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こちらです。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161016-00050066-yom-pol
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 新潟県知事選は16日、投開票され、共産、自由、社民3党が推薦する新人で内科医師の米山隆一氏(49)が、自民、公明両党から推薦を受けた前長岡市長の森民夫氏(67)ら無所属の新人3人を破って初当選した。

 選挙戦では、東京電力柏崎刈羽原子力発電所(柏崎市、刈羽村)の再稼働問題が争点となった。再稼働に慎重な米山氏が当選したことで、国のエネルギー政策にも影響を与えるのは確実だ。

 米山氏は16日夜、新潟市内の事務所で、「命と暮らしが守れない現状で原発再稼働を認めることはできない、とはっきり言わせてもらう」と支持者に述べた。

 知事は原発の運転に直接関与する法的権限を持たないが、政府は地元の同意を得た上で再稼働を進めたい考えだ。ただ、米山氏が当選したことで、同意の取り付けは難航が予想される。

 原発の立地県では、7月の鹿児島県知事選でも、川内原発の停止・再点検を求めた三反園訓(みたぞのさとし)知事が当選した。

 柏崎刈羽原発の再稼働を巡っては、今回立候補を見送った泉田裕彦知事が「東電福島第一原発事故の検証なくして再稼働の議論はできない」と慎重な姿勢を示してきた。

 米山氏は、泉田氏の路線継承を掲げ、再稼働に関しても「原発事故の原因、健康・生活への影響、事故時の安全な避難方法などが検証されない限り、議論は始められない」との考えを強調してきた。

 与野党は党首・幹事長クラスを投入し、国政選挙並みの態勢で両候補を支援した。与党推薦候補が敗れたことは、来年1月の衆院解散が取り沙汰される中、安倍首相の解散戦略にも影響を与えそうだ。

 野党各党は、共産党の志位委員長ら推薦した3党の党首クラスが米山氏の応援に入ったほか、自主投票を決めた民進党の蓮舫代表も最終盤に新潟入りし、米山氏支持を表明した。

 一方、森氏は泉田県政を批判する立場を取ったが、再稼働については、県独自に安全を確認した上で是非を判断する考えを訴えていた。

 読売新聞が16日に行った出口調査では、投票の際に重視した政策課題で最も多かったのが「原発再稼働」(36%)で、原発再稼働を重視した人の81%は米山氏に投票し、森氏に投票した人はわずか16%だった。

 投票率は53・05%(前回43・95%)。

         ◇

 新潟知事選確定得票

当  528,455米山 隆一 無新〈共〉〈由〉〈社〉

    465,044森  民夫 無新〈自〉〈公〉

     11,086後藤 浩昌 無新

      8,704三村 誉一 無新

 (〈 〉は推薦政党)  


Posted by いざぁりん  at 03:16
こういうことが起きるようであれば、政党助成のみならず、政務活動費も、立法事務費も、違憲であると考えざるを得ません。
当該府議の辞職を求めます。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161016-00000049-asahi-pol
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 共産党大阪府議団の朽原亮(くちはらまこと)幹事長が、政務活動費の支出の一部で、宛名や金額が白紙の領収書を受け取り、自ら金額を書き込んでいたことがわかった。領収書は2013~15年度に計28枚、政活費として計約158万円分あり、朽原氏は「支出に問題はないが、基本的には私が書いた」と認め、今後改めるという。

 朽原氏が宛名や金額を書き込んだのは、自ら副委員長を務める「共産党東大阪地区委員会」発行分と、同委員会が運営し、事務所内で書籍を取り扱う「あづま書房」が発行した領収書。同委員会では「府政報告ニュース印刷代」を、あづま書房では書籍の代金をそれぞれ計上していた。

 朽原氏は取材に対して、「(委員会に)十分な態勢があるとは言えないので、時間と手間をとらせるのもどうかと思ってついついやった」と釈明した。

 白紙領収書を巡っては、共産党の小池晃書記局長が国会質疑で、稲田朋美防衛相と菅義偉官房長官がほかの国会議員の政治資金パーティーで白紙の領収書を受け取り、会費などを記入したと問題視していた。  


Posted by いざぁりん  at 03:16
こちらです。
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20161014-00010005-jisin-pol
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「怪しいことなんて、してないです」

