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”炎上”の経緯おさらい

ある高校3年生が、子どもの貧困に関するイベントで、当事者として発言した。

それをNHKが7時のニュースでとりあげた。

50万円の学費が工面できずに好きなデザイン系の専門学校に進学できないこと、家が貧しくてクーラーがないことなどが映し出された。

特に、視聴者に強い印象を与えたのが「1000円のキーボード」だった。

中学生のとき、パソコンの授業についていけなくなったとき、母親が「パソコンは買ってあげられないが」と買ってくれたものだったという。

ところがその後、彼女が好きな映画を6回見ていることや、7800円のコンサートチケットを買っていること、好きなマンガの関連グッズを買って「散財した!!!」と書いていることなどがツイッターの発言履歴からわかった。

“炎上”した。

国会議員の片山さつき氏がNHKに説明を求めた。

氏のツイッターによれば、NHKは「貧困の典型例として取り上げたのではなく、経済的理由で進学を諦めなくてはいけないということを女子高生本人が実名と顔を出して語ったことが伝えたかった」と説明した。

――こういうことがあった。

「裏切られた感」が”炎上”を招いた

高校生のツイッターを見て、怒りを覚えた人たちの気持ちはわかる。

番組を見て「1000円のキーボードしか買えないほど家計が苦しい」という印象を受けたのに、実態が違う。

だまされた、と感じる人はたくさんいただろう。

その「裏切られた感」が“炎上”を招いた。

彼女は、番組から印象付けられたほどには貧しくない、

過剰に貧しさを演出するのは行き過ぎではないか、と。

それが「ねつ造」という批判になった。

ねつ造されたのは「貧困」だ。

彼女は「貧困」でないのに「貧困」とねつ造されたのだ、と。

相対的貧困状態とは矛盾しない

それに対して「いや、それも貧困なんです」という反論が出ている。

いま日本で言っている「貧困」は「相対的貧困」のことであり、

それは彼女のような「趣味に使えるお金がないわけではないが、まとまった進学費用は用意できない」という低所得家庭を含む。

単身者で約122万円、2人世帯で約173万円、3人世帯で約211万円、4人世帯では約244万円までは、日本政府の定義で「相対的貧困」であり、

相対的貧困状態であっても上のほうは、衣食住にも事欠く状態ではない。

でも、定義上「貧困」だ。

したがって、彼女が同じ映画を6回見ようと、7800円の観劇をしようと、1000円以上のランチを食べようと、

それは相対的貧困状態の中でのやりくりの話であって、相対的貧困状態であることと矛盾しない、と。

だから、彼女は「(絶対的)貧困」ではないだろうが「(相対的)貧困」であり、「子どもの貧困」というタイトルの下に彼女をとりあげても問題ないし、

彼女の消費実態は「進学できない」という番組の中心的要素に比べて枝葉の問題なので、とりあげなかったことも問題ない。

だから「ねつ造」という批判は当たらない、と。

理屈は正しくても腹落ちしていない、「格差」と「貧困」

この反論は、理屈の上では正しく、私もそのように言ってきた。

と同時に、今回の“炎上”は、その理屈を十分に普及・浸透させられていない、より多くの人に「腹落ち」してもらっていない、という私たちの力不足を示している、とも思う。

「貧困」といえば、当然に衣食住を欠くほどに貧しいことを指す、と考える人は依然として多い。

周りの人ができることができない(「みんなが修学旅行に行くのに、自分だけ行けない」)といった相対的落ち込みは、日本ではむしろ「格差」の問題として語られてきた。

衣食住に事欠くほどの「貧困」なら、社会的に「なんとかすべき」だが、

「格差」なら、ある程度は許容できるし、許容すべきだというのが、大方の理解だ。

ではその「格差」と「相対的貧困」は、どういう関係にあるのか。

改めて考える「貧困」と「格差」

格差はある程度までは「あって当然」のものである。

たとえば「経済的格差ゼロ」の世の中は考えにくいし、もしあったら気持ち悪い。

むしろ、ある程度の格差がなければ資本主義は成立しないだろう。

