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それは、為末氏の理屈が、「強者の理論」だからです。
「弱い者が勝つことがある」、ということ知らない人は、「強い者が勝つに決まっている」「強い者が勝てば良い」「強い者が勝つことは正しいことだ」という、「強者の理論」に、傾くのでしょう。
「弱い者が勝つ」事例としては、例えば、こちら。
https://www.youtube.com/watch?v=nqGruLysmDU
為末氏は、「弱い者が勝つ」事例を、ご存知無いのでしょうか?
為末氏は、耳の不自由な音楽家や、目の不自由な音楽家の存在を、ご存知無いのでしょうか?
為末氏のような「強者の論理」に染まっている人は、例えオリンピックで優勝していたとしても、そんな人を「成功者」と呼んでも、良いのでしょうか?
http://www.j-cast.com/2013/10/28187448.html?p=all
(以下は、コピーです)

陸上界で活躍した日本のトップアスリートの為末大さん(35)がツイッターで、「やればできると言うがそれは成功者の言い分であり、例えばアスリートとして成功するためにはアスリート向きの体で生まれたかどうかが99%重要なことだ」と持論を展開した。すると、「身も蓋もない」「道は努力で切り開くもの」などと批判が殺到し「炎上」した。

為末さんはこの「炎上」を受け「努力だけでオリンピック選手にはなれない」などと2013年10月28日にツイッターで寄せられた批判に応戦した。

アスリートもまずその体に生まれるかどうかが99%


今回の議論の発端となったのは13年10月21日のこんなつぶやきだった。

“「成功者が語る事は、結果を出した事に理由付けしているというのが半分ぐらいだと思う。アスリートもまずその体に生まれるかどうかが99%。そして選ばれた人たちが努力を語る。やればできると成功者は言うけれど、できる体に生まれる事が大前提」

これに対し、ツイッターやネットの掲示板で反論が多数出ることになった。それはこんな具合だ。

“「指導者の立場として『努力は報われる』と励ますべきだろ!」
「志そうとする気持ちがないと、才能が合っても開花しないわけだし 努力することが無駄っていうのは言い方としてダメじゃないかな」
「みんなイチローや中田である必要はないし、やる事に意義はある」
「為末さんは、本当の事を言いさえすれば、成功者としての義務を果たせるもんだと思っている」

批判している人たちの多くは為末さんの意見が「正論」であることは分かっているようなのだが、日本のトップアスリートがそれを言ってしまうのは身も蓋もないことだし、夢も希望もない、現在努力し頑張っている人に失礼だ、ということで怒っているようなのだ。また、「世の中は公平で理不尽ではない」と信じている人もいて、そうした様々な思いが「炎上」につながっている。

こうした批判に対し為末さんは13年10月28日に「努力で成功できるか」と題したツイートを展開した。


「頑張れ!よりよく頑張ったねもう十分だよ」の方が救われる

そこにはおおよそこんなことが書かれている。

成功する可能性があるものを目標に置いた場合は努力すれば叶うかもしれないが、オリンピック選手になるのは難しく、才能と、環境がまず重要で、それが努力よりも先にくる。人生の前半は努力すれば夢は叶うということでいいと思うが、どこかのタイミングで自分を客観視しなければ人生が辛くなる。なぜかというと、努力しても夢が叶わなかった場合は自分の努力不足だと思ってしまうからだ。

だから、努力原理主義を抜けられなかった人は、こんな自分を許せなくて何かを呪って生きていくことになる。

そして、人間の能力はそれぞれだから一つの事に縛られるなんてもったいない、とした。そして最後に、

“「がんばれ、より、よく頑張ったねもう十分だよ、の方が救われるステージがあると思うのです」

と締めくくった。

この「反論」を受けて、なぜ今回「炎上」状態になってしまったのか理由がわからない、という声も多数ある。一方、為末さんの意見は正論過ぎてつまらないし、努力すればイチローやダルビッシュになれるなどと本気で思っている人は少数であり、そうした中でも夢をうるロマンがアスリートにあってもいいはずだという人もいる。



Posted by いざぁりん  at 02:18