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こちらです。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151004-00000001-maiall-soci
(以下は、コピーです)
<高齢化社会>増え続ける「キレるオヤジ」の理由

 17歳前後の少年による犯罪が相次いだ約15年前、新聞や雑誌などでは「キレる若者」との見出しがあふれた。その後、「キレる」現象は高齢者にも広く見られ、作家、藤原智美さん(60)が「暴走老人!」を著したのは2007年のこと。今や、通勤電車やコンビニなどで「キレるオヤジ」に遭遇するのはさほど珍しいことではない。激高はどこから来るのか。彼ら自身の問題なのか。時代の、社会のせいなのか。その理由を探った。

 この夏、こんな場面に出くわした。東京・地下鉄東西線の車内で70代と思われる男性が突然、「おい、ずれろ!」と若い女性に言い放った。白髪、銀縁メガネのスーツ姿。謹厳実直そうに見える男性の表情は険しかった。車内が混んでいるのに、女性がスマートフォンをいじったまま全く動かず、車両の奥へずれないことに腹を立てたらしい。女性が舌打ちしてにらみ返すと、男性は「なんだ!」とさらに声を荒らげた。

 「ずれろ」を「少しずれてもらえる?」にしていれば何も問題はなかったはず。周囲に聞いてみると「キレるオヤジ」の目撃者は多い。

 「友人とジョギング中、自転車に乗った年配男性から『邪魔だ!』と大声で怒鳴られた」(37歳・会社員)

 「電車に駆け込み乗車しようとして間に合わなかったおじさんが『開けろよ!』と怒鳴り、ドアを蹴っていた」(31歳・女性会社員)

 「スーパーで50代くらいのサラリーマンふうの男性が、同じ年代の店員を怒鳴り続け、謝っても許さない態度が異様だった」(55歳・情報技術のエンジニア)

 憤怒、あるいはキレた中高年の数を正確に把握する統計はない。犯罪白書などによれば、暴行容疑で検挙された65歳以上の男性は年々増え、13年は2834人。10年前の6・6倍だ。憤怒すなわち暴行とは言えないが、この増え方は一つの参考にはなるだろう。

 キレる原因は何なのか。藤原さんが、まず挙げたのは、言語力の老化だ。「人は体だけでなく思考や会話する力も老化する。定年などで引退した男性は、夫婦二人暮らしか(離婚や死別による)単身生活者が多い。会話が格段に減り言語力が衰えるため、地域などで新たに人間関係を築けない。老人会の組織率が低いのは、男性のコミュニケーション力が落ちたのもあるはずです。孤立し自暴自棄になった中高年の男性が、積年のストレスを電車などで暴発させてしまうのでは」

 藤原さん自身、言語力の老化を自覚している。「僕は講演や取材でよくしゃべりますが、それが途切れ、3、4日たつと途端に言葉が出なくなる。妻との会話では他人を説得する訓練にならない。他人と接しないと、議論というステップを踏まず、いきなり感情を爆発させてしまう」

 とはいえ、老いて黙する人は昔もいた。笠智衆(りゅうちしゅう)や佐分利信(さぶりしん)といった名優が、老境、寡黙の美学のモデルでもあったが、彼らはキレそうにない。

 「プライドの社会学」の著書がある奥井智之・亜細亜大教授(57)がこう解説する。「昭和の頃は、定年から死を迎えるまでの期間が短く、残された時間、死と対峙(たいじ)しようという美学があった。だが、今はむしろ死をタブー視しているところがある」

 今の定年者に待ち受けるのは死までの長い時間と不安、年金を使わせる消費社会だ。「何を目指すのかという老後の羅針盤、老いのモデルがない。高齢でもエベレスト登頂を果たした人や生涯現役の医師の『若さ』はもてはやされても、ただ老いてゆくのはマイナスでしかない」と奥井さんは指摘する。「かつてのオヤジはヘアトニックのにおいに、ようじをくわえてと、一種コミカルに見られていたが、今は高齢者の体そのものが嫌われる一方、若さにこびる商品が売られる」。老いが疎まれ孤立化するから、怒りが爆発するのか。

 藤原さんは、高齢者を取り囲む社会の変化に目を向ける。「かつて高齢者は少数の弱者であり、賢者という社会認識が広くあった。でも今は非正規雇用の若者など弱者の枠が広がり、高齢者は相対的に埋もれてしまった。経済、精神が疲弊し、社会に余裕がなくなり、高齢者はかつてない過酷さにさらされている」

 過酷さをあおるのがマニュアル社会とIT(情報技術)の浸透だと、藤原さんはみている。

 「マニュアル化が進んだコンビニでは店員だけでなく、客も店に応じてキャラクターを演じないといけない。素早く代金を払い、店員と会話をせずさっと去る。でも、夫や父親、会社員しか演じたことのない人に、電車内やいろいろな店と細分化された新たなキャラを演じ分けるのは難しい」

 3世代世帯が減り、家で「おじいちゃん」でいられるのは幸運な人。地縁、血縁、社縁が衰え、高齢者に与えられた役は演技が下手なエキストラくらいか。

 さらに高齢者を追い込むのが、ネットでの人間関係だ。「SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)での交流が当たり前となり、今やメールも古びた。電話はさらに少数派、いきなり自宅に手紙が来たら怪しいという社会で、おいてけぼりを食っているのが今の高齢者」と藤原さん。スマホを見つめる群衆の中で自分の存在は無となる--。

 「混雑する駅のホームでふざけあう男子中学生に出くわし、思わず声を荒らげてしまった。自分でも思いがけず、生理的な反応だった気がする。近ごろは外出時に怒りっぽくなった自分を意識することが多い。残された時間が少なくなった焦りかもしれない。ただ、世の中に居場所が少ないような気がしてならない……」。66歳のドキュメンタリー映画監督の言葉だ。

 こうした叫び、暴力を、藤原さんは世の中に対する「警笛」だと言う。有毒ガスなど異変に敏感な「社会のカナリア」ということだ。

 ことを中高年の問題として片付けられるのだろうか。過去20年のマニュアル、ネット社会の進展を見れば、今の若い世代が中高年になる頃、人間関係の手段は想像がつかないほど変わっている。彼らの置かれた環境が今以上に過酷になれば「キレるオヤジ」そのものが標準化する。そんなこともないとはいえない。

 藤原さんは処方箋をこう語る。「今はやりのコミュニケーション力の押し付けは一種の集団主義で、個性と対立するものです。それよりも、なぜコミュニケーション不全を起こすのか、その起点はどこにあるのか。中高年だけでなく若者を含めた社会全体がもう一度見つめ直さなければいけない。キレる原点がどこにあるのか。その片りんでも暴き、近未来のあるべき人間関係を考えていかなければ悪くなる一方です」



Posted by いざぁりん  at 01:24