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こちらです。
http://digital.asahi.com/articles/ASH7F61MPH7FUZVL006.html
(以下は、コピーです)
大学生の就職活動が本格化している。面接などの選考は、経団連の指針により8月1日に解禁される。学生は面接でさまざまな質問に答えなければならないが、中には法的に許されないものもある。NGな質問や対応とはどんなものか、学生はどう身を守ればいいのか、専門家に聞いた。

朝デジ就活ニュース

 「外食をどれくらいしますか」。東京労働局職業対策課の赤尾浪広(なみひろ)課長補佐によると、この質問は「アウト」だという。「答えによっては生活水準や家庭環境が類推できてしまいます」

 応募者の職務上の適性や能力とは関係ない事柄で採否を決定しない、というのが公正な選考だ。赤尾課長補佐は「本人に責任のない事項を採用の判断材料にするのは、差別につながる」と説明する。

 「自宅はどのあたりですか」「駅の南側ですか、北側ですか」。大阪労働局は、この質問をした会社を是正指導した。「被差別部落などを特定する意図も考えられる」からだ。

 たとえ面接する側にそうした意図がなく、「採否には関係ない」「緊張を解くための雑談」と考えていたとしても、1999年に職業安定法が改正され、業務に直接関係ない個人情報を集めることは違法になった(5条の4および告示)。赤尾課長補佐は、「以前は差別につながると説明してもなかなかわかってもらえない企業もありましたが、この改正で指導しやすくなりました」という。

 厚生労働省就労支援室によると、就職差別につながるおそれがある採用面接をしたとして全国の労働局が職業安定法に基づき是正指導したのは、2013年度で989件に上る。

 労働問題に詳しい笹山尚人弁護士は「プライバシーに踏みこむなど、仕事に関係する能力に直接関わらない質問は許されません」と話す。

 女子学生に対して、「彼氏はいるの?」「結婚の予定は?」などと尋ねるケースもまだ多いという。採用側は「すぐに結婚して辞められては困る」と考えての質問かもしれないが、「男女雇用機会均等法上、結婚・出産を経ても女性が働き続けることは前提。そもそも結婚と退職を結びつけるのが合法的な想定ではありません」。

 各都道府県にある労働局では、高校生の採用活動については違反と思われるケースがあれば学校から報告を受ける制度があるが、大学生の場合はない。各地のハローワークや弁護士会など個別に相談を受け付ける窓口がある。(樋口大二)

■目立つ「オワハラ」 学生も知識つけ臨んで

 笹山弁護士によると近年、学生からの相談が目立つのが、会社側による「オワハラ」とよばれる行為。就職活動を終えるように強制するハラスメント(嫌がらせ)だ。

 面接を終えるとその場で内定を出し、その条件として「今すぐここで他社に断りの電話を入れてください」と指示するという。内定を得たい学生にとって、拒否するのは難しいことだ。「オワハラ」は職業選択の自由を妨げる行為で、どうしてもその場で電話を強いるようなら、いわゆる「ブラック企業」である可能性が高いと笹山弁護士は言う。

 「立場が弱い応募者側も人間としては対等。労働法の本に目を通すなどして知識をつけ、プライドをもって面接に臨んでほしい」とアドバイスする。
  


Posted by いざぁりん  at 22:55
呆れます。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150813-00000209-sph-soci
(以下は、コピーです)
 男性弁護士の陰部を切断したとして傷害の疑いで逮捕された小番容疑者が所属していた「オザキボクシング」(東京都渋谷区)の木谷卓也会長(42)が13日、取材に応じ、「彼は数年前にうちのジムを辞めた。それ以来会っていない」と話した。

 今回の事件について「残念としかいいようがない」と話した木谷会長。練習生だった頃の小番容疑者は、「プロ養成コースでまじめにボクシング取り組んでいた」という。プロライセンスは、2011年ごろ取ったがプロデビューすることなく、しばらくして突然、ジムに来なくなったという。結婚していたことは「まったく知らなかった」。

 ジムのホームページに掲載されていた小番容疑者のプロフィールには、「目標・夢」の欄に「法曹」と記されていた。弁護士志望だったかについて、木谷会長は「そう話していたと思う」と話した。

 一方、ジムに住み込んでいる練習生は、「報道を見て事件を知った」と驚いた様子。この日は練習日だったが、事件の影響で「休み」になったという。  


Posted by いざぁりん  at 22:54
呆れます。
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn?a=20150813-00000040-jnn-soci
(以下は、コピーです)
東京・港区の弁護士事務所で、弁護士の男性に暴行を加えたうえ、枝切りバサミで局部を切断したとして、元プロボクサーで慶応大学の大学院生の男が警視庁に逮捕されました。

 鍛えられた体でポーズをとる男。傷害の疑いで逮捕されたのは、元プロボクサーで慶応大学の大学院生・小番一騎容疑者(24)です。

 小番容疑者は、13日午前7時40分ごろ、港区虎ノ門のビル4階の弁護士事務所で42歳の弁護士の男性の顔を数回殴ったうえ、局部を枝切りバサミで切断し、重傷を負わせた疑いが持たれています。警視庁によりますと、枝切りバサミは全長20センチ、刃渡りは6センチで、小番容疑者が持ち込んだものでした。