差異(違い)は多様性の源だからだ。

ところが、「ある程度」を超えると、格差は社会に対してマイナスに作用し始める。

活力の源泉ではなく、活力をそぐ方向に機能し始める。

副作用が目立ち始める。

個人単位では、ある程度の格差は努力の源泉になる。

「自分だって、やってやる」と。

しかし、ある程度を超えると「あきらめ」「絶望」が生まれ始める。

「どうせ無理」「やっても無駄」と。

その怖さはみんなが知っている。

だから繰り返し言う。

「夢や希望をもてるように」と。

社会単位では、ある程度の格差はイノベーションの源泉になる。

「より多くの教育投資」「他社よりよいサービス」「さらに便利な商品」。

しかし、ある程度を超えると「排除」が生まれ始める。

進学できない、健康被害、社会的孤立、自殺、「誰でもよかった殺人」……。

これは社会の活力をそぐ。

「ある程度の許容範囲の格差」と「過度の格差」の境界を示すメルクマールが「相対的貧困」だ。

これを超える落ち込みを示す人たちが増えると、消費は停滞しますよ、活力はむしろそがれてしまいますよ、社会は不安定化しますよ、と。

だからOECDのような国際機関が、手間暇かけてデータを収集し、報告書をつくり、各国に検討を促している。

日本政府も、それがわかっているから、相対的貧困率を発表し、「一億総活躍」を謳い、最低賃金をかつてないペースで引き上げている。

相対的貧困指標の”限界”

もちろん「相対的貧困」は機械的な指標であり、あくまでメルクマール(目安)にすぎない。

相対的貧困は「所得の中央値の2分の1未満」を指すが、「2分の1未満」に明快な根拠はない。

「2分の1未満」という指標は、OECD(経済協力開発機構)が設定した共通指標にすぎない。

現にEUは、独自に「所得の中央値の60%未満」をメルクマールにしている。

日本が独自に「所得の中央値の40%未満を『過度の格差』と認定する」と設定することも可能だ。

社会的な目安なので、個人差を言い出せば、あてはまらない人たちも大量に出てくる。

極貧だったからこそがんばって成功した、という人がいるだろう。

その人にとっては、過度の格差こそが自分の活力の源泉だった。

中途半端な違いでは、むしろ「燃えない」と感じる人だっているだろう。

特に日本は、「奇跡」と言われた高度経済成長を体験した国だ。

敗戦で生まれた欧米との巨大な格差を埋めてきた経験を持つ。

急速に生活が豊かになり、社会的地位の上昇のチャンスも多く、幼少期にとても貧しかった経験を持つ人が、功成り名を遂げている事例は少なくない。

しかも、その体験を自身の体験として持っている世代が、まだ健在だ。

大きな格差に対する社会的な許容度は、良い悪いは別にして、欧米諸国よりも高いと言っていい。

他方、わずかな違いで深く傷つく人たちも、当然いるだろう。
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親の方針によって左右される子どもの消費行動

子どもについては、さらに「はずれ値」の増える可能性がある。

多くの場合、子ども自身には収入がなく、子どもの懐具合は親が決める。

家庭的には裕福でも、親の教育方針によって子どもにわずかな小遣いしか渡さない家があるだろう。

その家の子は、貧困家庭の子どもよりも自由にできるお金が少ないかもしれない。

貧困家庭でも、自分のアルバイト代は全額自由に使えるという家もあるだろう。

その子は、他の子よりも「羽振りがよい」かもしれない。

家にお金がなくても、子どもにはスマホやゲーム機を買い与えようとする家もあるだろう。

反対に、家にお金があっても、子どもにはスマホやゲーム機を買い与えないという家もあるだろう。

買い与えることが、教育のためなのか、単に子どもにせがまれたからなのかによって、「意味」も違ってくるだろう。

子どもの消費実態が、家全体の所得の多い少ないをどこまで反映しているか、大きな傾向は示せても、個々に見れば「その通りではない」事例は数多く見いだせるだろう。
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それでも言えること

