとっては取引先です。もしかして植松くんは、“やまゆり園の入居者たちに自分の大切な地元が支配されている”という妄想を抱いたのかもしれません。だから、知的障害者の人に敵意を抱いたのか…」

 犠牲者は無抵抗の知的障害者ばかりだった。躊躇なく刃をつきたてる26才の青年。日本社会の抱える闇は深い。  


Posted by いざぁりん  at 00:32