京つう

イベント  |伏見区

新規登録ログインヘルプ



学問の自由が、奪われています。
http://digital.asahi.com/articles/DA3S12027884.html?rm=150
(以下は、コピーです)
学問の自由は憲法で保障された権利である。自由に真理を探り、新たな知見を創造する営みが民主社会の基盤をつくる。

 その最高の学府であるはずの大学で、自由を縛る自主規制とも言える出来事があった。

 放送大学が、7月に行った試験問題に不適切な内容があったとして、学内サイトに載せる際に一部を削除した。

 問題は「日本美術史」で、戦前・戦中に起きた芸術家の弾圧などの歴史についての設問。安倍政権が進めた安保法制と絡めて、「平和と自国民を守るのが目的というが、ほとんどの戦争はそういう口実で起きる」などと記した5行分が消された。

 受験者670人のうち1人から「現政権への批判ともとれる。教育者による思想誘導と取られかねない」との指摘が大学に寄せられていたという。

 出題者の佐藤康宏・東大教授は「いまに生きる自身の問題として考えてほしいとの意図で書いた。設問に必要な導入部だった」と削除の撤回を求めたが、大学側は聞き入れなかった。

 放送大学はテレビやラジオなどを通じて教育する通信制の大学・大学院だ。放送の内容には「政治的公平」という放送法4条の規定が適用される。大学はそれを根拠に、「一般大学より中立性に配慮せねばならない」と説明している。

 だが、放送法の目的は「放送による表現の自由の確保」である。ましてやここは、「大学」である。政治、社会、科学、芸術の分野を問わず、自由な思索を表現し、批判し、論じることこそが学問の基本である。

 教授の問い方に異論があったにせよ、削除して「なかったこと」にするのではなく、オープンに議論すればいい。「中立」の名目で考えを排除したり、表現を制限したりすることは、学問の危機につながる。

 放送大学のホームページによれば、学生の8割以上が30歳以上で、大半が社会的経験を積んだ大人である。教授の意見を自分なりに受け止め、読み解く力は十分あるはずだ。

 最近、公民館など公共の施設で、「政治的公平」を理由にさまざまな市民活動が妨げられる事例が後をたたない。

 削除された佐藤教授の文章には、過去を振り返った、こんなくだりもあった。「表現の自由を抑圧し情報をコントロールすることは、国民から批判する力を奪う有効な手段だった」

 自由という価値観が、往時のような権力の行使ではなく、自主規制で侵食されているとすれば、実に危うい風潮だろう。



Posted by いざぁりん  at 00:54