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知事の方が、正しい立場をとっていて、住民の多数が、間違った立場をとっています。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150923-00000050-san-pol
(以下は、コピーです)
 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設作業が進む米軍キャンプ・シュワブ(名護市)に隣接する辺野古区は、振興や補償を求める条件付きで辺野古移設を容認している。翁長雄志知事は国連人権理事会で「日本政府は民意を一顧だにしない」と述べたが、区民は「知事は区の民意を無視している」と批判する。

 テントに違法駐車、道路に寝転がっての妨害…。シュワブのゲート前では移設反対派による無法状態が続く。道路をふさぎ、辺野古区民は通学、通勤や買い物に支障を来すこともある。

 ゲート前には連日、100人前後の反対派が集まるが、常に参加する辺野古区民は2人だけという。名護市議で辺野古区在住の宮城安秀さん(60)は「約1500人の区民の7、8割は条件付きで移設を容認している」と話す。辺野古商工社交業組合理事の飯田昭弘さん(67)は「政府は辺野古で日本一の街づくりを進めると約束した」と振り返る。2本の滑走路をV字に建設する現行移設計画が決まった平成18年頃のことだ。

 名護市は20~22年度に市道整備などで辺野古・豊原・久志の3区(久辺3区)に約2億3千万円の米軍再編交付金を充てた。3区の行事などに使う約6億円の基金も交付金で積んだ。

 ところが、22年の市長選で移設容認の現職を破って稲嶺進氏が市長に就任すると交付金は止まった。移設が実現すれば久辺3区が最も影響を受けるが、移設に反対する翁長、稲嶺両氏とも3区の住民の声に耳を傾けようとしない。

 今年5月に設けられた政府との懇談会は3区の住民が声をあげられる唯一の場だ。隣人としてシュワブの米兵と接することに「違和感はまったくない」と語る飯田さんはこう明言する。

 「中国の軍事的脅威に備える国防の観点から辺野古移設は不可欠だ」

 ただ、政府・自民党に不満もある。「辺野古移設の抑止力上の意義について、ひざ詰めで県民に理解を求める努力が足りない」  


Posted by いざぁりん  at 22:44
こちらです。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150921-00000057-kyt-l25
(以下は、コピーです)
 未公開株の購入をめぐる金銭トラブルが週刊誌で報じられた武藤貴也衆院議員(滋賀4区)が、8月19日に自民党を離党して1カ月が過ぎた。説明の場として記者会見を開いたのは1回だけで、地元の後援会員や党関係者の前にもほとんど姿を見せていない。今月21日にあった自民県連の会合では、来年夏の参院選への影響を懸念し、議員辞職を求める意見が出された。
 武藤氏は同6日、滋賀県湖南市で県議の県政報告会に出席した。約90人の参加者を前に、「どうか信用していただき、力を貸していただけると幸いです」と訴えた。8月28日に近江八幡市内で後援会員らを集めた場では激励の声と拍手が相次いだが、この日は応援の声はなく、週刊誌の内容を確かめる質問が相次いだ。
 報告会では「一人一人にお会いして誤解を解く作業に入りたい」と述べたが、具体的な日程は「まだ検討中」(秘書)という。「法的な場で潔白を証明する」と繰り返しているものの、出版社に対する訴訟は準備中の段階という。
 衆院本会議は「体調不良」を理由に欠席を続けている。今月3日、県にとって懸案だった琵琶湖保全再生法案の衆院採決にも姿がなかった。自民県連幹部は「地元にその程度の思いしかないのか」と批判する。
 武藤氏は公募で党4区支部長となり、2009年衆院選で立候補したものの落選。12年に初当選した。4区内では擁立をめぐり激しい意見対立が続いた経緯があり、8月29日にあった党4区支部の役員会でも議員辞職を求める意見の一方、復党の意欲を持つ武藤氏を擁護する声もあり、議論がまとまらなかった。
 今月21日の自民県連役員会では、「県連が毅(き)然とした対応を示さないと復党もあり得ると誤解される」「しっかりとけじめをつけないと今後の選挙がやりにくい」など、議員辞職を求めるよう県連として意思表示すべきとの意見が相次いだ。県連は10月中旬をめどに対応を検討する方針で、上野賢一郎会長は報道陣に、「法的な問題は司法の場で明らかになると思うが、政治的、道義的責任があると私は思う」と険しい表情で語った。  


Posted by いざぁりん  at 19:35
こちらです。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150922-00000503-san-pol
(以下は、コピーです)
自民党のベテラン議員は憤る。
 「自民党は地元密着の政党だ。国会議員や地方議員が地元で有望な人材を発掘して、候補者として押し上げていくべきではないか。昔は派閥が候補者発掘機能を果たしていたが、小選挙区制になって党本部主導の公募がトレンドになり、政治家が小粒になった。小選挙区制、公募とも、もうやめちまえよ」  


Posted by いざぁりん  at 19:31
通せんぼする女性議員を、排除しようとしたら、立つバランスを崩して、もろとも後ろへ倒れこんだ、と見えます。
女性が主張する、羽交い絞めではありません。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150918-00000570-san-pol
倒れた後、おそらく引きずり出されたのでしょうが、動画などの証拠が必要です。
しかし、そもそも、通せんぼしなければ、暴行事件にはなりませんでした。
原因は女性が作ったことを考慮すべきですが、まずは、男性側が直ちに謝罪しなければなりません。
話し合いや法律によって、解決されるべきです。
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/ann?a=20150922-00000040-ann-pol
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まだ報告を受けていないとしています。
 民主党・岡田代表:「私自身はまだ何も聞いていません」
 参議院の特別委員会での安保関連法の採決で、民主党の津田弥太郎議員が自民党の大沼瑞穂議員を投げ飛ばすなどの暴行を働いたとされる問題で、民主党の岡田代表は、まだ詳細について報告を受けていないとしました。津田議員に対する岡田代表による事情聴取について問いただされると、「まずは国会で議論してもらうことだ」としました。.

