2015年06月20日
やはりあった! 豊臣秀吉の「幻の伏見城」420年ぶり出現
こちらです。
http://www.iza.ne.jp/topics/entertainments/entertainments-7166-m.html
(以下は、コピーです)
天下を統一した豊臣秀吉が完成させた最初の伏見城(指月城)とみられる石垣や瓦片が京都市のマンション造成地から出土。これまで所在すら分かっていなかった「幻の城」の遺構の出現に専門家たちも驚きを隠せない。
《伏見城》
現在の京都市伏見区桃山町周辺にあったとされる日本の城。3度にわたって築城された。文禄3(1594)年、豊臣秀吉が完成させた最初の伏見城を指月(しづき)伏見城、地震で倒壊した後に、木幡(こはた)山に再建されたものを木幡山伏見城と呼び区別される。木幡山伏見城は豊臣期のものと、関が原の戦い(1600年)の前哨戦で焼失した後に徳川家康によって再建された徳川期に分けられる。
最初の伏見城「指月城」の遺構が見つかる
京都市伏見区桃山町から、石垣や瓦片などが出土
豊臣秀吉が築いた最初の伏見城(指月城)とみられる石垣や多数の金箔瓦片が京都市伏見区桃山町のマンション造成地から出土。6月18日、民間調査団体「京都平安文化財」が発表した。
天下人・秀吉の「幻の伏見城」石垣や瓦片出土 京都の造成地
所在すら分かっていなかった「幻の城」だった
指月城は完成から2年後に発生した慶長伏見地震(1596年)で倒壊した後すぐに埋められたため、所在すら分かっていなかった「幻の城」だった。
天下人・秀吉の「幻の伏見城」石垣や瓦片出土 京都の造成地
同時期の城とよく似た工法…「指月城に間違いない」と調査団体
出土した石垣は、長辺1メートル前後の花崗岩などで構成され、南北36メートルにわたり出土。自然石を野積みのようにした初期の大坂城本丸跡や聚楽第(秀吉が建てた政庁兼邸宅)跡の工法とよく似ており、京都平安文化財は「同時期に建てられた指月城に間違いない」としている。
天下人・秀吉の「幻の伏見城」石垣や瓦片出土 京都の造成地
石垣が見つかった伏見城の遺構=京都市伏見区(本社ヘリから、大塚聡彦撮影)
石垣が見つかった伏見城の遺構=京都市伏見区(本社ヘリから、大塚聡彦撮影)
420年ぶりの出現…専門家ら驚き
「指月城の石垣は壊れてなくなったと思っていたので驚いた」
千田嘉博・奈良大学長(城郭考古学)は「指月城の石垣は壊れてなくなったと思っていたので非常に驚いた。今回の発見をきっかけに指月城の姿が明らかになる可能性があり、画期的な成果といえる」と話した。
天下人・秀吉の「幻の伏見城」石垣や瓦片出土 京都の造成地
「これまで城はなかったとする説も…この発見ではっきりした」
山田邦和・同志社女子大教授(考古学)は「これまで城はなかったとする説を含めていろんな論議のあった指月城だが、この発見ではっきりした」と話した。
石垣や堀も…「幻の指月城、やはりあった」 専門家ら驚き
「豊臣氏が滅びて400年の節目…何かの縁を感じる」
発掘調査に携わった京都平安文化財は「豊臣氏が滅びて400年の節目に石垣が出たのは何かの縁を感じる。城郭の調査にとどまらず、伏見における桃山時代の歴史の理解を深める上で大きな成果だった」と今後の研究の進展に期待している。
秀吉の指月城、ミステリー解けるか 初期の伏見城、痕跡残る〔京都新聞〕
《豊臣家の滅亡》
秀吉の死後、関ケ原の戦い(1600年)で徳川家康が勝利し、江戸幕府を開く。しかし大坂城には秀吉の遺児秀頼と母淀殿が健在だった。豊臣家と徳川家は大坂の陣(1614-15年)で戦い、1615年に大坂城は落城、秀頼と淀殿が自害して豊臣家は滅亡した。
