2019年04月22日
やわらかい表情の、ぴあのちゃん
Posted by いざぁりん
at 00:20
2019年04月21日
「AAA浦田直也容疑者 有名だった酒癖の悪さ 酔ってあの歌姫への恋心を連続ツイート」との報道
Posted by いざぁりん
at 00:40
2019年04月21日
「経団連会長“終身雇用を続けるのは難しい”」との報道
「これまで日本では、4月の一括採用で入社せずに、あとから非正規で入社した場合、たとえスキルを身につけたとしても正社員に待遇で差をつけられるというケースを示し、そうした雇用システムに疑問を呈した」、という議論からの、終身雇用制批判ということは、終身雇用を廃止して、全員、非正規雇用にする、ということになります。
労働者全員が非正規雇用になると、労働者全員が年収200万円程度になります。
そして、社会は、崩壊するのです。
報道は、こちらです。
https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/nnn?a=20190419-00000276-nnn-bus_all
労働者全員が非正規雇用になると、労働者全員が年収200万円程度になります。
そして、社会は、崩壊するのです。
報道は、こちらです。
https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/nnn?a=20190419-00000276-nnn-bus_all
Posted by いざぁりん
at 00:39
2019年04月21日
「西日本豪雨があった広島に行った【せやろがいおじさん】」
Posted by いざぁりん
at 00:37
2019年04月21日
「大火災に見舞われたブラジル国立博物館、ノートルダムに倣って寄付願う」との報道
寄付や募金を求めておられる方々は、多いと思います。
報道は、こちらです。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190420-00000031-jij_afp-int
(以下は、コピーです)
昨年9月2日、中南米で最も重要な自然史博物館である同博物館で、空調設備の欠陥により火災が発生。建物は廃虚と化し、収蔵品の大半に被害が及んだものの、これまでのところ、修復費用として集まった金額は28万ドル(約3100万円)程度にとどまっている。
(中略)
同博物館の再建費用は、総額でおよそ1億レアル(約28億円)と報じられている。
報道は、こちらです。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190420-00000031-jij_afp-int
(以下は、コピーです)
昨年9月2日、中南米で最も重要な自然史博物館である同博物館で、空調設備の欠陥により火災が発生。建物は廃虚と化し、収蔵品の大半に被害が及んだものの、これまでのところ、修復費用として集まった金額は28万ドル(約3100万円)程度にとどまっている。
(中略)
同博物館の再建費用は、総額でおよそ1億レアル(約28億円)と報じられている。
Posted by いざぁりん
at 00:36
2019年04月21日
飛行機の地上での接触事故
Posted by いざぁりん
at 00:35
2019年04月20日
「寄付と再建方法で論争 ノートルダム火災、仏社会結束ならず」との報道
寄付の理想は、少額を大勢の人にしてもらい、多くの人々の心をいただくこと、だと思います。
ところが、ノートルダムに関しては、セレブによるマウントの取り合い、偽善の場、ノブレスオブリージュを使った自己顕示の場、政治利用の場、となってしまいました。
その総額が、既に1000億円超とのことですから、これだと巨額すぎて、お釣りが出ることでしょう。
もう、寄付は要らないということになります。
寄付としては、金額が集まっただけで、心が集まらなかった、寄付の失敗例です。
報道は、こちらです。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190419-00000004-jij_afp-int
(以下は、コピ-です)
「私は、この大惨事を結束の機会とする必要があると、強く信じている」──。エマニュエル・マクロン(Emmanuel Macron)仏大統領は、パリのノートルダム大聖堂(Notre Dame Cathedral)で今週起きた大火災を受けたテレビ演説でこう表明したものの、この連帯感は2日と持たなかった。
フランスでは15日夜に起きた火災を受け、各政党が欧州議会選に向けた選挙活動を停止した一方、大聖堂再建に向け集まった寄付をめぐる論争が17日までに勃発した。集まった寄付金8億5000万ユーロ(約1070億円)については、その一部が貧困層支援に使われるべきではないかとの声が上がっている。