  


Posted by いざぁりん  at 13:38
アベノミクスは、弱者を切り捨てます。
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150923-00000003-sasahi-soci
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今、年齢を重ねてからの「貧困」が大きな問題になりつつある。それは「普通」と思われていた人々にとっても、もはや無縁の話ではない。

 6月、高齢者の貧困実態を著した『下流老人』(朝日新書)という本が出た。著者で、生活困窮者を支援するNPO「ほっとプラス」代表理事の藤田孝典(33)は、下流老人を「生活保護基準相当で暮らす高齢者およびその恐れがある高齢者」と定義。現在推定600万~700万人で、高齢者人口の20%近くに及ぶという。

 病気、失業、借金、離婚、介護……。貧困に陥る要因は複雑だ。藤田によれば、以前は日雇い労働者のように若い時から貧困で老後も貧困に陥るケースが多かったが、近年は「普通の人」が増えていると話す。

「無計画で放蕩な暮らしをしていた人ばかりが下流老人になっているわけでは決してない」(藤田)

 築30年の2LDKの都営団地に病気の妻(77)と暮らす芝宮忠美(72)は、部屋に上げてくれるとこう話した。

「生活に、まったく余裕がありません」

 同志社大学を卒業後、外資系ホテルに入社。アブダビ、イギリス、スウェーデン……。会社員人生の大半を海外で働いてきた。会社員時代の年収は約700万円。当然、「普通の老後を送れる」と思っていた。

 しかし落とし穴があった。海外勤務時に国内の年金に未加入だった期間があり、年金受給額は月7万円足らずだったのだ。収入は妻の障害年金(約10万円)とあわせ月約17万円。東京都の2人世帯がもらう生活保護費とほとんど変わらない。

 そこに、妻の介護費が重くのしかかる。週2回のデイケアで月3万円近くかかり、食事制限のある妻に特別な献立を作るため食費は月約6万円。収支は毎月ぎりぎりだ。

「家賃が4千円だから、何とかやっていける状況です」

なぜ、「豊か」と思われていた高齢者が厳しい状況に追い込まれているのか。

「昔はこうした親を、子どもや同居家族が支えたが、雇用が崩壊し3割以上が非正規になり核家族化が進んだ状況では、親は子どもたちに頼ることができなくなっています」(藤田)
  


Posted by いざぁりん  at 11:46
ホリエモンは、
*資本主義は椅子取りゲームであって、構造的に敗者が生み出されること
*人によっては、好景気時においても資産形成できない状況があり、特に現代の若者は資産形成できないこと
*6人に1人はおられる発達障害(コミュニケーション障害)の方々の存在を、無視していること
*憲法25条の生存権は、ホリエモンの想定する無能な人にも(無能な人にこそ)、適用されるものであること
*善意の支え合いには限度があり、非正規雇用の増大がそれに拍車をかけていること
*今後、40歳定年制が導入されると、自己責任で貧困を乗り越えられる人は、激減するであろうこと
*生活保護は、不正受給発覚のたびに減額されており、しかし、受給者は現在の200万人から今後10倍に膨れ上げること
*年収700万円でも、転落して極貧生活にあえぐ方がおられること
*生活保護受給者には高齢者が多いこと
をご存じないご様子です。
ホリエモンの主張は、非現実的な、強者の論理あるということになります。
http://dot.asahi.com/wa/2015040800110.html?page=1
(以下は、コピーです)
多くの貧困者が存在している日本社会。生活保護など救済システムはあるが、全面的な解決にはならないと、堀江貴文氏は指摘する。

*  *  *
 先日出演した「朝まで生テレビ!」で、私が失業者を擁護するジャーナリストとのやり取りの中で「完全に自己責任じゃん」と発言したことが話題になっているようだ。

 貧困者対策を喧伝するジャーナリストは全ての貧困者を等しく助けるべきであるという論理を展開しがちである。日本には生活保護制度などが整備されており、適切に運用されれば、ホームレス生活になったり餓死したりするような事態にはならないはずだ。そういう人たちが存在しているのは果たして行政の責任と言ってしまっていいのだろうか。

 この発言の前段階で、ジャーナリストが例としてあげた、横浜のみなとみらい建設に関わった労働者が今は貧困に陥っていることについて、本来であれば景気が良かったころに資産形成をして年老いても収入があるような人生設計をすべきであったと私は思う。

 努力して人生設計をして悠々自適の生活をしている人がいる一方、そういうことをしなかった人が貧困に陥っているのは、ある意味自己責任ではないだろうか。

 とはいえ生活保護制度があるのだから、それは制度の範囲で助ければいいだろう。それには異論はない。ただし、資産形成をしようとしない人に、それを促したとしても実行するのはごく少数の人だろう。大半は景気が良い時期に散財して、後には何も残らないという状況になるのがオチだろう。しかしホームレスになってしまうというのはそれ以外にも本人たちにも原因があると私は思う。

 他人に頼ることができないというプライドの問題も考えられる。義務教育の過程の中で親や先生に「他人に頼ってはダメだ」と教育されるだろう。子どもたちはそれを真に受けて何でも自分で解決しようとする。窮地に陥ったとしても人様に頼るのは良くないことであるという刷り込みを受けているのである。

 従ってホームレスになるような事態があっても友達や知人に頼ることができない。見ず知らずのホームレスを家に泊めることができる人は相当な博愛主義者だと思うが、友人が路頭に迷おうとしていたら、少しの間でも支援しようと思うのが人情というものだろう。

 しかし、コミュニケーション能力が不足していたり、プライドが高かったりして、他人に頼れない人たちは生活保護を受けることすら拒否、あるいは二の足を踏むのだという。そういった人たちを救うのは果たしてカネの問題なのだろうか?

