京つう

  イベント  |  伏見区

新規登録ログインヘルプ



こちらです。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151219-00010002-norimono-bus_all
(以下は、コピーです)

子どものヘルメット着用は増えたが…

 ここ最近、子どもたちがヘルメットをかぶるようになりました。昨今の自転車にまつわる動きのなかで、最良のもののひとつでしょう。

電車で子どもがぐずったら 専門家が教える親が取るべき行動

 特に「子乗せ(幼児用の座席)」に乗る子どもたちは、もはや当然。自分で自転車に乗る幼児たちもほぼ全員ヘルメットをかぶります。子どものヘルメット姿は何だか「キノコのキノッピー」という感じで、可愛らしいんですよね。

 でも、話は「可愛らしい」どころではありません。ヘルメットはいわば「必需品」なのです。

 自転車に乗っていて、不幸にして事故で亡くなる人の死因、その68%は頭部損傷によるものなのです。特に幼児に関しては、身体全体にアタマが占める率が大きくて(つまりアタマが重くて)、転んだ際に必ずアタマを打ちます。

 頭部(つまり脳)損傷のたまらないところは、よしんば死に至らない場合であっても、後遺症が残ることが多いことです。

 これがほかの部位ならば、たとえば腕を折ったり、脚を折ったりしたとしても、ほとんどの場合、やがて回復するでしょう。ところが脳の場合、いったん損傷を受けると二度と元には戻りません。脳細胞はリカバリーのきかない細胞だからです。その結果、後遺症を一生ひきずるという結果になってしまいがちなのです。

 ということは、話は子ども本人だけではありません。その子どものために、親もかぶろう、みんなかぶろう、ヘルメット。

自転車の安全妨げるドカヘル 多感な中学生への逆教育


「ドカヘル」とも呼ばれる一般的な通学用ヘルメット(2013年、疋田 智撮影)。


「ドカヘル」による中学生への“逆教育”

 しかしながら、以前から見過ごせない「ヘルメット事情」もあります。

 ずいぶん前から中学生たちはヘルメットを強制されてきました。私(疋田 智)の郷里・宮崎県でもそうで、中学時代、白地に青線のヘルメットを義務づけられていたものです。もちろん、工事現場用ヘルメットの流用品。通称で「ドカヘル」とも呼ばれます。

 これが、典型的な「逆教育」となっていると思います。逆教育、すなわち「しないほうがいい教育」です。

 本来の自転車ヘルメットというものは、硬質発泡スチロールと樹脂でできたもので、軽く、スリット入りで(風が通り)、もしも何かにぶつかったとき、ヘルメット自体が割れることで衝撃を吸収する構造になっています。

 ところが中学で強制される「ドカヘル」は、おおむね“その逆の性質を持っている”といえます。硬質プラスティック製で、まず重いです。次に空気が通らないので、蒸れます。男子中学生がかぶっていると、1か月ほどで臭くなります。汗をかく年頃ですから、すぐに剣道着や柔道着のような“かぐわしき香り”を漂わせてしまいます。

 さらには、もしも何かが起きたとき、ヘルメット自体が割れてくれないため、衝撃をそのままアタマに伝えてしまう。これは構造上当たり前で、もともとの工事現場用のヘルメットは金槌なり、鉄筋なり、鋭角のものが頭上から降ってきた際に、そのダメージを防止するものだからです。

 一方、自転車事故による頭部損傷は多くの場合、衝突後、平たいアスファルトにアタマを打ちつけてしまうことで起きます。つまり「ドカヘル」の性質は、そもそも自転車に向いてないわけです。

中学生のことを考えていない「ドカヘル」

「ドカヘル」のまずいところは、それだけではありません。一番は、何をおいても「かっこ悪い」ことでしょう。

 多感な中学生時代、生徒たちの一番の関心は「これを付けたら異性にどう見られるか」に決まっています。そういう中学生たちにとって、自転車ヘルメットは「スゲーかっこ悪い」、さらには「重くてかぶるのがイヤ」、なおかつ「臭い」というものになってしまいます。でも、学校で強制されるからイヤイヤかぶっています。そもそも先生たちからして、かぶっていません。

