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https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn?a=20170524-00000053-jnn-soci
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「共謀罪」衆院通過、日弁連が廃案求める会長声明

TBS系(JNN) 5/24(水) 14:48配信
 共謀罪の構成要件を厳しくしたテロ等準備罪を新設する組織犯罪処罰法改正案が衆議院本会議で可決されたことについて、日弁連が引き続き、廃案を求めるとした会長声明を発表しました。

 日本弁護士連合会の中本和洋会長の声明では、これまでも「本法案の制定に反対してきた」とした上で、「対象となる277の罪の中には楽譜のコピー等の組織犯罪やテロ犯罪とは無関係の犯罪が含まれている」と指摘しています。

 また、「組織的威力業務妨害罪が対象犯罪とされていることにより、マンション建設反対の座り込みなど、市民団体等も対象となる懸念は払拭できない」とし、「廃案を求めて、引き続き全力で取り組む」としています。(24日10:37)  


Posted by いざぁりん  at 22:22
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http://lite-ra.com/2017/05/post-3175.html
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『騎士団長殺し』(新潮社)は歴史修正主義と対決する小説だったーー。本稿の前編では、村上春樹の7年ぶりの長編小説がナチス高官暗殺未遂事件と南京大虐殺という2つの戦争体験を核にした物語であること、作品全体に先の侵略戦争における加害責任を問う視点が貫かれていることを指摘し、こう断じた。

 これは筆者の恣意的解釈でも誤読でもない。ほかでもない春樹自身が、歴史修正主義と闘う覚悟をスピーチやインタビューで語っている。

 後編では、そうした春樹の発言を紹介しながら、その背景を掘り下げ、なぜマスコミや文芸批評がそのことにふれようとしないのかについても分析してみたい。

『騎士団長殺し』が発表される少し前の昨年10月30日、デンマークで開かれたハンス・クリスチャン・アンデルセン文学賞の授賞式で、スピーチに立った村上春樹はアンデルセンの『影』という小説のことを話し始めた。

〈アンデルセンが生きた19世紀、そしていま私たちが生きる21世紀でも、必要なときに、自分の影と向き合い、立ち向かい、ときには協力だってしなければいけません。それには“正しい”知恵と勇気が必要です。もちろん、簡単なことではありません。ときには危険が生じることもあるでしょう。でも、それを避けていたら、人は正しく成長し成熟することはできません。最悪の場合、『影』の物語の学者のように、自らの影に滅ぼされて終わってしまうかもしれない。〉(編集部訳)

 この『影』という作品は、美しい女の住んでいる向かいの家を覗き見るため、自分の影を切り離して覗きに行かせた主人公が、数年後、そのまま主人公のもとに帰ってこないで、いつしか人間としての実体を手に入れた、かつての自分の影の奴隷にされ殺されるという物語だ。

 村上はこの物語を取り上げることで、自らの「影」、すなわちネガティブな側面と対峙し受け入れることの重要性を説き、さらにそれは個人の問題のみならず、社会や国家に関する問題でもあると語った。

〈影と向き合わなければならないのは、ひとりひとりの個人だけではありません。社会や国家もまた、影と向き合わなければなりません。すべての人に影があるのと同じように、すべての社会や国家にもまた、影があります。明るく輝く面があれば、そのぶん暗い面も絶対に存在します。ポジティブな部分があれば、その裏側には必ずネガティブな部分があるでしょう。
 ときに、私たちはその影やネガティブな部分から目を背けがちです。あるいはこうした面を無理やり排除しようとします。なぜなら人は、自らのダークサイドやネガティブな性質を、できるだけ見ないようにしたいものだからです。しかし彫像が確固たる立体のものとして見えるためには、影がなくてはなりません。影がなければ、ただの薄っぺらい幻想にしかなりません。影を生み出さない光は、本物の光ではありません。
 どんなに高い壁を築いて侵入者が入ってこないようにしても、どんなに厳しく異端を排除しようとしても、どんなに自分の都合にいいように歴史を書き換えようとしても、そういうことをしていたら結局は私たち自身を傷つけ、滅ぼすことになります。影とともに生きることを辛抱強く学ばなければいけません。自分の内に棲む闇を注意深く観察しなくてはなりません。ときには暗いトンネルのなかで、自らのダークサイドと向き合わなければなりません。もしそうしなければ、やがて、あなたの影はもっと大きく強くなり、ある夜、あなたの家のドアをノックするでしょう。「帰ってきたよ」とささやきながら。
 傑出した物語は多くのことを教えてくれます。時代や文化を超えて学ぶべきことを。〉(同)