フランク・リーステール(Franck Riester)文化相は18日、仏ラジオ・モンテカルロ(RMC)に対し、「この無意味な議論は、『他に必要とされているところがある時に、ノートルダムに使うには多すぎる資金だ』というもの。社会システムや健康、気候変動対策のための資金が必要なのは当然だ」と指摘した上で、「だが、この並外れた寛大な行為の成り行きを見守ろう」と呼び掛けた。
大聖堂の再建に対しては、フランソワ=アンリ・ピノー(Francois-Henri Pinault)氏やベルナール・アルノー(Bernard Arnault)氏をはじめとするフランスの大富豪や大企業がそれぞれ1億ユーロ(約130億円)を超える寄付を表明。しかし、「ジレ・ジョーヌ(黄色いベスト、gilets jaunes)」運動の抗議デモが5か月にわたり続くフランスでは、富の不平等と低所得者層の窮状に注目が集まっており、巨額の寄付は批判を呼んだ。
寄付により大規模な税額控除を受けられることも反発の一因となっており、これを受けてピノー氏は、税額控除の権利を放棄すると表明。一方のアルノー氏は、18日の株主総会で寄付をめぐる論争について問われた際、「フランスでは(公益となる)何かをする時でさえ批判され、非常に悩ましい」と語った。
また、保守派の政治家らは18日、大聖堂に近代的な建築物が加わる可能性に懸念を示した。政府はこれに先立ち、新しい屋根と尖塔(せんとう)のデザインを公募する計画を発表。マクロン氏は再建を5年で完了する目標を定め、「近代建築の要素も想像できる」と述べていた。
極右政党「国民連合(National Rally)」のジョルダン・バルデラ(Jordan Bardella)氏は仏ニュース専門局LCIに、「この狂気の沙汰を止めよう。私たちはフランスの文化財を絶対的に尊重する必要がある」と述べ、「現代アートとやら」が加えられるかもしれないとの考えを一蹴した。
ところが、ノートルダムに関しては、セレブによるマウントの取り合い、偽善の場、ノブレスオブリージュを使った自己顕示の場、政治利用の場、となってしまいました。
その総額が、既に1000億円超とのことですから、これだと巨額すぎて、お釣りが出ることでしょう。
もう、寄付は要らないということになります。
寄付としては、金額が集まっただけで、心が集まらなかった、寄付の失敗例です。
報道は、こちらです。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190419-00000004-jij_afp-int
(以下は、コピ-です)
「私は、この大惨事を結束の機会とする必要があると、強く信じている」──。エマニュエル・マクロン(Emmanuel Macron)仏大統領は、パリのノートルダム大聖堂(Notre Dame Cathedral)で今週起きた大火災を受けたテレビ演説でこう表明したものの、この連帯感は2日と持たなかった。
フランスでは15日夜に起きた火災を受け、各政党が欧州議会選に向けた選挙活動を停止した一方、大聖堂再建に向け集まった寄付をめぐる論争が17日までに勃発した。集まった寄付金8億5000万ユーロ(約1070億円)については、その一部が貧困層支援に使われるべきではないかとの声が上がっている。
フランク・リーステール(Franck Riester)文化相は18日、仏ラジオ・モンテカルロ(RMC)に対し、「この無意味な議論は、『他に必要とされているところがある時に、ノートルダムに使うには多すぎる資金だ』というもの。社会システムや健康、気候変動対策のための資金が必要なのは当然だ」と指摘した上で、「だが、この並外れた寛大な行為の成り行きを見守ろう」と呼び掛けた。
大聖堂の再建に対しては、フランソワ=アンリ・ピノー(Francois-Henri Pinault)氏やベルナール・アルノー(Bernard Arnault)氏をはじめとするフランスの大富豪や大企業がそれぞれ1億ユーロ(約130億円)を超える寄付を表明。しかし、「ジレ・ジョーヌ(黄色いベスト、gilets jaunes)」運動の抗議デモが5か月にわたり続くフランスでは、富の不平等と低所得者層の窮状に注目が集まっており、巨額の寄付は批判を呼んだ。
寄付により大規模な税額控除を受けられることも反発の一因となっており、これを受けてピノー氏は、税額控除の権利を放棄すると表明。一方のアルノー氏は、18日の株主総会で寄付をめぐる論争について問われた際、「フランスでは(公益となる)何かをする時でさえ批判され、非常に悩ましい」と語った。