 その結果、彼らは中学を卒業すると、二度とヘルメットをかぶらなくなります。「ヘルメットはイヤなもの」との認識が固定化されるからです。

 そうしてそのなかの0.何%かはある日、重大な交通事故に巻き込まれ、そのうちの68%が頭部損傷で亡くなってしまうのです。

 本当は重要なのです。自転車用ヘルメットは。

 そのヘルメットを嫌わせるような教育を、なぜわざわざ施さなくてはならないのでしょうか。学校が「ドカヘル」を強制する必要なんて皆無でしょう。「自転車用のヘルメットをかぶろう」「自分の好きなデザインの、安全性の高いものを選ぼう」で良いのではないのでしょうか。そうして「自転車にはヘルメット」というのを習慣化させていく、それこそが真の教育ではないでしょうか。

 いったんかぶりはじめたら、こういうものは習慣以外のなにものでもありません。クルマのシートベルトと同じです。自分のお気に入りのヘルメットをかぶっていれば、やがて「ヘルメットなしで自転車に乗るなんて!」と思うときがくるはず。私がすでにそうなのであります。
  


Posted by いざぁりん  at 00:13
こちらです。
http://www.dailyshincho.jp/article/2015/10290900/?all=1
(以下は、コピ^-です)
 経団連が大学生の採用面接解禁日を来年は今年よりも2カ月早める方針を固めたという。その通りになれば今年は8月だった解禁日が6月になる見通しだ。昨年は4月解禁だったのだから、この3年、毎年のようにコロコロ、ルールが変わることになるわけである。

 就活生にとっては、こうしたルール変更もさることながら、同様に面接そのものの中味も気になるところだろう。

 その面接時の定番の質問の1つが「尊敬する人は誰ですか」というものだ。これに対して「両親」と答える人も多いようなのだが、それに対して疑問を呈しているのが作家の百田尚樹氏。25万部を突破したベストセラー『大放言』の中から「尊敬する人は両親というバカ」の項を紹介しよう(以下、同書より引用)

 ***

■美談の小道具

 先日、某企業の取締役をしている友人にこう訊かれた。

「お前、尊敬する人物はいるか?」

「いくらでもいるよ」

「たとえば?」

「ベートーヴェン、勝海舟、ソルジェニーツィン、出光佐三、マザー・テレサ、木村政彦、フルトヴェングラー、幻庵因碩、ビクトル・フランクル、ジョン万次郎――」

「何人挙げるねん」

「100人以上は言えるで」

「もういいよ」友人はそう言った後に訊いた。

「尊敬する人の中に両親は入らないのか」

「親父とお袋か――。2人とも大好きやけど、尊敬するリストには入らんな。さっきのリストの中に俺の親父とお袋の名前があったら、どう見ても浮いてるやろう」

 友人は苦笑した。

「なんでこんなことを訊いたのかと言うと、実はこの何年か、就職試験の面接を担当してるんだけど、学生に、尊敬する人物を挙げてくださいと訊くと、大半が胸を張って両親です、と答えるんだ」

「ほう」

「会社では辛い仕事をしているはずなのに、家庭ではそんな面を見せずにいつも私たちに暖かく接してくれた父、仕事と家事を両立させて、父を支え、子供を大切に育ててくれた母――そんなふうに、いかに尊敬すべき素晴らしい両親であったかを説明される」

「ええ話やないか」

「たしかにいい話だ。両親を尊敬するのは悪いことじゃない。大学までやってくれた親を尊敬できない若者では情けない。親殺し、子殺しのニュースもあるくらいの世の中だから、むしろ『素晴らしい若者』と言えるかもしれない。でもな、就職の面接は別に美談を聞きたいわけじゃないんだ」