したがって、機械的な指標である相対的貧困の状態にあることが、その家庭の行動を一義的に説明してくれるわけではない。

また、子どもの消費行動が一律に決まるわけでもない。

それでも、おそらく、以下のことは言える。

1、相対的貧困率が傾向的に高まっていく国は、中長期的な発展についての疑問符がつく。

日本は2006年15.7%、09年16.0%、12年16.1%と相対的貧困率が傾向的に高まっている。

傾向的には下がっていくほうが、国の健全性にとって望ましい。

また、子どもの貧困率は、06年14.2%、09年15.7%、12年16.3%と、国全体の伸び率よりもさらに強い上昇傾向にある。

「だからこそがんばれる」という人も個々にはいるだろうが、やはり好ましいこととは言いがたい。

だからこそ、与野党全会一致で「子どもの貧困対策の推進に関する法律」ができた(2013年)。

2、相対的貧困状態が解消しても、格差はなくならない。

仮に全員が「中央値の2分の1以上」に収まったとしても、中央値との格差がゼロになるわけではないし、数十億、数百億稼ぐトップの人  たちとの格差がなくなるわけでもない。

相対的貧困率を傾向的に減らすことは「格差をなくす」ことではない。

3、資本主義国でも、それは可能だ。

同じ資本主義国でも、相対的貧困率には大きなバラつきがある。

OECD諸国の中で、最も相対的貧困率の低いデンマークは5.4%、イギリスも10.4%(OECD2013年)。

資本主義国においても、相対的貧困率を減らすことは可能だ。

4、相対的貧困率を減らすのは、現金給付だけが唯一の方法というわけではない。

たとえば保育園を整備すれば、働き続けられるシングルマザーの割合は増え、その家庭の所得は増える。

介護サービスで介護離職を減らすのも同様の効果がある。

相対的貧困状態への対処法は、家庭への直接の現金給付以外にも、多様な方法がありえる。

実際、子どもの貧困対策として行われている施策も、学習支援、食事支援、相談員配置など、サービスの整備が中心だ。
内閣府「平成26年版子ども・若者白書」より内閣府「平成26年版子ども・若者白書」より
反省とこれから

今回のNHK貧困報道“炎上”は、

登場した高校生と番組を制作したNHKが「まとまった進学費用を用意できない程度の低所得、相対的貧困状態にある」ことを提示したのに対して、

受け取る視聴者の側は「1000円のキーボードしか買えないなんて、衣食住にも事欠くような絶対的貧困状態なんだ」と受け止めた。

そのため、後で出てきた彼女の消費行動が、

一方からは「相対的貧困状態でのやりくりの範囲内」だから「問題なし」とされ、

他方からは「衣食住にも事欠くような状態ではない」から「問題あり」とされた。

いずれにも悪意はなく(高校生の容姿を云々するような誹謗中傷は論外)、

行き違いが求めているのは、

衣食住にも事欠くような貧困ではない相対的貧困は、許容されるべき格差なのか、対処されるべき格差なのか、

という点に関する冷静な議論だ。

そしてその議論は、どうすればより多くの子どもたちが夢と希望を持てて、より日本の発展に資する状態に持っていけるか、という観点でなされるのが望ましい。

その際には、高度経済成長を経験した日本の経緯からくる特殊性や、格差に対する個人の感じ方の違いを十分に踏まえた、丁寧な議論が不可欠だ。

私は貧困問題を強調してきたが、その点が十分だったかと言えば、反省がある。

なので、今回の一件に関しては、登場した高校生に対しても、「裏切られた感」を抱いた視聴者にも、申し訳ないと感じる気持ちがある。

その反省を踏まえ、今回の一件を建設的議論に発展させていきたい。
  


Posted by いざぁりん  at 00:04

2016年09月01日

続きです

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http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160831-00133608-toyo-soci&p=3
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高齢者は気づいていないが……