「大阪の陣」歴史解説〔大坂の陣400年プロジェクト実行委員会〕
豪華な城だった「指月城」
月の名所・指月に金箔瓦のきらびやかな装飾
豊臣秀吉が、平安時代から月見の名所として知られていた指月に築いた指月城。金箔桐文軒丸瓦や金箔唐草文軒など、数多く出土した金箔瓦が示すように、きらびやかな装飾を誇る豪華な城だったことが分かった。
石垣や堀も…「幻の指月城、やはりあった」 専門家ら驚き
指月伏見城跡の発掘調査で出土した金箔桐文軒丸瓦(下)や金箔唐草文軒平瓦=6月18日、京都市伏見区(志儀駒貴撮影)
指月伏見城跡の発掘調査で出土した金箔桐文軒丸瓦(下)や金箔唐草文軒平瓦=6月18日、京都市伏見区(志儀駒貴撮影)
「とても長い石垣、かなりの規模で贅を尽くしたもの」と専門家
千田嘉博奈良大学長(城郭考古学)は「とても長い石垣が見つかったことから、かなりの規模で贅を尽くしたものだったことが分かる。秀吉の権力の大きさが明確にイメージできる」と話す。
天下人・秀吉の「幻の伏見城」石垣や瓦片出土 京都の造成地
「軍事と政治の二面性がみられる」と専門家
滋賀県立大の中井均教授(日本城郭史)は「屋敷のような方形タイプと推定できる。軍事と政治の二面性がみられ、しっかりした造りで防御の意識も高かったようだ」とみている。
秀吉「幻の伏見城」石垣、中心部を初確認 自然石、聚楽第と酷似〔京都新聞〕
室町3代将軍・足利義満を意識?
秀吉が指月を選んだことについて、鋤柄俊夫・同志社大教授(中世考古学)は「秀吉が足利義満を意識していた結果では」と推測。天皇の家臣として最高位の太政大臣になるなど、義満との共通点がある秀吉は、義満が月の名所である指月に屋敷の建設を計画していたことを知っていたかもしれないという。
http://www.iza.ne.jp/topics/entertainments/entertainments-7166-m.html
(以下は、コピーです)
天下を統一した豊臣秀吉が完成させた最初の伏見城(指月城)とみられる石垣や瓦片が京都市のマンション造成地から出土。これまで所在すら分かっていなかった「幻の城」の遺構の出現に専門家たちも驚きを隠せない。
《伏見城》
現在の京都市伏見区桃山町周辺にあったとされる日本の城。3度にわたって築城された。文禄3(1594)年、豊臣秀吉が完成させた最初の伏見城を指月(しづき)伏見城、地震で倒壊した後に、木幡(こはた)山に再建されたものを木幡山伏見城と呼び区別される。木幡山伏見城は豊臣期のものと、関が原の戦い(1600年)の前哨戦で焼失した後に徳川家康によって再建された徳川期に分けられる。
最初の伏見城「指月城」の遺構が見つかる
京都市伏見区桃山町から、石垣や瓦片などが出土
豊臣秀吉が築いた最初の伏見城(指月城)とみられる石垣や多数の金箔瓦片が京都市伏見区桃山町のマンション造成地から出土。6月18日、民間調査団体「京都平安文化財」が発表した。
天下人・秀吉の「幻の伏見城」石垣や瓦片出土 京都の造成地
所在すら分かっていなかった「幻の城」だった
指月城は完成から2年後に発生した慶長伏見地震(1596年)で倒壊した後すぐに埋められたため、所在すら分かっていなかった「幻の城」だった。
天下人・秀吉の「幻の伏見城」石垣や瓦片出土 京都の造成地
同時期の城とよく似た工法…「指月城に間違いない」と調査団体
