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ヨハネス・ブラームス「ピアノのための5つの練習曲」より第5曲「左手のためのシャコンヌ」(バッハのシャコンヌ)。
https://www.youtube.com/watch?v=oATs1Xav9vE
  


Posted by いざぁりん  at 00:36
こちらです。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161216-00000025-asahi-soci
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 馬は困ったときに人の注意をひいて助けを求める――。こんな研究結果を神戸大国際文化学研究科の山本真也准教授(比較認知科学)らが発表した。国際学術誌に掲載された。

【写真】馬が人に助けを求めるときの様子

 馬は約6千年前から家畜として、人の暮らしと密接に関わってきた。これまでに人の表情を理解し、見た目や声で人を見分けることは分かっていた。今回は馬が困ったときにどんな行動をとるか検証した。

 同大馬術部のサラブレッド8頭と学生の協力を得た。まず、馬から届かないところに置かれたバケツに、学生がニンジンを入れてその場を離れる。その様子を見ていなかった飼育員の学生が来ると、馬は飼育員の近くに行き、長い時間見つめたり、鼻で飼育員を触ったりした。研究チームは「えさを取って欲しい」と伝えるために助けを求める行動をした、と判断している。えさを入れなかったときより入れた方が助けを求める行動は多かった。

 次に、バケツにニンジンを入れる場面を飼育員が見ている時と見ていない時を比べると、見ていなかった方が、馬がより飼育員の注意を引こうとしていた。

 馬は頭が良い、心を読むなどと言われるが、犬と違ってあまり検証はされていなかった。同大のリングホーファー萌奈美・学術研究員は「飼育員がえさの存在を知っているかどうかを判断して行動を変えたとみられる」と話す。  


Posted by いざぁりん  at 00:35
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http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161216-00000543-san-soci
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 東京電力福島第1原発事故の収束作業に従事し甲状腺がんを発症した40代の東電の男性社員について、福島労働局富岡基準監督署は16日、労災と認定し医療費の支給を決めた。福島原発事故に限らず、放射線被曝(ひばく)による甲状腺がんに労災が認められるのは初めて。厚生労働省は「100ミリシーベルト以上の被曝があり、被曝から5年以上たち、他に発症要因が考えにくいもの」について労災認定を認めるとの目安を初めて示した。

 厚労省によると、男性は平成4年4月に東電に入社し、一貫して原発部門の仕事に従事。23年3月の福島第1原発の1、3号機の水素爆発に屋外で遭遇し、直後から24年4月まで、第1原発原子炉の水位計や圧力計の確認や燃料ポンプの給油などを行っていた。被曝量は20年1カ月間で計149.6ミリシーベルトで、このうち福島原発事故後の緊急作業での被曝は139.12ミリシーベルト。健康診断をきっかけに、26年4月に甲状腺がんと診断された。

 福島原発事故に絡み、作業後にがんになり労災を申請した人は今回を含めて11人おり、すでに白血病の2人が労災認定されている。白血病については認定の基準があるが、甲状腺がんについては基準がないため、専門家が15日、論文などを参考に認定の目安を検討。厚労省は「医学的な因果関係の証明はできていないが、専門家から示された目安を総合的に勘案し、労災を認めた」としている。  


Posted by いざぁりん  at 00:35
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http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=4343395&media_id=8&from=category_news
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 6日に放送されたTBS系連続ドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」(火曜午後10時)9話の総合視聴率が30・0%を記録したことが15日、ビデオリサーチ調べで明らかになった(関東地区)。


 リアルタイムで見ていた人を集計する従来の視聴率は16・9%。録画して見た人の「タイムシフト視聴率」は17・5%で、重複分を差し引いた総合視聴率は30・0%だった。


 初回(10月11日)は視聴率10・2%、タイムシフト10・6%、総合19・5%で始まり、いずれも数字が下がることなく上昇を続けてきた。ついに30%の大台に乗せた形だ。


 タイムシフト視聴率と総合視聴率は、この秋からビデオリサーチ社が集計、発表を始めた新指標。放送から9日後に発表される。


 10月期ドラマでは、11月24日に放送されたテレビ朝日系「ドクターX~外科医・大門未美知子~」(木曜午後9時)が総合視聴率30・1%を記録しており、両ドラマのデッドヒートが注目を集めている。


 「逃げ恥」は、主演新垣結衣と星野源のラブコメディー。20日に最終回を迎える。
  


Posted by いざぁりん  at 00:34
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(以下は、コピ^-です)
葉加瀬:もう中学の頃はヴァイオリン弾きになることしか考えていなかったです。小学校5、6年生くらいから東儀祐二先生という五嶋みどりさんをはじめ、数多くのヴァイオリニストを育てられた有名な先生に巡り会って、その先生が堀川高校から芸大に進まれていたので、迷うことなく先生と同じ道へ行くと決めました。それからは毎年行われる全日本学生音楽コンクールの課題曲を練習するために夏休みを全部返上して、毎日10時間以上弾いていたと思います。