 本誌の直撃をかわすように、稲田朋美防衛相(57)は口を開いた。

「ポスト安倍」の一角だった稲田氏が、ピンチに陥っている。資金管理団体「ともみ組」の収支報告書に添付された領収書の写し(2012年~2014年の3年分)のうち、約520万円分が同じ筆跡で書かれていたのだ。

 結局、白紙の領収書に稲田氏サイドが手書きで記入していたことが発覚。10月6日、参議院予算委員会でこのことを追及された稲田氏は、しどろもどろになった。

 本誌は稲田氏の「カネ」にまつわる新たな「疑惑」を入手した。2015年度「ともみ組」の政治資金収支報告書の、「会合費」欄。国内外のガイドブックに載るような店が多く、同じ日に何度も「昼食会合費」「夕食会合費」を計上しているのだ。

 10月31日に至っては、1日で約49万円も支出している。
 本誌は、串かつ店「B」を訪ねた。ミシュラン1つ星の高級店だ。

「稲田さんご夫婦とは古いおつき合いです。稲田さん本人は、いまでも月に1回程度いらっしゃいます。いつもコースの全
30串を完食されますよ」(店員)

 政治部記者が解説する。

「昨今はマスコミのチェックを警戒してか、政治家の会合は庶民的な店が増えています。会合費の支出が多いとされる小渕優子衆院議員でさえ、チェーンの居酒屋ばかりですよ」

「政治資金オンブズマン」共同代表で神戸学院大学の上脇博之教授は、資料を見て驚きを隠さない。

「政治資金の『公私混同』疑惑で辞任した、舛添要一前東京都知事と図式は似ています。ただ稲田氏のほうが、比べ物にならないほど金額が大きいです」

 稲田事務所は「私的飲食は自費で支払っています」とするのみで、支出の内容への具体的な説明はなかった。

 じつはこの報告書には、もうひとつの「疑惑」が隠されていた。日本国外で支出された約87万円分については、領収書が国に提出されていないのだ。

 稲田事務所は「クレジットカード支払いのため領収書がなく、(領収書の徴収が難しかったことを証明する)『徴難(ちょうなん)明細書』を提出している」と説明した。

 だが、政治資金を監督する総務省は「金額と日付、但し書きの3点が揃っている資料(カードの利用伝票など)ならば、領収書でなくてもかまわない」という。

 また1月に稲田氏が訪れたアメリカのワイナリー「OPUS ONE」に問い合わせると「希望する場合は明細書を発行している」と回答した。

 これは稲田氏側の説明と矛盾する。ワイナリーの件を本人に伝えると「誰が言っているんですか。記憶にありません!」と否定し、その場を立ち去った。前出の上脇教授はこう指摘する。

「これでは、『詳細がわかると都合が悪い』と批判されても仕方ありません。支払いを示す資料を提出すべきです」  


Posted by いざぁりん  at 03:15
こちらです。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161016-00000500-san-pol
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 民進党の蓮舫代表は15日、日本国籍と台湾籍のいわゆる「二重国籍」問題について、都内の区役所に提出した台湾籍の離脱証明書が受理されなかったことを明らかにし、戸籍法に基づき「(日本国籍の)選択宣言をした」と述べた。都内で記者団に答えた。党関係者によると、選択の宣言は今月7日付。

 国籍法は20歳未満の人が日本国籍と外国籍の二重国籍になった場合、22歳になるまでにいずれかの国籍を選択しなければならないと規定。蓮舫氏の一連の発言が二転三転した経緯もあり、国籍法違反などに問われるかが焦点となりそうだ。

 蓮舫氏は記者団に「不受理なので相談したら、強く選択の宣言をするよう行政指導された」と述べた。

 国籍法14条は日本国籍の選択について、外国籍の離脱によるほか、戸籍法に従い、日本国籍を選択し、外国籍の放棄を宣言することによると定める。蓮舫氏は選択宣言をした時期に言及してこなかった。

 蓮舫氏はこれまで「昭和60年1月、17歳で日本国籍を取得した」と説明。台湾籍の離脱は「台湾人の父が手続きを終えたと思い込んでいた」と述べていた。一方で参院議員への転身前、雑誌インタビューに台湾籍を持っていると答えた過去もあり、発言の信用性に疑問符が付く面もある。

 今年9月6日、台湾当局に台湾籍の残存を照会するとともに、改めて離脱手続きを行ったところ、同月12日に台湾籍が残っていたことが判明。同月23日に台湾当局から台湾籍の離脱証明書を受け取り、区役所に提出したと説明していた。