また、保守派の政治家らは18日、大聖堂に近代的な建築物が加わる可能性に懸念を示した。政府はこれに先立ち、新しい屋根と尖塔(せんとう)のデザインを公募する計画を発表。マクロン氏は再建を5年で完了する目標を定め、「近代建築の要素も想像できる」と述べていた。
極右政党「国民連合(National Rally)」のジョルダン・バルデラ(Jordan Bardella)氏は仏ニュース専門局LCIに、「この狂気の沙汰を止めよう。私たちはフランスの文化財を絶対的に尊重する必要がある」と述べ、「現代アートとやら」が加えられるかもしれないとの考えを一蹴した。
Posted by いざぁりん
at 01:00
2019年04月20日
「消費増税凍結を発言させた安倍首相の狙い」との報道
消費税を、直ちに廃止しなければなりません。
報道は、こちらです。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190419-00028504-president-pol
報道は、こちらです。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190419-00028504-president-pol
Posted by いざぁりん
at 00:47
2019年04月20日
「京大の琉球遺骨 学問の誠意が問われる」との報道
京大は、遺骨を返しなさい。
報道は、こちらです。
http://www.kyoto-up.org/archives/2785
https://www.kyoto-np.co.jp/info/syasetsu/20190322_3.html
(以下は、コピーです)
沖縄県今帰仁(なきじん)村に伝わる地元の有力首長の墓から90年前に学術研究の名目で持ち出された琉球人の遺骨を返すよう、子孫らが京都大を訴えている。
沖縄で先祖の遺骨は信仰の対象である。それが墓にないため、憲法が保障する信仰や宗教の自由が侵害された、と原告は主張している。
京大は裁判で遺骨の保管を認めたが、「(当時は)違法でなかった」と争う姿勢を見せている。
重要な学術研究とはいえ、それが遺族らに遺骨を返さなくていいという理由にはなるまい。京大のかたくなな姿勢は残念だ。
京都地裁に訴えた首長の子孫らによると、1929年に当時の京都帝国大助教授が首長を葬った「百按司(ももじゃな)墓」から26体の遺骨を持ち出し、現在も研究材料として保管しているという。
子孫らは遺骨が持ち出されていたことを知らずに長年、祭祀(さいし)を継承してきた。「むなしい」という訴えは悲痛である。
裁判を起こされる前に、返還に動くのが道理ではなかったか。
同様の訴訟としては、北海道でアイヌ民族が北海道大を相手に起こしている事例がある。
人骨の研究は戦前、京大や北大を中心に盛んに行われていた。「民族の系統」の研究が名目で、沖縄やアイヌ民族の墓から骨を持ち出していた。
こうした研究は、日本が大陸や南方に領土拡大を目指す中で行われた。学問が国策のために利用されたが、学問自体も国策に乗じた権威主義的な姿勢が強かった。
墓から遺骨を持ち去るなどという行為はその典型といえる。
京大は、当時の沖縄県などの許可を得ており、合法的な取得だったと反論している。だが、当時の帝国大学の権威の前に、沖縄県側が抵抗できなかった可能性は十分にある。
対等ではない関係の中で持ち去られた文化財などの返還を求める動きは、現在、世界的な潮流になっている。
米国では先住民の遺骨を収集していた大学に対し、返還を義務づける制度が1990年に施行された。北大も一部返還を始めている。
京大は訴えられるまで、子孫に対し遺骨の存否さえ回答しなかった。提訴を受け遺骨の存在を認めたが、遺骨が原告の先祖のものかを証明するよう求めている。京大の管理があいまいだったのに、あまりに冷淡な対応だ。
遺骨は本来の場所に戻すのが筋だ。学問の誠意が問われている。
[京都新聞 2019年03月22日掲載]
報道は、こちらです。
http://www.kyoto-up.org/archives/2785
https://www.kyoto-np.co.jp/info/syasetsu/20190322_3.html
(以下は、コピーです)
沖縄県今帰仁(なきじん)村に伝わる地元の有力首長の墓から90年前に学術研究の名目で持ち出された琉球人の遺骨を返すよう、子孫らが京都大を訴えている。
沖縄で先祖の遺骨は信仰の対象である。それが墓にないため、憲法が保障する信仰や宗教の自由が侵害された、と原告は主張している。
京大は裁判で遺骨の保管を認めたが、「(当時は)違法でなかった」と争う姿勢を見せている。
重要な学術研究とはいえ、それが遺族らに遺骨を返さなくていいという理由にはなるまい。京大のかたくなな姿勢は残念だ。
京都地裁に訴えた首長の子孫らによると、1929年に当時の京都帝国大助教授が首長を葬った「百按司(ももじゃな)墓」から26体の遺骨を持ち出し、現在も研究材料として保管しているという。