 具体的に名指しはしていないものの、この春樹のスピーチは、排外主義を標榜するドナルド・トランプ大統領(当時は候補)の登場、歴史修正主義を貫く安倍晋三首相、そして彼らを支持する人々をあきらかに意識したものだった。
  


Posted by いざぁりん  at 02:24
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http://lite-ra.com/2017/05/post-3175_4.html
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 いったいなぜ彼らは、『騎士団長殺し』の核心部分である歴史修正主義批判をさけようとするのか。

 ひとつの理由は、ネトウヨたちによる炎上を怖れてのことだろう。事実、発売直後、南京虐殺についての記述をめぐって、百田尚樹、桜井誠、産経新聞などが春樹を「中国に媚びてる」「中国での商売のため」「ノーベル賞狙い」などと猛批判した。このテーマにふれたら、自分たちもその炎上に巻き込まれかねない。情けないことだが、その怯えが批評を核心から遠ざけている部分はあるだろう。

 また、もうひとつ、これには「春樹作品に政治を持ち込むな」という春樹ファン特有の思考がもたらした影響も否定できない。社会問題にコミットしないデタッチメントの姿勢を鮮明にしていた初期のイメージにとらわれ、政治問題にかかわることはダサい、春樹がそんなダサくて野暮なことをするわけがない、政治的な文脈で春樹作品を読むべきではない、とひたすら目を背けつづけてきた。

 そして、今回、ネトウヨたちからよせられた『騎士団長殺し』への攻撃に対しても、まともに反論することはせず、「単なる一部の記述にすぎない」「作品の本筋とは関係ない」などと、問題を矮小化しようとしてきた。

 しかし、こうした態度はあまりに、春樹の変化に鈍感すぎるというものだ。たしかにデビュー当時の春樹は、社会問題にコミットしないデタッチメントの姿勢を鮮明にしていた。しかし、90年代半ばに発表した『ねじまき鳥クロニクル』ではノモンハン事件、満州での中国人撲殺を描き、1997年には、オウム真理教をテーマにしたノンフィクション『アンダーグラウンド』を発表。近年は国内でも散発的に政治的発言をするようになっている。

 その変化は「デタッチメントからコミットメントへの転向」として語られたこともあったが、これは「転向」などではない。春樹は、デビュー当時から、デタッチメントであると同時に徹底的に「個人」であることを貫いてきた作家だ。近年、春樹が政治的発言をするようになったのは、明らかに「個人の危機」を感じ取っているからではないのか。

 デタッチメントな態度が許されるのはあくまで個人の権利や自由が保障された社会であればこそだ。いったん戦争が始まれば、あるいは全体主義や国家主義のもとでは、全体に同調しないものは異物として排除され、個人の意志は簡単にないがしろにされ、デタッチメントでいることなど許されない。「個人の自由」が危機にさらされるならば、春樹がそれにビビッドに反応し抵抗することはむしろ当然のことだ。

 そして、『騎士団長殺し』。春樹はこれまで以上に明確な目的を持って、この作品を書いているのではないか。『騎士団長殺し』にはこんな一節がある。

〈雨田具彦は、彼が知っているとても大事な、しかし公に明らかにはできないものごとを、個人的に暗号化することを目的として、あの絵を描いたのではないかという気がするのです。人物と舞台設定を別の時代に置き換え、彼が新しく身につけた日本画という手法を用いることによって、彼は隠喩としての告白を行っているように感じられます。彼はそのためだけに洋画を捨てて、日本画に転向したのではないかという気さえするほどです〉
〈なぜならあの絵は何かを求めているからです。あの絵は間違いなく、何かを具体的な目的として描かれた絵なんです〉
〈『騎士団長殺し』はそこに秘められた「暗号」の解読を求めていた〉

 これは作中の絵画『騎士団長殺し』とその描き手である雨田具彦についての記述だが、そのまま小説『騎士団長殺し』という小説と村上春樹に置き換えられる。

 実は、春樹がこの作品を書き始めたのは、2015年の7月末だったと、川上未映子によるインタビュー(『みみずくは黄昏に飛び立つ』(新潮社))で明かしている。2015年の夏に何があったか思い出してほしい。安倍政権による安保法制の強行採決、そして安倍首相の70年談話だ。