 離脱証明書が受理されなかったのは、日本政府が台湾を正式な政府として認めていないためだ。金田勝年法相はこれまで一般論として「台湾当局が発行した外国国籍喪失届は受理していない」と説明していた。  


Posted by いざぁりん  at 03:14
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http://bylines.news.yahoo.co.jp/ryouchida/20161016-00063307/
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不登校「先生が原因」 認知されず ―学校調査と本人調査のギャップから考える

内田良 | 名古屋大学大学院教育発達科学研究科・准教授

2016年10月16日 11時11分配信

教師との関係を不登校の理由とするのは、学校と本人との間で約16倍の開きがある。


■不登校の理由 本人への調査はナシ?!

学校における、いじめ、暴力行為、不登校、自殺などの現況が集約される「児童生徒の問題行動等生徒指導上の諸問題に関する調査」が、今年で50回目を迎える。

1966(昭和41)年度の「不登校」(当時は「学校ぎらい」)に関する調査に始まり、今日ではさまざまな項目が追加されている。毎年、秋頃に結果が発表されており、2015(平成27)年度の結果もそろそろ発表されるのではないかと考えられる。

さて、この長らく調査されてきた「不登校」について、気がかりなことがある。不登校の調査結果を見てみると、小中別、国公私立別、学年別の不登校児童生徒数といった基本的な数値にくわえて、各児童生徒が不登校になった理由や不登校を続けている理由など、実情により踏み込んだ分析がある。

ところが、不登校経験者たちに話を聞くと、「調査目的で不登校の理由を聞かれたことは一度もない」というのだ。調査されていないのに、数字が公表されている。これはいったいどういうことなのか? そして、その公表されている数字は、不登校経験者の認識とどれくらい合致しているのだろうか。

■不登校経験者が覚えた違和感

先に結論の一部を述べるならば、「児童生徒の問題行動等生徒指導上の諸問題に関する調査」は、学校が回答したものである。したがって、不登校になった理由というのも、学校がそう判断したに過ぎないのであって、本人がどう思っているかとは、一致しない可能性がある。

私がこうした関心をもったのは、自らも不登校経験のある石井志昂氏(不登校新聞社編集長)から問題提起を受けたためである。石井氏は、「児童生徒の問題行動等生徒指導上の諸問題に関する調査」において、不登校をした本人の意見が反映されないままに調査が実施され、不登校の理由が語られていくことに違和感をもったという。とくに学校側が、教師との関係を「不登校の理由」にあげる割合が、極端に少ないのではないか、というのだ。

じつは、不登校経験者に直接質問をした調査が存在する[注1]。調査では、かつて中学校で不登校を経験した生徒に追跡調査を実施し、不登校当時やその後の状況が尋ねられている。成果は、2014年7月に、『平成18年度不登校生徒に関する追跡調査報告書』として公表されていて、そこには不登校になった理由について回答の結果が示されている。

■不登校になった理由は複数ある

はたして、学校が回答した「児童生徒の問題行動等生徒指導上の諸問題に関する調査」(以下、適宜「学校調査」)と、不登校経験者本人が回答した追跡調査(以下、適宜「本人調査」)との間には、どのようなちがいがあるのだろうか。

本人調査は、2006年度時点で公立の中学3年生であり不登校であった者を対象としている。したがってここで比較対象とすべきは、2006年度時点の学校調査(「平成18年度 児童生徒の問題行動等生徒指導上の諸問題に関する調査」)における公立中学校のデータである。

両調査の対象者や「不登校の理由」に関する質問内容は、厳密には同じものではないが、いくつかの点で十分に比較可能である[注2]。まず全体的な傾向として目につくのは、「不登校の理由」14項目全般において、本人調査の値が学校調査の値より大きい点である。つまり、不登校経験者のほうが学校よりも多く、複数の「不登校の理由」を選んでいるということになる。

本人調査では一人あたり2.8項目(4,486÷1,604)、学校調査では一人あたり1.2項目(115,411÷99,959)が、不登校の原因としてあげられている。大まかに言えば14項目のなかでは、本人は不登校になった原因を約3つ選び、学校はおおよそ一つに絞っているということである。