子孫らは遺骨が持ち出されていたことを知らずに長年、祭祀(さいし)を継承してきた。「むなしい」という訴えは悲痛である。
裁判を起こされる前に、返還に動くのが道理ではなかったか。
同様の訴訟としては、北海道でアイヌ民族が北海道大を相手に起こしている事例がある。
人骨の研究は戦前、京大や北大を中心に盛んに行われていた。「民族の系統」の研究が名目で、沖縄やアイヌ民族の墓から骨を持ち出していた。
こうした研究は、日本が大陸や南方に領土拡大を目指す中で行われた。学問が国策のために利用されたが、学問自体も国策に乗じた権威主義的な姿勢が強かった。
墓から遺骨を持ち去るなどという行為はその典型といえる。
京大は、当時の沖縄県などの許可を得ており、合法的な取得だったと反論している。だが、当時の帝国大学の権威の前に、沖縄県側が抵抗できなかった可能性は十分にある。
対等ではない関係の中で持ち去られた文化財などの返還を求める動きは、現在、世界的な潮流になっている。
米国では先住民の遺骨を収集していた大学に対し、返還を義務づける制度が1990年に施行された。北大も一部返還を始めている。
京大は訴えられるまで、子孫に対し遺骨の存否さえ回答しなかった。提訴を受け遺骨の存在を認めたが、遺骨が原告の先祖のものかを証明するよう求めている。京大の管理があいまいだったのに、あまりに冷淡な対応だ。
遺骨は本来の場所に戻すのが筋だ。学問の誠意が問われている。
[京都新聞 2019年03月22日掲載]
Posted by いざぁりん
at 00:42
2019年04月20日
「米軍に囲まれ陸の孤島、104歳敗訴」との報道
裁判所は、冷淡です。
報道は、こちらです。
https://www.asahi.com/articles/ASM4M5600M4MUTIL02S.html?iref=com_alist_8_06
(以下は、コピーです)
自宅の周囲が米軍施設の「根岸住宅」に囲まれている横浜市中区の山本嘉平治さん(104)=現在は老人ホームに居住=が、外部との交通やライフラインの確保がままならない「陸の孤島」の生活を余儀なくされたとして、国に約4億2千万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が19日、横浜地裁であった。高宮健二裁判長は「原告が受けた不利益や制限が受忍限度を超えているとは言えない」として、請求を棄却した。
判決によると、山本さんや家族は戦前から同じ場所に土地を所有し、住んでいた。戦後、周囲が米側に接収されたために、「陸の孤島」となり、外部から自宅まで行くために通行パスが必要になった。
判決は根岸住宅について、「日米の安全保障条約に基づき、米軍に提供された施設で、テロや襲撃のために一定の通行制限をすることはやむを得ない」と指摘。そのうえで、「出入りが一定程度制約されたとしても、通行制限が違法とは言えない」と結論づけた。
報道は、こちらです。
https://www.asahi.com/articles/ASM4M5600M4MUTIL02S.html?iref=com_alist_8_06
(以下は、コピーです)
自宅の周囲が米軍施設の「根岸住宅」に囲まれている横浜市中区の山本嘉平治さん(104)=現在は老人ホームに居住=が、外部との交通やライフラインの確保がままならない「陸の孤島」の生活を余儀なくされたとして、国に約4億2千万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が19日、横浜地裁であった。高宮健二裁判長は「原告が受けた不利益や制限が受忍限度を超えているとは言えない」として、請求を棄却した。
判決によると、山本さんや家族は戦前から同じ場所に土地を所有し、住んでいた。戦後、周囲が米側に接収されたために、「陸の孤島」となり、外部から自宅まで行くために通行パスが必要になった。
判決は根岸住宅について、「日米の安全保障条約に基づき、米軍に提供された施設で、テロや襲撃のために一定の通行制限をすることはやむを得ない」と指摘。そのうえで、「出入りが一定程度制約されたとしても、通行制限が違法とは言えない」と結論づけた。
Posted by いざぁりん
at 00:38
2019年04月19日
「ノートルダム大聖堂火災に寄付しよう・日本のカードでOK」との報道
Posted by いざぁりん
at 06:10
2019年04月19日
「“総理の側近”消費増税の先送りに言及」との報道
Posted by いざぁりん
at 00:45
2019年04月19日
「【日本初?!空港ピアノ】大阪伊丹空港ストリートピアノ」
「ヤマハピアノ、伊丹空港に 空港ピアノ 設置 4月18日から21日までは演奏も可能」、との報道