 私は違うと思う。普段から他人の信頼を得るような行動を取り、コミュニケーションを面倒臭がらずに取って、常に困ったときは相互扶助できるような体制を取ったらどうだろうか、と思うのだ。

 今や近所付き合いはあまりなくなったようだが、それにかわってソーシャルネットワークがある。趣味や考え方が合う友人たちと簡単に仲良くなることができるのだ。金銭的なセーフティーネットよりも、もっと根源的な人と人との信頼関係のセーフティーネットのほうがよほど強固であるし、長続きするのである。
  


Posted by いざぁりん  at 11:43

2015年09月23日

民王 第 8 話

Posted by いざぁりん  at 01:39
Posted by いざぁりん  at 01:37
日米安保を、破棄しましょう。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/45283
(以下は、コピーです)
そもそも安倍政権は、なぜ「憲法違反」のリスクを冒してまで、安保法案の成立にこだわったのか。その背景には、同盟国であるアメリカの事情と、日本の事情という「二つの事情」が重なっていたように思う。

「オフショア・バランシング」という概念

まずは、アメリカの事情から見ていこう。

すべては、2011年8月、アメリカ連邦議会で可決成立した予算管理法に始まる。この法律によって、それまでは「聖域」と言われてきた国防費を、以後の10年間で4,870億ドル以上、削減しなければならなくなった。これは、10年間で毎年平均8%近い削減額となる。

予算管理法の制定を受けて、オバマ大統領は翌2012年1月5日に、「全世界におけるアメリカのリーダーシップの堅持――21世紀の国防戦略の優先事項」を発表した。要は、国防費が大きく削減される中で、今後10年間、どうやって世界における「覇権」を維持するかという「国防戦略の指針」を示したのだった。

この時、アメリカは、東アジアの同盟国である日本と韓国に対して、次のような巧妙な説明をした。

「今回の国防戦略の指針の最大の柱は、リバランス(Rebalance)にある。21世紀の最初の10年間は、前任のブッシュJr政権が、アフガニスタン戦争とイラク戦争を起こして、主に中東にアメリカ軍の主力戦力を配備した。

ところがオバマ政権は、アフガニスタンとイラクからアメリカ軍を撤退させる方針だ。そして撤退させた主力戦力を、東アジアに移動させる。なぜなら東アジアでは台頭する中国の脅威が増し、北朝鮮はますます危険な存在になってきているからだ。

これが、アメリカの戦力のバランスを変える、リバランスだ。だから東アジアの同盟国は、今後10年にわたって、アメリカ軍が東アジア地域に集中的に防衛力を配置することで、これまで以上の地域の安定を得られるのだ」

実際には、この時の国防戦略の指針が示したのは、「オフショア・バランシング(Offshore Balancing)」という概念だった。

1991年に旧ソ連が崩壊して以降の20年間は、アメリカは唯一の超大国として、世界中の治安維持を図る「世界の警察」の役割を果たしてきた。

ところがそのことが重い負担となってきたため、予算管理法を成立させて、国防費を大幅に切り詰めることにした。そこで行き着いたのが、オフショア・バランシングという概念だ。

オフショア・バランシングとは、簡単に言えば、世界中に展開しているアメリカ軍を徐々に撤退させ、その代わりにアメリカの同盟国、もしくは友好国に、それぞれの地域を防衛させるようにする。それによって、アメリカ軍がいた時と同様に、敵対国の台頭を防いでいくという概念だ。

東アジアについて言えば、日本と韓国に展開しているアメリカ軍を徐々に撤退させる。その代わりに韓国には、敵対国である北朝鮮の脅威を防ぐべく防衛してもらう。一方日本には、同じく敵対国である中国の台頭を防ぐべく防衛してもらうということだ。

韓国の場合、そもそも1953年の朝鮮戦争停戦以来、北朝鮮の脅威を最大限考慮した国防体制を取ってきている。問題は、憲法第9条で「戦争の放棄と武力の放棄」を謳っている日本だった。

日本が憲法を改正するか、もしくは憲法解釈を拡大して「戦争と武力」を容認してもらわなければ、東アジアにおけるオフショア・バランシングは、いつまでたっても成立しない。

そのためオバマ政権は、2012年暮れに誕生した安倍政権に対して、早期の憲法改正か、もしくは憲法解釈の変更を、陰に陽に迫ってきたというわけだ。

安倍首相とオバマ大統領の密かな「取引」

次に、日本国内の事情について考えてみよう。

2011年暮れに北朝鮮の金正日総書記が死去したことと、2012年11月に強硬派の習近平が中国共産党のトップに就任したことで、日本の「仮想敵国」は事実上、北朝鮮から中国へとシフトした。

それどころか、2012年9月11日に日本が尖閣諸島を国有化したことで、習近平政権は尖閣諸島の奪取を、密かに海軍の主要目標の一つに掲げた。そのため日本は、現在実効支配している尖閣諸島を、近未来に中国人民解放軍に奪取されるかもしれないという恐怖に駆られたのだった。

そうした中、安倍政権には、二つの選択肢があった。

一つは自衛隊を増強し、日本が独自に尖閣諸島を防衛するというものだ。この場合のメリットは、現行の法律のままで対応可能なことだ。敵が攻めて来たら反撃するという個別的自衛権は、国連憲章ですべての加盟国に認められている権利だからだ。

だが、仮に近未来に尖閣諸島を巡って日中戦争になった場合、本当に自衛隊が人民解放軍に勝てるのかという不安があった。人民解放軍の兵員は自衛隊の約10倍で、核兵器や原子力潜水艦、それに空母まで保有している。万が一、尖閣諸島を奪われた場合には、次は沖縄を取られるのではという危機感もある。