「お前の言いたいことはわかる。つまりはこういうことやな。こどもにとって両親というのは、世界の誰よりも自分によくしてくれる人間や。あかの他人は20年以上も生活の面倒をみてくれへんし、高い大学の授業料なども払ってくれへん。そんな両親に対して愛情を持つのは当然といえば当然や。そやけど――『尊敬』は『愛情』とは違うと」

「そう、まさにそこだ。愛情と尊敬は違うんだ。たとえば父や母が、自分以外の誰かのために尽くしたり、社会的に大きな業績を残した人物なら『尊敬します』と胸を張って言うのもいいと思う」

「小泉進次郎とか杏なら、『尊敬する人は父です』と答えても、ええわけやな」

「まあ、そういうことだな」

 友人は苦笑いして言った。

「普通の家庭に育った若者が、両親を尊敬する理由として、『家族のためにこつこつと真面目に働いてくれました』とか『常にこどものために自分を犠牲にしてくれました』とかいうのは、あまりにも個人的な話ではないだろうかと思うんだ。こちらとしては、尊敬する人物を通して、彼がどういう生き方を目指しているのかということを知りたいのにね。極端な話、尊敬する人物がキムタクでもいいし、漫画『ワンピース』の主人公ルフィでもいいんだ」

 なるほどなと思った。たしかに友人の言うように、こどもである自分に愛情を注いでくれたというだけで、その人物を、他人に向かって「尊敬する人」の筆頭として挙げるのは個人的にすぎる。

■息子よ、私を尊敬するな

 もし私の息子が就職試験の面接で「尊敬する人は父」と答えたと聞かされたら、相当情けない思いをするだろうと思った。

 ベストセラーをいくつか出したという理由で尊敬しているとすれば、息子の浅はかさにがっかりするし、また世界を知らないことにも失望する。世の中には真に尊敬すべき偉大な人がたくさんいる。愚息にはそうした人たちの立派な生き方を知ってもらいたいと思う。

 もっとも何を持って「偉大」と見るかは、その人の価値観次第である。そしてその価値観こそが、彼(女)という人間を測る物差しになる。

「たしかに、家族のために頑張ってくれたというのが尊敬の理由なら、隣のオッサンや向かいのオバサンを尊敬してもええわけやもんな」

 友人は笑った。

「要するに、面接官としては、あまりにも幼い個人的な世界に生きているというのが気になるというわけやな。大学4年生にもなれば、もっと大きな視点で社会を見ろ、と。自分の生き方の目標となる人物を掲げろと」

「そういうこと」と友人は言った。

「けど、ものは考えようやないか。家族のために働くのが素晴らしいということをわかっている学生なら、スケールは小さいけど、むしろいい社員と言えるんやないか」

「ところが、同じ学生に、当社でどういう仕事がしたいですかと訊くと、仕事を通じて社会に大きく貢献したいとか、世界を変える仕事をしたいとか、とてつもなくスケールのでかいことを言うんだ。中には、自分は給料には興味がないです、自分にとっての報酬は、より高い次元の仕事です、なんて言うのもいる」

「夢が大きくてええやないか。若者はそうでないと」

 友人はため息をつきながら言った。

「でも、その若者が尊敬する人物というのが、家族のためにこつこつと働いてきた父――だからね」

 ***

「それでも私は両親を尊敬している」と反発するのも自由、「それはそれとして面接時には気をつけよう」と思うのも自由だが、面接をする側は「両親」と言われても多くの場合、あまり相手に興味を持たないという面はあるようだ。
  


Posted by いざぁりん  at 00:12
飛行そのものを、すべてやめなければなりません。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151218-00000020-asahi-soci
(以下は、コピーです)
 航空自衛隊小松基地(石川県小松市)に所属するF15戦闘機の訓練飛行の開始時間が今秋以降、慣例の午前8時から約10分早まっていることが分かった。

 市によると、基地側が地元町内会長らに、「NHKの連続テレビ小説を視聴する住民から騒音の苦情があり、早く飛ばしている」と説明したという。

 訓練開始時間に明確な取り決めはなく、基地渉外室は「訓練の内容と住民からの要望を照らし合わせた」。ただし、あくまでも「できる範囲で」という。  


Posted by いざぁりん  at 00:11
こちらです。
http://bylines.news.yahoo.co.jp/enokieisuke/20151213-00052389/
(以下は、コピーです)
「STAP現象」はあります?!

