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こちらです。
http://lite-ra.com/2017/05/post-3178_2.html
(以下は、コピーです)
 あらためて確認するまでもなく、言論には言論で対抗するのが民主主義だ。それを安倍政権は、批判を封じるためにテレビ局へ圧力文書を送りつけたり、百田尚樹と一緒になって「マスコミを懲らしめる」「沖縄の新聞はつぶさなあかん」と言論統制を明言し、安倍首相は「言論の自由」などと容認してきた。無論、政治家が気に入らない報道に圧力をくわえることは「言論の自由」とは言わない。たんなる「言論弾圧」だ。

 だいたい、加計学園問題は、政策や資質への批判ではなく、「総理のご意向」という最高権力を振りかざして自身の「腹心の友」に特別な便宜を図ったのではないかという、権力の濫用が指摘されている重大な疑惑だ。さらに、具体的な関与が記された文書が出てきたのだから、しっかりと説明することは当然の責任である。

 だが、そうした責任を果たさないままに、安倍首相は報道を〈言論テロ〉と位置づけたのだ。しかも、共謀罪の恣意的運用が懸念される最中に、である。

 じつは、安倍政権は共謀罪のこうした恣意的運用をもはや隠していない。自民党は4月29・30日に幕張メッセで開かれた「ニコニコ超会議」の自民党ブースにおいて、〈テロ等準備罪について「デマ」を流す人は、この法律ができたら困るから〉などと書いたチラシをばらまいている。ようするに、共謀罪批判を「デマ」と決めつけた上で、その批判をしただけで「この法律ができたら困る人=テロリスト」と認定しているのである。

 そして、今回の安倍首相による「朝日新聞は言論テロ」認定。これでもう共謀罪の本質は白日の下に晒されただろう。安倍首相にとって「テロ」とは、すなわち「自分にとって都合の悪いもの」でしかないのだ。

(中略)

 双眼鏡や地図など持っておらずとも、政権を批判する一般市民もテロリストとして逮捕され、この国からは言論の自由、表現の自由は一切、姿を消す。言論弾圧とそれに追随した萎縮の果てに待っているのは、お手盛りの報道だけが流れ、市民が監視しあう社会だ。つまり、完全な独裁体制の出来上がりである。



Posted by いざぁりん  at 01:11