もう一つの選択肢は、これまで以上に日米同盟を強化し、とことんアメリカ軍に守ってもらうというものだ。この場合のメリットは、世界最強のアメリカ軍を前にすれば、いくらアジアで台頭する中国軍といえども、容易には尖閣諸島に手出しができないだろうということ。

逆にデメリットは、日本は単に尖閣防衛のための日米同盟強化のつもりだが、アメリカは、「世界における日米軍一体化」を求めてくるということだった。特に、中国と東南アジアの国々が領土を争っている南シナ海に、「日本がアメリカの代わりに守ってくれ」と、自衛隊派遣を希望してくることが予測できた。

これを可能にするためには、「同盟国のアメリカ軍が攻撃されそうだから、日本政府は自衛隊を派遣する」という集団的自衛権の適用が不可欠となる。そして集団的自衛権を適用するには、憲法を改正するか、もしくは安保法制を再構築して、「憲法の超法規的拡大解釈」を行うしか方法はなかったのだ。

安倍政権が選択したのは、まさに後者だった。つまり、「世界におけるアメリカ軍との一体化」という道を進んでいくことにしたのである。

2014年4月23日から25日まで、オバマ大統領が国賓として来日した際に、安倍首相とオバマ大統領は、密かに「取引」を成立させたように思えてならない。

それは、安倍首相は2015年夏までに安保法制を成立させて、集団的自衛権を適用し、世界中で日米軍一体化が進められるようにする。その代わりオバマ大統領は、「尖閣諸島はアメリカ軍が防衛する」と宣言するというものだ。

実際、オバマ大統領は、4月24日の日米首脳会談後の記者会見で、そのような主旨の発言をし、安倍政権及び日本国民をひとしきり安心させた。換言すれば、その時点で、2015年夏までの安保法案成立は、決まっていたのだ。安倍政権は、予定より1ヵ月延びたものの、何とか9月に成立にこぎつけたというわけだった。

日本政府は、「琉球」と「米軍基地」のどちらを選ぶのか

安倍政権は、というより安倍政権に導かれたわれわれ日本人は、ついにルビコン河を渡ってしまった。今後、われわれは一体、どのような「風景」を見ることになるのだろうか。

そのカギを握るのは、安保法制の影に隠れて派手に報じられることもなくなった普天間基地の移転問題である。

安倍政権は9月9日まで、1ヵ月にわたって、移設先の名護市辺野古における工事を全面的に中断し、沖縄県と計6回にわたって集中協議を進めてきた。内閣府は来年度予算の概算要求で、3429億円もの沖縄振興費を計上しているが、翁長雄志知事率いる沖縄県は、「ダメなものはダメ」と突っぱねる。両者の議論は、相変わらずの平行線だった。

このまま日本政府と沖縄県がチキンレースを続ければ、どうなるか。まず翁長知事は、今週中にも、前任の仲井真弘多知事がサインした辺野古の埋め立て承認を取り消すだろう。だが政府は、この取り消し措置は無効だとして、辺野古沖の海底調査を再開させ、10月には辺野古の飛行場工事を始める……。

こうして日本政府と沖縄県が仇敵になると、その先にあるのは、スコットランド方式、すなわち沖縄県民による「独立のための県民投票」であろう。

「そんなバカな?」と思うかもしれない。だが9月15日には、「沖縄独立」のためのバイブルになるであろう『琉球独立宣言』(本稿末尾の書評参照)という物騒なタイトルの本が出版される。著者は、龍谷大学教授で、2013年に設立された琉球民族独立総合研究学会の共同代表である松島泰勝氏である。


松島泰勝『琉球独立宣言 実現可能な五つの方法』

松島教授には先日、ゆっくり話を聞いたが、次のように述べていた。

「日本政府がこのまま辺野古の新基地計画を進めていくと、『琉球』(松島教授は、1879年に琉球国が日本の明治政府に不当に併合されたとして、以後の沖縄という呼び名を拒否している)は、『独立』というカードを切って、自らの道を歩もうとするでしょう。

つまり日本政府は、『琉球』と『米軍基地』のどちらを選ぶのかが問われているのです。私はこの『独立カード』が、単なる幻想や夢想ではなく、リアルな選択肢であると考えているのです」

そもそも、日本政府が普天間飛行場の名護市辺野古への移転を急いでいる最大の理由は、尖閣諸島を防衛するためである。その意味で、安保法制と普天間飛行場の移転は、双子のような関係にあるのだ。

だが、日本政府が辺野古への移転を強行することで、沖縄県民は独立志向を強めていく。尖閣奪還を目指す中国にとっては、これほど好都合なことはない。

沖縄が独立すれば、松島教授も新著で書いているように、琉球国は過去と同様、中国の朝貢国となる。そうなると、尖閣諸島も沖縄県の一部なのだから、一緒に中国の「朝貢島」になるというわけだ。

日本政府とすれば、そんなことになれば、まさに本末転倒である。そしてこうしたシナリオを避けるためには、最後は日本政府の方が、妥協するしかないのである。

「移転先の条件は沖縄から65マイル以内」は事実無根

過去に最も沖縄県民に妥協した政権と言えば、2009年9月に自民党からの政権交代を果たした鳩山由紀夫民主党政権だった。鳩山首相は、アメリカ軍普天間基地の沖縄からの撤退を公言していたからだ。

そこで、鳩山政権に起こっていた普天間基地の議論を、もう一度検証してみた。そこに今後のヒントが隠されていないものかと思ったのだ。

鳩山政権は、2009年12月28日に、基本政策閣僚委員会の下に、「沖縄基地問題検討委員会」を立ち上げた。この検討委員会は、翌2010年3月8日まで、計8回開かれているが、その後は曖昧模糊としてしまった。実際には、県外移転のいろんな代替案を検討したが、うまくいかなかったのである。