 中村:多くの高齢者は気づいていないけど、日本は極端な世代間格差を生んでしまって、貧しい若者たちによるオレオレ詐欺が流行した。オレオレ詐欺に手を染めるのは、ポエムに簡単に騙されない現実認識のある、能力が高めの若者たち。どれだけ対策しても特殊詐欺が止まらない現象は、これから始まる悲劇の第一歩という見解だよね。

 鈴木:詐欺の横行と世代間格差は、ずっと僕が言い続けてきていること。かつての社会では、階級の壁を越える裏技が「勉強」と「進学」だった。今はそれらの裏技が意味をなさなくなって、大卒の貧困がゴロゴロあふれている。その猛烈なルサンチマンが蓄積していった結果、おカネを抱え込んだ高齢者を狙う者を生みました。それが特殊詐欺犯罪だと。

 中村:大卒どころか、弁護士や歯科医になっても貧困の可能性があるというのは、めちゃくちゃな状況。奨学金制度のような貧困世帯の若者をたたき落とす落とし穴をばっちり作っているし、どうすれば階層の壁を越えられるのか、誰もわからない。

 鈴木:特殊詐欺犯罪の始まりは、2003年ごろにオレオレ詐欺が激増したところにあります。どんどん詐欺組織が会社組織化する中で、2008年ぐらいから大卒とか大学中退という層が詐欺の現場に入ってきた。その頃に上層部がやり始めたのが「詐欺をする理由」の正当化を、なかば洗脳的な研修で現場の子たちに植えつけていくことだった。「日本の金融資産の過半数が高齢者に集中している。そのうえ、年金の受給額は20代の給与より高くて、老人はそれを使い切れずに死んでいく。そこから奪うことは最悪の犯罪ではない」という内容です。

 中村:恐ろしいね。その背景には教育に対する失望があるよね。2004年から本格的に奨学金の有利子貸し付けを始めて、10年で化けの皮が剥がれた。特殊詐欺は官製の犯罪とまでは言わないけど、国によって拍車がかかっていることは否めないね。

■ 高学歴詐欺プレーヤーに独特の怨嗟感情

 鈴木:奨学金ルサンチマンではないけど、「こんなにおカネを払ったのに意味がなかった」という怨嗟感情は、高学歴詐欺プレーヤーに独特のもの。そう考えると、かつて労働力として搾取されてきた貧困層にも、自分の子ども世代に「勉強さえすれば、必ずこの階層から抜け出せる」と言い続けてきた人がいるし、今の国の子どもの貧困対策も、勉学の機会という部分にかなり集中している。

 逆に言えば、もともと勉強が苦手な子は貧乏のままってことじゃないですか。労働者の自立には教育が必要と言っていました。それは、いわば知の格差の下層にいる人々の切り捨てですよ。

 中村:勉強して上の階層に行くというのは、日本全体の共通認識でもあったよね。

 鈴木:「貧=貧しい」「困=QoL(Quality of Life、生活の質)が極度に低い」となると、日本の貧困対策はQoLをあまり重視していない。「貧」を重視するのは国力の増強、「勉強すれば貧困から抜け出せる」とは「技術力を上げれば国力が上がる」というのと同じ。あまねく国民に広まるケアではない。そういう意味でも官製貧困かと。

おカネが足りない末……

 中村:結局、おカネが足りないという話に帰結する。実際に売春する女の子たちの事情から、教育、介護、保育などの社会保障まで、どこを眺めても本当におカネが足りない。

 鈴木:最悪の瞬間を迎える前になんとかしないと。

 中村:不気味なことを言うね。最悪の瞬間って、何? 

