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こちらです。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160425-00000538-san-soci
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 政務活動費(政活費)約913万円をだまし取ったとして詐欺罪などに問われた元兵庫県議、野々村竜太郎被告(49)に対し、検察側は25日、神戸地裁で開かれた論告求刑公判で懲役3年を求刑し、判決期日は7月6日に指定された。野々村被告はこれまでの法廷で、起訴内容を否認し、“記憶障害”の可能性をにおわせつつ、収支報告書の作成経緯について「記憶にございません」「覚えておりません」という供述を連発した。しかしこの日、論告求刑の後に行われた最終意見陳述で、野々村被告は「説明責任を果たせず、申し訳ございませんでした」と涙声で謝罪する一方、「このような事件を二度と起こさない」と犯罪性を認めるかのような支離滅裂な言葉を繰り出した。自らの潔白を訴えた約2年前の記者会見のときにみせた“号泣”は最後までみられなかったが…。

■東京駅滞在7分「あり得ない」…傍聴席失笑

 開廷前、スキンヘッドに少し毛が生えた短髪と黒縁めがね姿で入廷した野々村被告。前回とは打って変わって、無精ひげは少し整えているようだ。黒のスーツに紺と青のネクタイをしめている。落ち着いた様子で弁護人の隣に腰掛けた。

 検察側は論告で、野々村被告が収支報告書に記載した出張の大半が空出張だったと主張した。ある日の「西宮-東京間」の出張を取り上げ、「被告のクレジットカートの利用明細に基づけば、朝5時に西宮を出て、滞在7分で東京駅を出るしかない。そんな出張は現実的にはありえない」と指摘。傍聴席からは失笑がもれた。

 野々村被告が公判で「記憶にございません」を繰り返し、記憶障害だと訴えたことについては「被告が主張する『記憶の欠落』は医学的根拠を伴わない。警察官の取り調べ状況については記憶を保持しており、記憶に著しい偏りがある」として、「明らかに虚偽性の認識があった」と述べた。

 動機については「私腹を肥やすためだった」と指摘。「県議初年度から早くも犯行を実行する、誠に大胆不敵な手口。一方で、政務活動費の手引きを熟読し、制度の盲点を的確に把握し、修正テープを使って領収書を偽装するなど、精緻な作業で巧妙な手口も用いた」と述べ、「(税金という)県民の貴重な犠牲を踏みにじる重大な背信行為で、許し難い悪質な犯行だ」と訴えた。

 一方で、「県議を辞職し、問題発覚後に開いた会見は『号泣会見』と報道され、一定の社会的制裁は受けた」として、懲役3年を求刑した。

 野々村被告は終始手元のメモに目を落とし、背筋を伸ばして聞き入っていた。

弁護側は仰天反論?「滞在7分…政治活動ではあり得る」

 続いて弁護側が最終弁論に立ち、「野々村さんは罪を犯したかといわれても記憶にないため、消極的に否認せざるを得ない」と主張した。検察側が指摘した「東京駅滞在7分」については「わずかな時間でも実際に人と会って話すのに意味があることも、政治活動ではあり得る」と反論した。

 その上で「事件は大きく報道され、野々村さんは日常生活を送るのも難しくなり、再就職も困難だ。事件後には全国の議員で政務活動費の問題が公表されたのは周知の通りで、政務活動費の存在やあり方を問題提起することになった」と指摘。「実刑は重すぎる。執行猶予が相当だ」と述べ、最終弁論を終えた。

■また出た…大声で「はいっ」

 最終弁論の間も、野々村被告の姿勢は変わらない。ずっと背筋を伸ばしたままだ。そして、ついに最終意見陳述の機会がめぐってきた。最大のクライマックスに傍聴人が固唾をのんで見守った。

 裁判長が問う。

 「最後に述べておきたいことがありますか」

 野々村被告は「はいっ」と大きな声で返事し、A4判の白い紙1枚を持って、証言台の前に立った。これまでの法廷で質問を受けるたびに「はいっ」と大声で返事していた場面を思い起こさせた。

 「裁判長のお言葉にお答えする上で、一言申し上げさせていただきます」

 一礼し、ゆっくりとはっきりした声で紙に書いた文字を読み上げ始めた。

 「この裁判の中で私は多くの質問を頂戴いたしましたが、医師の診断で解離性健忘の可能性もあるとのことで、収支報告書を作成いたしましたときの記憶が、ございませず…お答えすることができませんでした」

 ここで突然、声が震え始める。

 「説明責任を果たせず、申し訳ございませんでした」となんとか持ち直して言い切り、深く頭を下げた。

■早くも“執行猶予”確信?

 だが、その後も声の震えは止まらない。

 「報道などによって初めて、収支報告書に虚偽内容が含まれておりましたことが分かり、また公判を欠席いたしましたことを反省いたしますとともに、県民や国民の皆様に…心から謝罪をいたします。誠に申し訳ございませんでした」と再び頭を下げて謝罪した。

 そしてこう続けた。

 「このような事件を二度と起こさないこと、1人でも多くの方を幸せにすること、他の方に迷惑をかけないことを誓約いたします」

 今にも泣き出しそうな声で締めくくった。最後まで涙はこらえきったようだ。

 起訴内容を否認している身で「このような事件を二度と起こさない…」と自らの犯罪行為を認めるかのような言葉に続き、「1人でも多くの方を幸せにすること」とは支離滅裂だ。まるで、決して刑務所に入ることはなく、無罪放免か、少なくとも執行猶予判決で“自由”の身となることを確信しているようだ。

 判決は7月6日。懲役3年の求刑に対し、裁判所がどう判断するのか注目される。
  


Posted by いざぁりん  at 00:10
五輪を廃止しなければなりません。
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160412-00089436-diamond-bus_all&p=1%E3%81%AE%E8%A6%81%E8%AB%8B
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 4月5日、2020年東京五輪・パラリンピック大会組織委員会が大会前後の神宮球場使用中止を要請していることが明らかになった。

 組織委が使用中止を求めているのは、以下の理由からだといわれている。

 ●メイン会場の新国立競技場周辺は通行止めなどのセキュリティー対策が不可欠であり、隣接する神宮球場が使用されていると、それに支障が出る。

 ●五輪開催のための資材や放送機材の置き場所、観客の待機場所として球場を使いたい。

 こうした用地は神宮球場だけでなく、第2球場やテニスコートなど神宮外苑すべてが含まれるという。

● 頭越しに「大家」へ 突然の使用中止要請

 神宮球場の正式名称が「明治神宮野球場」ということでも分かるように所有者は宗教法人明治神宮。組織委はこの明治神宮に使用中止の要請をした。

 神宮球場は1926年の開場以来、90年間にわたり東京六大学野球や東都大学野球のリーグ戦、東京都の高校野球予選会場などに使用されてきた。と同時に1964年から東京ヤクルト球団の本拠地となり、プロの試合が行われている。こうしたアマチュアの野球連盟や球団は明治神宮から貸与を受けて試合を開催しているわけだ。

 使用中止になれば困るのは連盟や球団だが、こちらには何の相談もなしに組織委は地権者の明治神宮に「五輪期間前後は貸与しないで」と要請したのである。いわば大家に一時的ではあるが、店子を追い出してくれと言っているようなものだ。

 また、その要請の内容も連盟や球団を困惑させるものになっている。2020年の五輪が開催されるのは7月24日から8月9日まで、続いてパラリンピックが行われるのは8月25日から9月6日までだが、使用中止はこの1ヵ月半ではなく、5月から11月末までの半年に及ぶ。これでは六大学や東都の春と秋のリーグ戦はできないし、夏の高校野球の東京都予選も開催不能。東京ヤクルトもほぼ1シーズン、本拠地での試合が開催できなくなる。

 加えて、それに伴う補償や代替球場の話も出ていないという。神宮球場が長期間使用中止ということになれば、代わりの球場を探さなければならない。賃貸の交渉をはじめ、大きな労力が強いられる。また、神宮球場だからこそ多くの観客が集まり、それなりの入場料収入が見込めたのに、それがなくなるのだ。

 組織委側は補償をしないというわけではないようだが、それは使用中止が決まってからの話という姿勢。まず中止要請ありきであり、誠意が感じられない。報道では、「関係する野球関係者は一様に、この使用中止要請に困惑している」といった表現をしているが、本当のところは困惑を通り越して激怒しているのではないだろうか。

● 1シーズン使用中止なら 東京ヤクルトの損失は? 