報道は、こちらです。
https://www.traicy.com/20190415-itm-yamaha
https://www.youtube.com/watch?v=4GHUQrZuL-U
報道は、こちらです。
https://www.traicy.com/20190415-itm-yamaha
https://www.youtube.com/watch?v=4GHUQrZuL-U
Posted by いざぁりん
at 00:44
2019年04月19日
「米アーティストたちが勧める 脱・スマホ ライブとは何か」との報道
Posted by いざぁりん
at 00:43
2019年04月19日
「ボブ・ディラン、携帯撮影の観客に激怒し公演途中終了」との報道
携帯やスマホの無い社会が、良い社会です。
報道は、こちらです。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190418-00030605-rolling-ent
報道は、こちらです。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190418-00030605-rolling-ent
Posted by いざぁりん
at 00:42
2019年04月19日
『劇場版 響け!ユーフォニアム~誓いのフィナーレ~』 本日公開
Posted by いざぁりん
at 00:42
2019年04月19日
「三谷映画 9・13公開『記憶にございません!』」との報道
記憶喪失になった総理の、政界コメディー、とのことです。
報道は、こちらです。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190417-00000502-sanspo-movi
報道は、こちらです。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190417-00000502-sanspo-movi
Posted by いざぁりん
at 00:41
2019年04月19日
「ドミソの和音を生み出した天蓋の焼失」との報道
なるほど。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190418-00056155-jbpressz-eurp&p=1
(以下は、コピーです)
というのも、それらの建設と並行して、私たちが平素使っている「5線」による音楽の「記譜」、そこで実現される「ド・ミ・ソ」の3つの幹となる音から成立する長短2つの三和音など、要するに「西欧音楽」と呼ばれるものの“DNA”が、この1つの建物の構造とともに成立してきたからです。
■ 西欧ポリフォニー誕生の現場 ノートルダム大聖堂
1163年、イスラム式の最新工法による大聖堂建築が始まる以前のカテドラルは、ロマネスクの小型教会で、鈍重な石積みで背が低く、窓がない建築物だったことは、前稿にも記しました。
石室の中は、温泉の大浴場みたいなもので、やたらと声が響きます。2人、3人と話すと意味が分からなくなってしまう。そうではなく、ゆっくりと、一つの声部を歌うことで、やたらとインパクトの強い宗教音楽の時空間を作ることができます。
「グレゴリオ聖歌」と呼ばれる単旋律のメロディが発達したのは、カール大帝による西ローマの再統一と、戸籍整備などの意味を含むローマ式教会+ローマ式典礼・ローマ聖歌の義務化・標準化=「ロマネスクの成立」で普及したものです。
「古代人の音楽が未熟で単旋律しかなかった」という説明を四十数年前、小学生だった私は国立音楽大学を出たばかりの若い音楽の先生から習いましたが、完全に間違っています。
若い先生諸氏、嘘を教えるのはやめましょう・・・9世紀10世紀の人たちが原始的だったから、グレゴリオ聖歌が単旋律だったわけでは、全くありません。
それより500年も1000年も古い古代ギリシャにも、 古代中国にも、極めて高度な合奏音楽が成立していたことが確認されています。
タイムカプセルのように現代日本に残る「唐楽・高麗楽」の雅楽は、その一例としても考えることができます。
グレゴリオ聖歌が有り難かったのは、やたらと天然のエコーがつきまくる、ロマネスク教会の小さな聖堂、「いしむろ」があったからでした。
さて1180年のパリで起きたことは何だったか、思い出してみて下さい。
12メートルほどの高さだったこの石室を、屋上屋を重ねて、30メートルを超す巨大な新しい天蓋で囲む工事を行われ、次に旧小型聖堂が分解されたのでした。
ということは、聖歌を気持ちよく歌っていた「いしむろ」が消えたということになります。
草津温泉の大浴場で気分よく演歌を歌っていた人が、いきなり露天風呂にワープしたら、何が起きるでしょうか?