 鈴木:貧困者が銃を持つ社会です。一日中、ツイッターなどでネガティブなツイートをする若者を見ていると怖くなる。虐げられた人が銃を持って反撃する構図が出ちゃうと、取り返しがつかなくなる。完全なる階級間対立で、日本人が富める者と貧しい者に分かれて徹底的に憎み合い、排除し合う世の中になるかも。そんな悲劇、見たくない。

 中村:ほとんどの国民は日本では絶対にそんなことは起こらないと思っているから、まだまだ貧困層を苦しめるだろうね。日本にかぎらないけど、権力側は暴動が起こってからようやく考えるのかな。えーと、ちょっと古いけど、2014年の特殊詐欺(オレオレ詐欺、架空請求詐欺、融資保証金詐欺、還付金詐欺)の被害総額は559億4355万円。警察が全力を尽くす中で前年度比2割増しとなっている。

 鈴木:振り込め詐欺やオレオレ詐欺がこんなに流行しているのは、強制的な再分配だと僕はずっと言い続けているけど、これは日本固有の現象で、諸外国だったらここに銃と血が入ってくる。少なくとも日本では階層間の憎悪は出来上がっちゃっている。

 中村:今の競争社会は、ほぼ全員が負けるしくみ。もちろん、競争によってクオリティーが上がって競争力がつくということもわかるけど、膨大な貧困予備軍の敗者を生んで、自己責任で片づけられて終わり。ほとんどの国民が貧困におびえながら生きるって、おかしいよ。

■ 資本家が労働力を選別すると、貧困が増える

 鈴木:資本家が使いやすい労働力だけを選別したら、貧困は増えるばかり。そもそも貧困に陥っちゃう人たちは、使い方が難しい面がある。理想論だけど、人材を見きわめて、育てて、いちばん能力を発揮できる場所に配属してということが成立していけば、世の中はガラッと変わる。そこには、教育だけではなく、医療的な支援や発達支援のようなアプローチを含めてやれば、可能性はいっぱいある。

 中村:貧困者を社会が排除してしまうと、それで終わってしまって、将来的に負担だけが残る。人手不足の産業は容易に外国人に頼るのではなく、国を挙げて自国民の有効活用を考えるほうがいいってことだね。今の社会が求める人材の許容範囲があまりにも狭いのは確かだから、すべての自国民をケアするべき、という理想論を捨ててはならないね。

 鈴木:そうです。当然、障害の重い人は福祉の対象として保護していくとして、今の日本は障害のボーダーラインの人たちも、その許容範囲から外れて孤立して、働けなくなっている。きちんと精査すればそれほど人員は余らないはずです。
  


Posted by いざぁりん  at 00:04
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東洋経済オンラインで貧困に喘ぐ女性の現実を連載するノンフィクションライターの中村淳彦氏と「貧困報道」は問題だらけだを連載するルポライターの鈴木大介氏。この2人が、性産業の問題から教育・福祉・介護の悲惨な状況、日本社会の構造的問題にいたるまで、計12時間にわたる対談を行った。その全容は共著『貧困とセックス』(イースト新書)に収められているが、ここでは前後編に分けて、そのうちのエッセンスを紹介。今回は後編だ(前編はこちら)。■ 超高齢化社会による介護のラッシュ

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 鈴木:現在進行形の貧困問題は、過去に貧困をケアしてこなかった結果です。そのツケが、最近一気に噴出した。わかりやすいのは、戦災孤児。彼らが体験した貧困のその後のケアに、土木だとか港湾労働といった単純労働に就かせた。新しい産業を興して人手が不足の産業に貧しい人を誘導したわけです。その産業のラッシュが終わったら、彼らに対して次のケアをしない。その人たちは貧困老人になり、孫、さらにひ孫の層まで、何世代にもわたって貧しい状態が続く。

 中村:今の混乱は、歴史的に底辺層のケアをしなかったことが根底にあるのか。労働力が必要なときにだけ使い、使い捨てにしたことが現在の貧困問題の根底にあると。

 鈴木:今で言えば、超高齢化社会による介護のラッシュです。外国人介護職を入れて、超高齢化社会が終わったら、たくさん集めた人材をどうするつもりでしょう。外国にまで労働力を求めて、使い捨てですか? 