 東京六大学野球、東都大学野球の両連盟も「聖地」神宮球場で伝統のリーグ戦ができなくなるのは耐えられないはずだが、この要請を最も深刻に受け止めているのは東京ヤクルトだろう。開催期間だけの1ヵ月半なら譲歩できる範囲かもしれない。阪神の例もある。阪神は夏の高校野球が行われる約3週間、本拠地の甲子園球場で試合ができなくなる。高校野球開催期間中はビジターの試合を多く組み、ホームゲームはオリックスの本拠地である京セラドーム大阪を借りて乗り切っている。

 東京ヤクルトも、2020年のシーズンだけ遠征を多くし、また東京ドームでホームゲームを行なうなどすることで対応は可能だ。が、5月から11月末まで、ほぼ1シーズン神宮球場が使えないとなると、興行として試合を行なうプロ球団としては大打撃を受けることになる。

 まず広告収入。球場には多くの企業が看板広告を出しているが、ホームゲームがなくなれば契約打ち切りが続出するに違いない。球場の広告は多少の入れ替わりはあるものの継続契約が多い。契約しないシーズンが1年あれば翌年再契約してくれる保証はないわけだ。

 同様のことがいえるのは年間シートだ。ホームゲーム全試合が見られるもので、ヤクルトの場合、1席30万円程度。個人で購入する人もいるが、多くは企業が契約している。神宮球場は交通の便が良く気軽に観戦できるのが利点。得意先を招待したり、それがない時は社員やその家族が利用するという目的で購入する。この年間シートも継続購入が多く、一度契約が途切れれば、離れてしまう人が出るに違いない。

 ヤクルトはチーム名に「東京」をつけているように東京のファンを意識した球団だ。ファンもそれを受け止め、神宮球場でビニール傘を振りながら「東京音頭」を歌うのが生きがいという人が少なくない。ほぼ1シーズンの使用中止はそうしたファンの楽しみを奪うことでもある。「2020年は五輪が開催される特別な年だから、このシーズンだけはヤクルトも地方での試合をして、新たなファンを開拓すればいい」といった声もあるようだが、東京を意識した球団に地方のファンがつくとは思えないし、遠征続きでは選手の体ももたない。ファン離れを招く危険が大なのだ。

 ヤクルトに限らず今、球団の営業はファン獲得に必死になっている。ファンが喜びそうな企画やサービスを競って打ち出し、観客動員を増やそうとしている。球団の赤字を親会社に補填してもらう体質を脱し、独立採算でやっていこうと努力しているわけだ。神宮球場の使用中止要請は、そうした球団の努力を無にし、ゼロから営業活動をし直せといっているのと同じ。無茶なのである。

● ファン置き去りの計画 背景に神宮外苑再開発? 

 そんな無茶な要請が行われるのは、ある背景が考えられる。東京五輪を機に明治神宮外苑地区の再開発を行なう計画があるのだ。昨年4月、東京都と日本スポーツ振興センター、明治神宮などの地権者が再開発に協力する覚書を交わした。老朽化した神宮球場と秩父宮ラグビー場を建て直し神宮外苑をスポーツの一大拠点にしようという計画だ。

 具体的にはこうだ。東京五輪までに秩父宮ラグビー場を解体して駐車場にする。五輪後にその跡地に新神宮球場を建設。その間に旧神宮球場を取り壊し、そこに新秩父宮ラグビー場を建設するというものだ。確かに神宮球場も秩父宮ラグビー場も老朽化しており、改築が必要な時期にきている。そのふたつが新しくなれば新国立競技場とともに人々を引きつける場所になるだろう。都心の一等地にリニューアルされたスポーツエリアが出現するわけで、ファンにとっても待望の計画といえる。

 しかし、だからといって大学野球関係者や一球団、それらのファンが痛みを受けるのは仕方がないというのは違うのではないだろうか。それに新神宮球場が完成しても、ヤクルトの本拠地になる保証はないのだ。

 五輪・パラリンピックも野球も同じスポーツだ。また、人々が見て楽しみ対価を支払う興行としての側面があることも共通する。どちらかが損をする構図ではなく、Win-Winでなければならないのだ。

 いずれにしても、五輪開催のために神宮球場の使用中止が不可欠ならば、まず使用する側に補償や代替球場などを含めて提案し、協力を得るのが筋というものだ。五輪は国家的事業だからといって、そうした手続きを怠る組織委の姿勢は傲慢といわざるを得ない。  


Posted by いざぁりん  at 01:00
こちらです。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160424-00000068-mai-soci
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 旧作品の白紙撤回により選び直されている2020年東京五輪・パラリンピックの公式エンブレムが25日に決まる。大会組織委員会が8日、公募で集まった1万4599点から絞った最終候補4作品を公表したことで、インターネット上には落選した応募作があふれる。ギャラリーを借りて、落選デザインの個展開催に踏み切る芸術家も現れている。

 元立教大大学院特任教授(比較文明学)のアーティスト、彦坂尚嘉(なおよし)さん(69)は21日、東京都新宿区のギャラリーで1日限りの落選展を開いた。落選作は約10人のチームで1カ月以上悩み抜いたといい、その経緯をパネル約20点で示した。

 落選展は大規模コンクールなどの落選作を集めたもので、審査への抗議を含む場合もある。19世紀にフランスで革新的な写実主義絵画を確立したギュスターブ・クールベが開催したことで知られる。

 彦坂さんは「最終候補4作品は、国民規模のデザインコンペにしては均質で多様性がない。一連の騒動を振り返り、日本のデザイン界そのものが発奮すべきだとも思い開催した」と語った。

 お笑いコンビ「キングコング」の西野亮広さん(35)も絵が得意で、今回応募して落選した。自身のブログで作品を公表しつつ落選作を募集。25日に「負けエンブレム展」として、独断で選んだ優れたデザインをネット上で公開するという。

 既に数百点の落選作が寄せられたといい、「最終候補の4作品は無難なデザインでつまらない。落選作にも素晴らしいデザインがあったはずで、評価されるべき場所が必要と考えた。一人でも多くの人がすてきなデザインに目を留めてほしい」と語った。  


Posted by いざぁりん  at 00:59

2016年04月27日

落選展

こちらです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%90%BD%E9%81%B8%E5%B1%95
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落選展(らくせんてん、フランス語: Salon des Refusés)は、意味としては、フランスで公式のサロンの審査員によって落選させられた作品を集めた展覧会のことだが、特に1863年の展覧会を指す場合が多い。落選者展とも表記される。

落選展がはじまったのは1830年代と早く、パリのアート・ギャラリーが、サロンに落選した作品を集めた、小規模かつプライベートな展覧会を催していた。 それが1863年の展覧会は大騒ぎで、実はフランス政府が後援していた。この年、いつもの年より多い、3,000点以上の作品がサロンに落選したことに、美術家たちが抗議したのだった。展覧会には次のような公式の告示が出された。


一般の諸君がこの抗議が正当なものであると判断してくれることを望む


フランス皇帝ナポレオン3世も、サロンに付随して、落選した美術家たちが自分たちの作品を展示してもよいという命令を発した。しかし、多くの批評家ならびに大衆は落選作品を嘲笑した。その中には、エドゥアール・マネの『草上の昼食』、ジェームズ・マクニール・ホイッスラーの『白の少女』が含まれていた。しかし、絵画の世界に突如として出現したアバンギャルドの正当性を認め、注目する批評もあった。マネの励ましもあって、1874年、印象派はサロンの外ではじめた展覧会を成功させた。落選展は、1874年、1875年、1886年にもパリで開催され、その頃にはパリ・サロンの名声も影響力も衰えてしまっていた。
  


Posted by いざぁりん  at 00:59
利権の巣窟である五輪を、廃止しなければなりません。
https://thepage.jp/detail/20160425-00000012-wordleaf
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 2020年東京五輪・パラリンピックの新しいエンブレムに、「組市松紋」をあしらった野老朝雄(ところ・あさお)さん(46)のA案が選ばれた。

 採用された野老さんの「組市松紋」は、世界ではチェッカーデザインとして、日本では江戸時代に「市松模様」として広まった意匠をコンセプトにしたもので、日本の伝統色である藍色をメインに使用している。