--凄い練習量ですね・・・。

葉加瀬:というか、僕にはそれしかなかったんですよね。中学時代の人生におけるプライオリティーは「コンクールに出て賞を獲ったら新聞に名前が出る」、それだけでした(笑)。その頃は単なるクラシックおたくの子どもでしたから、お小遣いで買うのは全部クラシックのアルバムで、小さな家だったので自分の部屋はなかったんですが、自分のスペースが押し入れの一角にあって、そこにブラームスやバーンスタインの写真を貼り・・・つまりピンナップするアーティストがみんなクラシックの作曲家や指揮者、そしてヴァイオリニストでした(笑)。もちろん友達はビートルズやジャーニーとかを聴いていましたし、テレビでベストテンとかを観ることもありましたが、当時の僕には音楽とは思えませんでした。

 それが高校に入ると、音楽科だったのでみんな僕みたいな奴ばかりで、「ここは俺にとって天国だ」と思いましたね(笑)。ベートーベンの5番はカラヤンが良いのか、バーンスタインが良いのかというような話をみんなとできる喜びと言いますかね(笑)。高校の頃もクラシックに限らず色々な音楽が聞こえてきてはいましたが、オーケストラをやったり、室内楽をやったりすることに夢中でしたね。

--では、音楽以外の思い出となると?

葉加瀬:もちろん恋愛もたくさんしましたし、酒や煙草を始めたりと色々な喜びは知っていきましたが (笑)、やるのは同級生と朝までブラームスを聴いて語り合い、そして、自分の恋愛とブラームスのクララに対する恋愛とを重ね合わせたりすることなわけですよ(笑)。変な子ですよね(笑)。でも、結局これってロックにのめり込むのと何ら変わりはないんですよね。

--では、そのころは演奏家になるということ以外のものは何も見えなかった?

葉加瀬:それはずっとそうですね。大学に入るまではクラッシックのヴァイオリン以外は全くイメージしたことがなかったです。子どもの時から唯一自分で観ていたテレビ番組が『N響アワー』だったんですね。その『N響アワー』で僕の高校の先輩でもある堀 正文さんがコンサートマスターとして弾いている姿に凄く憧れていました。とにかく芸大に入って、N響のコンサートマスターになりたい。そうしたら毎週テレビに出られるというね(笑)。

--(笑)。堀川高校から芸大の受験というのは一発で受かったんですか?

葉加瀬:ええ。芸大のヴァイオリン科を受けに来るのが1学年大体200人、そのうち入れるのが20人くらいですから倍率10倍強です。でも、芸大は附属高校があるので、ここからエスカレーター式で上がってくる人がいて、僕らの学年は10人いましたから、残りの枠は実質10なんです。

--たった10人ですか・・・。

葉加瀬:でも、小さい頃からずっとコンクールで戦ってきているから、同じ年代の上手い奴というのは東京に何人、大阪に何人、九州に何人と分かっているんです。その中でお金持ちはみんな私立の桐朋へ行きますから、そこから何人か削られ、残りは何人と大体分かる。だから一杯受けに来ていてもあまり関係ないんです。「ミスさえしなければ何とかなるな」と自分でも分かっているから(笑)。

 ところが大穴みたいな奴もいるんですよね(笑)。僕が受験したときに一次、二次を通っている中に見かけない奴がいて、芸高みたいな制服を着ているので「お前、どこから来たの?」と聞いてみたら、「僕は長野です」と言われて、「長野にそんな奴いるんだ! 聞いてないよ! 番狂わせだ!」と(笑)。そいつは頭のよい県立長野高校出身で、共通一次も1,000点満点中900点以上とっていたんですね。それで「東大に行こうか芸大に行こうか、まだ迷っているんだ・・・」と言っていて、「だったら、東大に行けよ!」と正直思いましたね(笑)。結局彼とは同級生になり今でも友達ですけど、そういう受験だったんです。更に言うと芸大の入試における音楽史やソルフェージュは、堀川高校の1年生の終わりくらいのレベルなんですよ。堀川でやっていたものの方がよっぽど難しかったので、そういう心配はあまりなかったですね。  


Posted by いざぁりん  at 00:34
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美食家であり愛煙家、妻と3人の子供達を愛し、多くの友人達と親しく交際し温かい市民生活を楽しんだ、当時ドイツ最大の作曲家であり鍵盤楽器奏者であったエマヌエル・バッハは1788年、ハンブルクでその74年の生涯を終えました。友人達は彼の業績を称えるとともに、“いつも快活で愛想よく、理知的でユーモアに溢れた”その人柄を偲びました。

カール・フィリップ・エマヌエル・バッハは1714年、いわゆる父ゼバスティアンのワイマール時代、ゼバスティアンと最初の妻であるマリア・バルバラの次男として生を受けます。その後父の就任地の変更に伴い、ケーテン、ライプツィヒの少年期、青年期に、父ゼバスティアンを“唯一の師”として、鍵盤奏法と作曲を習得しました。1734年、20歳の時にライプツィヒ大学法学部からフランクフルト(オーデル)大学への転入にともない、親元を離れ独り立ちします。そして1738年、プロイセン皇太子の宮廷楽団員に就任します。これより彼の生涯は大きく二つの時代、30年間に及ぶベルリン時代と21年間に及ぶハンブルク時代に区分されます。