「エコー」が消えてしまいます。
大司教モーリス・ド・シュリー以下のパリ首脳が直面したのは、この状況だったのです。当時の聖職者には音響学もへったくれもありません。
「イスラムから到来した変な工法でバカでかいのを作ったら、エコーが消えてしまった」「神の恩寵が失われたのではないか?」「いや、新たな試練を神は私たちに問うておられる」
いろいろな議論があり、ここから、変にだだっ広くなってしまった大聖堂の中のあちこちで、いろいろな歌い方を試みて、「神の真の恩寵たるべき聖歌の歌い方」が、大真面目に検討されました。
責任者の高位聖職者の名はペロティヌス(ペロタン)、レオニヌス(レオナン)と伝えられます。
試行錯誤の結果、「お、これはよく響く!」と確認されたものは、正しく神の恩寵を示すものとして記録して、正統なものにする必要がありましたから「記譜法」がここからより精緻なものとして発達していきます(「アルス・アンティカ」の書法)。
このような試行錯誤は、神さまの「身体」である教会内で神の愛と恩寵を顕現するために行われるので「神さまの内臓」と呼ばれました。
オーガニック栽培=有機農法と同じくこれを「オルガン」というわけです。
パイプオルガンのパイプは神様の臓物ということになるのですが、ご存知でしたか?
そこを吹き抜けて出て来る音が「単なる風」なのか?
それともそれ以上の意味を持つか?
といった議論は、まさにこの時期「正統論争」として神学の一大問題と見なされ、トマス・アクィナス(1225-74)の「神学大全(Summa Theologiae)」で一応の決着を見るのも、まさにノートルダム大聖堂が現在の形に完成される時期に重なっています。
この時期、少しずつ建て増しされる大聖堂の中で・・・つまり少しずつ変化する教会内の音響条件の中で・・・よりよく響く「神の臓物」としての聖歌・讃美歌の歌い方が試行錯誤されます。
そして、結果の良いものが記譜され、パリ大司教名の教令で「これが正しい歌い方である」と定められて記録されたのが、今日「オルガヌム大全(magnus liber organi)」として伝わる、西欧最初の体系だった複数声部の移動を詳細に記載した曲集でした。
西欧音楽は新しい形式を確立させます。ポリフォニー、多声楽と呼ばれるものです。
■ この建物から始まった(2) 「ドミソ」の和音はここで生まれた
同じパリのラ・ヴィレット地区にある「シテ・ドゥ・ラ・ミュジック」音楽都市博物館には音楽史の展示がありますが、古代ギリシャからいきなり15世紀北部イタリア・ルネサンスの鍵盤楽器に飛躍しています。
「ほかならぬこのパリで成立したポリフォニーの原点をどうしてパリで無視するのか!」と、関連の責任者でもあり、恩師のピエール・ブーレーズに、1990年代、当時まだ若かった私は抗議して、それをひっくり返すことを考えました。
今日に直結する西欧音楽の骨格は、シテ島のノートルダム大聖堂という、たった一つの建物の、約100年をかけての建築と増築のプロセスの中、そこでよく響くように工夫され、パリ大司教が正統と認めることで培われました。
例えば、こんなことがあります。
教会で毎週行われる「ミサ」という儀礼は、イエス・キリストが処刑される直前の「最後の晩餐」を模倣して行われ、必ず「入堂」があり「退堂」があります。
退堂の際「いざわれら出で行かん」と、次の布教に、いわばねずみ講式ですが、異教徒をクリスチャンに誘う合言葉が「イッテ・ミサ・エスト」というもので、そこで帯びるのが「ミッション」ということになります。
