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2017年03月31日

籠池一家の歴史

こちらです。
https://news.nifty.com/article/domestic/society/12180-505920/
(以下は、コピーです)
「事実は小説より奇なり、でございます。私が申し上げていることが正しゅうございます」──。虚偽の証言をすれば偽証罪にも問われる証人喚問で、3月23日、学校法人「森友学園」理事長の籠池泰典氏(64才)はそう見得を切った。

 そもそもは国有地が破格の値段で学園に売却されたことに端を発し、安倍晋三首相(62才)や妻の昭恵さん(54才)を巻き込んでの騒動に発展したこの問題。当初は関西のイチ教育者に過ぎない籠池氏だったが、カメラの前に姿を現すごとに強烈なキャラクターが鮮明になり、最近ではテレビをつければ籠池氏の顔ばかり。ついには国会にまで出てきて首相や大阪府知事を相手取ってがっぷり四つだ。

「朝日や、やっぱり。やっぱり朝日や! もう朝日嫌い! 朝日嫌いってみんな叫んで!」

 3月9日の会見でそう絶叫した籠池氏の妻・諄子氏(57才)に、長男・佳茂氏(36才)は「共産党と朝日新聞が組んで事態が勃発した」とぶち上げた。籠池氏から次期理事長を託されたのは長女・町浪(ちなみ)氏(32才)だ。今、世間の目は籠池ファミリーに釘付けになっている。

 理屈っぽい夫と激情家の妻とそれを盲目的に追従する子供たち。その家族の“根っこ”には愛国主義への異様な執着がある。この家族はどこから来て、そしてどこへ向かうのか──。

 籠池氏のふるさとは香川県高松市。瀬戸内海を臨む港町で、海運業を営む裕福な家庭に生まれた。

「生家の目の前の道は近所では『籠池通り』と呼ばれ、その先はもう波止場。籠池と書かれた船が並んでいました。近隣住民からは“籠池のお坊っちゃま”と呼ばれていました。ご家族からは“村上水軍の末裔”だと聞いたことがあります」(実家近くに古くから住む住人)

 籠池氏の亡父は先の大戦で小型船による特攻を行う『震洋』の特攻隊に属し、国のために命を捨てようとした経験があった。それゆえに、幼い日の籠池氏は父親から「国の発展、増強のために寄与せよ」と繰り返された。籠池氏のイデオロギーの素地は、この頃に醸成されたのだろう。

 だが、籠池氏が小学3年生の時に家業が行き詰まり、夜逃げ同然で兵庫県尼崎市に転居した。籠池氏は、そのとき祖母から言われた「武士は食わねど高楊枝」という言葉が強烈に記憶に残っているという。

 1976年に関西大学を卒業すると、「公務員として国のために働きたい」と奈良県庁の役人になる。3年後には、学生時代から交際していた諄子氏と結婚した。


「大阪・心斎橋にある百貨店『大丸』の紳士服売り場で籠池氏がアルバイトをしていたとき、諄子さんが1階の宝石売り場で働いていたのが知り合ったきっかけだったそうです」(夫妻の知人)

 森友学園の創設者だった諄子氏の父・寛氏もまた陸軍士官学校を出ていた。1950年に珠算教室を開いていた寛氏が日本初の学校法人幼稚園『塚本幼稚園』を開園したのは、地域住民から強い要望があったからだ。寛氏は家財を売って資金を捻出し、子供たちには「お腹いっぱい食べさせることが何より」と貫いた。その精神は、娘である諄子氏にも伝わった。

「諄子さんは『食育』にこだわりがあって、自身の子供たちに牛乳を毎日1パック飲ませたり、ほうれん草を一把丸ごと食べさせ、巨大なめざし3尾が食卓にのぼることもあったそうです」(前出・夫妻の知人)

 結婚後すぐに長男に恵まれたが、26才の時に静脈血栓を患い長期入院。医師からは「もう子供は産まないほうがいい」という厳しい宣告を受けた。入院中の諄子氏は自らの運命を呪い、友人の紹介で知った保守系の新宗教『生長の家』に傾倒。その後、病気が治ったのも、「宗教の教えのおかげだった」と彼女は述懐している。

◆夫妻を襲った突然の不幸

 1983年、寛氏の誘いを受けた泰典氏は塚本幼稚園の副園長に就任し、幼児教育に身を投じることになった。

「籠池さんは真面目で実直な人柄で物腰も柔らかく、いつも笑顔で子供と触れ合っていました。寛さんから『まずは掃除が基本や』と叩きこまれた籠池さんは毎日、園内のトイレ掃除や雑巾がけに明け暮れてましたよ」(当時の幼稚園関係者)

 一方、公務員時代に比べて給料は激減。当時、すでに夫妻には2人の子供がおり、諄子氏のお腹には3人目の命が宿っていたが、身重の妻がアルバイトを始めないといけないほど生活は困窮したという。

 それでも、「高楊枝」で邁進していた夫妻に突如、悲劇が訪れる。1995年、検査のため入院していた寛氏がそのまま帰らぬ人になると、寛氏が生前に進めた事業拡大による多額の負債が発覚したのだ。


「借金を巡って親族とも軋轢が起き、総額は10億円にものぼったといいます。また、同時期に系列の保育園で労働運動が起き、運営を労働組合が握りました。多額の使途不明金を不審に思った従業員によるものでしたが、家業を脅かされた夫妻の胸中には“乗っ取られた”という怒りがこみ上げた。親族や労組が“倒すべき敵”と映っていた夫婦は、その頃から何事にも攻撃的になっていたように感じます」(別の夫妻の知人)

 預金通帳の残高はわずか3万円。諄子氏は自殺を考え、籠池氏の頭には閉園の2文字もよぎった。それでも何とか必死の思いで経営を立て直した籠池ファミリーだったが、次から次へと障害が立ちはだかる。

 2004年、運動会で園児たちに『愛国行進曲』を歌わせたことが報じられ、批判が殺到。左翼団体がデモを行い、自宅前に糞尿がまかれたこともあったという。

 そうして一家が苦境に立たされるたび、「愛国主義」はより強固にエスカレートしていく。2015年の雑誌のインタビューで当時を振り返り、《どん底の時期も必要》と、籠池氏は次のように語っていた。

《自分の信念が試されますから。平穏な時に「国家社会のために」とお題目のように唱えるのではなくて、本当にギリギリのところでも抱き続けることができるのかと。中途半端な思いしかなかったら、いま頃は挫折していたかもしれませんね》

“行進曲騒動”をきっかけに、籠池氏は「教育勅語」を教育の柱に据えることを決意する。体力づくりや体験学習に力を入れ、4才児には伊勢神宮を参拝させた。自己表現力を身につけるため、鼓笛隊や日本太鼓をカリキュラムに入れた。以来、塚本幼稚園では毎朝9時30分に園児が国歌斉唱をした後、教育勅語に書かれた十二の徳目を朗誦するようになった。

 そんな籠池氏の前に現れたのが、愛国者を自認する保守系の安倍首相だった。

「第二次安倍政権が誕生した時、籠池さんは『安倍先生には日本をよくするためがんばってもらいたい』と本当に喜んでいた。彼にとって安倍首相は『愛国主義』という“一家の闘い”を権威づけてくれる強力な装置だったのです」(学園関係者)

※女性セブン2017年4月13日号



Posted by いざぁりん  at 01:24