その結果、鳩山首相は同年5月4日、沖縄県を訪問。仲井間知事に謝罪した上で、改めて沖縄県内への移転を要請した。その後、5月26日の日米防衛相会談、5月28日の日米電話首脳会談を経て同日、2プラス2の共同発表で、再び辺野古移設案に逆戻りしてしまった。

この時、福島瑞穂大臣が閣議決定の署名を拒否し、社民党が連立を離脱。6月2日には、鳩山政権そのものが崩壊してしまった。

そんな鳩山元首相は先週、すなわち2015年9月6日に法政大学で行われたシンポジウムに参加し、当時のことを、次のように述懐している。

「当時の外務官僚と防衛官僚が、普天間基地の移転先は辺野古しかないとリードした。アメリカ側から、『移転先の条件は沖縄から65マイル以内』と示されたというのだ。だがこれは事実無根で、外務官僚と防衛官僚が、一度決めた辺野古移転を蒸し返されては困るから、アメリカ側の意向を忖度して、移転先は辺野古しかないとリードしたのだ」

私は先週、鳩山首相の後を継いだ菅直人元首相にお目にかかり、話を聞いた。菅元首相は次のように述べた。

「辺野古以外の代替地を検討したのは、前任の鳩山首相だった。鳩山首相は様々な候補地を検討したが、いずれも地元の合意ができなかった。そして結局、その責任を取って辞められたのだ。私はそんな鳩山政権を引き継いだわけだが、私の時代においても、ふさわしい代替地は国内に探せなかった」

菅元首相の言い方から推測するに、前任の鳩山首相のように「虎の尾」を踏まないよう、普天間問題を先送りしようとした。

実際、菅政権の時代になると、尖閣沖での中国船の海上保安庁の巡視船への衝突問題や、東日本大震災が起こったりして、普天間基地問題は「置き去り」にされてしまった。つまり、やはりヒントがあるとすれば、それは鳩山政権時代に検討したものの中にあるということだ。

安倍政権は「第2のルビコン河」を渡るのか

再び鳩山政権時代の議論を調べていくと、第1回目の沖縄基地問題検討委員会が開かれた翌日の2009年12月29日に、当時の鳩山政権のドンと言われた小沢一郎民主党幹事長が、興味深い発言をしていることに気づいた。以下の二つの記述は、ともに毎日新聞からの引用だ。

〈 民主党の小沢一郎幹事長は29日夜、東京都内で開いた与党3党の幹事長・国対委員長の忘年会で、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設問題について「(同県宮古島市の)下地島に使っていない空港がある」と述べ、現行計画に基づく米軍キャンプ・シュワブ沿岸部(同県名護市辺野古)に代わる移設先として、下地島を検討すべきだとの認識を示した。 〉

〈 民主党の小沢一郎幹事長が29日、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移転先として下地島(同県宮古島市)に言及したのを受け、政府・与党で作る沖縄基地問題検討委員会の検討対象となる可能性が出てきた。

(中略)北沢俊美防衛相も同日、記者団に「小沢氏の意見も協議の大きな課題にはなる」と述べる一方、「キャパシティの問題がある」と否定的な姿勢も示した。鳩山由紀夫首相は記者団に「検討委の議論に委ねている」と述べるにとどめた。 〉

下地島とは、沖縄県宮古島市にある小島で、沖縄がアメリカから日本に返還された翌年の1973年に、3000mの滑走路を持つ飛行場の建設が始まった。そして1980年から那覇空港との間に、南西航空の定期便が就航したが、1994年に利用客の低下により運休となった。

私は先週、2009年当時に防衛省の最高幹部の一人だった人物に会って、話を聞いた。その人物は次のように証言した。

「実は多くの代替地の中で、下地島はベストの選択だった。下地島のメリットは、尖閣諸島まで190㎞しか離れていないこと(中国大陸からは380㎞、那覇からは415㎞)、近くに密集した住宅街がないこと、そして何よりすでに飛行場が存在しているので、新たに建設する必要がなかったことだ。

だが、この案に『待った』をかけたのが、沖縄県の地元の建設業界だった。辺野古の建設で莫大な利益を得るという目論見が雲散霧消してしまうからだ。それで小沢幹事長も一度はブチ上げたものの、その後すぐに黙ってしまった」

おそらく、安保法制というルビコン河を今週、渡ろうとしている安倍政権に、ためらいはなかろう。安保法制が成立したらすぐにも、6年ぶりに下地島への移転の検討を始めるのではなかろうか。そして、この移転を決める時が、「第2のルビコン河」を渡る時となる。

2度の渡河を経た後には、日米軍と中国軍が尖閣を挟んで対峙するという緊迫した東アジアの「風景」が広がっているに違いない。



『琉球独立宣言』
松島泰勝著(講談社、税込み745円)

本文でも述べたように、9月15日に大変「物騒な本」が出る。第1章から第5章まで、「もう独立しかない!」「どのように独立するのか」「そもそも琉球の歴史とは」「独立したらどうなる?」「琉球独立宣言」と、大変物騒な文言が並ぶ。
だが、これは単なる「絶叫の書」ではなく、大学教授が書いた大変学問的な本である。実際に読んでみて、目から鱗の記述も多かった。安倍首相にプレゼントしたら投げ捨てるかもしれないが、この秋、同書を読むと、普天間基地問題に対する考え方が深まることは請け合いだ。

  


Posted by いざぁりん  at 01:33
クラリネットが、小さくなる曲、大きくなる曲。
https://www.youtube.com/watch?v=Iqq3aeWAVgg
  