同じピースを組み立てる、つなげていく

 野老さんは、エンブレムは五輪用、パラリンピック用ともに45個のピースで構成したと説明。「五輪もパラリンピックも同じピースを組み立てる、つなげていくということ。それはずっと考え続けてきた」とデザインへのこだわりを語った。

 藍色一色でデザインした点については、模様を白抜きして単色で染める型染の一つである「江戸小紋」を引き合いに出し、「潔い表現ができればと思った。夏に行われる大会ということで、涼しげなものも良いのではないか」と語った。

 また、今後エンブレムを使って、例えばデジタルサイネージなどによる展開が考えられるとして、「そこに色を付けようとすると何億の何億乗という可能性が出てくる。みんなで色を付けていくカラーリング、塗り絵のようなことは考えていた」と明かした。

 エンブレム委員会の宮田亮平委員長は、新しいエンブレムについて、「シンプルで良い」「日本の伝統や粋を感じる」「クールな印象」などの評価があったと紹介した。同委員の王貞治氏も会見で、「日本というイメージがぴったりの作品」と感想を語った。ただ一方で、宮田委員長は、「地味」「目がチカチカする」のようなネガティブな意見もあったとした。
  


Posted by いざぁりん  at 00:58
こちらです。
http://www.cosmopolitan-jp.com/love/sex/news/a611/car-crash-17-girlfriends-hospital-china/?utm_source=ycdpc3&utm_medium=yahoojp-p4-c3-dl
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​何かとびっくりニュースを提供してくれる中国。

今回は、自動車事故に見舞われるも、奇跡的に一命をとりとめたとある男性のエピソードを、コスモポリタン イギリス版からお届け。

普通、事故にあって生き延びた場合は「不幸中の幸い、生きててよかった!」と喜ぶものだが、彼の場合は、むしろ一命をとりとめないほうがよかったんじゃないか…とさえ思ってしまう。

病院に担ぎ込まれた男性、ユアン氏はかなりの重症で、医師たちは緊急事態と判断。急いで彼の"親戚たち"に連絡した。すると血相を変えて病院へ駆けつけてきたのは、総勢17人の女性。しかも全員「彼と付き合っている」と主張したのだ。病院内はかなりざわついたらしい。つまりこのユアン氏、なんと17股(!)をかけていたというわけである。

その彼女の中の1人、リーさんは「事故にあったと聞いたときは気が動転して涙が止まらなかった。病院に搬送されただなんて、心配で仕方がありませんでした。なのに大急ぎで病院に駆けつけると、次から次へとキレイな女性が現れて…。もう呆然として、それ以上涙も出てきませんでした」と語った。

さらにリーさんは、他の女性たちとオンラインのチャットグループを作り、情報や体験を共有しているという。何人かは彼に"経済援助"をしており、そのうちの1人はなんと9年(!)以上もの間、お金を渡していたことが判明。

また、別の女性はなんとユアン氏との間に息子までおり「どうしたらいいのかわからないの。もう彼のことは愛していないけれど、息子は何より大切な存在なのよ…」と突然のことに戸惑っていたらしい。

気の毒な女性たち…ユアン氏って、それほどいい男だったの? でも、やっぱり悪いことするとバチ(事故)が当たるんですね。
  


Posted by いざぁりん  at 00:58
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http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160426-00006114-sbunshun-ent
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「ゲスの極み乙女。」のボーカル・川谷絵音(27)との一連の不倫騒動を受けて、いまだ全ての芸能活動を休止中のベッキー(32)から4月22日、週刊文春編集部へ直筆の手紙が届いた。郵送ではなく、彼女の所属事務所である「サンミュージックプロダクション」の代表取締役社長・相澤正久氏によって本誌デスクへ直接手渡された。

 このひと月余り、週刊文春はベッキー本人へのインタビューを事務所を通じて繰り返し申し込んでいた。結局、インタビューに応じることはなかったが、彼女は現在の心境を便箋5枚にわたり手紙にしたためたのだ。

 ベッキーは手紙の中で、〈川谷さんへの気持ちはもうありません。文春さんで奥様が話された記事を読み、そこで初めて奥様のお気持ちを知り、自分の気持ちの整理がつきました〉などと、禁断愛の核心について綴っている。

 最新の週刊文春5月5日・12日合併号では手紙の全文が掲載される。


<週刊文春2016年5月5日・12日『スクープ速報』より>  


Posted by いざぁりん  at 00:57
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http://www.eva.hi-ho.ne.jp/nishikawasan/ak/seinen.html
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マルクスが、1835年17歳ギムナジウム卒業時、書き上げた文章です。生きるとは自分のためだけではなく、人々の幸福のために働くことをつうじて、自分自身を完成することができるという格調高い決意のニュアンスは訳者によって我々に伝わってくるニュアンスが大きく違うことを実感して頂きたくて、対比しました。服部文男先生の訳は黒字で、真下信一先生の訳は赤字です。




しかし、地位の選択にさいしてわれわれを導いてくれなければならぬ主要な導き手は、人類の幸福であり、われわれ自身の完成である。これ等両方の利害がたがいに敵対的にたたかいあうことになって、一方が他方をほろぼさなければならないのだなどと思ってはならない。そうではなくて、人間の本性というものは、彼が自分と同時代の人々の完成のため、その人々の幸福のために働くときにのみ、自己の完成を達成しうるようにできているのである。

職業を選ぶにあたってわれわれを導くべき主な道しるべは、人類の福祉、我々自身の完成である。この2つの関心は、お互いに相容れない敵対的な関係にあるかのように思い違いをしてはいけない。実際はそうではなくて、人間の本性というものは、彼が同胞の完成、同胞の福祉のために尽くす場合にのみ、自己の完成を遂げうるように出来ているのである。




自分のためだけに働くとき、そのひとは、なるほど著名な学者であり、偉大な賢者であり、優秀な詩人ではありえようが、けっして完成された、真に偉大な人間ではありえない。歴史は、普遍的なもののために働くことによって自己自身を高貴なものとした人々を偉人と呼ぶ。経験は、最大多数のひとを幸福にした人を、最も幸福な人としてほめたたえる、宗教そのものは、万人が追求する理想が人類のために自己を犠牲にしたことをわれわれに教えている。そしてだれがこうした金言をあえて否定するであろうか?

もしも一人の人間がただ自分のためだけをはかって仕事をするならば、あるいは、彼は高名な学者、偉大な賢人、傑出した詩人になることができるかもしれないが、しかしけっして完成したほんとうに偉大な人間になることはできない。歴史が最も偉大な人間たちと呼んでいるのは、一般のためにつくすことによって、自分自身をりっぱにした人たちのことであるし、経験が最も幸福な人間としてたたえているのは、たくさんの人々を幸福にした人たちのことであるし、宗教そのものがわれわれに教えているのは、万人の手本となっている理想の人は人類のためにその身を捧げたのだということであって、はたしてだれがこのようなことばをあえて否定するだろうか?




われわれが人類のために最も多く働くことのできる地位を選んだとき、重荷もわれわれを屈服することはできないであろう。なぜなら、その重荷は万人のための犠牲にすぎないからである、またそのとき、われわれは、貧弱で局限された利己主義的な喜びを味わうものではない。そうではなくて、われわれの幸福は数百万の人々のものであり、われわれの行為は、静かに、しかし永遠に働きながら生き続けるのである。そしてわれわれの遺体の灰は、高貴な人々の熱い涙によって濡らされるであろう。

われわれは人類のために最も多く尽くしうる職業を選んだ場合には、その重荷もわれわれをくじくことはできない。なぜなら、そうした重荷は万人のためにの犠牲にすぎないからである。その場合には、われわれはどんなみじめな狭い利己的な喜びをも味わうことはせず、われわれの幸福は万人に属し、われわれの仕事は静かに音もなく、しかしとこしえに影響を及ぼしつつ生きつづけ、そしてわれわれのなきがらは、けだかい人々の熱い涙にぬらされるのである。




真下信一先生の訳は、我々の心の中に素直に流れるように浸み込んできますね。名訳です。
  


Posted by いざぁりん  at 00:44
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http://ameblo.jp/kuriyakin/entry-10549503659.html
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中島みゆきの軌跡 9