 「切断した局部は水洗トイレに流した」。小番容疑者は、切断した男性の局部を、同じフロアの共用トイレまで運び便器に流したということです。通報で駆けつけた警察官に現行犯逮捕された小番容疑者。取り調べに対し「相手のあごを殴り、その後、局部を切断したことに間違いありません」と容疑を認めているということです。

 「数年前に辞めてるので記憶にない。数年くらいいたと思う。(Q.5年はいない?)そんな感じ」(ボクシングジム会長)

 小番容疑者は、中野区の自宅で20代の妻と暮らしていたということで、妻は事件現場となった弁護士事務所で事務員として働いていました。小番容疑者は、13日朝、妻と一緒に事務所を訪れ、弁護士の男性と3人で男女間のトラブルについて話し合いをしていましたが、その後、犯行に及んだということです。警視庁は、小番容疑者が妻と弁護士の関係に不満を持っていたとみて、当時のいきさつや動機について詳しく調べています。(13日18:32).  


Posted by いざぁりん  at 22:54
Posted by いざぁりん  at 22:54
良い出来栄えです。
https://www.youtube.com/watch?v=5yi9vx4xK68
  


Posted by いざぁりん  at 22:53

2015年08月15日

トルティーヤ

Posted by いざぁりん  at 22:50

2015年08月15日

YouTubeテーマソンク

Posted by いざぁりん  at 22:43

2015年08月15日

表参道高校合唱部!#05

Posted by いざぁりん  at 19:50
総理は、謝罪したくないという意思なのです。
総理の辞任を求めます。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150814-00000559-san-cn&pos=5
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台湾人の元慰安婦を支援している女性人権団体、婦女救援基金会は14日夕、台北市内で集会を開いた。康淑華執行長は、安倍晋三首相の戦後70年談話について「被害者である慰安婦に対して正式な謝罪がなかったのは遺憾だ」と述べ、今後も謝罪を求めていく方針を示した。
 集会は、日本の対台湾窓口機関、交流協会台北事務所近くの公園で開かれ、数十人が参加した。  


Posted by いざぁりん  at 10:38
確かに後退で、確かに受け入れ難いです。
当該談話は、撤回されなければなりません。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150814-00000126-jij-soci&pos=4
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安倍晋三首相が発表した70年談話を受け、在日本大韓民国民団(民団)は14日、過去の談話に比べ「後退した印象は否めない」とする呉公太団長の談話を発表した。
   70年談話で先の世代に謝罪を続ける宿命を背負わせてはならないとしたことについて「安倍氏自身の信条を前面に出した印象が強い」と指摘。日露戦争は多くのアジアの人々を勇気づけたとしたことにも、同時期に植民地化を進められた韓国にとって「受け入れ難く、韓日関係の改善努力に水を差すものと言わざるを得ない」と批判した。
 広報担当者は「謝罪と反省があるなら、まずはヘイトスピーチを法的に規制してもらいたい」と切望。「言葉も具体性に欠ける。慰安婦ではなく、女性の尊厳という玉虫色の表現は避けるべきだ。今年は韓日国交正常化50周年なのに残念だ」と話した。   


Posted by いざぁりん  at 10:36
総理談話としては、最悪の談話となりました。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150814-00000132-jij-soci&pos=4
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村山談話を支持する学者らでつくる「村山首相談話を継承し発展させる会」は14日夜、安倍晋三首相談話の発表を受け、東京・永田町で記者会見を開いた。
 出席した識者からは「苦し紛れの談話だ」「安保関連法案の推進と矛盾している」と厳しい批評が相次いだ。
 共同代表の鎌倉孝夫埼玉大名誉教授は「武力を国際紛争解決の手段としてはならない」とした今回の談話について、「今国会で成立させようとしている安全保障関連法案と矛盾している。本当にそう誓うのなら、法案を撤回すべきだ」と批判。染谷武彦副代表は「村山談話にあった『侵略』や『おわび』といった言葉をなんとか落とさないように形を取り繕った、苦し紛れの談話だ」と切り捨てた。
 藤田高景理事長は「侵略という言葉は使われたが『先の戦争で日本が侵略した』とはどこにも書いていない。主語も目的語もあいまいで、非常に卑劣な作文だ」と指摘。共同代表の田中宏一橋大名誉教授は「安倍首相は野党時代に『村山談話はあまりに一面的だ。もっとバランスの取れた談話を出したい』と話していたが、実際政権に就くとそうはいかなかったのだろう」と分析した。   


Posted by いざぁりん  at 10:33
ということは、70年談話の内容は、安倍総理の本心ではないということですし、談話と異なる政治を邁進したいと、彼は考えているのです。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150814-00000093-mai-pol
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安倍晋三首相は戦後70年談話で、内閣支持率の低下など政権基盤の揺らぎを背景に「安倍カラー」を抑制した。首相は当初、未来志向を前面に出す意向だったが、安全保障関連法案の審議への影響や連立を組む公明党への配慮などから、談話の大半を歴史認識にさいた。ただ、村山談話の「侵略」「植民地支配」「おわび」などの「キーワード」は首相自身の歴史認識としては示さなかった。中国への配慮は随所に盛り込み、日中関係に配慮した一方、韓国への言及が少なかったのも特徴だ。