Posted by いざぁりん  at 01:11
「沖縄は本土のためにあるのではない」とは、その通りです。
安保は、直ちに破棄しなければなりません。
しかし、国民の8割が、安保を支持しているとは…。
当該8割の国民には、安保支持の考え方を、直ちに捨ててもらわなければなりません。
安保さえ無くせば、素敵な国、日本になるのです。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/44936
(以下は、コピーです)

「本土」の責任を問う 本物の知識人の気迫


これは歴史に残る本になる。東大教授・高橋哲哉さんの『沖縄の米軍基地「県外移設」を考える』(集英社新書)を読み終えて、ふとそんな気がした。

表題は地味だが、中身は衝撃的だ。それも生半可な覚悟で書ける内容じゃない。リスクを冒しても言うべきことを言う。本物の知識人の気迫に打たれた。

岡本喜八監督の映画『激動の昭和史沖縄決戦』(1971年)の一場面が冒頭に登場する。

沖縄守備隊・第三二軍は、米軍との決戦を前に最新鋭の師団を台湾に引き抜かれ、危機感を強めた。姫路の師団の沖縄派遣の知らせに喜んだが、この決定は翌日大本営に撤回され、ぬか喜びに終わる。憤懣やるかたない様子で詰め寄る参謀本部作戦課長に作戦部長が一喝する。

「沖縄は本土のためにある! それを忘れるな。本土防衛が遅れている今、沖縄のために本土の兵力を割くわけにいかん」

高橋さんは言う。

〈「沖縄は本土のためにある!」/近代日本を貫く沖縄に対する態度を、たった一言に凝縮したような言葉ではないか、と私には感じられる。このようにして日本は、一貫して沖縄を、ただ自己利益のために利用してきたのではなかったか〉


高橋哲哉『沖縄の米軍基地 「県外移設」を考える』

明治政府による琉球王国の併合。「国体護持」の捨石にした沖縄戦。日本の主権回復と引き換えに沖縄を切り捨てた講和条約。米軍基地の押し付け。そして「抑止力」の名の下に強行される辺野古の新基地建設。

高橋さんはこうした歴史を踏まえつつ日米安保体制を〈沖縄を犠牲としてのみ成り立つ「犠牲のシステム」〉と言い、「本土」の責任を真っ向から問う。

焦点は国土面積0・6%の沖縄に在日米軍基地の74%が集中する現実だ。沖縄では今「日本人よ!今こそ沖縄の基地を引き取れ」という声が広がっている。「県外移設」の要求である。

初めから沖縄に基地が集中していたわけではない

高橋さんはこの声に応答しなければならぬとしてこう語る。

〈私の応答は「イエス」というものである。「日本人」は、沖縄の米軍基地を「引き取る」べきである。政治的・軍事的・経済的などの力を行使して、沖縄を自己利益のために利用し、犠牲にしてきた歴史を断ち切るために。そして沖縄の人びとと、差別する側される側の関係ではなく、平等な人間同士として関係を結び直すために〉

画期的な提言だと思う。私の知るかぎり、今まで真正面から基地を引き取るべきだと訴えた「本土」の知識人はいない。

そんなことを言っても、日本は米国の言いなりだから実効性がないのでは? と思われる向きもあろうが、それは誤解だ。高橋さんがその根拠を説明する。

実は敗戦後、「本土」と沖縄の米軍基地面積の比率は9対1で「本土」が圧倒していた。それが1972年の日本「復帰」のころ、ほぼ1対1となり、さらに現在の1対3へと沖縄の負担率が急速に増加していった。

その背景に何があったのだろうか。考えられる事情は一つ。「本土」の反基地運動の激化だろう。日米両政府はそれを避け「一般市民から部隊を“隔離”する」場所として沖縄を選んだ。「沖縄の方が置きやすい」「国民との摩擦・衝突が減らせる」という政治的理由からである。

現在、在沖米軍の6割を占める海兵隊はもともと岐阜県などに分散駐留していた。それが'57年に沖縄に移った。横田基地で騒音問題を起こしていたF4戦闘爆撃機の部隊も嘉手納基地に移駐した。こうして「本土」の基地は大幅削減され、負担が沖縄に転嫁される事態が繰り返された。

それだけじゃない。'72~'73年、米国は沖縄の海兵隊を米本国基地に統合する案を検討した。ベトナム戦争の泥沼化による財政難のためだった。その案が実現しなかったのは日本政府が金を出して引き留めたからだ。

まだある。2012年、米国は在沖海兵隊約1500人の岩国基地への移転を日本に打診した。山口県などが反発したため政府も移転案を拒否した。米国側は岩国以外への移転も求めたが、政府はこれも拒否した。

〈米国から提起された在沖海兵隊の岩国移転案をめぐる顚末は、「日本政府はアメリカにNOが言えない、というのは嘘だ」ということを示した。日本政府はこれまで、海兵隊の「本土」から沖縄への「隔離」を容認し、米国から撤退案が出てくればこれを引き留め、県外移設案が出てくればこれを拒否してきたのである〉と高橋さんは語る。

海上保安庁の黒いボートを動かしているのは、私たちだ!