2010-05-30 17:54:02
テーマ:ブログ


 中島美雪は、5歳のときからピアノを習わせられている。そして13歳のときにピアノを止めている。往復2時間もかけて8年間通ったピアノ教室をやめたのは、高校受験のためである。そして、1967年、帯広柏葉高校に、入学したときに、両親からガットギターをプレゼントされている。家にはピアノがなかったから、これは美雪が始めて手にした楽器と言える。「「あなたも一週間でギターが弾ける」という本を買ったけど、5年かかった」という本人のコメントは冗談。レコードを聴きながら、ギターテクニックをマスターする。

 STVでのアルバイトについてはすでに述べたが、その他にもいろいろとアルバイトをしている。郵便の仕分け作業、株式総会での封筒作り、野菜の叩き売り、祭りの後のごみの整理、ス-パーや百貨店の試食販売コーナーの売り子など。

 1972年には、札幌冬季オリンピックのアルバイトにも従事している。朝日が昇る前、会場への送迎バスが来るのを凍えながら待つ。会場に着くと、客席のベンチに積もった雪をひとつずつ落としてゆく。神経がある限り、寒さは肌を刺し痛い。根気強い彼女の性格が垣間見える。

 美雪は、会場整理のアルバイトで得た金で、初めてフォークギターを買う。当時、フォークソングが流行っていたので、僕の世代の学生で、ギターの弾けない男子学生のほうが少なかった記憶がある。しかし女学生でギターの弾ける子はひとりもいなかった。その代わり今は普通になったキーボードを持っているリッチな学生は少なかった。せいぜいギターどまりである。ちなみに、ユーミンはピアノ、みゆきはギター、という比較がされることがあるが、中島みゆきは、披露したことはないがピアノの名手でもある。ピアノというブルジョワジー的な楽器ではなく、ギターという庶民的な楽器を選んだのは、彼女の意志であろう。

 とにかく、高校3年生のときに、文化祭のステージでギター一本で歌った美雪は、ウーマンリブのはしりだったのかもしれない。

 1972年5月28日、ニッポン放送主催の「全国フォーク音楽祭全国大会」に、北海道地区代表として出場する。会場は、日比谷野外音楽堂。アコースチックギターで、「あたし時々おもうの」を歌う。

 審査は意見が割れてなかなかまとまらず、結局は4組にグランプリを与えることになった。その中にもちろん、美雪の名はある。プロデビューを薦められるが、彼女は辞退している。全国大会の1週間ほど前に、谷川俊太郎の「私が歌う理由(わけ)」という詩を渡され、それに曲をつけるというのが課題になっていた。

 美雪は、その詩を読んで喉元にナイフを突きつけられたような思いをする。何のために歌っているのか、歌とは何なのかということを厳しく自分に問い詰めることになる。そのため彼女のプロデビューは、1975年まで待たねばならない。


私が歌うわけは

一匹の仔猫

ずぶぬれで死んでゆく

いっぴきの仔猫


私が歌うわけは

いっぽんのけやき

根をたたれ枯れてゆく

いっぽんのけやき


私が歌うわけは

ひとりの子ども

目をみはり立ちすくむ

ひとりの子ども


私が歌うわけは

ひとりのおとこ

目をそむけうずくまる

ひとりのおとこ


私が歌うわけは

一滴の涙

くやしさといらだちの

一滴の涙

(「私が歌う理由」谷川俊太郎)


 谷川俊太郎は、死や孤独、沈黙の中に、人間の非力を見ていたのではないだろう。それらのものの悔しさと苛立ち、というものの実存にこそ、問い掛けたかったのだろう。

 1972年、美雪は教員課程を取っていたため、母校の柏葉高校で教員実習を行う。国語の実習にもかかわらず、美雪は壇上に立つと、

「私は将来、シンガーソングライターになるつもりです。実習に来たのは単位を取るためです」と挨拶し、いきなりギターを取って歌いだしたそうである。谷川俊太郎の詩にショックを受け、自らを追い詰めて、いったんはプロデビューを断念した美雪であったが、プロの歌手になるという情熱は失っていなかった。

 1974年、大学を卒業した美雪は、帯広に戻る。帯広での活動は前述したとおりであるが、その頃、ある雑誌に写真入で美雪の文章が載る。「私とレコード」というコーナーで、吉田拓郎について書いている。


 たかが歌でふと泣けたりする。その時の音楽の「価値」というのは一体どうやってつけるのだろうと思うのです。


 「たかが愛」という後年の歌を思い起こす。歌をなりわいとする中島みゆきにとって、「たかが愛」というのが悪い意味であるはずはない。その「たかが歌」の奥深さと、「価値」について自分を追い詰める、美雪の姿がある。

 

もしどこかで凄くひどい目に遭って落ち込んでいる人がいて、たとえばわたし歌を思い出してもらって「歌に出来る程度の子とじゃん」と思えば、少しは気も楽になるんじゃないか。歌に出来ないほどもっともっとつらいことってありますよね。歌に出来る限り、そんなことは屁でもないと、わたしは言いたいんですね。


 吉本隆明氏との対談で、彼女は言い切っている。

 (「marie claire」1991年11月号 中央公論社)


 1975年、美雪は、地元のアマチュア・アーティストばかりが出演する「ヤングフェスティバル」に出場する。帯広市のファッションタウン「ベル」の2階で、出演者は3人と1組。観客はわずか約60人。美雪はトップバッターでステージに立ち、「町へお帰り」などオリジナル曲数曲を歌う。このとき、美雪はヤマハから「ポプコン」出場を薦められるが、これを断っている。歌はコンテストなどで競い合うものではないし、まして賞などによって評価されるべきではない、と考えたのだろうか。

 断ったはずのヤマハから手紙が届く。内容は、


 賞が欲しいなら来ないでください。


 ヤマハはただ賞を与えるためだけのコンテストをしているのではない。まだ見ぬすばらしいアーティストを発掘するために、「ポプコン」をやっているのだ。リスナーの心を動かすことのできるものが結果として賞をとることが出来るのである。ヤマハはそう言いたかったのだろう。美雪はポプコン出場を決意する。

 前述の、旭楽器商会1階のスタジオで、応募テープを作成する。

 5月18日、静岡県掛川市にある、つま恋エキシビションホールで行われた第9回ポプコン本選会で、「傷ついた翼」を歌って入賞を果たす。

 同年9月25日、シングル「アザミ嬢のララバイ/さよならさよなら」のリリースでプロデビューする。

 プロデビューを果たしたものの、みゆきは既に、次の第10回ポプコンに作品応募しており、予選を勝ち進み、釧路帯広地区予選、北海道大会を通過し、本選会に勝ち進む。

 10月12日、つま恋本選で、「時代」という曲でグランプリを、受賞する。

 同年11月、第6回世界歌謡音楽祭で、「時代」はグランプリを受賞。中島みゆきは。洋々とした海原に、出帆することになる。
  


Posted by いざぁりん  at 00:44
こちらです。
http://news.yahoo.co.jp/feature/145
(以下は、コピーです)
「みなさん、見てください。朝ご飯、作ったよ。目玉焼き」。18歳の女子大生はスマートフォンを使い、朝食の風景を動画中継していた。それを何百人もの男性ユーザーが見守り、さらに現金に交換できる「プレゼント」を中継アプリを介して贈る――。中国の若者たちの間で、そんな光景が拡大中だ。「お金がたくさんほしい」「女優になりたい」と日常生活をさらけ出す女性たち。プレゼントを換金し、日本円で毎月200万円ほどを稼ぐ「中国版YouTuber」もいる。実際には会えない彼女らに向かい、男性たちはスマホに文字を打ち込む。「会いたかった」「愛してる、愛してる」「君は僕の永遠の女神です」と。その様子をこの動画で見てほしい。(Yahoo!ニュース編集部)

「美しくすればするほど、大勢が見てくれる」

北京市郊外に住むシュウ・ダバオさんは、自宅マンションから私生活を実況中継する。27歳。取材に訪れた日は、美少女風のメイクを施し、スマホの画面に向かった。他愛もないおしゃべり。手品も披露した。その間に中継を視聴するユーザーが次々と集まり、「いいね!」や「会いたかった」などの書き込みが乱れ飛ぶ。