 さらに、作品を書き始める直前の2015年7月9日に行われた同じく川上との対談で、春樹はこんなことを語っていた。

「どっちかというと最近は、右寄りの作家のほうが、物言ってるみたいだし」
「そのことに対する危機感みたいなものはもちろんある。でもかつてよく言われたような、「街に出て行動しろ、通りに出て叫べ」というようなものではなく、じゃあどういった方法をとればいいのかを、模索しているところです。メッセージがいちばんうまく届くような言葉の選び方、場所の作り方を見つけていきたいというのが、今の率直な僕の気持ちです」
(「MONKEY」vol.7 FALL/WINTERより)

「右寄りの作家のほうが物言ってる」ような状況に対する「危機感」があり、「メッセージがいちばんうまく届くような言葉の選び方」を「見つけていきたい」。その夏、安倍政権は独裁的手法で安保法を強行成立させ日本を戦争のできる国に変え、同時に70年談話で過去の戦争責任をなかったことにした。そして、書き始められたのが、『騎士団長殺し』なのだ。


 そう考えると、ネトウヨの炎上を恐れ、こうあってほしいという春樹像に縛られ、村上春樹が『騎士団長殺し』に込めたメッセージをまともに伝えられないメディアの姿は、皮肉にも、春樹が突きつけた問いの有効性を証明したといえるだろう。

 本稿前編でも指摘したように、春樹は『騎士団長殺し』で戦争の被害でなく、加害者としての問題にこだわっていた。

 ナチスへの抵抗運動に参加したものの失敗し日本とナチスドイツの同盟関係の政治的配慮によりにただひとり生き残った雨田具彦のことも、南京虐殺で捕虜を殺害させられた雨田継彦のことも、もちろんその苦況に心は寄せるが、しかし彼らをただ戦争に巻き込まれた被害者として免罪することをせず、その加害の責任を問う視点を持ち続けていた。

 軍隊などの暴力的なシステムにいったん組み込まれたらノーと言うことは難しい。実際に戦場に置かれてみれば、戦時中の監視社会に置かれてみれば、命の危機にさらされたなら、それに抵抗できなかった者を誰が責めることができるのか。しかしそれでも、そういう国家や社会、システムにノーと言えなかったことの罪はないのか。村上春樹は、それを問うていた。

『騎士団長殺し』の物語終盤には、騎士団長が絵から飛び出し、死が目前に迫った雨田具彦を前にしている〈私〉にこう語りかけるシーンがある。

「見なくてはならないものを見ているのだ」
「あるいはそれを目にすることによって、彼は身を切るほどの苦痛を感じているかもしれない。しかし彼はそれを見なくてはならないのだ。人生の終わりにあたって」

 そう。私たちは見なくてはならないのだ。国家や社会、システムにノーと言えなかったことの罪はないのか。この村上春樹の問いは、戦時中のことだけでなく、もちろんいま現在安倍政権の独裁政治を許している私たちに突きつけられているものだ。
  


Posted by いざぁりん  at 02:23
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https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170523-00003291-chosun-kr
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 日本政府と与党が「テロ対策法案(組織犯罪処罰法改正案)」の採決を強行する中、かつて日本帝国主義時代に同法案に類似した「治安維持法」違反で日本で逮捕され、獄中で死去した韓国の詩人・尹東柱(ユン・ドンジュ)が注目を集めている。

 日本の朝日新聞は、今年7月に日本で公開予定の韓国映画『空と風と星の詩人-尹東柱の生涯-』(原題:『ドンジュ』)を紹介し、テロ対策法案とかつての治安維持法が似ていると指摘した。

 安倍政権が推進しているテロ対策法案は、組織的犯罪集団がテロなどの重大犯罪を企てた場合に計画段階で処罰できるという内容が盛り込まれている。処罰対象となる重大犯罪の範囲があまりに広く、権利と表現の自由の過度な制限につながるとの批判が根強い。また、かつての帝国主義時代の「治安維持法」に似ており、昔に逆戻りするとの指摘も出ている。

 安倍首相と与党・自民党は、来月18日までとなる臨時国会の会期内に法案を通過させる構えだ。

 治安維持法は日本が尹東柱を逮捕した際に適用した法律だ。1925年に制定され、当初は「国体(国家の実体)を変革し、私有財産制度を否認することを目的として結社を組織する者」を処罰する条項があった。この条項が1928年に改正され、結社を目的として集まったり話をしたりするだけで処罰できる「目的遂行罪」の条項が追加された。