では、県外移設を困難にしてきた根本要因は何か。言うまでもない。私たちが基地を自らの地域に受け入れようとしないことだろう。

一方、安保に守られて基地のない平和を享受してきたのは誰か。それも私たちだ。

〈これは端的に言って、無責任、ということではないだろうか〉と述べたうえで高橋さんはさらに踏み込み、反戦平和運動や報道のあり方への批判に向かう。

旧来の反戦平和運動は「安保廃棄・全基地撤去」のスローガンの下、安保がなくなれば沖縄の基地もなくなると訴え、基地を認めることになる県外移設に否定的だった。が、国民の8割が支持する日米安保条約を廃棄することは当面不可能だ。いつまで待てば沖縄は基地の桎梏から逃れられるのか。

〈沖縄の反基地運動は、日本の反戦平和運動が外から「連帯」したり、「支援」したり、「協力」したり、できるものではない。日本の記者やジャーナリストが第三者として報道したり、日本の市民が第三者として「共感」したり、「感動」したり、できるものではない〉と彼は言う。

なぜなら〈沖縄の人びとがやむをえず声を上げ続けなければならない原因を作り出しているのは、日米安保条約で沖縄に基地を押しつけてきた「本土」の私たちなのだから〉。

胸に深く突き刺さる言葉である。

その言葉を敷衍するとこういうことになる。辺野古沖で抗議のカヌー隊を追い払う海上保安庁の黒いボート。あれを背後で動かしているのは政府ではない。「沖縄は本土のためにある!」という私たちの意思だ。それに気づいて私は愕然とした。
  


Posted by いざぁりん  at 01:05
いじめ自殺事件が、無かったことにされようとしています。
こういうやり方が許されるのであれば、今後、すべてのいじめ自殺事件は、隠ぺいが可能ということになってしまします。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150922-00000043-mai-soci
(以下は、コピーです)
<いじめ自殺>中学近くに献花台 区役所は撤去求める 仙台
 ◇市教委は校名非公表 誰かが21日朝設置か

 仙台市立中学1年の男子生徒が昨年秋、学校でいじめを受けて自殺した問題で、学校近くの公園に、誰かが男子生徒の死を悼むためとみられる献花台を設置した。市教委は「遺族が望んでいない」として学校名を公表せず、学校も生徒や保護者にいじめの事実を明らかにしていない。

 複数の地元住民によると、献花台は21日朝に設置されたとみられる。幅約2メートルのテーブルに白いクロスがかけられ、花束や菓子が供えられていた。テーブルの上には「守ってあげられなくてごめんね。安らかに眠って下さい」「あなたの死をムダにはしないからね」などと、訪れた人らが記したとみられる書き置きもあった。

 市教委は8月に男子生徒の自殺を公表したが、個人が特定される恐れのある情報は明らかにせず、在籍していた学校でも、いじめの関係生徒以外には「家の都合で転校した」と説明していた。

 娘が男子生徒と同級生だったという地元の男性(51)は22日午前、献花に訪れた。「学校では彼が死んだことさえ『無かったこと』にされ、手を合わせる機会も、哀悼する場所もない。誰かが人間として当然のことをしてくれた」と話した。

 一方、住民には「子どもの動揺を誘う」と献花台設置を疑問視する声もあるという。地元区役所の公園課は21日昼、住民の通報を受け、献花台そばに撤去を求める看板を置いた。担当者は「許可なく公共スペースに設置され、都市公園法に違反している。自主的な撤去をお願いしたい」と話している。  


Posted by いざぁりん  at 00:58
こちらです。
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=3&id=3627614&from=home&position=7
(以下は、コピーです)
 議員やアイドルから自衛官や海女さん、銅版画家に至るまで、世に「美しすぎる」と評される人は枚挙にいとまがないが、インターネット上で「美しすぎる」といわれている通勤電車が関西にある。あずき色の阪急電車だ。その塗装は常に光沢を帯び、製造から半世紀以上たった古い車両も新車のようにピッカピカ。ホームにいる乗客の姿が映り込むほどだ。全国の鉄道会社が、塗装費用のかからない銀色のステンレス車両の導入を進めている中、阪急電鉄では明治43年から100年以上にわたり、「阪急マルーン」と呼ばれる伝統の色を使ってきた。雨が降ろうが、黄砂が降ろうが、汚れ一つなく光沢を放つ阪急電車。なぜ古い車両でも「美しすぎる」のか。阪急電車の〝心臓部〟ともいえる車両工場を訪ね、塗装に込めた思いを探った。(大竹直樹)


「55歳」とは思えぬ美しさ


 「見た目はきれいで、まだ走れるように思うんですが…」


 昭和35年に登場した2300系が最後の営業運転を終えた今年3月20日、阪急梅田駅で最後の姿を見送った神戸市西区の鉄道ファンの少年(15)がつぶやいた。


 55年間にわたって阪急京都線を走り続けてきた最古参の車両だというが、確かにまだ十分現役を務められそうな気がする。


 側面の窓はフリーストップ式の1枚窓で、古くささは全く感じない。ワックスをかけて何度も磨き上げたような輝きを放つ塗装も、およそ引退車両のそれではない。車体に顔を近づければ、鏡のように映り込むほどだ。ネット上では「ザ・写り込み王」といった呼び名さえあった。


 カカオの芳醇(ほうじゅん)な香りが漂うチョコレートのような、あるいは熟成を重ねたワインのような、高級感のある独特な色合いは「阪急マルーン」と呼ばれている。


 くりの「マロン」が語源で、和訳すればくり色。人によってこげ茶色、あずき色と表現はさまざまだが、溶かしたチョコを流しかけて光沢を出した「グラサージュショコラ」という上品なケーキ。あえて言えば、それに近いように記者は感じている。


 きれいなのは外観だけではない。2300系の車内は高級木材の「マホガニー」の模様をあしらい、これまた光沢のある内装だ。


 「ゴールデンオリーブ」と呼ばれる緑色の座席や「鎧戸(よろいど)」と呼ばれる日よけのブラインドも高級感があり、半世紀以上前の車両なのかと目を疑うほどだ。


 関東の通勤電車は車内の蛍光灯がむきだしになっているが、阪急電車の蛍光灯には有料の特急電車のようにカバーが付いている。すべてが上質。これで特別料金不要の通勤電車だというのだから、関東出身の記者には信じられなかった。


塗装は豪華4層構造!


