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こちらです。
http://bylines.news.yahoo.co.jp/fujiiryo/20150902-00049077/
(以下は、コピーです)
東京五輪エンブレム取り下げは「ネット大勝利」ではないと思う件

今から10年前の2005年、「のまネコ騒動」がネット社会を揺るがしていた。大手掲示板『2ちゃんねる』で派生したAA(アスキーアート)のキャラクターたちが登場するFlash動画を、エイベックスがO-Zoneのアルバム「恋のマイアヒ」に一部内容を変えて使い、このキャラクターを「のまネコ」として商標登録を試みた。多くの「2ちゃんねらー」は既に「モナー」として親しまれていたキャラを「勝手に使い利益を得ようとしている」と捉え、激しい非難が展開された。その過程ではエイベックス社員への殺害予告まで飛び出す事態となり、最終的に「のまネコ」の商標登録は取下げられ、エイベックス側がキャラクター使用料を一切受け取らないと発表するに至った。

「のまネコ」騒動は、あるアーティストのビジュアルに、これまでネットで人気だったキャラを「剽窃」する形で使われたことに対して、ネットからの反抗の声によって、事態が覆った例として記憶されるべきことだろう。

それから10年を経て、東京オリンピックのエンブレムの盗作疑惑が起きた。結果的に「取り下げ」という選択をデザイナーの佐野研二郎氏や五輪組織委員会が採らざるを得なくなったのに、ネットが重要な役割を果たしたことは間違いないだろう。『2ちゃんねる』では7月28日の時点でベルギー・リエージュ劇場ロゴの「パクリ」だという指摘がなされている(参考)。

その後も『2ちゃんねる』だけでなく『Twitter』などでも、佐野氏の過去作に至るまで「調査」の対象が広がり、新たな「疑惑」が発見されるたびにその情報が拡散。まとめサイトやネットメディアも「ネットでの話題」という形でピックアップした(このあたりはネットニュースサイトで仕事をしている筆者もその動きに加担したという誹りは免れないだろう)。

潮目が変わったのは、8月28日に組織委員会が原案を公表したことだろう。リエージュ劇場ロゴとの相違性を明らかにするために開かれたはずが、それまでの主張との矛盾や、2013年のヤン・チヒョルト展のポスターと似ているという新たな疑惑が浮上し、カンプに使われている写真が個人ブログからの登用で、しかも著作権表記を作為的に外していることがネットで次々に「検証」されていった。この頃から佐野氏を擁護していた識者たちの中からも意見を変える人が現れはじめ、個人的には大手メディアも批判の色を強めていったように思える。

そして9月1日にエンブレムの使用を中止する方針が決まった。これについて「ネット大勝利」とする向きがあるし、そのように報じられている。

エンブレム酷似、ネット発の追及緩まず 「検証」が続々(朝日新聞デジタル)




「お前ら大勝利!」「グッジョブ」。1日昼過ぎ、エンブレムの使用中止のニュースが流れると、インターネット掲示板「2ちゃんねる」は、疑惑を指摘してきた人たちをたたえる書き込みであふれた。

しかし、佐野氏がこの日に発表したコメント(参考)を見ると、エンブレム案について「模倣や盗作は断じてない」と疑惑を否定し続けている。さらに、「残念ながら一部のメディアで悪しきイメージが増幅された」と言及、自宅にまで自身への誹謗中傷が送られ迷惑行為、家族や親族へのプライバシー侵害があったといい、「もうこれ以上は、人間として耐えられない限界状況だ」「家族やスタッフを守る為にも、もうこれ以上今の状況を続けることは難しいと判断し」取り下げる決断をした、としている。

つまり、ネットを中心とした「根も葉もない誹謗中傷があった」ために、「本来ならば取り下げる必要のないデザイン」を取り下げる決断をした、と読めるのだ。

さらに、組織委員会の記者会見の説明(時事ドットコム詳報を参照)によれば、永井一正審査委員長による「オリジナルだと認識でき、専門家の間では分かり合えるが、一般国民には分かりにくい」という答えを得て、組織委員会としては「専門家ではないから判断する立場にはない」とした上で永井氏の意見に追従し、「デザインは模倣ではないが、五輪のイメージに悪影響があるため、原作者として提案を取り下げたい」と佐野氏の側から取り下げの申し出があり、三者で見解が一致したのだという。

ここでの流れを読む限り、組織委員会は「判断する立場」でないので判断せず、審査委員会は「一般国民にわかりにくい」と取り下げの根拠の理由を"国民”に求めた。つまり責任は"国民”にあると読め、こちらもデザインに関する判断や評価を明らかにしてない。そのために「本来は正しいものなのに理解が得られないために取り下げる」という図式が、落とし所になってしまっているわけだ。

こうしてみると、デザインを「理解できない国民」や、佐野氏への誹謗中傷をした「ネット民」が悪いし今回の責任がある、というのが彼らの「本音」なのではないだろうか。

実際、先述した朝日新聞の記事では、以下のようなくだりがある。


ネット社会での徹底的な疑惑追跡に、「自由な発想にブレーキがかかる」との声もある。



つまり、佐野氏がスケープゴートにされる様子を見て、今後のデザインの分野で萎縮の空気が広がるのではないか、という懸念があるということだろう。また、ネットユーザーの多くが匿名で“検証活動”をしていることに対して、実名で活動している人との非対称性を問題視する意見も再び強くなることが予想される。

個人的には、今回徹底的に追及するネット民は、新たな問題行動を見つけた場合には実名だろうが匿名だろうが、同じように追及することになるだろうと思うし、事実犯罪行為が疑われる匿名のTwitterアカウントの実名晒しは頻繁に起きていた。だから今回の騒動で実名・匿名論を蒸し返すのは(これまでと同じように)スジが悪いと感じずにはいられない。

萎縮については……。著作権侵害のようなイリーガルな行為をそもそもしていなければ問題はないわけだし、「元ネタ」や「インスパイヤ」されたものがあったとすれば、それに対するリスペクトが相手や見る者にも伝わるようにデザインするなり、言葉を尽くして説明をすればいいはずだ。今回、佐野氏はここが決定的に欠けていた。

翻って、リエージュ劇場とロゴ作者のオリビエ・ドビ氏はリエージュの裁判所で使用差し止めを求めて提訴しており、IOC本部があるスイスでも裁判する構えを見せている。使用した企業や公的機関に対して賠償金も求めているので、今回の取り下げで提訴を止めることになるのか不透明だ。ドビ氏による模倣との訴えに対して、9月1日の会見の内容は「ゼロ回答」なのではとも感じるし、これで幕引きとはいかないのではないか。

その上で、「元ネタ」からの指摘よりもネットでの追及の方を大きく捉え、「事実を曲げて撤回させた」ということが公的な見解となり、なおかつクリエイティブな活動の「萎縮」まで「ネットのせい」にされる空気が醸成されつつある。これでは「大勝利」どころか「悪者扱い」じゃん、と思うのは筆者だけだろうか。

とはいえ。国際的なイベントの決定事項を覆した、というのは日本のインターネット史に残る事件であることも間違いないだろう。それだけネットが多くの人が活用するようになり、影響力も大きくなっていることは疑いようがない。それが喜ばしいかどうかは人によるだろうが、「のまネコ」の喧騒を記憶している一人としては感慨深くあるのも正直な感想だったりするのだ。



Posted by いざぁりん  at 11:43