1740年、プロイセン皇太子がフリードリヒ二世として国王に即位し、エマヌエルは第一チェンバリストに就任します。このフリードリヒ二世は存命中より国民から“大王”と呼ばれ慕われた、開明的な啓蒙君主でした。当時フランス、イギリスから広まり始めた啓蒙思想に深く傾倒するフリードリヒは、多くの文化人を宮廷に集わせ、ヴォルテール等の哲学者とも親交を結び、古い因習、迷信を遠ざけ、より合理的で理性的な、そして人間は生まれながらにして平等であるという事を踏まえ、国事に携わります。それは例えばフランスのルイ王朝とは正反対の生き方であり、私利私欲で一族の栄華を推し進めるのではなく、国王の仕事を国民の生活を豊かにするためのものと捉え、自らを国に仕える公僕としたのです。この思想はルネサンスの人文主義の流れが加速し、教会と王侯貴族に支配されていた世界から主導権が市民階級に移りつつある中で生まれてきたものですが、本来王侯貴族側であるフリードリヒが、国民の立場で国事にあたったという事が斬新であり、画期的なことでした。そして我々フルート吹きにとって更に“画期的”なこと、それはご存知のごとく彼が芸術を愛し音楽を愛し、フルートを熱烈に愛したことでしょう。エマヌエル・バッハのフルート曲の9割程はこのフリードリヒ大王の下でのベルリン時代に集中しています。もし大王が存在しなければこれらの作品は生まれていないことでしょう。更には父ゼバスティアン・バッハの「音楽の捧げもの」、間接的にもBWV1035のホ長調ソナタを始め、その他多くの作曲家達のフルート作品が存在していないでしょう。どうでもよいことですが、300年後の東アジアの島国で、私がこの様な拙い文を書くこともなかったのです。

このなんとも文化的な王様は、平和な時期には週に3回から5回も宮廷演奏会を開き、自らフルートを演奏するばかりか、100曲以上のソナタと数曲の協奏曲を作曲しました。大王をチェンバロで伴奏したのはエマヌエルです。しかし興味深いことに、フリードリヒはエマヌエルの作品をあまり好まなかったようです。大王が好んだのは彼のフルートの師であるクヴァンツの作風、優美なギャラント・スタイルであり、言うなれば差し障りのない教養ある美しい曲であり、その点、エマヌエルは独創的であり革新的過ぎたのかも知れません。

このベルリン時代のフルート作品(ベルリン以前の数曲も含む)は、
 ・無伴奏フルートのためのソナタ 1曲
 ・フルートと通奏低音のためのソナタ 10曲
 ・フルートと鍵盤楽器のためのソナタ 5曲(4曲はトリオ・ソナタからの編曲)
 ・トリオ・ソナタ(Fl.Vn.Bc.) 12曲
 ・トリオ・ソナタ(2Fl.Bc.) 1曲
 ・二声と三声のための12の小品集
 ・デュエット 1曲
 ・協奏曲 6曲

1767年にエマヌエルの名付け親でもあるゲオルグ・フィリップ・テレマン(カール・フィリップ・エマヌエルのフィリップは、テレマンのフィリップに因んでいます)が亡くなると、その後任として、終生、ハンザ自由都市ハンブルクの音楽監督を勤めます。この地でカントルとして市内の各大教会の音楽を取り仕切る等多忙な日々を過ごす傍ら、彼はまた自作品の出版を積極的に行う几帳面で有能な実務家としての一面を見せます。

エマヌエルは親しく知人、友人を自宅の食事に招くのを喜びとして、その際請われるままに即興演奏を披露しました。バーニー*によれば、その演奏は“次第に生気を得て、何かに取り憑かれた様になり、霊感を帯びた”ものであったそうです。エマヌエル本人も「音楽というものは第一に、聴く人の心の琴線に触れなくてはなりません。」と自伝に語り、そのためには演奏家自身が心から深く感動する事が肝心で、それなくしては聴衆を感動させる事は出来ないとしています。多感主義最大の音楽家として有名なエマヌエルですが、それを本人がどの程度意識していたかはともかく、彼独特の世界は鮮明であり、極上のセンチメンタリズム、そして意外な和声展開、突然の間や強弱法を駆使しての感情の急激な変化が特徴的です。それは微笑んでいる人が突然怒り出したり、次の瞬間にはもう涙もろく悲しんでいるというような、“喜怒哀楽の変化”の魅力ある表出です。

このハンブルク時代のフルート作品は、
 ・2集目の二声と三声のための12の小品集
 ・晩年の通奏低音とのソナタ1曲(ハンブルガー・ソナタ)
そして最後の年に作曲された3曲の四重奏曲です。

*チャールズ・バーニー(1726-1814)
 イギリスの音楽家。ヨーロッパ中を巡って様々な社会と音楽を見聞し、1771年と1773年に、各国の音楽事情を記した2冊の本を出版した。
 これらは大変重要な資料となっており、C.P.E.バッハに関する記述もある。
  


Posted by いざぁりん  at 00:33