いま中国で最も利用者が多いとされるスマホの動画中継アプリ「花椒(ふぁじょ)」。日本で言うと、ニコ生やツイキャスのようなサービスだ。その中で、彼女は発信者の人気ランキングでベストテンの常連だ。

中継は毎日欠かさない。1日数時間。「一番長くて1日10時間。ご飯を食べたり、テレビを見たり……全部中継する」「美しくすればするほど、大勢が見てくれる。自分も自信がつく」。美容師を自宅に呼び、準備を整えてから、登場することもある。

スマホで動画中継するアプリが、中国の若者の注目を集めている

シュウさんは、専門学校を出てペットのトリマーになり、念願のペット美容室を開業させた。転機は、スマホで動画中継を始めた昨年6月。美しさと明るいおしゃべりで、瞬く間に中国全土の男性から注目を集めるようになった。

フォロワーの数は3万8000人を数える。「以前の生活は、ペットの美容室がすべてでした。今は中継に集中しています」。アプリを通じて贈られるファンからのプレゼントを現金に換え、月200万円を稼ぐ。マンションの家賃は約23万円だ。

「彼女のいない人たちが、我慢できずにプレゼントをくれるんです。現実には私と会えないけど、それで彼らのプライドが満たされ、私の収入が上がる」「プレゼントはすごくうれしい。また稼げた、と。小さいプレゼントもうれしいけど、大きいプレゼントはさらにうれしい」

動画中継の発信者として人気のシュウ・ダバオさん

換金できる「プレゼント」が人気の秘密

シュウさんが活用する動画中継アプリ「花椒」はサービス開始から1年もたたないのに、ユーザー数がすでに3000万を超えているという。なぜ、そんなに人気があるのか。秘密のカギの一つは「プレゼント」にある。

中継画面の「プレゼント」コーナーには、「指輪」「飛行機」「スポーツカー」などのアイコンが並んでいる。それぞれに値段があり、見ている人がタッチ操作すると、相手に届く仕組みだ。しかも受け取った側は、それを現金に換えることができる。「飛行機」は1万5000円。一番高い「ハート」は3万5000円だ。

シュウさんを取材した日も、中継中に次々とプレゼントが届いた。「タマゴさん! ランボルギーニをありがとう!」。なかには私生活の実況で、年間1億円のペースで稼いでいる女性もいるという。

スマホ画面に表示されるアイコンを選ぶと、発信者に「プレゼント」を贈ることができる

世界第2位の経済大国・中国はネット大国でもある。利用者も急増中で、6億8000万人以上に達するという。一方、かつての「一人っ子政策」などの影響で、男性の数は女性より数千万人も多いとされ、「恋人がいない」「結婚したいけど相手がいない」という男性があふれてもいる。昨年6月にサービスが始まった「花椒」は、その“陰”を背景に急成長した。

アプリを開発した会社社長はこう話す。「今の若者たちは自分をアピールしたい。自分の生活をたくさんの人に見せたい。(とくに女性は)自分の美しさ、リアルな生活、才能をアピールしています」。中継するユーザーのほとんどは女性で、1万5000人が同時に中継するときもあるという。「たくさんの男性が(女性を)見たがっている。中継で交流もできる。自分の女神と直接会話しているみたいに」

中継の“監視”も怠らない。本社では24時間体制で動画をチェック。「肌の露出が多い」「下品」などの理由で、既に300人以上のユーザーを削除したという。

ファンの男性たちは何を望む?

「女神」の私生活中継に夢中になる男性が増えている

「有名になりたい」「プレゼントで服を買う」――。そんな夢と欲を持って、男性を引き寄せる女性たち。では、そこに吸い寄せられる男性たちはどんな日々を送りながら、何を願ってスマホを握るのだろうか。

「中国版YouTuber」とでも呼ぶべき彼女たちや、そのファンである男性たちの生の声を、この動画は伝えている。もしかしたら、あなたに通じるものがあるかもしれない。

  


Posted by いざぁりん  at 02:44
こちらです。
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160422-00010008-bjournal-ent
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 今年1月の独立騒動も収束したはずの人気ジャニーズアイドルグループ・SMAPが徐々にメディアから姿を消し始めている。一部スポーツ紙が報じたように、ユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)のCM契約が任期満了に伴い3月末で終了。これで、SMAP全員が揃って出演するCMはなくなった。大手広告代理店関係者は語る。

「広告はイメージが一番大事。SMAPのメンバーが悪いわけではありませんが、“公開処刑”とも呼ばれた、独立騒動についてフジテレビで“生謝罪”した時の印象は、決してよいものではありません。所属するジャニーズ事務所という有力芸能事務所に関しても極めて悪い印象が人々のなかに植え付けられてしまいました。事務所幹部は釈明会見などを一切やっていませんし、各スポンサーへの説明・謝罪を兼ねた挨拶回りもできていないようです。これでは、企業から信頼を失っても仕方がないです。もっとも、それが事務所からのSMAPへの制裁なのかもしれません」

 今後はメンバー個人での活動が中心となると見られているが、4月スタートの今クール連続テレビドラマにおけるジャニーズタレントの顔ぶれをみても、嵐は大野智が『世界一難しい恋』(日本テレビ系)で、松本潤が『99.9-刑事専門弁護士-』(TBS系)で主演するのに対し、SMAPでは稲垣吾郎が『不機嫌な果実』(テレビ朝日系)に出演するが“6番手”でのキャスティング。

「公式HP上ではメインキャスト6人の顔写真が同じサイズで掲載されているので、一般的には気付かれませんが、ドラマでも映画でも目に見えないようなかたちで、必ず出演者には何番手かという順位が付けられます。報道陣用の資料に書かれた名前の順番を見れば、稲垣が6番手ということは明らかです」(テレビ雑誌編集者)

 さらに同編集者は、SMAPの置かれた状況の厳しさについて次のように語る。

「稲垣ほどの実績や活躍を考慮しても、3番手くらいはあっても、6番手という脇役扱いは通常では考えられません。テレ朝は昨年4月に放送した『アイムホーム』で木村拓哉を主役に起用し、SMAPとテレ朝も絆を深めたはずです。その立役者であるSMAP元マネージャーで今回の独立騒動の引き金を引いたとされるAさんがジャニーズ退職に追いやられました。今やメリー喜多川副社長の目の黒いうちは、テレ朝でもSMAPを大々的に起用しづらい状況のようです」

 メリー氏の長女である藤島ジュリー景子副社長がデビュー当時から手掛ける嵐の活躍との差が開くばかりのSMAP。契約更新時期である今秋には、まだ解散・分裂の可能性が十分にあるという見方も強い。なかでも冠番組4本、司会を務める番組は6本とバラエティで活躍する中居正広の独立説はいまだにくすぶっている。このままSMAPは自然消滅してしまうのであろうか。  


Posted by いざぁりん  at 02:44
こちらです。
http://paris-tokyo.cocolog-nifty.com/blog/2008/02/post_33fd.html
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”のだめカンタービレ”の設定では、”のだめ”が”パリのコンセルヴァトワール”に入学する時点の年齢は、23歳!これでは、年齢制限(ピアノ科は22歳以下)に引っかかり、”パリ国立高等音楽院(CNSM)”のピアノ科には入学出来ない・・・。友人から借りた”のだめカンタービレ キャラクターBook”の中の”のだめ”年表を見て、これに気が付いて、ビックリ!