ここ数日、にわかに騒がしくなってきた。何が?それは、「STAP現象」なるものが証明されたというニュースだ。

小保方晴子さんの発見は真実だった!ネイチャーにマウスの体細胞が初期化して多能性を持つ「STAP現象」がアメリカの研究者により発表されました

サイエンティフィックレポーツという論文誌に出た論文がその根拠とされる。

Characterization of an Injury Induced Population of Muscle-Derived Stem Cell-Like Cells

この論文は、いったん筋肉(骨格筋)になった細胞(筋肉に分化した細胞)が、損傷という刺激によって、様々な細胞に分化する能力を持つ多能性幹細胞になるというものだ(幹細胞については、粥川準二氏の連載など参照)。著者らはこの細胞にinduced muscle-derived stem cell-like cells (iMuSCs)という名前を付けている。iMuSCsは生殖細胞などにはならないので、「多能」ではあるが「万能」ではない。

確かに、昨年Natureに掲載され、撤回された論文で提示された「STAP現象」なるものも、リンパ球が、弱い酸の刺激により、多能性幹細胞になるというものであった。刺激によって、分化した細胞(今回の場合は筋肉、「STAP現象」の場合はリンパ球)が多能性幹細胞になるという点で共通点はある。

では、この論文に書かれたiMuSCsは、「STAP現象」なるものと同じメカニズムによって生じたものなのだろうか。

「刺激で脱分化」は知られた現象

いったん分化した細胞は、基本的には他の細胞に変わることはない。しかし、植物では、傷ができると、分化した細胞が様々な細胞に分化する能力をもった細胞になる、いわゆる脱分化を起こすという現象はよく知られている。それがカルスだ。

動物でも、イモリの指や眼は再生することが知られている(こちらなど参照)。これには脱分化がかかわっている。だから、動物の細胞に刺激を与えれば、分化した細胞が脱分化を起こし、多分化能を持つ細胞になるのではないか、という発想自体はわりとすぐ出てくる。当初STAP細胞が「アニマルカルス」と呼ばれていたのは、まさに植物のカルスから着想を得ていたことを示す。

iMuSCsの方が先

哺乳類では、何らかの物理的刺激によって幹細胞に類似した細胞ができることは知られていなかった。今回の論文は、筋肉を傷つけることで、多能性幹細胞ができることを報告した。もしSTAPを文字通り「Stimulus-Triggered Acquisition of Pluripotency;刺激惹起性多能性獲得」と広く解釈するならば、今回の論文もそれに含まれるようにみえる。

けれど、iMuSCsは2011年の著者らの論文ですでに述べられている。STAP細胞の論文より3年前だ。

Study of Muscle Cell Dedifferentiation after Skeletal Muscle Injury of Mice with a Cre-Lox System

だから、「STAP現象」をあとから来た人に証明されちゃった、という話ではない。確かにハーバード大学のバカンティ氏らは2000年代初頭から、細い管に細胞を通すことで脱分化が起こるという仮説を言っていたが、たとえ仮説を考えた時期が先だとしても、証明できていないのならなんの説得力もない。

少なくとも撤回された論文のやり方では、「STAP現象」は確認されていない。筆頭著者が参加した再現実験は成功せず、著者の一部が所属するハーバード大学での再現実験も成功しなかった。

研究不正は消えない

このほか、論文の査読者が一人しかいない等、この論文に様々な問題点があるとの指摘がある。詳しくは幹細胞の専門家のご意見(たとえば八代嘉美さんのツイッターの発言)等で確認いただきたい。