 戦後70年談話に盛り込まれるか注目されたキーワードは「侵略」「植民地支配」「痛切な反省」「心からのおわび」の四つだった。

 安倍談話は、村山談話で「植民地支配と侵略によって、アジア諸国に多大の損害と苦痛を与えた」とした部分は引用しなかった。代わりに、「事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない」と記述したが、侵略をどう認識しているかには触れなかった。「植民地支配」も「永遠に決別」と位置付けたが、韓国への「植民地支配」には踏み込まなかった。

 「反省」と「おわび」についても、「歴代内閣の立場は、今後も、揺るぎないもの」とはしたものの、自ら「おわび」する形にはならなかった。将来の日本人に「謝罪を続ける宿命を背負わせてはならない」との表現もあり、「未来永劫(えいごう)、謝罪をするのは違和感を覚える」(11日、自民党の稲田朋美政調会長)という首相や首相周辺の持論を反映させたとみられる。

 キーワードを盛り込み公明党や周辺国への配慮を示しつつ、首相の支持基盤である右派にも気を配る形になっており、談話作成に苦慮したことがうかがえる。

 そもそも首相には「侵略」などの表現を盛り込む意図はなかったとみられる。首相は談話について2013年4月の参院予算委員会で、「(村山談話を)安倍内閣としてそのまま継承しているわけではない」と答弁。その後は「全体として引き継ぐ」と修正したものの、「もう一度書く必要はないだろう」とも語り、戦後70年の歩みと未来志向を中心に談話を構成する方針だった。

 誤算は安保関連法案の審議が難航していることだ。憲法学者3人が6月4日に衆院憲法審査会で、法案を「違憲」と発言。自民党若手勉強会での報道威圧発言問題なども起き、内閣支持率は下落。7月の毎日新聞の世論調査では第2次安倍内閣発足後初めて、支持率(42%)が不支持率(43%)を下回り、8月では32%にまで下がった。支持率低下の中で来夏の参院選を控える政府・自民党にとって、政権運営には公明党の全面協力が不可欠。また、国会開会中の談話発表となれば、公明党の太田昭宏国土交通相が国会で談話への認識を問われる可能性もあり、公明党が求める閣議決定の判断に傾いた。

 公明党の山口那津男代表は7日の首相との会談で、「おわび」に言及しない談話の素案を示された際に、「歴代内閣の談話を継承した意味が、国内外に伝わるものにしてほしい」と注文。首相はその後、山口氏に電話で素案を変更すると伝え、引用の形で「おわび」を盛り込んだ。

 自民党議員は「首相にとって最重要課題は安保法案の成立だ。公明党や中韓を刺激すれば審議に影響が出かねず、首相は妥協したのだろう。政権はそこまで追い込まれつつあるということなのだろう」と語った。  


Posted by いざぁりん  at 10:31
PKOに自衛隊を出すことは、違憲です。
http://www.asahi.com/articles/ASH8D55M5H8DUTFK00D.html?ref=mixi_rel
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小泉純一郎首相(当時)

 私は、終戦60年を迎えるに当たり、改めて今私たちが享受している平和と繁栄は、戦争によって心ならずも命を落とされた多くの方々の尊い犠牲の上にあることに思いを致し、二度と我が国が戦争への道を歩んではならないとの決意を新たにするものであります。

 先の大戦では、300万余の同胞が、祖国を思い、家族を案じつつ戦場に散り、戦禍に倒れ、あるいは、戦後遠い異郷の地に亡くなられています。

 また、我が国は、かつて植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。こうした歴史の事実を謙虚に受け止め、改めて痛切な反省と心からのお詫(わ)びの気持ちを表明するとともに、先の大戦における内外のすべての犠牲者に謹んで哀悼の意を表します。悲惨な戦争の教訓を風化させず、二度と戦火を交えることなく世界の平和と繁栄に貢献していく決意です。

 戦後我が国は、国民の不断の努力と多くの国々の支援により廃墟(はいきょ)から立ち上がり、サンフランシスコ平和条約を受け入れて国際社会への復帰の第一歩を踏み出しました。いかなる問題も武力によらず平和的に解決するとの立場を貫き、ODAや国連平和維持活動などを通じて世界の平和と繁栄のため物的・人的両面から積極的に貢献してまいりました。

 我が国の戦後の歴史は、まさに戦争への反省を行動で示した平和の60年であります。

 我が国にあっては、戦後生まれの世代が人口の7割を超えています。日本国民はひとしく、自らの体験や平和を志向する教育を通じて、国際平和を心から希求しています。今世界各地で青年海外協力隊などの多くの日本人が平和と人道支援のために活躍し、現地の人々から信頼と高い評価を受けています。また、アジア諸国との間でもかつてないほど経済、文化等幅広い分野での交流が深まっています。とりわけ一衣帯水の間にある中国や韓国をはじめとするアジア諸国とは、ともに手を携えてこの地域の平和を維持し、発展を目指すことが必要だと考えます。過去を直視して、歴史を正しく認識し、アジア諸国との相互理解と信頼に基づいた未来志向の協力関係を構築していきたいと考えています。