この「入堂」は、基本的に脇・・・「翼廊」側から入って、一度「身廊」の足のつま先まで進んでから、聖堂の身体を「心臓部」トランセプトまでぐるりと一周します。
つまり全身を血が駆け巡るわけですが、このとき歌う「入堂聖歌」が、だだっ広くなってしまったノートルダムでは、どうにも響かなかったんですね。
アーメンとかハレルヤとか、あれこれ試行錯誤してみるのですが、なかなか上手くいかない。
ところが、何かの偶然だったと思いますが「ド」の上に「ミ」と「ソ」が重なる「三和音」の形ができると、にわかに周囲にやたらハモったわけですね。
歌い方の工夫が試みられて、そのような「行進歌(conductus)」という形で、今日私たちが普通に親しむ「ドミソ」の響きが初めて作られたのは、パリのノートルダム大聖堂でした。
たった一個の建物の中での、何十年という宗教音楽家(=聖職者)たちの、弛みのない試行錯誤の結果にほかなりません。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190418-00056155-jbpressz-eurp&p=1
(以下は、コピーです)
というのも、それらの建設と並行して、私たちが平素使っている「5線」による音楽の「記譜」、そこで実現される「ド・ミ・ソ」の3つの幹となる音から成立する長短2つの三和音など、要するに「西欧音楽」と呼ばれるものの“DNA”が、この1つの建物の構造とともに成立してきたからです。
■ 西欧ポリフォニー誕生の現場 ノートルダム大聖堂
1163年、イスラム式の最新工法による大聖堂建築が始まる以前のカテドラルは、ロマネスクの小型教会で、鈍重な石積みで背が低く、窓がない建築物だったことは、前稿にも記しました。
石室の中は、温泉の大浴場みたいなもので、やたらと声が響きます。2人、3人と話すと意味が分からなくなってしまう。そうではなく、ゆっくりと、一つの声部を歌うことで、やたらとインパクトの強い宗教音楽の時空間を作ることができます。
「グレゴリオ聖歌」と呼ばれる単旋律のメロディが発達したのは、カール大帝による西ローマの再統一と、戸籍整備などの意味を含むローマ式教会+ローマ式典礼・ローマ聖歌の義務化・標準化=「ロマネスクの成立」で普及したものです。
「古代人の音楽が未熟で単旋律しかなかった」という説明を四十数年前、小学生だった私は国立音楽大学を出たばかりの若い音楽の先生から習いましたが、完全に間違っています。
若い先生諸氏、嘘を教えるのはやめましょう・・・9世紀10世紀の人たちが原始的だったから、グレゴリオ聖歌が単旋律だったわけでは、全くありません。
それより500年も1000年も古い古代ギリシャにも、 古代中国にも、極めて高度な合奏音楽が成立していたことが確認されています。
タイムカプセルのように現代日本に残る「唐楽・高麗楽」の雅楽は、その一例としても考えることができます。
グレゴリオ聖歌が有り難かったのは、やたらと天然のエコーがつきまくる、ロマネスク教会の小さな聖堂、「いしむろ」があったからでした。
さて1180年のパリで起きたことは何だったか、思い出してみて下さい。
12メートルほどの高さだったこの石室を、屋上屋を重ねて、30メートルを超す巨大な新しい天蓋で囲む工事を行われ、次に旧小型聖堂が分解されたのでした。
ということは、聖歌を気持ちよく歌っていた「いしむろ」が消えたということになります。
草津温泉の大浴場で気分よく演歌を歌っていた人が、いきなり露天風呂にワープしたら、何が起きるでしょうか?