百歩譲って、このiMuSCsが「STAP現象」なるものと同等のものであったとしても、研究不正を行ったという事実は消えない。「STAP現象」のありなしは、研究不正のありなしとは別次元の話だ。「STAP現象」があろうがなかろうが、ずるしちゃいかん、ということだ。

2014年8月27日に私が書いた記事を引用しよう。



よいたとえか分からないが、新しい説を提唱し、それをほかの科学者に認めてもらうことは、犯罪の容疑者を逮捕、起訴し有罪にすることに似ている。研究論文は、科学の歴史という法廷に提出する起訴状のようなものだ。

ある人を有罪にするには、証拠がなければならない。犯行に使った凶器や指紋、DNA鑑定など……どんなに状況証拠がそろっていたとしても、証拠が不十分なら容疑者を起訴することはできないし、起訴できて裁判に持ち込んだとしても、有罪を勝ち取ることはできない。有罪になるまでは、容疑者はあくまで容疑者、つまり無罪だ。

科学の新しい説も、まずは証拠をそろえて論文という形にして、科学の歴史という法廷に提出する。起訴状である論文に不備があれば、不起訴処分になるし、形式的に問題がなかったとしても、論理に不備があったり、再現性がなかったりすれば、新説が認められない。不十分な証拠では裁判で有罪判決を勝ち取ることができないのと同じだ。

論文は、あらゆる角度から吟味される。正しいと認められるまでは、新説は単なる仮説にすぎない。刑が確定するまで容疑者というのと同じだ。

科学者は、科学の歴史という法廷に新説という犯人を起訴するために、必死で証拠集めをしている。それこそ、犯行現場に落ちていた物質を全部調べるみたいな果てしない努力を続けているのだ。

STAP細胞はいったん科学法廷に起訴された(論文が提出された)。けれど、起訴状である論文には問題が多く、証拠にはなりえない状態だと分かった。犯行現場に落ちていた物質ではないものを証拠に使ったりしたようなものなのだ。だったら、不起訴処分(論文撤回)になって当然だった。

STAP細胞の問題の本質は、いわば不完全な証拠で人を起訴してしまったことのようなものだ。たとえるなら、捜査官の教育体制の不備、起訴状のチェック体制、捜査官の指導体制の不備、証拠の保全の遅れ、隠ぺい、不完全な検証体制、犯人の検挙率を過剰なまでに競わせる競争的環境、過剰な演出をした広報体制、捜査官個人を過剰にたたえた報道の在り方などが問題の背景にある。報道が容疑者の段階で犯人扱いしたことも問題だ。

捜査官を研究者に、起訴状を論文に、犯人の検挙率を論文の数、質、容疑者を仮説、犯人を事実にでも言い換えてほしい。意図することがお分かりになるだろう。

だから、たとえSTAP細胞があったとしても、問題はチャラにならない。いわばせいぜいあいつ怪しいね、犯人かもしれないね、という段階で、証拠をでっちあげて逮捕してしまったようなもので、たとえそれがたまたま真犯人だったとしても、問題が起こった構造を改善しなければ、誤認逮捕や冤罪は繰り返されるだろう。

出典:STAP細胞があろうがなかろうが
iMuSCsも、これから追試などが行われ、科学の歴史の法廷に立つことなるだろう。

研究不正を犯しても、結果があっていればおとがめなしということになれば、研究者のモラルは崩壊してしまう。

対立を乗り越えよ

筆頭著者の小保方晴子さんや、故笹井芳樹さんへの常軌を逸したバッシングは、強く批判されるべきだ。スケープゴートを叩くだけで終わっては、問題が発生するに至った構造が何ら変わらない(拙稿「叩いて忘れる社会」参照)。