 国際社会は今、途上国の開発や貧困の克服、地球環境の保全、大量破壊兵器不拡散、テロの防止・根絶などかつては想像もできなかったような複雑かつ困難な課題に直面しています。我が国は、世界平和に貢献するために、不戦の誓いを堅持し、唯一の被爆国としての体験や戦後60年の歩みを踏まえ、国際社会の責任ある一員としての役割を積極的に果たしていく考えです。

 戦後60年という節目のこの年に、平和を愛する我が国は、志を同じくするすべての国々とともに人類全体の平和と繁栄を実現するため全力を尽くすことを改めて表明いたします。
  


Posted by いざぁりん  at 01:06
この談話でさえ、核兵器は「究極廃絶」としており、核戦争の肯定に、使われてしまいます。
http://www.asahi.com/articles/ASH8D55KMH8DUTFK00C.html?ref=mixi_rel
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村山富市首相(当時)

 先の大戦が終わりを告げてから、50年の歳月が流れました。今、あらためて、あの戦争によって犠牲となられた内外の多くの人々に思いを馳(は)せるとき、万感胸に迫るものがあります。

 敗戦後、日本は、あの焼け野原から、幾多の困難を乗りこえて、今日の平和と繁栄を築いてまいりました。このことは私たちの誇りであり、そのために注がれた国民の皆様一人一人の英知とたゆみない努力に、私は心から敬意の念を表すものであります。ここに至るまで、米国をはじめ、世界の国々から寄せられた支援と協力に対し、あらためて深甚な謝意を表明いたします。また、アジア太平洋近隣諸国、米国、さらには欧州諸国との間に今日のような友好関係を築き上げるに至ったことを、心から喜びたいと思います。

 平和で豊かな日本となった今日、私たちはややもすればこの平和の尊さ、有難さを忘れがちになります。私たちは過去のあやまちを二度と繰り返すことのないよう、戦争の悲惨さを若い世代に語り伝えていかなければなりません。とくに近隣諸国の人々と手を携えて、アジア太平洋地域ひいては世界の平和を確かなものとしていくためには、なによりも、これらの諸国との間に深い理解と信頼にもとづいた関係を培っていくことが不可欠と考えます。政府は、この考えにもとづき、特に近現代における日本と近隣アジア諸国との関係にかかわる歴史研究を支援し、各国との交流の飛躍的な拡大をはかるために、この二つを柱とした平和友好交流事業を展開しております。また、現在取り組んでいる戦後処理問題についても、わが国とこれらの国々との信頼関係を一層強化するため、私は、ひき続き誠実に対応してまいります。

 いま、戦後50周年の節目に当たり、われわれが銘記すべきことは、来し方を訪ねて歴史の教訓に学び、未来を望んで、人類社会の平和と繁栄への道を誤らないことであります。

 わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫(わ)びの気持ちを表明いたします。また、この歴史がもたらした内外すべての犠牲者に深い哀悼の念を捧げます。

 敗戦の日から50周年を迎えた今日、わが国は、深い反省に立ち、独善的なナショナリズムを排し、責任ある国際社会の一員として国際協調を促進し、それを通じて、平和の理念と民主主義とを押し広めていかなければなりません。同時に、わが国は、唯一の被爆国としての体験を踏まえて、核兵器の究極の廃絶を目指し、核不拡散体制の強化など、国際的な軍縮を積極的に推進していくことが肝要であります。これこそ、過去に対するつぐないとなり、犠牲となられた方々の御霊(みたま)を鎮めるゆえんとなると、私は信じております。

 「杖(よ)るは信に如(し)くは莫(な)し」と申します。この記念すべき時に当たり、信義を施政の根幹とすることを内外に表明し、私の誓いの言葉といたします。
  


Posted by いざぁりん  at 01:04
安倍総理は、反省していませんし、お詫びしていませんし、侵略を認めても、いません。
安倍総理の存在自体が、我が国の国益を損ねています。
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=173&from=shared_ranking&id=3565654
(以下は、コピーです)
 元熊本県知事、第79代首相の細川護熙(もりひろ)氏は、戦後70年の談話(安倍談話)について持論をこう語る。

*  *  *
 私の祖父の近衛文麿は、亡くなる前の晩に次男の通隆に宛てて遺書のようなものを残していますが、その中で、日支事変の拡大、仏印進駐は自分の政治的誤りであったということを言っています。先の大戦は侵略戦争であったということを裏付けるような発言です。当時その責にあった人がそう言っているわけで、その言葉は重く受け止めざるをえない。