 中村:今、介護は儲けたい業界上層部が目の色を変えて外国に視察に行っている。彼らは「超高齢化社会がアジアで最初に訪れる日本で介護を覚えれば、自国で将来的に役立つ」みたいなことを言う。使い捨ては匂わせているかな。知るかぎりの悪徳経営者層の顔ぶれと今の介護の状況を見ていると、たぶんブラック労働させる。

 鈴木:それは本当にヤバイ問題。開発途上国の人を自分たちの都合で使うなんて、怖い社会です。きちんと使うならいいけど、自国民すら使い捨てだし、期待できない。弱者、弱者と言うけど、どんな弱者でも、毎日毎日いじめられていたら、あるとき、突然、刃物を持って襲ってくる。人を搾取して捨てる行為は、最終的に残酷な結末につながることは、つねに認識したほうがいい。

介護業界で行われていること

 中村:社会問題である介護は、とことん企業や教育機関、個人のセルフブランディングに利用されている。業界上層部は自分たちが儲かって、自分がチヤホヤされるためなら手段を選ばない。従業員を「家族」とか言って洗脳して、同じ日本人ですら使い捨てで、続々と精神疾患にさせているし。そこに外国人が来たら何をするか、簡単に想像がつくよね。ヤバイね。

 鈴木:残酷です。僕は千葉の田舎に住んでいるので、近くに外国人が働いている産廃ヤードやスクラップヤードがたくさんある。彼らの話を聞くと、日本ではゴミ屋をやっていても、本国ではかなりの高等教育を受けていて、すごくハイスペック。そういう人たちを単純労働力に誘導して搾取するのは、その本国の社会資源を潰すことでもある。

 中村:昔でいえば炭鉱労働者に当たるのかな。でも、炭鉱労働者は使い捨てでひどい部分はあったと思うけど、確か給料はよかったでしょう?  賃金をまともに払うつもりのない、今のブラック企業やブラック介護施設のほうがエグイ。ブラックの先端は居酒屋で、同じ労働集約型ということで、介護業界は大きな影響を受けている。居酒屋は独立をあおって、業界を挙げて「29歳定年制」を敷いているくらいだから、外国人はイキがよくて長時間労働に耐えられる20~25歳くらいを狙っていると思うよ。

 鈴木:単純に「昔はよかった」ではないんです。炭鉱労働にしても、港湾労働にしても、人を集めておカネを稼がせられる状況ができると、その人たちにおカネを使わせる産業が周りを囲い込んだ。過剰に消費させて、後に何も残らないというのを自己責任的に「それほどひどくなかったはず」とは言えません。ちゃんと働いた人間が、労働を売るだけでなく、その上に上がれるという道筋を誰も用意してこなかったことがよくない。

■ 昔の労働者にはオンとオフがあった

 中村:炭鉱労働者と今の介護職を比較すると、日本の劣化を感じるね。多くの介護職は、低賃金や長時間労働で、遊びに行くおカネも時間も与えられない。精神疾患にさせられても、休暇どころか病院に行く時間もない。労働組合すらない。軍艦島の歴史なんかを見ていると、昔の労働者の街には繁華街があってオンとオフがあった。労働組合が機能してストライキもあっただろうし。今の労働集約型の末端にいる低賃金層は未婚、恋人なし、友達なし、低賃金と、経済的貧困だけでなく、関係性の貧困も抱えているから何もできない。

 鈴木:もし過去の失敗に学ぶなら、まずは適正な労働対価と、経営者や資本家に極端に富が集中しない枠組みを作ることです。それにしても、介護事業というのは、そこまで人材難なのですか。

 中村:かなり異常な人材難でしょう。特に都市部。介護職は2025年までに40万~100万人足りないといわれていて、本格的に外国から連れてくる気でいる。日本人でその人数を集めるのは不可能だから。でも、外国人がわがままな団塊世代の高齢者を順調に介護できるとは思えないし、本当にどうなるのだろう。外国人を入れても地獄、入れなくても地獄だね。

 鈴木:また使い捨てにするなら、いよいよ国家転覆みたいな話が現実的に感じる。国が産業で立国するに当たっては、必ず労働力が必要になる。けど、日本だけではなく、世界中の国でやってきたのが「使い捨て」。今現在で暴動が起こる国は、貧困のケアをしてこないで、ひたすら一部の者のために搾取を続けてきた国がほとんどです。
  