な~るほど。だから、”パリのコンセルヴァトワール”に入学と、ボカしてあったんですね。あらあら・・・。(”パリ国立高等音楽院(CNSM)”ピアノ科の年齢制限が、23歳以上になったことはない筈。)

私、すっかり勘違いしておりました。「”のだめ”は、”パリ国立高等音楽院(CNSM)”に入学」という設定だとばかり思って、”のだめ”関連の記事を書いておりましたが・・・。(おそらく、記事の内容に間違いはないと思いますけれど。)

22歳であれば入学可能。たった1歳の違いは大したことではないというのが、ごく普通の見解でしょう。けれども、留学を考える方にとっては問題です。
  


Posted by いざぁりん  at 02:43

2016年04月26日

しかえししないよ

こちらです。
http://publications.asahi.com/ecs/detail/?item_id=17999
しかえししないよ 単行本 – 2016/4/20

日野原重明 (著), いわさきちひろ (イラスト)

内容紹介

いのちを大切にするとは
いのちを上手に使うこと
つまり君のもつ時間を
君だけでなく誰かのために使うこと

いじめは友だちのもつ時間を奪い
いのちを傷つけるもの
だからいじめは止めようよ

そして
たとえ誰かにいじめられても
殴り返したり
言葉でやり返すことはやめて
じっとこらえてこう言おうよ

僕は、しかえししないよ
いっしょにグラウンドに出て
サッカーをしようよ

――「しかえししないよ」より――

  


Posted by いざぁりん  at 02:43
こちらです。
http://www.jrc.or.jp/contribute/help/2016_1/index.html
(以下は、コピーです)
平成28年4月16日に発生したエクアドルの海岸部を震源とするマグニチュード7.8の地震により、大きな被害が出ております。

この災害で被災された方々を支援するため、下記のとおり救援金を受け付けます。

皆さまの温かいご支援をよろしくお願いいたします。

ご寄付いただいた救援金は、エクアドル赤十字社の救援活動に充てられます。

義援金名称:2016年エクアドル地震救援金

受付期間:2016年4月20日(水)から7月29日(金)まで

協力方法

下記の方法によりご協力ください。
※受領証の分割発行はいたしかねますのでご了承ください。

1.郵便振替(ゆうちょ銀行・郵便局)

口座記号番号 00110-2-5606

口座加入者名 日本赤十字社
※窓口でのお振り込みの場合は、振込手数料は免除されます。
(ATMによる通常払込みおよびゆうちょダイレクトをご利用の場合は、所定の振込手数料がかかります)
※窓口でお受け取りいただきました半券は、受領証に替えることができます。
(寄附金控除申請の際にご利用いただけますので、大切に保管してください。)
※窓口でのお振り込みで受領証をご希望の場合は、振替用紙の通信欄に「受領証希望」と明記のうえ、お名前、ご住所、お電話番号を記載してください。
※窓口以外(ゆうちょダイレクト等)でのお振込みで受領証をご希望の場合は、「受領証希望」の旨と下記①~⑧を日本赤十字社パートナーシップ推進部あてFAXにてご連絡をお願いいたします

①義援金名 ②氏名(受領証の宛名) ③住所 ④電話番号
⑤寄付日 ⑥寄付額 ⑦振込人名 ⑧口座番号

記入例

2.銀行振込

三井住友銀行 すずらん支店 普通 2787755
三菱東京UFJ銀行 やまびこ支店 普通 2105760
みずほ銀行 クヌギ支店 普通 0623366
※口座名義はいずれも「日本赤十字社(ニホンセキジュウジシャ)」。
※ご利用の金融機関によっては、振込手数料が別途かかる場合があります。
※お振込みの際は、下記ボタンから事前にご登録のうえお手続きをお願いします。受領証をご希望の方は、事前登録画面で「受領証希望」を選択すると、後日、登録のご住所に郵送させていただきます(所得税等の税控除を受ける際には、受領証が必要です)。

事前登録はこちら
※事前登録がうまくいかないなどの場合は、「受領証希望」の旨と下記①~⑧を日本赤十字社パートナーシップ推進部あてFAXにてご連絡をお願いいたします。

①救援金名 ②氏名(受領証の宛名) ③住所 ④電話番号
⑤寄付日 ⑥寄付額 ⑦振込人名 ⑧振込先金融機関名・支店名

3.クレジットカード・コンビニエンスストア・Pay-easyによるご協力

上記「事前登録はこちら」をご利用ください。


担当窓口

日本赤十字社 パートナーシップ推進部

TEL: 03-3437-7081 FAX: 03-3432-5507
  


Posted by いざぁりん  at 23:24
オスプレイは、危険な航空機です。
http://bylines.news.yahoo.co.jp/yanaihitofumi/20160422-00056903/
(以下は、コピーです)
産経新聞は4月20日、ニュースサイトに「一部メディアのオスプレイ叩きに被災者から批判の声 『露骨な政治的パフォーマンスでは…』」と見出しをつけた記事を掲載した。当初、この記事には、オスプレイMV-22の事故率が海兵隊平均より低く、「この数字は大韓航空や中華航空よりも低いという」と記されていたが、同日中にこの部分を含む一部記述が削除された。サイトには、この記述を削除したことや訂正文は記されていない(参照=産経新聞ニュースサイトの記事)。
一部記述が削除された産経新聞ニュースサイトの記事(冒頭ページの一部、当初の掲載時刻は「7時26分」)一部記述が削除された産経新聞ニュースサイトの記事(冒頭ページの一部、当初の掲載時刻は「7時26分」)
この記事は、熊本地震で在日米海兵隊の垂直離着陸輸送機オスプレイMV-22が支援活動に当たったことについて、複数の日本メディアが批判的に報じたことを問題視したもの。削除された部分は「米当局が明らかにしたMV22のクラスA事故率は1・93で、海兵隊の平均事故率2・45を下回る。この数字は大韓航空や中華航空よりも低いという」と記載されていた。この「クラスA事故率」とは、10万飛行時間あたりの「クラスA」の事故率で、防衛省が2012年に米側資料に基づいて公表されている。米軍独自の基準で、被害総額が200万ドル以上あるいは死亡等の重大な結果を引き起こした場合が「クラスA」とされている(参照=防衛省の2012年9月発表資料)。

一方、民間航空機については、たとえば国際ビジネス航空協議会(IBAC)が10万飛行時間あたりの事故率を公表しているが、米軍の「クラスA」と同様の方法で事故率が発表されている事実は確認できなかった。そのため、MV-22の「クラスA」の事故率が「大韓航空や中華航空よりも低い」という指摘は、裏付けとなるデータがなかった可能性が高い。

産経の記事は当初、20日午前7時26分ごろにニュースサイト上に掲載された後、同日正午ごろに差し替えられたとみられる。記事は22日正午現在、産経ニュースサイトで過去1週間のアクセスランキング1位となっている。Yahoo!ニュースに掲載された記事も、同じ箇所が削除され更新されていたことを確認した。

産経の記事で削除された記述は、以下のとおり(削除されたのは太字部分)。


一部メディアのオスプレイ叩きに被災者から批判の声 「露骨な政治的パフォーマンスでは…」

…(略)…

そもそも、日米同盟がある以上、被災地支援に利用できる米軍の航空機を使用するのは当たり前で、政治的な判断を必要とするのも当然だ。オスプレイ投入を政治利用と腐し、自衛隊の存在そのものに否定的な勢力の論法だと、自衛隊の災害派遣も、自衛隊を正当化する政治利用だということになりはしないか。

こうしたメディアが振りかざすオスプレイの危険性も事実からは遠い。

米軍は事故について、死者や200万ドル(約2・1億円)以上の損害が出た事故をクラスA、より軽微な事故を順番にクラスB、Cとランク付けしている。

米当局が明らかにしたMV22のクラスA事故率は1・93で、海兵隊の平均事故率2・45を下回る。この数字は大韓航空や中華航空よりも低いという。

これまでもオスプレイは沖縄県の普天間飛行場への配備時など、執拗な批判にさらされてきた。しかし、物資輸送をはじめ、災害発生間もない被災地のさまざまな需要に応じるため、オスプレイを活用しない理由はない。主力輸送ヘリCH46と比べ、速度は約2倍、航続距離は約4倍で、積載量も約3倍といずれの性能も上回るからだ。

救援活動での活躍は、ことさらオスプレイの危険性を強調し、過剰ともいえる議論をリードしてきた一部メディアにとっては“不都合な真実”になりかねない。しかし、露骨な反対運動のアピールは、逆に被災者や関係者の怒りや失望を買うだけではないか。

(産経新聞ニュースサイト2016年4月20日07:26掲載)
  


Posted by いざぁりん  at 23:23
マイナンバーは、違憲です。
http://bylines.news.yahoo.co.jp/kandatoshiaki/20160422-00056922/
(以下は、コピーです)
KNNポール神田 阪神大震災被災者です。

安倍晋三首相は21日、熊本地震に対応する政府の非常災害対策本部会議で、2016年度の普通交付税を22日に繰り上げ交付すると表明した。熊本県と南阿蘇村など16市町村を対象に、合計421億円を交付する。

首相は会議で、被災者の避難が長期化しているのを踏まえ「被災者の不安やストレスへの対応が急務だ」と強調した。熊本県は21日、県内全域に被災者生活再建支援法を適用すると発表。住宅が損壊した被災者に最大300万円を支払い、住民の生活支援を本格化させる。

出典:交付税421億円、22日に前倒し 熊本県と16市町村に
被災地で暮らす被災者にとって、一時的とはいえ震災の見舞金にあたる交付金ほどありがたいものはない。交付金の前倒しは、避難所では悲願でもある。しかし、次の課題は、「いつ」「どうやって」交付するかの早期の発表だ。まずは、交付時期さえ明確にすれば、避難所を離れられる人はたくさんいると思われる。今は1人でも、避難所から卒業できる人を、後から不公平なく保障できるかが重要だ。「いつ」と「どうやって」のインフォメーションもセットで発表しないかぎり、避難所に留めさせることを助長するばかりだからだ。

早くても○月○日、交付時期の早期の発表が必要!

