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こちらです。
http://digital.asahi.com/articles/DA3S12619463.html?rm=150
(以下は、コピーです)
 「私の名は“投書夫人”」

 1956年1月、週刊朝日の巻頭特集に女性たちはおののいた。書き出しは「『村八分』といっても、これはなにも地方での話ではない。東京のド真中(まんなか)のことである」。

 事件のあらましはこうだ。東京都千代田区の図書館職員の女性(当時31)が、内職による働き過ぎを憂え、「同じアパートの主婦が子供を残して亡くなった」と新聞に投稿。それが主婦の夫の怒りに触れ抗議を受けた。「妻は過労で死んだのではない。あなたは注意人物だ。みなアカだといってますよ」。それ以後、銭湯でも井戸端でもだれも女性と口をきかなくなったという。

 グラビアを含む、9ページにわたる特集には「社会を動かした投書」「“投書夫人”をたずねて」など女性の投稿に好意的な内容も含まれていた。だが、出だしのエピソードが強烈すぎた。

 数日後、朝日新聞学芸部に、破った家計簿に走り書きをした手紙が届いた。2日前に「拡大鏡の楽しみ」について投書したという静岡県の主婦(同54)からだった。〈週刊朝日を読み、おそろしさに胸がふるえてしまいました……新聞へ投稿したということだけで、なにかと白い眼(め)で見られそう〉。朝日夕刊は、東大新聞研究所教授の城戸又一の談話と共に主婦の手紙を紹介した。城戸は「せっかく伸びかけた芽を庶民の気持(きもち)になって、育ててやる温かさがほしい」と呼びかけた(1月26日付)。

 余波は1年以上続いた。匿名希望の投書が増えたのだ。朝日新聞学芸部の調査によると、57年8月21日から9月20日までの投稿1059通中、匿名希望は2割強の247通にのぼった。読者アンケートでは「親類、近所からとやかく言われた」「農村では……正しい意見を書いても素直にきかれない」などの回答があった。

 草の実会会員の二瓶万代子は「ひととき」に投稿し、鼓舞した。〈記名したために何らかの問題が起(おこ)ったとしたら、そこにこそ大きくライトをあてるべきではないであろうか〉。東大助教授の日高六郎(99)もコメントを寄せた。「政府の喜びそうなことを書く匿名評論家ほど見ぐるしいものはない。……投稿する婦人が、みな匿名を希望するようになったら、日本の婦人の自由が失(うし)なわれたという証拠だ」(10月3日付)

 この後、徐々に新聞の投稿欄は原則実名を採るようになる。



Posted by いざぁりん  at 01:07