 だから首相に就任した1993年8月の最初の記者会見で記者の質問に答え、先の大戦について侵略戦争だったと、間違った戦争だったと認識していると、首相として初めて明言しました。私が言わなかったら村山談話も小泉談話もあそこまで踏み込んだものにならなかったかもしれません。それまで歴代の総理は、戦争を通じて多大な損害を与えたことに対する真摯な反省の気持ちを述べられていましたが、「侵略」に関しては政権の内外とも奥歯にものが挟まったような発言が繰り返されていました。しかし、私には明確な歴史認識を示すことで、近隣諸国の対日不信感を払しょくする一助になるのではないかという信念がありました。

 私の発言は、中国と韓国はもちろん欧米の首脳にも広く歓迎されました。ロシアのエリツィンさんは、首脳会談で来日されたとき、私のあの発言がなかったら、自分はここにいなかったとはっきりと言われました。

 おそらくあのときが一番、日本とほかの国との関係が外交的にはうまくいっていたときだと思います。 でも自民党からは、もう総攻撃でした。石原慎太郎さんや橋本龍太郎さんらから予算委員会でも徹底的に追及されました。当時の与党のみなさんもびっくりされたと思います。与党の人たちからは特になにも言われなかったんですが「よく言った、そのとおりだ」と真っ先に言ってくれたのは小泉(純一郎)さんだったというのも意外でしたね。

 安倍さんが戦後70年談話を出されるということですが、私の考えは極めて簡単で、村山、小泉談話をそのまま継承すればいいということです。いささかでも私の発言や村山談話から外れてその精神を損なうものであれば、それは有害なものになるでしょう。「侵略」とか「植民地」とかいくつかのキーワードを継承していかないと、「未来志向」と言っても意味がない。

 そもそも10年ごとに談話を出す必要もないと思っています。過去に対して向き合うのが10年ごとに変わるのでは困ります。そして日本と中国、韓国との関係においては、平和友好以外の選択肢はありえません。
  


Posted by いざぁりん  at 00:58
安倍総理に、お詫びの意思は、ありません。
引用と間接表現の多用は、人ごとみたいな印象を与えています。
「時間が流れたら、つまり、子孫の代になれば、戦争被害への謝罪はしなくていいようになる」、という発想は、人間として間違った考え方です。
「都合の悪いことは、時間が経ったら忘れて良い」という考え方を、総理は提唱しているのです。
第二次世界大戦に、直接の関係が無ければ、罪は無いとする考え方は、間違いです。
戦争当事国が、時間稼ぎをすれば、罪が問われなくなり、逃げおおせることを、総理は推奨していますが、その考え方は、間違いです。
戦争という反罪については、未来永劫、全被害者に対して、謝罪し続けなければならないのです。
(以下は、コピーです)
http://digital.asahi.com/articles/ASH8F4TVRH8FUTFK008.html
 安倍内閣は14日、戦後70年の首相談話(安倍談話)を閣議決定した。戦後50年の村山談話、60年の小泉談話に盛り込まれた「植民地支配」「侵略」「痛切な反省」「心からのおわび」といった文言を使う一方で、歴代内閣の方針を引用するなど間接的な表現が目立ち、首相自身の歴史認識は見えにくい内容となった。

安倍首相の戦後70年談話全文

 安倍晋三首相は閣議後、首相官邸で記者会見して談話を発表した。談話では1931年の満州事変や33年の日本の国際連盟脱退に触れ、「(日本は)進むべき針路を誤り、戦争への道を進んでいった」と指摘。「事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としてはもう二度と用いてはならない。植民地支配から永遠に決別し、すべての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない。先の大戦への深い悔悟の念とともに、我が国はそう誓った」と振り返った。

 また「我が国は先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのおわびの気持ちを表明してきた」と村山・小泉両談話にある表現を引用。その上で「こうした歴代内閣の立場は、今後も揺るぎないものである」とした。

 談話には安倍内閣としておわびについて具体的にどう考えるかが盛り込まれていないが、首相は会見の質疑で「先の大戦における行いに対するおわびの気持ちは村山談話で表明され、小泉談話に引き継がれてきた。私の内閣においても、揺るぎないものとして引き継いでいく」と語った。

 首相のこだわりがのぞく部分もあった。談話の中で戦後生まれの世代が人口の8割を超えたことに触れ、「あの戦争には何ら関わりのない私たちの子や孫、その先の世代の子どもたちに謝罪を続ける宿命を背負わせてはならない」と主張。その上で「私たち日本人は世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければならない」と付け加えた。

 首相が国会で「定義は学界的にも国際的にも定まっていない」としてきた「侵略」について、首相は会見で、先の大戦における日本による侵略の事実を認めた有識者懇談会「21世紀構想懇談会」の報告書に触れて「侵略と評価される行為もあったと思う」と述べた。一方で、「具体的にどのような行為が侵略にあたるか否かについては歴史家の議論にゆだねるべきである」とも語った。

 この他、談話では「戦争の苦痛をなめ尽くした中国人の皆さんや、日本軍によって耐え難い苦痛を受けた元捕虜の皆さんが、寛容であるためには、どれほどの心の葛藤があり、いかほどの努力が必要であったか。そのことに、思いを致さなければならない」と感謝の気持ちを表明した。

 また、「戦場の陰には、深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たちがいたことも忘れてはならない」と言及。「21世紀こそ女性の人権が傷つけられることのない世紀とするため、世界をリードしていく」と意欲を示した。(円満亮太)