 大阪府摂津市阪急正雀1の2。地名に「阪急」の入った〝聖地〟に、阪急電鉄の「正雀工場」はあった。車両基地が併設されており、全体の敷地面積は約6万平方メートル。車両の塗装、洗浄はここで行っている。


 「うちは阪急専用の高価なポリウレタン樹脂塗料を使っています」


 こう胸を張るのは阪急電鉄工場課の中尾純利課長(58)。塗装はなんと4層構造で、下塗りした後に下地のパテを塗り、中塗り、上塗りと重ねているという。


 確かに、工場内の車両を見渡すと、光沢のないあせたワインレッドの車両が散見された。下処理段階なのだろう。ところどころパテを塗って補修している様子もうかがえる。


 惜しまれつつ姿を消した寝台特急「ブルートレイン」は長い間風雪に耐えてきただけに、塗装し直した跡が残るなど引退間際になると老朽化は隠せない状態だった。だが、阪急の車両は経年を感じさせない。鉄道の世界にもアンチエイジングがあるとすれば、阪急は間違いなくその権威だ。


 昭和48年まではハイソリッドラッカーエナメルというラッカー系塗料を使っていた。乾燥が早く、作業性に優れているものを使っていたが、「肉持ち感」の減退、変色や色あせなどの欠点があったという。


 肉持ち感とは、塗料を吹き付けた直後と乾燥後で塗膜の厚みがあまり変化しないことをいい、肌の感じがぽってりしている様子をこう表現するらしい。


 ラッカー系塗料に対し、現在使用しているポリウレタン樹脂塗料は色あせが少なく、光沢を保ち続ける特徴があり、阪急では専用の色を発注しているようだ。


〝銀化〟への抵抗


 「阪急マルーン」と呼ばれる色へのこだわりも並々ならぬものがある。


 工場課管理係の堀江康生係長(37)は「無塗装のステンレス車両を導入すれば、かなりのコストダウンが図れるが、今のところ阪急ではあり得ない」と断言する。


 首都圏では今やステンレスむきだしの車両が主流。イメージカラーも変遷しており、小田急電鉄や東武鉄道、相模鉄道など多くの大手私鉄が時代によって車両のカラーリングが異なる。


 首都圏では珍しく〝銀化〟の流れにあらがい、赤い車体に白いラインという伝統を貫いてきた京浜急行電鉄も、近年は無塗装のステンレス車両(新1000形6次車以降)の導入を進めている。


 ところが関西の阪急電鉄は「マルーン」にこだわり、100年以上にわたりイメージカラーを変えていない。のみならず、車両のデザインも基本的にはあまり変わっていないという。


マルーン消滅の危機も


 今年3月に引退した阪急電鉄の2300系電車は、「阪急顔」の先駆けとなったといわれている。シンプルで直線的なデザインながら端正な顔立ちで、その後に登場した新形式の電車も基本的にはこの「阪急顔」を踏襲している。


 「かっこ悪いという声がありまして…」と関係者の一人が打ち明ける。老朽化が進んだ車両のリニューアル工事で、「阪急顔」の鼻筋に当たる貫通扉の窓を大きくしたところ、窓の高さが不ぞろいに。せっかくの端正な顔立ちが崩れ、批判的な声もあったらしい。


 そのため、最近は「阪急顔」のデザインを崩すことなく更新工事を進めているとか。リニューアル車両は屋根の部分が白く塗られているのが特徴。「白い塗装は当初、特急に充当する車両だけだった」(同社工場課管理係の堀江係長)ため、マルーン一色に慣れ親しんだファンの中には「似合わない」と思っている人もいるようだ。


 それほど、社内の関係者も沿線住民、鉄道ファンもマルーンへの思い入れがあるということだろう。


 中尾課長は「昔、マルーンから色を変えるという話もあったが、阪急ブランドの色はマルーンということで立ち消えになった」と振り返る。マルーンから何色になる予定だったのかは不明だが、伝統の色が一時消滅の危機にあったことだけは確かなようだ。


阪急ブランドの象徴


 なぜそこまでかたくなにマルーンにこだわるのか。


 阪急電鉄の幹部は「阪急のイメージを守るためだ」と明かす。


 阪急といえば、上品で高級なイメージのある関西屈指の名門ブランド。「皆さまが普段ご利用になる電車は、その象徴」(同社幹部)だからこそ、マルーンの伝統を守ってきたのだ。


 ただ、実はマルーンも微妙に変化しており、かつては今よりぶどう色に近い色合いだったようだ。次第に高級感のある茶色に変化してきたようで、現在では色味の変化が生じないよう細心の注意を払っているという。


 阪急電鉄によると、同社には約20×10センチの「基準板」と呼ばれる色見本があり、車両を塗り替える際は、この色見本と同じになるようにしている。基準板の色合いも塗料の劣化や経年変化で変わる可能性があるため、2年に一度更新するという力の入れようだ。


 いつ見てもピッカピカ。そのこだわりは洗車の頻度にも表れている。車体の洗浄は5日に1回。雨が降るなどして汚れた場合はその都度洗車して、きれいにしている。


 輝きを放っているのは車両だけではない。梅田駅のホーム床は高濃度の樹脂ワックスを塗っている。独自の「歩行基準値」を定め、滑りにくく、引っかかりにくい状態を保っているといい、床は毎月1回、ワックスをかけている。


 車両もホームも一点の曇りもない阪急。鉄道史に詳しい作家の小牟田哲彦氏は「阪急マルーンは重厚感のある落ち着いた色合いで、美しい電車自体が阪急の企業イメージを体現している。車両や駅をきれいに保つことで企業価値を高め、阪急の高級なブランドイメージを守っている」と指摘している。
  


Posted by いざぁりん  at 00:48