Posted by いざぁりん  at 00:03
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アゴラでも蓮舫さんの国籍問題、中国風の名前へのこだわり、日本国家への忠誠度への疑問、それも含めたスキャンダルについて、民進党が身体検査なしに代表にしようとしていることは疑問だと書いた記事を連続して寄稿してきた。

それを夕刊フジでも載せようとして蓮舫事務所に確認など編集局からしたのだが、十分な回答がなかったので、本日発売の8月30日付けで掲載した。いつ、中華民国籍の放棄手続きがされたか証拠の文書とともに示されることを期待している。

今回、二重国籍でないという確認が取れなかったことには、私もいささか驚いている。そこで、この蓮舫の国籍問題について、あらためて、整理しておきたい。

蓮舫の父親は台湾出身の貿易商・謝哲信で、母親は資生堂の美容部員だった日本人の斉藤桂子で、日本生まれだ(現在は新宿でスナック経営)。

当時の国籍法では、父親の単独国籍となったうえで希望すれば帰化することになっていたので、中華民国籍の謝蓮舫として育った。

ところが1984(昭和59年)5月25日に国籍法が改正され、85年1月1日から施行されて、蓮舫のように母親が日本人だと、日本国籍を与えられて、22歳までに選択できることになった。

そこで、どの時点かは不明だが、蓮舫は日本国籍を選択する手続きを法務局にしたようだ。

ただ、この選択の時には、もう一方の国籍を放棄するように努めるようにと法律でされて、窓口ですみやかに手続きを取るように指導されるが、確認はされないのである。

どうして、一時的にせよ二重国籍が認められるかというと、たとえば、社会主義国のように国籍離脱を認めない国もあれば、男性の場合には兵役を果たさないと離脱を認めない国もあるから、そういう場合にまで離脱しない限り日本国籍を選択できないというのも可哀相だからだ。

しかし、女性の蓮舫にとってこれが理由になるとは思えない。

いずれにせよ、法的には日本国籍選択後、たとえば数週間とかのうちに中華民国の国籍を放棄することが求められているわけだが、現実には面倒くさいか、あるいは、何か二重国籍のメリットがあるから放置している人もありうる。

つまり、

(1)法令に従い中華民国籍を放棄した
(2)しばらく放っておいたがどっかの時点で手続きをした
(3)今も違法な二重国籍状態

であると三種類の状況が存在しうる。

かつて年金問題では加盟していない期間が短期あると言うだけで政治家として不適格といわれたものだ。国籍問題は、年金問題などとは重大性が根本的に違うし、違法な状態があったことがあれば政治家としての資格はない。

また、どこかの国民であることは、義務もともなうわけで、日本国の利益以外に従うべきものがあることになるし、それは、日本国のように緩やかなものとは限らない。

まして、いま、尖閣問題で日本は中国や台湾と向かいあっている。そのときに、自衛隊最高司令官がどっちの味方か分からないのでは困るのである。

そもそも、生まれながらの日本人でなく、少なくとも18歳まで中華民国人謝蓮舫として育った人をなにも首相候補たる野党第一党の代表にするベキでないと考えるのが世界の常識だ。

さらに、村田蓮舫という本名があるのに、頑として村田姓を使わないし、子供にも中国人らしい名前しか付けなかった華人意識のかたまりである。

さらに、そんなことはないと信じたいが、二重国籍かもしれないというので問題でないと思う日本人がいるとすれば、この厳しい国際政治のなかであまりにもお人好しと言うことだろう。

*ここで問題にしているのは、違法な二重国籍だったら良くないということです。二重国籍を認めている国で二重国籍だったとしても問題はありません。蓮舫さんも国籍法改正から日本国籍選択までのあいだは合法的二重国籍です。ただ、テロの問題などがいろいろ出て、最近の世界では二重国籍が認められない、あるいは、二重国籍の場合には、国民としての権利を停止するような方向に流れていくと思います。  


Posted by いざぁりん  at 00:03
Posted by いざぁりん  at 00:02