     ◇

■戦後70年安倍談話の骨子

・日本は進むべき針路を誤り、戦争への道を進んでいき、敗戦した

・事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も国際紛争を解決する手段としては二度と用いてはならない

・植民地支配から永遠に決別し、民族自決の権利が尊重される世界にしなければならない。深い悔悟の念とともに、我が国はそう誓った

・我が国は先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのおわびの気持ちを表明してきた。こうした歴代内閣の立場は今後も揺るぎない

・私たちの子や孫、その先の世代の子どもたちに謝罪を続ける宿命を背負わせてはならない

・自由、民主主義、人権といった基本的価値を共有する国々と手を携え、「積極的平和主義」の旗を掲げ、世界の平和と繁栄に貢献していく
  


Posted by いざぁりん  at 00:51
安倍談話は、撤回されなければなりません。
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=3566958&media_id=168&from=category_news
(以下は、コピーです)
 安倍晋三首相が発表した戦後70年の談話(安倍談話)について、1995年に首相談話を出した村山富市元首相(91)は14日夜、地元の大分市内で記者会見し、自身の談話が「引き継がれた印象はない」との認識を示した。


 戦後50年の村山談話について、安倍首相は「全体として引き継ぐ」と説明してきた。村山氏は会見で、安倍談話について「(村山談話を)否定もしていないし、踏襲もしていない。出す必要はなかった」と指摘。「焦点がぼけて、さっぱり何を言いたかったのか分からない」と切って捨てた。


 安倍談話の「おわび」をめぐる表現については、村山氏は「何をおわびしたのか不明確だ」と批判。「『植民地支配』『侵略』『おわび』という言葉は入っているが、日本がやってきたことに対して不明確だ」と不満を漏らし、「『植民地支配』とか『侵略』という村山談話のキーワードを薄めたい、という気持ちだったのだろう」と語った。


 また、安倍首相が談話の最後に自身が唱える「積極的平和主義」を盛り込んだことについては、「中身の説明をしていない。イメージがさっぱり分からない」と話した。


 中国、韓国などアジア諸国の受け止め方については「受け入れる国と疑問を呈する国、いろいろあると思う」。そのうえで、「村山談話とはだいぶ中身が違うな、という印象は与えると思う」と話した。
  


Posted by いざぁりん  at 00:36
70年談話は、撤回されなければなりません。
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=173&from=shared_ranking&id=3565653
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 8月6日、戦後70年談話に関する有識者会議が提出した報告書の内容に、首相周辺は驚きを隠せなかったという。

 報告書は、先の大戦における侵略と植民地支配の事実を認めた上、「大陸への侵略を拡大し、世界の大勢を見失い、無謀な戦争でアジアを中心とする諸国に多くの被害を与えた」と明記。「日本の政府、軍の指導者の責任は誠に重いと言わざるを得ない」と続いた。

 注目が集まったのは「侵略」という表現だ。

「複数の委員より、『侵略』という言葉を使用することに異議がある旨表明があった」との注釈が添えられたものの、北岡伸一座長代理は「1人が異論を言い、1人が同調したので注釈をつけた。本文を変えることは全く考えなかった。両論併記ではない」と強調。安倍首相の「侵略の定義は国際的にも定まっていない」などの国会答弁(2013年)とは距離を置いた形となった。政治ジャーナリストの後藤謙次氏の解説。

「安倍首相は、自分と同じ考え方の人がもっといると思っていたのではないか。安全保障政策では、安保法制懇から、集団的自衛権の一部行使を認める提言を引き出して追い風としたが、今回は逆。ズレが生じている印象を受けた。村山談話に近いリベラルな談話を出さなければ諸外国に対して納得できるものにはならない状況になってしまった。首相にとって誤算だろう」 さらに70年談話が出される日が、14日となったことにも迷走ぶりがうかがえるという。戦後50年の村山談話も、同60年の小泉談話も、発表は15日だ。今回、1日前倒しされたことについて「15日は全国戦没者追悼式で天皇陛下の『おことば』が出される。そこに配慮したのは明らか」(全国紙記者)という。前出の後藤氏もこう続ける。

「2カ月前から、今年の『おことば』はかなり天皇陛下の平和への思いがこもったものになるだろう、と官邸周辺でささやかれていた。国家の象徴である天皇陛下の思いと、首相の立場に違いが出ることは外交上、好ましくない。だから別の日としたのでしょう」

 国会での安保法制の強行採決など、一貫して“強気”で押してきた安倍首相。とはいえ、天皇陛下の存在は、やはり大きいようだ。官邸のざわつきについて、宮内庁関係者は感想を語った。

「国会で戦争につながりかねない法案が審議されても、皇室の日常にはまったく影響がない。今年の天皇陛下の『おことば』も平和を尊ぶ内容となるのは間違いなく、しかし、政治に踏み込むような内容にはなり得ません。安倍首相が勝手に気にしているだけでしょう」
  