 尹東柱は京都にある同志社大学に留学中、中国で独立運動を展開していた友人と共に朝鮮文化と民族意識の高揚を図ったとして逮捕された。尹東柱は1944年、懲役2年を言い渡され、翌年の1945年2月に福岡刑務所で死去した。

 同志社大学コリア研究センターの太田修教授は「治安維持法と類似した法案(テロ対策法案)が議論されている現在、集まって話をしただけで処罰された詩人・尹東柱について振り返って教訓を得ることは非常に意義がある」と述べた。

 朝日新聞は、尹東柱の映画を手掛けたイ・ジュンイク監督が「尹東柱は日本の軍国主義に非暴力で抵抗した。彼の価値観・世界観が、人類に正しい方向を示している」と語ったことも紹介した。  


Posted by いざぁりん  at 02:23
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http://lite-ra.com/2017/05/post-3168_4.html
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 ASIAN KUNG-FU GENERATIONの後藤正文はかつてツイッターにこのような文章を投稿していた。

〈五輪というイベントが、本当に共謀罪を創設したり、基本的人権を制限しないと開催できないような空恐ろしいイベントであるのだとしたら、そんな剣呑なイベントの開催は、いまからでもぜひ辞退するのが賢明だということだ〉

「女性自身」(光文社)17年2月7日号に掲載された坂本龍一と吉永小百合の対談で、坂本はドナルド・トランプ大統領の誕生をめぐるアメリカの混乱を見て「いまこそアートが必要だと強く思った」と語っている。

「僕はアメリカに住んでいて、アメリカ市民ではないので選挙権はないですが、やはり、トランプ氏が大統領選挙で当選したときには本当にショックで。周りにはショックで泣いている人もたくさんいましたけれど、翌日には「こんな時代だから、今までになく音楽やアートが必要だ」と、僕は強く思ったし、トランプ以前とトランプの時代では、アメリカにおける音楽やアートの存在の仕方が、たぶん違ってくるような気がします」

 音楽でも映画でも小説でも漫画でも絵画でも演劇でも詩歌でも漫才でも、ありとあらゆる文化や芸術は、人々の相互理解と連帯を促すものだ。

「声高に主張しても、違う考えを持っている人の心を開くことはできませんから。跳ね返ってくるだけで。固く閉じている心を開くのは、アートや音楽、映画や物語の強さだと思います。だから、こういうときこそ、より必要だと思います」(前同)

 しかし、「共謀罪」が通ってしまえば、権力者を批判するような表現をつくり出すことは許されないことになってしまう。「共謀罪」が成立した後のこの国は、まさしく安倍晋三“独裁”政権が支配するものいえぬディストピアだ。最後の最後まで反対の声をあげ続けていく必要がある。
  


Posted by いざぁりん  at 02:22
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http://lite-ra.com/2017/05/post-3168_2.html
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 佐野元春といえば、1988年に原発政策や真実を報じないマスコミへの怒りを歌った「警告どおり 計画どおり」という楽曲を発表するなど、社会的視点をもっていることでも知られている。

 そんな佐野は、「僕の蒼い鳥がそう言っている」という佐野らしい詩的な言い回しと、アメリカの高名な作家・思想家であるスーザン・ソンタグの言葉を引用しながら、「共謀罪」によって起きるであろう作家や芸術家への検閲、また、そういった公権力からの暴力への恐怖によって起こる自己検閲への危惧を綴ったのだ。

 佐野が抱く危惧は絵空事でも妄想でもない。公権力による恣意的な解釈により、どこまでも適用範囲が拡大する可能性をもつ「共謀罪」は、自分たちに都合の悪い意見をもつ者を排除するための武器として、確実に権力者によって悪用される。それは歴史が証明していることだ。

 治安維持法によって逮捕され激しい拷問を受けた経験をもつ杉浦正男氏は、17年5月12日付日刊ゲンダイでインタビューに答え、当時のことを振り返ってこのように話している。

「当局が都合が悪いと判断すれば市民弾圧が容易に可能になることです。治安維持法は大学への弾圧から始まり、労働運動、文化・芸能活動へと対象が広がりました。支配層にとって際限なく権限を拡大し、弾圧する武器になるのです」

