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2016年11月24日

部活の体罰なくせるか

こちらです。
http://digital.asahi.com/articles/DA3S12671538.html?rm=150
(以下は、コピーです)
 中学生の65%、高校生の43%が入る運動部活動。指導者による体罰や、暴言などのハラスメントが横行し、殴る蹴るといった暴力もなくならない。大阪・桜宮高のバスケットボール部主将の自殺から4年、指導者の一方的な圧力とは無縁の部活は、どうしたら実現できるのか。


 ■「虐待」だという認識持って 南部さおりさん(日本体育大学准教授)

 殴る、蹴るの暴力。試合に負けたからと、グラウンドを50周くらい走らせる体罰。暴言などで精神的に追い込むハラスメント。スポーツ指導のこうした問題は、児童虐待と共通性があります。

 一つは、自分が受けてきた指導と同じ方法をとる連鎖です。指導者自身がそう鍛えられてきたからでしょう。虐待されて育った人が親になり、「自分は殴られたけれど、立派な大人になった。子どもをたたくのは正しい」と考える思考回路と同じです。

 被害者の逃走が不可能であることも、似ています。部活動は密室空間です。殴る、蹴るがあっても、周囲はわかりません。外の人にちくったら、ものすごい報復を受けるかもしれない。だから、生徒は怖くて声を上げられない。仲間が耐えていれば、一人だけ退部することも許されません。

 児童虐待は法律で禁止され、疑いがあるだけで通告される状況にあります。ところがスポーツになると、違法性を帯びた行為でも肯定されがちになる。異常だと思います。欧米を中心に諸外国では、スポーツ指導における虐待防止の専門機関があり、暴力、体罰、ハラスメントが起きると、指導者を締め出せる制度もできています。日本でも、「スポーツでの暴力、体罰、ハラスメントは虐待だ」という発想で、防止に取り組む必要があると思います。

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 競技力においても、暴力や恫喝(どうかつ)は有害な作用しかありません。自発的にチーム力を高めようという、生徒の考える力を奪うからです。殴られないと発奮できないのは、スポーツ選手として根本的な欠陥です。短期的には「怒られるのが怖いから」と力を出すかもしれませんが、長期的にみると、本当にその子の力やチーム力がついたのかは、非常に疑わしい。

 「グラウンド50周」など、一律に強制的な運動をさせる体罰は、体力のある一部の生徒には意味があるかもしれません。でも、体に異常をきたしたり、燃え尽きてしまったり、色々なリスクが潜んでいる。1人を集中的にしごく場合も、「有望だから、鍛えてやろう」という意図にしろ、怠けている罰にしろ、生徒にすれば仲間とまったく違う扱いを受け、非常に理不尽です。

 限界がきたときは生徒から「しんどい」と言うのが理想です。でも、先生の指導が絶対という部では、「先生の機嫌を損ねたら、みんなが嫌な目に遭うかもしれない」と、発言を許容しない相互牽制(けんせい)的な空気が生徒の間にできてしまいます。スポーツを楽しむ雰囲気は、まったくない。やはり異常なこと。競技で好成績を残しても、「進学したら二度とやりたくない」と望む子が実は多いのは、その弊害です。

 負荷の高い運動を課すなら、目的と効果を説明し、生徒からも限界を申告できるようにすべきです。「甘えるな」ではなく、個々の体力面の課題を見つけてあげ、課題の克服へ励ましながら一緒にやっていく姿勢が大事です。

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 私自身は、アスリートではありません。学校の部活動で子どもを亡くしたり、障害を負ったりした方々の裁判支援や医学的な解説などでかかわるうちに、部活動の問題に取り組むようになりました。

 体育大学は、中高の保健体育教員となって運動部活動の顧問にもなる学生が多いのに、そのための教育や研修はほとんど受けていないのが現状です。学生は、グラウンド50周も自分ではやすやすと走れるから、体罰だと思わない。ぎりぎり当たらないようにボールを投げつけるのは威嚇行為ですが、ハラスメントだと感じない傾向もある。身体能力が高いだけに、指導する側に立ったとき、体がついていかない生徒や初心者に目配りできない面もあります。安全面を含め、スポーツを教えるプロとしての責任の重さを学生に伝えることが、いまの私の役目です。