しかし、今回のように、「STAP現象」はある、研究不正なんて小さなこと、批判したやつ謝れ、という過剰な「擁護」は不毛な対立を生み出すだけで、逆の意味で「叩いて忘れる」ということになる。

この問題は擁護派、否定派に分かれるような問題ではないはずだ。感情的にならず、冷静に問題点を議論し、今後に生かす、こういう地に足が付いた議論をしていくことが必要なのだ。

  


Posted by いざぁりん  at 00:10
こちらです。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151214-00000007-jct-soci
(以下は、コピーです)

STAP現象について、アメリカの研究者らが存在することを突き止めたとの真偽不明の情報がネット上で流れ、一時騒然とした。この情報については、専門家からも発言が相次いでいる。

 研究者らの論文が載ったのは、英科学誌「ネイチャー」の出版社が運営するサイト「サイエンティフィック・リポーツ」だ。

■STAP細胞のあるなし巡って、ネット論議に

 タイトルは、「損傷誘導による筋肉由来の幹細胞様細胞の特性評価」で、米テキサス医科大学の研究者らが2015年11月27日に論文を投稿した。

 この論文の内容が12月10日になってブログで取り上げられ、まだ再現されたことのないSTAP現象の存在を研究者らが突き止めたと紹介された。つまり、元理化学研究所の小保方晴子氏らが提唱したSTAP細胞はあったというのだ。小保方氏らがSTAP論文を発表したのは「ネイチャー」だったこともあり、2ちゃんねるなどでもブログが話題になった。

 その後、まとめサイトが次々に取り上げるようになって、ネット上でちょっとした騒ぎに発展した。ネタとして書き込んでいる可能性はあるが、「実はSTAP細胞あると思ってた」「小保方さん、逆転サヨナラ満塁本塁打!」といった声が上がり、中には、過剰なバッシングの結果、アメリカに研究成果を横取りされたという嘆きさえ出た。

 ただ、STAP現象については理研でも再現できず、研究不正があったという結論になっている。世界各国の研究者が確かめようとしたものの、現象の再現に成功したという報道はない。このことから、ネット上では、「どうせデマだろう」「小保方に謝れと言ってる人はなんなんだ」と冷ややかにみる向きも多い。

 騒ぎになった米国研究者らの論文については、専門家らからも、ブログやツイッターで次々に発言が出ている。
.

理研や文科省「特にコメントはありません」

 近畿大学医学部附属病院の榎木英介講師は、ヤフー・ニュースに投稿した記事で、米国研究者らの論文は、筋肉の細胞が損傷という刺激によって多能性幹細胞になるという内容だと解説した。論文では、これは「iMuSCs細胞」と名付けられている。

 STAP細胞は、リンパ球が弱い酸の刺激によって多能性幹細胞になるというものだ。榎木氏は、この点で共通点はあり、STAP現象に見えるかもしれないものの、iMuSCs細胞は、生殖細胞にはならないため、万能細胞ではないと指摘した。また、論文の査読者が1人しかいないことも問題点に挙げられるという。

 そして、たとえSTAP現象があったとしても、小保方氏らが研究不正をしていた事実は変わらないと厳しく批判した。

 STAP問題を取材してきたライターの粥川準二氏も、医療情報サイト「Medエッジ」で同様な指摘をした。

 粥川氏は、米国研究者らの論文は、小保方氏らのとは多能性幹細胞を作る方法がまったく違い、iMuSCs細胞は生殖細胞にはならなかったとして、「小保方氏らが『ネイチャー』論文で成功したと称したこととは異なる」と述べた。そして、「100歩、いや1万歩譲って、テキサス医科大学の研究者らの実験結果は小保方氏らの主張する『STAP現象』の再現に成功したものだとむりやり解釈しても、そのことは、研究不正がなかったということを意味するわけではありません」と言っている。

 米国研究者らの論文について、理化学研究所の広報室や文科省のライフサイエンス課では、「特にコメントはありません」とだけ取材に答えた。
  


Posted by いざぁりん  at 00:09