 民主主義も表現の自由も破壊する「共謀罪」に反対の声をあげているミュージシャンは佐野元春だけではない。たとえば、ラッパーのECDはツイッターにこのような文章を投稿している。

〈共謀罪が通ったあとに待っているのは密告を奨励する社会だよ。それがどれほど陰湿な社会か。そんな社会を子供たちに残したくない〉
〈いやな奴はもっといやな奴になる。いい奴だと思ってた奴もいやな奴になる。そんな世界〉
〈オーウェルの「1984」を初めて読んだのは75年、15の時だったと思う。その時はニュースピークとかダブルシンクについては正直今ほどにはピンと来なかった。だけど作中に登場する子供の密告者は本当に恐ろしかった〉

 これも治安維持法が存在した時代に現実に起きたことだ。戦時下、政府は近隣住民同士で「隣組」をつくらせ、市民同士で相互監視を行わせた。戦争に対して否定的な言動をしている人物を密告させ、治安維持法で次々と逮捕していったのだ。

 安倍政権はこれまで、テロ対策のために「共謀罪」が必要だと嘘を並べ立てて議論を押し通してきた。新たな法整備などなくても、現行の法律でテロ対策は十分可能であり、その詐術は多くの専門家から指摘されているのだが、安倍政権を信奉してやまない人々はそれでもなお「共謀罪」の必要性をがなりたてる。

 彼らは「共謀罪」の真の恐ろしさを認識していないのだろう。確かに、いまの時点では独裁状態の安倍政権を応援するマジョリティだからお咎めはないのかもしれないが、彼らネトウヨだっていずれ摘発される側にまわる可能性はある。治安維持法も、当初は共産主義革命運動を対象にしていたのが、その後、宗教運動や右翼活動にもなし崩し的に範囲が拡大。政権に都合の悪いものであればすべて摘発の範囲に拡大解釈されていった。
  


Posted by いざぁりん  at 02:21
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http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=4584698&media_id=168&from=widget&widget_type=1&widget_setting=0
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 「共謀罪」の趣旨を含む組織的犯罪処罰法改正案をめぐり、全国の地方議会で反対や慎重な審議を求める意見書が相次いで可決されている。朝日新聞の22日のまとめでは、国に意見書を送ったのは沖縄県の2町村など全国の計57自治体。法案は23日に衆院本会議で採決される見通しだ。


 意見書は4月上旬、衆院事務局のまとめで36件だった。今回は内閣官房への聞き取りや独自取材なども含めて集計した。


 沖縄県中城村議会は今月9日、廃案を求める意見書を賛成多数で可決した。米軍基地への抗議行動への影響を懸念し、「沖縄県民の正当な反基地、平和運動が真っ先に『テロ等準備罪』の標的となり、激しい弾圧の対象となるのは火を見るより明らか」とした。


 意見書案を提出した新垣徳正議員は、米軍普天間飛行場の辺野古移設への抗議行動に加わっている。「国策に反発している沖縄の市民運動は『共謀罪』の影響を最も受けやすい。危機感をもってできることをやった」と話した。


 保守系の議員が意見書に賛成した自治体もある。


 愛知県岩倉市議会は今月9日、「共謀罪」法案について、国に慎重な審議を求める意見書を全会一致で可決した。テロ対策の重要性を認めつつも、一般市民が取り締まりの対象になる可能性や捜査機関による監視範囲の拡大などへの懸念を指摘。「十分に時間をかけて議論し、幅広い観点から慎重に審議することを強く要望する」とした。


 大野慎治議員は保守系で「基本的には賛成」としながらも、「娘がいる父親として、(性犯罪の厳罰化を盛り込んだ)刑法改正案の成立を優先すべきで、順番が逆ではないのか」と疑問を投げかける。


 法案は19日に衆院法務委員会で可決されたが、同じく保守系の黒川武議長は「解明されなかった疑問が、今後の論争で明らかになることを期待したい。国の問題であっても、市民の安全安心に関わることには地方議会からも発言していくことが大事だ」と指摘した。同市議会は2015年にも、安保法制に関して慎重審議を求める意見書を可決している。


 一方、同じ愛知県内の長久手市議会は今月18日、反対の意見書案を審議したが、否決した。2014年には、保守系議員の一部が賛成に回って、「解釈改憲による集団的自衛権の行使容認に反対する意見書」が可決されたが、今回は賛成6、反対11となった。
  


Posted by いざぁりん  at 02:21