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 なんぶさおり 横浜市大大学院で法医学を専攻し、児童虐待と頭部外傷を研究した。専門はスポーツ危機管理学。学校スポーツにおける事故や体罰の実態などに詳しい。


 ■「観守り」役で主体性育てる 畑喜美夫さん(広島県立安芸南高校教諭)

 指導者の暴力、体罰、恫喝(どうかつ)は、言葉の貧困から、感情的になって起きます。先生が主役になり、すぐ成果を上げようとするから、体罰、ハラスメントにつながる。

 僕が顧問を務めるサッカー部で実践するボトムアップ式指導は、暴力などを一掃するものです。キーワードは「生徒が自ら考えて行動する」。トップダウンの逆で、みんなの意見をくみ上げながら方向性を決める。ミーティングが重要で、指導者は言葉で勝負しなければなりません。

 幹となる部の約束事は、「リスペクト(尊敬する)」「成長のある言葉と行動」の二つ。指導者にとって生徒はリスペクトの対象ですから、「思いやりから殴る」などという体罰肯定論もありえません。互いに批判、文句、攻撃はなし。その代わり、提案、アドバイス、勇気づけはOK。厳しいことも、きちんと言えるしくみです。

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 試合のメンバー決定は生徒に委ねていて、各学年にいる主将と副主将、ご意見番の3年生1人の計7人が最終的に決めます。基準の優先順位でトップにあるのは、他人を思いやり、組織づくりに協力できる「社会性」です。その後に、試合で的確な判断などができる賢さ、プレーのうまさ、強さ、速さが続きます。

 不服がある部員がいれば、7人のだれかが理由をきちんと説明します。部員は80人いますが、大きなトラブルは出ていません。部室や学級での過ごし方も判断基準となるので、学校生活がいい加減な部員は試合に出られない雰囲気も生まれています。

 練習のメニューも生徒が毎週火曜日に提示します。練習中は各メニューが終わるごとにミーティングをして、交代で進行役を務めながら、「良かったところは?」「悪かったところは?」と発言を促し、常に振り返りをします。

 僕は後ろで見守り、足りない点があればアドバイスする程度。あくまで生徒の判断、創造、選択を奪わないようにします。何より体罰やハラスメントと、自然と無縁になります。主役が生徒で、指導者はサポート役だからです。見守りは「我慢」と言われますが、我慢は嫌なことですから、壁にぶつかる。むしろ「観察」という姿勢がふさわしい。種をまき、花が咲くまで毎日、楽しく「観守(みまも)る」。そこをショートカットする組織は一過性の成果しか生まれません。

 保護者にも年度初めに集まってもらい、部活動の方針を説明します。チームの優先順位の一番は勝ち負けでなく、人間的な成長がなければ、勝っても決して褒められるものではないことを伝えます。目標が「全国優勝」ではなく、「日本一すてきな組織と心を育てるチーム」の方針を、親にも理解してもらう。保護者からのクレームは、今まで一度もありません。

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 ビジョンが保てれば、勝利は後からついてくる。初戦負けが多かった安芸南高も、いまは広島県ベスト8の常連です。仮に結果は出なくても、人間としての成長の仕方は生徒にとって、勇気と自信を持てるものとして残ります。

 ボトムアップ方式については、年間で20校ほど競技に関係なく体験に来る中学、高校の部活があり、企業など学校外でも年間80回ほど講演をしています。

 企業でも指示命令で動く社員より、主体的に動く社員が求められています。人工知能やコンピューターではできないことです。一人一人が全力で考える工夫をし、集団として力を発揮する。どんな組織にも通用する、時代の要請に合う指導法と考えています。

 前任の広島観音高サッカー部の卒業生には、教員になった人が多い。安芸南高サッカー部の3年25人も、3分の2が教員志望。体罰やハラスメントと無縁の指導を受け、それを実践する次世代を育てる「好循環」が生まれてきます。

 (聞き手はいずれも編集委員・中小路徹)

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 はたきみお 1965年生まれ。保健体育教諭。順天堂大学でサッカー全日本大学選手権優勝。前任の広島観音高では、サッカー部顧問として2006年に全国優勝。



Posted by いざぁりん  at 01:27