「エコー」が消えてしまいます。
大司教モーリス・ド・シュリー以下のパリ首脳が直面したのは、この状況だったのです。当時の聖職者には音響学もへったくれもありません。
「イスラムから到来した変な工法でバカでかいのを作ったら、エコーが消えてしまった」「神の恩寵が失われたのではないか?」「いや、新たな試練を神は私たちに問うておられる」
いろいろな議論があり、ここから、変にだだっ広くなってしまった大聖堂の中のあちこちで、いろいろな歌い方を試みて、「神の真の恩寵たるべき聖歌の歌い方」が、大真面目に検討されました。
責任者の高位聖職者の名はペロティヌス(ペロタン)、レオニヌス(レオナン)と伝えられます。
試行錯誤の結果、「お、これはよく響く!」と確認されたものは、正しく神の恩寵を示すものとして記録して、正統なものにする必要がありましたから「記譜法」がここからより精緻なものとして発達していきます(「アルス・アンティカ」の書法)。
このような試行錯誤は、神さまの「身体」である教会内で神の愛と恩寵を顕現するために行われるので「神さまの内臓」と呼ばれました。
オーガニック栽培=有機農法と同じくこれを「オルガン」というわけです。
パイプオルガンのパイプは神様の臓物ということになるのですが、ご存知でしたか?
そこを吹き抜けて出て来る音が「単なる風」なのか?
それともそれ以上の意味を持つか?
といった議論は、まさにこの時期「正統論争」として神学の一大問題と見なされ、トマス・アクィナス(1225-74)の「神学大全(Summa Theologiae)」で一応の決着を見るのも、まさにノートルダム大聖堂が現在の形に完成される時期に重なっています。
この時期、少しずつ建て増しされる大聖堂の中で・・・つまり少しずつ変化する教会内の音響条件の中で・・・よりよく響く「神の臓物」としての聖歌・讃美歌の歌い方が試行錯誤されます。
そして、結果の良いものが記譜され、パリ大司教名の教令で「これが正しい歌い方である」と定められて記録されたのが、今日「オルガヌム大全(magnus liber organi)」として伝わる、西欧最初の体系だった複数声部の移動を詳細に記載した曲集でした。
西欧音楽は新しい形式を確立させます。ポリフォニー、多声楽と呼ばれるものです。
■ この建物から始まった(2) 「ドミソ」の和音はここで生まれた
同じパリのラ・ヴィレット地区にある「シテ・ドゥ・ラ・ミュジック」音楽都市博物館には音楽史の展示がありますが、古代ギリシャからいきなり15世紀北部イタリア・ルネサンスの鍵盤楽器に飛躍しています。
「ほかならぬこのパリで成立したポリフォニーの原点をどうしてパリで無視するのか!」と、関連の責任者でもあり、恩師のピエール・ブーレーズに、1990年代、当時まだ若かった私は抗議して、それをひっくり返すことを考えました。
今日に直結する西欧音楽の骨格は、シテ島のノートルダム大聖堂という、たった一つの建物の、約100年をかけての建築と増築のプロセスの中、そこでよく響くように工夫され、パリ大司教が正統と認めることで培われました。
例えば、こんなことがあります。
教会で毎週行われる「ミサ」という儀礼は、イエス・キリストが処刑される直前の「最後の晩餐」を模倣して行われ、必ず「入堂」があり「退堂」があります。
退堂の際「いざわれら出で行かん」と、次の布教に、いわばねずみ講式ですが、異教徒をクリスチャンに誘う合言葉が「イッテ・ミサ・エスト」というもので、そこで帯びるのが「ミッション」ということになります。
この「入堂」は、基本的に脇・・・「翼廊」側から入って、一度「身廊」の足のつま先まで進んでから、聖堂の身体を「心臓部」トランセプトまでぐるりと一周します。
つまり全身を血が駆け巡るわけですが、このとき歌う「入堂聖歌」が、だだっ広くなってしまったノートルダムでは、どうにも響かなかったんですね。
アーメンとかハレルヤとか、あれこれ試行錯誤してみるのですが、なかなか上手くいかない。
ところが、何かの偶然だったと思いますが「ド」の上に「ミ」と「ソ」が重なる「三和音」の形ができると、にわかに周囲にやたらハモったわけですね。
歌い方の工夫が試みられて、そのような「行進歌(conductus)」という形で、今日私たちが普通に親しむ「ドミソ」の響きが初めて作られたのは、パリのノートルダム大聖堂でした。
たった一個の建物の中での、何十年という宗教音楽家(=聖職者)たちの、弛みのない試行錯誤の結果にほかなりません。
Posted by いざぁりん
at 00:40