Posted by いざぁりん  at 00:34
この、なんだか、全体的に他人事のように書かれている、70年談話が活用されて、戦争が始まるのです。
一見、戦争を反省しているように見せながら、実は戦争を開始する根拠に使えるように、作られています(自衛権を否定していないこと、国際紛争以外には武力を用いること、実際には法の支配を崩したこと、「9条堅持」とは言わず「不戦の誓い堅持」と言っていること、総理自身はお詫びしていないこと、今後の謝罪を拒否していること、「この原則を守り」ということは例外を想定していること、憲法を堅持するとは言っていないこと、が戦争開始に活用されます)。
70年談話の撤回を、政府に求めます。
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&id=3566834&from=home&position=1
(以下は、コピーです)
 8月は私たち日本人にしばし立ち止まることを求めます。今は遠い過去なのだとしても、過ぎ去った歴史に思いをいたすことを求めます。


 政治は、歴史から未来への知恵を学ばなければなりません。戦後70年という大きな節目にあたって、先の大戦への道のり、戦後の歩み、20世紀という時代を振り返り、その教訓の中から未来に向けて、世界の中で日本がどういう道を進むべきか、深く思索し、構想すべきである、私はそう考えました。


 同時に、政治は歴史に謙虚でなければなりません。政治的、外交的な意図によって歴史がゆがめられるようなことは決してあってはならない、このことも私の強い信念であります。


 ですから談話の作成にあたっては、21世紀構想懇談会を開いて、有識者のみなさまに率直、徹底的なご議論をいただきました。それぞれの視座や考え方は、当然ながら異なります。しかし、そうした有識者の皆さんが熱のこもった議論を積み重ねた結果、一定の認識を共有できた、私はこの提言を歴史の声として受け止めたいと思います。そして、この提言のうえにたって歴史から教訓をくみ取り、今後の目指すべき道を展望したいと思います。(以上、記者会見での冒頭発言)


     ◇



 終戦七十年を迎えるにあたり、先の大戦への道のり、戦後の歩み、二十世紀という時代を、私たちは、心静かに振り返り、その歴史の教訓の中から、未来への知恵を学ばなければならないと考えます。


 百年以上前の世界には、西洋諸国を中心とした国々の広大な植民地が、広がっていました。圧倒的な技術優位を背景に、植民地支配の波は、十九世紀、アジアにも押し寄せました。その危機感が、日本にとって、近代化の原動力となったことは、間違いありません。アジアで最初に立憲政治を打ち立て、独立を守り抜きました。日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました。


 世界を巻き込んだ第一次世界大戦を経て、民族自決の動きが広がり、それまでの植民地化にブレーキがかかりました。この戦争は、一千万人もの戦死者を出す、悲惨な戦争でありました。人々は「平和」を強く願い、国際連盟を創設し、不戦条約を生み出しました。戦争自体を違法化する、新たな国際社会の潮流が生まれました。


 当初は、日本も足並みを揃(そろ)えました。しかし、世界恐慌が発生し、欧米諸国が、植民地経済を巻き込んだ、経済のブロック化を進めると、日本経済は大きな打撃を受けました。その中で日本は、孤立感を深め、外交的、経済的な行き詰まりを、力の行使によって解決しようと試みました。国内の政治システムは、その歯止めたりえなかった。こうして、日本は、世界の大勢を見失っていきました。


 満州事変、そして国際連盟からの脱退。日本は、次第に、国際社会が壮絶な犠牲の上に築こうとした「新しい国際秩序」への「挑戦者」となっていった。進むべき針路を誤り、戦争への道を進んで行きました。


 そして七十年前。日本は、敗戦しました。


 戦後七十年にあたり、国内外に斃(たお)れたすべての人々の命の前に、深く頭(こうべ)を垂れ、痛惜の念を表すとともに、永劫(えいごう)の、哀悼の誠を捧げます。


 先の大戦では、三百万余の同胞の命が失われました。祖国の行く末を案じ、家族の幸せを願いながら、戦陣に散った方々。終戦後、酷寒の、あるいは灼熱(しゃくねつ)の、遠い異郷の地にあって、飢えや病に苦しみ、亡くなられた方々。広島や長崎での原爆投下、東京をはじめ各都市での爆撃、沖縄における地上戦などによって、たくさんの市井の人々が、無残にも犠牲となりました。


 戦火を交えた国々でも、将来ある若者たちの命が、数知れず失われました。中国、東南アジア、太平洋の島々など、戦場となった地域では、戦闘のみならず、食糧難などにより、多くの無辜(むこ)の民が苦しみ、犠牲となりました。戦場の陰には、深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たちがいたことも、忘れてはなりません。


 何の罪もない人々に、計り知れない損害と苦痛を、我が国が与えた事実。歴史とは実に取り返しのつかない、苛烈(かれつ)なものです。一人ひとりに、それぞれの人生があり、夢があり、愛する家族があった。この当然の事実をかみしめる時、今なお、言葉を失い、ただただ、断腸の念を禁じ得ません。


 これほどまでの尊い犠牲の上に、現在の平和がある。これが、戦後日本の原点であります。



 二度と戦争の惨禍を繰り返してはならない。


 事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない。植民地支配から永遠に訣別(けつべつ)し、すべての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない。