本人の目線からすると、不登校に至るにはさまざまな要因や問題がある。だが学校側は、そうした複合的な原因とはとらえていないようである。

■不登校の理由は先生にもある? 認識のギャップ

14項目の「不登校の理由」には、親、友人、教師との人間関係が含まれている。両調査ともに、人間関係のなかでもっとも数値が高いのは、友人との人間関係である[注3]。この点は想像に難くないが、この記事でむしろ強調したいのは、学校側と本人側との認識のギャップである。

図を見てほしい。まず「親との関係」を原因と考える割合を見てみよう。不登校の理由には、親の影響があると考えるのは、学校調査も本人調査もそれほど大きなギャップはなく、1.5倍の開きにとどまっている。次に「友人との関係」を原因とみるのは、3.2倍の開きがある。

ここまでであれば、学校と本人の間のギャップは、複数の原因を選ぶかどうかの範疇にとどまる。上述のとおり、不登校経験者は複数の原因を指摘する傾向(一人あたりで、本人調査では2.8個、学校調査では1.2個の原因)があるため、いずれの項目においても2~3倍の開きが出てしまうからだ。

だがその範疇を超えて問題なのは、「教師との関係」である。学校調査では教師が原因であるとの回答は1.6%(学校調査のなかでは、もっとも数値が小さい)にすぎないが、本人調査では26.2%にもなる。学校と本人の間に16.3倍の開きがある。本人としては、「先生のせいだ」と思っていても、学校側はまるでそのようには考えていないということだ。

「不登校は先生のせいだ」ということが言いたいのではない。大事なことは、認識のギャップを認識するということだ。本人と学校が、まったく異なる「不登校の理由」を思い描いていては、会話さえ成立しない。

子どもの声をちゃんと拾い上げること、これは学校や教育行政そして私たち大人全員に課せられた作業である。

[付記]

石井志昂氏からの問題提起を受けて分析した結果の一部は、すでに石井氏に回答済みである。その回答をもとに、不登校新聞においても記事が発表されている(10/15『不登校新聞』444号)。細かい点で数値の扱い方が本記事とは若干異なっているものの、基本的には同様の結果が示されている。

[注1]文部科学省が省内に「不登校生徒に関する追跡調査研究会」を設置して実施したもので、いじめや不登校の研究で日本の教育界をリードしてきた森田洋司氏(鳴門教育大学特任教授)が研究会の座長を務めた。

[注2]「児童生徒の問題行動等生徒指導上の諸問題に関する調査」に記載されているのは、不登校となった生徒全員である。他方で、追跡調査では、2006年度当時に中学3年生で不登校であった生徒のなかで、2011年に「調査の協力に応諾した者」(調査実施は2012年)である。また、不登校の理由については、両調査ともに14項目があげられており、各項目の類似性も高い。そのなかでも本記事が扱う、親/友人/教師との人間関係については、質問項目の類似性はとりわけ高いと考えられるため、比較検討の対象とした。

[注3]「友人との関係」の数値は、学校調査では「いじめ」と「いじめを除く友人関係をめぐる問題」の合計値、本人調査では「友人との関係」と「クラブや部活動の友人・先輩との関係」の合計値とした。また、「親との関係」の数値は、学校調査では「親子関係をめぐる問題」、本人調査では「親との関係」を参照した。「教師との関係」の数値は、学校調査では「教職員との関係をめぐる問題」、本人調査では「先生との関係」を参照した。
  


Posted by いざぁりん  at 03:14
運動会は、廃止すべきです。
オリンピックも、利権や公共事業のためなので、廃止しなければなりません。
http://bylines.news.yahoo.co.jp/ryouchida/20160925-00062534/
(以下は、コピーです)
■前日の夕方から場所取り 「年々エスカレート」

秋の運動会真っ盛りの時期になった。子どもが活躍する姿を楽しみにしている保護者も多いことだろう。

しかしながら、このところ気になるのは、もはや「楽しみにしている」というレベルを超えて、運動会が盛り上がりすぎているのではないかということだ。

SNSには、早朝から場所取りに並ぶ保護者の様子が投稿されている。それどころか、前日の夜から、場所取りのために学校へと出向く様子も報告されている。

この秋、関東圏の公立A小学校では、保護者に文面で次のようなお願いが伝えられた。

席を取るために、運動会前日の夕方から学校前に待ち並ぶ行為が、年々エスカレートしています。深夜に長時間にわたって並びますと、保護者の皆様の体調が懸念されますし、近隣の皆様への迷惑にもなります。当日の朝6時以降にお並びいただきたく存じます。