まずは、交付時期さえ明確にすれば、避難所を離れられる人はたくさんいる。もうこの段階で、どれだけがんばっても、連休前には無理だろう。しかしだ。どれだけ早急に交付するとしても、「5月以降と発表」すれば、今日、明日から避難所を離れるだけで、1週間以上は現場を離れられる人がいる。それをどこの誰が、避難所を離れたという事実のみを客観的に記録する必要がある。それだけ証明するだけで、避難所を離れることはできる。もちろん、避難所を早く離れた人ほどコストが発生しているのだからその分補償できれば、避難所にいるメリットは少なくなる。このスキームが重要だ。被災者を出来る限り、避難所から卒業できる仕組みが必要なのだ。

マイナンバーの役割は『災害対策』と『被災者生活再建支援金の支給』『被災者台帳』

現実味は限りなく低いが、こんな時だからこそ、約3,000億円かけてスタートした悪名高い「マイナンバー」の役割を積極的に活用すべきなのだ。もう一度、マイナンバーの政府広報のサイトを確認してみよう。大きく『災害対策』が、大きく謳われているのだ。
マイナンバーの3大機能のひとつは『防災』マイナンバーの3大機能のひとつは『防災』
http://www.gov-online.go.jp/tokusyu/mynumber/point/#sec1

誰も持っていないマイナンバーを使っても意味がないということではなく、持っている人には迅速に『被災者生活再建支援金の支給』と『被災者台帳』が作れるということをこの震災で証明すべきなのだ。すでに1週間が経過しても使われていないことのほうがおかしいのだ。

なぜ?もっと国民は声高に、「熊本、大分の皆さんにマイナンバーを使って交付金を一日でも早く配布せよ!」と政府に対して煽らないのか?そう、それはマイナンバーが実際に普及していないからだ。しかしだ。もう直接費だけでも3,000億円、国民全員から2500円は集めて作られた仕組みが2016年1月から本格稼働してしまっているのだ。この甚大な震災に活用しないことは理不尽なのだ。いちはやく、マイナンバーを活用し、今日にでも、『被災者生活再建支援金の支給』すべきなのだ。それが、できなければ、2016年1月から本格運用されているマイナンバーなんて、やめてしまえと言いたい。こんな時に使えないマイナンバーに3000億円もかけてしまっているのか?

当然、普及していないマイナンバーを使うのは批判にさらされることだろう。

しかし、無理やりマイナンバーを押し付けたのだから、最大限に活用して、マイナンバーで即日交付を実現すれば、国民にマイナンバーの有用性を初めて知らしめるチャンスでもあるのだ。もしかすると、甚大な震災時には、指紋や虹彩でマイナンバーがなくても個人が証明できるというくらいのシステムが必要なのかもしれない。

インドのUIDAIカードは個人を証明するのにとどめたから普及した

インドですでに9億人に普及しているインド版マイナンバー「インド固有識別番号庁(UIDAI)」は、10本の指の指紋と虹彩で個人を証明できる。

http://forbesjapan.com/articles/detail/10317

マイナンバーカードを持っていなくても、瞳や指をかざせば、すぐに震災の交付金がもらえるしくみは、これだけ地震の多い日本には絶対に必要だ。強制でなくても、任意でも登録するメリットが多ければインドのように普及するはずだろう。また、インドのUIDAIの場合は、個人を証明するだけで、それ以上の情報は何も持たせないところがミソだ。日本のマイナンバーは職場やら、税金やらをなんでもヒモづけてしまうから普及しないし、使いたくもないのだ。

しかし、まずはマイナンバーを持っている人には、こんなメリットがあったという規制事実を作るだけではなく、本来のマイナンバーの役割をきちんと果たさせる声をしっかりとあげるべきだと思う。IT化を進めてもそれを利用できるリテラシーがともなわなければ、それは意味がない。
  


Posted by いざぁりん  at 23:22
こちらです。
http://digital.asahi.com/articles/ASJ4Q3TNVJ4QULBJ00H.html?rm=312
(以下は、コピーです)
 ウクライナのチェルノブイリ原発で史上最悪の事故が起きてから26日で30年を迎える。

 背丈を超える枯れ草をかき分けて進むと、点在する崩れた赤れんがが見えてきた。小学校の校長だったスベトラーナ・カリストラトワさん(68)は「ここだったかな?」と迷いつつも、なんとか元自宅にたどりついた。5年ぶりだった。

 原発の西約40キロにあった旧ボロービチ村。マツとシラカバに囲まれた465戸に約1100人が住み、コルホーズ(集団農場)で働くのどかな農村だった。

 村の歴史は1986年4月26日に止まった。放射能の汚染で住めなくなった。

 記者は15年前も一緒にこの旧村を訪れた。当時はスベトラーナさんの家は形をとどめ道路もわかった。

 事故から30年を経た今、屋根が落ちて形が崩れ、れんが壁の間には床材、屋根材が折り重なっていた。スベトラーナさんは「この玄関の前にバラを植えていた。ここが居間……」と言いながら泣き出した。

 家は事故直前に完成した。赤い屋根の2階建ては家族4人の夢だった。「ここで結婚し、子どもを育てた。私の人生の大事なことはすべてこの村にある」

 一緒に訪れた次男のボロージャさん(37)が事故前に家の庭に植えたシラカバは40メートルほどの大木に育っていた。近くにある行政庁舎の床には新聞や書類が散らばっていた。村は森に戻りつつある。

■「帰りたい」人も思いも消えてゆく@村ごと離散したボロービチ

 スベトラーナ・カリストラトワさん(68)が住んでいた旧ボロービチ村は今も立ち入り禁止だ。春のイースター(復活祭)のころ墓参が認められている。お墓は年々、草で埋まっていく。

 旧村の住民は、新たに建設された四つの村に分かれた。その一つが、ウクライナの首都キエフの南西30キロにある新ボロービチ村だ。旧村と同じ名前がつけられ、原発事故の4カ月後、109戸で始まった。

 新しい村は同じ形の家が並ぶ。集会所にはお年寄りを中心に約40人が集まっていた。「旧村が恋しいですか?」と聞くと、ニーナ・テレシェンコさん(78)は「多くの人は帰りたいと思っていた。しかし、もう死んでしまった」。そう言って、1枚の写真を見せた。旧村で生まれた娘レイサさんが5歳のころのものだ。レイサさんは1994年に白血病でなくなった。14歳だった。

■世代で断絶

 記者がこの新ボロービチ村を初めて訪れたのは90年。「早く村に帰ろう」という熱気があった。老人たちは「原発事故から4年が経つのに放射能は減らないという。本当だろうか」と問いかけてきた。

 その後、何度か訪問したが、故郷への熱は引いていった。帰還できないことがわかるとともに、旧村を知る人たちが減った。いま村に50歳以上の男性はほとんどいないという。

 村長のリュドミラ・サブチェンコさん(34)は「村の雰囲気は変わった」という。「老人は昔の村を懐かしがるが、若い人はキエフに通勤できるここの生活を好んでいる」。旧村と縁のない新住民も増えた。

 老人の死とともに「望郷」も消えつつある。同じ村にいても共通のふるさとをもたない。30年という時間が世代間に断絶をつくっていた。

■記憶を刻む

 スベトラーナさんは2005年まで約15年間、新ボロービチ村の村長を務め、すべてを見てきた。

 旧村を離れた直後、避難者は一つの住宅に2、3家族が入った。殴り合いのけんかも起きた。

 91年には被災者支援を担っていた旧ソ連が崩壊した。90年代半ばの経済危機では集団農場の経営が悪化、給料遅配や現物支給が続いた。

 13年前に夫のユーラさんを病気で亡くした。3年前には母をみとった。今はチェルノブイリ地域の子どもたちを支える慈善基金の役員をしているが、「国内外の関心も薄れ、支援が集まらない」。