 先の大戦への深い悔悟の念と共に、我が国は、そう誓いました。自由で民主的な国を創り上げ、法の支配を重んじ、ひたすら不戦の誓いを堅持してまいりました。七十年間に及ぶ平和国家としての歩みに、私たちは、静かな誇りを抱きながら、この不動の方針を、これからも貫いてまいります。


 我が国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのお詫(わ)びの気持ちを表明してきました。その思いを実際の行動で示すため、インドネシア、フィリピンはじめ東南アジアの国々、台湾、韓国、中国など、隣人であるアジアの人々が歩んできた苦難の歴史を胸に刻み、戦後一貫して、その平和と繁栄のために力を尽くしてきました。


 こうした歴代内閣の立場は、今後も、揺るぎないものであります。



 ただ、私たちがいかなる努力を尽くそうとも、家族を失った方々の悲しみ、戦禍によって塗炭の苦しみを味わった人々の辛(つら)い記憶は、これからも、決して癒えることはないでしょう。


 ですから、私たちは、心に留(とど)めなければなりません。


 戦後、六百万人を超える引き揚げ者が、アジア太平洋の各地から無事帰還でき、日本再建の原動力となった事実を。中国に置き去りにされた三千人近い日本人の子どもたちが、無事成長し、再び祖国の土を踏むことができた事実を。米国や英国、オランダ、豪州などの元捕虜の皆さんが、長年にわたり、日本を訪れ、互いの戦死者のために慰霊を続けてくれている事実を。


 戦争の苦痛を嘗(な)め尽くした中国人の皆さんや、日本軍によって耐え難い苦痛を受けた元捕虜の皆さんが、それほど寛容であるためには、どれほどの心の葛藤があり、いかほどの努力が必要であったか。


 そのことに、私たちは、思いを致さなければなりません。


 寛容の心によって、日本は、戦後、国際社会に復帰することができました。戦後七十年のこの機にあたり、我が国は、和解のために力を尽くしてくださった、すべての国々、すべての方々に、心からの感謝の気持ちを表したいと思います。



 日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の八割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。


 しかし、それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません。謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります。


 私たちの親、そのまた親の世代が、戦後の焼け野原、貧しさのどん底の中で、命をつなぐことができた。そして、現在の私たちの世代、さらに次の世代へと、未来をつないでいくことができる。それは、先人たちのたゆまぬ努力と共に、敵として熾烈(しれつ)に戦った、米国、豪州、欧州諸国をはじめ、本当にたくさんの国々から、恩讐(おんしゅう)を越えて、善意と支援の手が差しのべられたおかげであります。


 そのことを、私たちは、未来へと語り継いでいかなければならない。歴史の教訓を深く胸に刻み、より良い未来を切り拓いていく、アジア、そして世界の平和と繁栄に力を尽くす。その大きな責任があります。


 私たちは、自らの行き詰まりを力によって打開しようとした過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、いかなる紛争も、法の支配を尊重し、力の行使ではなく、平和的・外交的に解決すべきである。この原則を、これからも堅く守り、世界の国々にも働きかけてまいります。唯一の戦争被爆国として、核兵器の不拡散と究極の廃絶を目指し、国際社会でその責任を果たしてまいります。



 私たちは、二十世紀において、戦時下、多くの女性たちの尊厳や名誉が深く傷つけられた過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、そうした女性たちの心に、常に寄り添う国でありたい。二十一世紀こそ、女性の人権が傷つけられることのない世紀とするため、世界をリードしてまいります。


 私たちは、経済のブロック化が紛争の芽を育てた過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、いかなる国の恣意(しい)にも左右されない、自由で、公正で、開かれた国際経済システムを発展させ、途上国支援を強化し、世界の更なる繁栄を牽引(けんいん)してまいります。繁栄こそ、平和の礎です。暴力の温床ともなる貧困に立ち向かい、世界のあらゆる人々に、医療と教育、自立の機会を提供するため、一層、力を尽くしてまいります。


 私たちは、国際秩序への挑戦者となってしまった過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、自由、民主主義、人権といった基本的価値を揺るぎないものとして堅持し、その価値を共有する国々と手を携えて、「積極的平和主義」の旗を高く掲げ、世界の平和と繁栄にこれまで以上に貢献してまいります。


 終戦八十年、九十年、さらには百年に向けて、そのような日本を、国民の皆様と共に創り上げていく。その決意であります。



     ◇


 (談話を読み上げ後)以上が私たちが歴史から学ぶべき未来への知恵であろうと考えております。冒頭私は、21世紀構想懇談会の提言を歴史の声として受け止めたいと申し上げました。


 同時に私たちは歴史に対して謙虚でなければなりません。謙虚な姿勢とは果たして、聞き漏らした声がほかにもあるのではないかと、常に歴史を見つめ続ける態度であると考えます。私はこれからも謙虚に歴史の声に耳を傾けながら、未来の知恵を学んでいく。そうした姿勢を持ち続けていきたいと考えています。私からは以上であります。


  


Posted by いざぁりん  at 00:29