(文言を一部編集)

■組み体操の巨大化を生んだ磁場

上記のようなケースは、日本のごく一部かもしれない。だが、そこには今日の運動会のあり方が象徴的に示されている。運動会はいま、大人たちが楽しみにしている「ショー」としての性格を強めている。

私がこのような実態について深く考えるきっかけになったのは、組み体操の過熱ぶりからである。

巨大な組み体操は、けっして学校が独断的に推進してきたものではない。保護者と地域住民の熱狂なしには生まれなかった。巨大なものが披露されることを、保護者や地域住民が心待ちにしていて、技が完成されれば、グラウンドは感動の涙と拍手に包まれる。それに手ごたえを感じた学校は、来年はもっとよいものを披露しようと、いっそう力を入れていく。

学校と保護者・地域住民が一体となって「ショー」の魅力にはまっていく。組み体操とはまさにこのような磁場のなかで、巨大化・高層化してきたのであった。

■110年前の運動会批判

国民体育攻究会編『小学校運動会要訣』(1908年)

巨大組み体操に限らず、騎馬戦、ムカデ競走、綱引き、リレー、徒競走、さまざまな種目で運動会は盛り上がる。どのような種目であれ、盛り上がるのはひとまずよいとして、はたしてそれは学校の教育活動としてどのような意義があるのか、つねにそのことは確認されつづけなければならない。

いまから約110年前の明治41(1908)年に刊行された『小学校運動会要訣』(国民体育攻究会/編)という本がある。当時全国的に盛り上がりをみせていた運動会が、非教育的・非体育的な性質を帯びていることを危惧して出版されたものである。

同書では、当時における運動会の具体的問題点が複数指摘されている。じつはその第一の問題点に、「今日の運動会が見世物的な傾向をもっている」ことがあげられている。

そもそも運動会は「参加する児童の体力増進のためにおこなうものなので、何事も児童を基本として実施すべき」である。子どもが観客の欲求を満たすための見世物になってはらない、ということである。おおよそ110年前の時点ですでに、教育活動であることを忘れて、見世物=ショーに傾倒する運動会に、警笛が鳴らされている。

■日頃の成果を披露する

『小学校運動会要訣』に示されたような論調は、その後も引き継がれる。

1925(大正14)年刊の『新しき施設の小学校運動会』(真行寺朗生/著)においては、さらに踏み込んで、運動会の種目は「日常から教えられていることの一部を発表する」ものという考えが示されている。

運動会のために練習に熱中するということは憂慮すべき事態であり、「一学年間で教えるべき教育内容の詳細を決定して、そこで教育し復習した種目のなかから選定して実施すれば、いざ運動会になっても困ることも焦ることもない。他教科の時間をつぶしてまで練習する必要もない」という主張が展開されている。

■過熱ぶりに疑義がはさまれない

保護者や地域住民にオープンであるからには、運動会は基本的に「ショー」としての性格を有している。上述の書も、運動会が「ショー」であること自体を否定するものではない。「ショー」だとしても、観客本位にならないよう、すなわち子ども本位になるようにすることが大事で、教育活動としての目的を失ってはならないという主張である。

子どもの日ごろの活動をベースにして、その延長として、皆が盛り上がる「ショー」につながっていくべきであり、「ショー」のために子どもたちが本番や事前練習で奮闘するという本末転倒の事態は避けたいものだ。

いま私たちが問題視すべきは、「ショー」であることが当たり前になりすぎていて、その過熱ぶりに疑義がはさまれていないこと、そして、運動会のあり方をめぐる議論がほとんど展開されていないことである。むしろ私たちが目にするのは、見栄え優先の指導書であり、その見栄えを期待して列をなす保護者の様子である。

子どもたちは、日頃の元気な姿を見せてくれればそれで十分であり、私たち大人はその姿にこそ拍手喝さいを送るべきではないだろうか。

運動会とはいったい、誰のためのものか。110年前の指摘は、もはや忘却の彼方にある。

[謝辞]運動会の歴史については、中京大学名誉教授である木村吉次先生の研究発表資料「運動会の歴史とその教育的意義」(2016年7月23日、日本スポーツ法学会夏期合同研究会)において紹介されている文献を参照しました。木村先生にはこの場を借りて、お礼を申し上げます。
  


Posted by いざぁりん  at 03:13