 旧村出身者は最近、新村の空き家に「博物館」をつくった。かつて使った農機具、民族衣装、伝統の刺繡(ししゅう)、記念写真などを飾る。

 そこに1枚の紙がある。

 「1986年に疎開者357人で村が始まった。2016年までに165人が死亡、94人が誕生。がんによる死亡は21人。内訳は肺がん8人、胃がん4人……。現在、甲状腺がんの発症が3人……」

 自分たちの苦難の記憶までが断絶しないよう、刻みつけていた。

■「汚染度減」でも遠い自立@優遇減ったノボズィプコフ

 放射能レベルが下がった町で問題が起きている。

 チェルノブイリ原発から北東へ180キロにあるロシア・ブリャンスク州のノボズィプコフ市。人口4万2千人。2人の娘の母オクサナ・イナシェフスカヤさん(33)は「ここは避難ゾーンでした」と話す。

 同市は30年前の事故で高濃度に汚染され、「強制移住地域」に次いで2番目に汚染度が高い「本来は移住すべき地域(避難ゾーン)」とされた。しかし、旧ソ連の崩壊、市の規模が大きかったことなどで移住は頓挫した。

 市民は生活を続けた。農業、畜産は禁止され、小麦加工、肉、バター工場の閉鎖で雇用が消えた。地元の農産物を食べられない、木を燃やせないなどの制約もあったが、様々な優遇措置を受け、域外からの食料品を買って暮らしてきた。

 この生活が昨年10月に大きく変わった。ロシア政府が汚染地の分類を見直し、同市の多くは汚染度が3番目の「移住してもいいし、住んでもいい地域」になったからだ。優遇措置が切り下げられた。

 住民は怒っている。補償金、住宅の税金免除、有給休暇の増加など優遇は「4人家族で収入の2割相当」といわれた。それがほぼ半減する。年金受給の開始も5年延びる。

 産後の3年間、働けない母親に出る手当も削減される。この手当は額も大きく生活の支えだ。「母親の会」が大反発した。議長を務めるオクサナさんは「プラカードをもって行政庁舎前で訴えるなど反対運動を展開し、7月までは実施しない約束をとりつけた」。

 行政当局は「優遇措置に依存した生活を変えよう」という。だが、そもそも給料をもらえる職が少ない。農業、畜産の禁止や工場の閉鎖は今も続いている。

 根本的な問題は、放射能が土地と生活を分断していることだ。そこが変わらないまま、新たな線引きでさらに追い詰められる。ある年金生活の男性(77)は「原発事故は我々の責任ではない。急に分類が変わったといって手当を下げるのは納得できない」。「今さら『きれい』と言われても困る」が住民の思いだ。

 今回の見直しの背景にはロシアの財政難があるとされる。今後、どこの汚染地でも直面する問題だ。

 地方議員のドミトリー・シェフツォフさんがある学校に案内してくれた。幼稚園児と小学生が10人ずつ。閉鎖を迫られている。若者が仕事を求めてモスクワなど大都市に出るため、子どもの減少が止まらない。ドミトリーさんの悩みは深い。「相次ぐ学校の閉鎖は地域の衰退の象徴。何とか守りたいが、根本的にはどうすればいいのだろう」

■故郷との距離、多様な選択支えて

 原発事故の実態は被災地の日常にある。そう思って1990年からチェルノブイリに通っている。5回目となる今回は雰囲気が違った。「福島はどうなっていますか?」という逆質問と同情が多く寄せられた。

 チェルノブイリの特徴は畑や森の大規模除染をせず、疎開した土地への帰還を原則、認めないことだ。住民は家と土地から引き離され、地域コミュニティーは崩壊した。慣れた職を失い、精神的に追い詰められた。

 ただ、故郷への思いはさまざまだ。「ここで死んでもいい」と汚染された無人の村に戻った「サマショール」(わがままな人)と呼ばれる老人もいれば、「首都で近代的住宅を与えられて幸せ」という若い人もいる。

 日本は「できるだけ除染をして帰還してもらう」という政策だ。除染に力を入れるのは経済力があるからだが、その力を被災者の多様な生き方を支えることにも向けてほしい。放射能が残る中、故郷に帰りたい人もいれば、新しい場所での生活を望む人もいる。どちらを選ぶのも基本的な権利だ。

 今回の取材では年月の経過を実感した。90年代に話を聞き、一緒に写真を撮った老人たちはもういない。30年は人間では一世代。人生は全く変わってしまう。一方、主な汚染源のセシウムでは半減期1回分。まだ半分が残る。人生の短さ、放射能影響の長さの両方を考えた対策が必要だ。

 チェルノブイリは厳しい風化の中にある。経済低迷や紛争で関係国の財政状況は悪く、様々な支援が削られている。日本もやがて同じような悩みにぶつかるだろう。チェルノブイリの今をよく見ておきたい。

     ◇

 〈チェルノブイリ原発事故〉 1986年4月26日未明にチェルノブイリ原発4号炉で発生した。外部電源を失った場合のテストで出力を下げて運転中に原子炉が暴走して爆発。炉心がむき出しになり火災が続いた。10日間で放出された放射性物質は、東京電力福島第一原発事故の約6倍とされる約520万テラベクレル(テラは1兆)。欧州の広い範囲も汚染され、一部は日本にも届いた。高濃度汚染地域はウクライナ、ベラルーシ、ロシアの3カ国にまたがり、避難者は約40万人とされる。原発の周囲約30キロ圏などは、今も立ち入りが厳しく制限されている。
  


Posted by いざぁりん  at 23:22
こちらです。
http://sirabee.com/2016/04/21/112131/
(以下は、コピーです)
4月14日に起こった熊本震災。20日には、これまでに59名の死者が出たと発表され、いまなお安否不明者もいる。強い余震が続く中で、被災地は苦難の生活を強いられている。

そうした状況で、芸能人がSNS上で地震に関連する情報やコメントを発信するたび、ネット民から「不謹慎だ」と批判の声が聞こえているのである。

■ネットで不謹慎狩りが横行

これまでにネット民から叩かれた芸能人は、モデルで歌手の西内まりや、女優の長澤まさみなど。

西内は被災者を思ったコメントや「非常時に必要なもの一覧」を紹介する投稿をしていたのだが、これが「アピールだ」と一部から受け取られてしまったよう。

また長澤は、地震発生直後に女優のりょうたちと一緒に撮った笑顔の写真を載せたのだが、これがまた反感を買ってしまったのだ。

そうした中、お笑いコンビ・ウーマンラッシュアワーの村本大輔が不謹慎狩りに一石を投じるツイートをしたことが、各方面で反響を呼んでいる。

この指摘には、不謹慎狩りに違和感があった人々の多くが賛同した。

■不謹慎狩りをするネット民の特徴

編集部では、こういった現象について詳しいITコンサルタントの30代男性に、不謹慎狩りが横行する背景を聞いてみた。

「こういった大災害が発生した場合に、世間の注目は被災地一点に集中します。そのとき話題の中心になるのは、もちろん被災された方々。

それと同時に注目されるのは、迅速に行動を起こして現地でさまざまなサポートをする人たちや、もしくは多額の義援金等で間接的に支援を表明する人たちです。いわば、助けを求める者とヒーローの図式ですね。

ですがこのとき、ネット上には事態のなりゆきを見守るどちらにも属さない傍観者が膨大にいる。彼らは震災のような緊急事態のときほど、自分がなんの注目もされない無力な一般人であることを逆にまざまざと思い知るわけです。

こういった蚊帳の外の人たちのねじれた承認欲求のようなものが、今不謹慎狩りといわれるような行動を起こすネット民たちの本質なのではないでしょうか。要は、不謹慎を取り締まった気で満足しているただのかまってちゃんってことですね」

こうした冷静な分析を見ると、不謹慎狩りはネットで巻き起こる炎上事案の背景にも通じるものがあるのかもしれない。
  


Posted by いざぁりん  at 01:02