出土した石垣は、長辺1メートル前後の花崗岩などで構成され、南北36メートルにわたり出土。自然石を野積みのようにした初期の大坂城本丸跡や聚楽第(秀吉が建てた政庁兼邸宅)跡の工法とよく似ており、京都平安文化財は「同時期に建てられた指月城に間違いない」としている。
天下人・秀吉の「幻の伏見城」石垣や瓦片出土 京都の造成地
石垣が見つかった伏見城の遺構=京都市伏見区(本社ヘリから、大塚聡彦撮影)
石垣が見つかった伏見城の遺構=京都市伏見区(本社ヘリから、大塚聡彦撮影)
420年ぶりの出現…専門家ら驚き
「指月城の石垣は壊れてなくなったと思っていたので驚いた」
千田嘉博・奈良大学長(城郭考古学)は「指月城の石垣は壊れてなくなったと思っていたので非常に驚いた。今回の発見をきっかけに指月城の姿が明らかになる可能性があり、画期的な成果といえる」と話した。
天下人・秀吉の「幻の伏見城」石垣や瓦片出土 京都の造成地
「これまで城はなかったとする説も…この発見ではっきりした」
山田邦和・同志社女子大教授(考古学)は「これまで城はなかったとする説を含めていろんな論議のあった指月城だが、この発見ではっきりした」と話した。
石垣や堀も…「幻の指月城、やはりあった」 専門家ら驚き
「豊臣氏が滅びて400年の節目…何かの縁を感じる」
発掘調査に携わった京都平安文化財は「豊臣氏が滅びて400年の節目に石垣が出たのは何かの縁を感じる。城郭の調査にとどまらず、伏見における桃山時代の歴史の理解を深める上で大きな成果だった」と今後の研究の進展に期待している。
秀吉の指月城、ミステリー解けるか 初期の伏見城、痕跡残る〔京都新聞〕
《豊臣家の滅亡》
秀吉の死後、関ケ原の戦い(1600年)で徳川家康が勝利し、江戸幕府を開く。しかし大坂城には秀吉の遺児秀頼と母淀殿が健在だった。豊臣家と徳川家は大坂の陣(1614-15年)で戦い、1615年に大坂城は落城、秀頼と淀殿が自害して豊臣家は滅亡した。
「大阪の陣」歴史解説〔大坂の陣400年プロジェクト実行委員会〕
豪華な城だった「指月城」
月の名所・指月に金箔瓦のきらびやかな装飾
豊臣秀吉が、平安時代から月見の名所として知られていた指月に築いた指月城。金箔桐文軒丸瓦や金箔唐草文軒など、数多く出土した金箔瓦が示すように、きらびやかな装飾を誇る豪華な城だったことが分かった。
石垣や堀も…「幻の指月城、やはりあった」 専門家ら驚き
指月伏見城跡の発掘調査で出土した金箔桐文軒丸瓦(下)や金箔唐草文軒平瓦=6月18日、京都市伏見区(志儀駒貴撮影)
指月伏見城跡の発掘調査で出土した金箔桐文軒丸瓦(下)や金箔唐草文軒平瓦=6月18日、京都市伏見区(志儀駒貴撮影)
「とても長い石垣、かなりの規模で贅を尽くしたもの」と専門家
千田嘉博奈良大学長(城郭考古学)は「とても長い石垣が見つかったことから、かなりの規模で贅を尽くしたものだったことが分かる。秀吉の権力の大きさが明確にイメージできる」と話す。
天下人・秀吉の「幻の伏見城」石垣や瓦片出土 京都の造成地
「軍事と政治の二面性がみられる」と専門家
滋賀県立大の中井均教授(日本城郭史)は「屋敷のような方形タイプと推定できる。軍事と政治の二面性がみられ、しっかりした造りで防御の意識も高かったようだ」とみている。
秀吉「幻の伏見城」石垣、中心部を初確認 自然石、聚楽第と酷似〔京都新聞〕
室町3代将軍・足利義満を意識?
秀吉が指月を選んだことについて、鋤柄俊夫・同志社大教授(中世考古学)は「秀吉が足利義満を意識していた結果では」と推測。天皇の家臣として最高位の太政大臣になるなど、義満との共通点がある秀吉は、義満が月の名所である指月に屋敷の建設を計画していたことを知っていたかもしれないという。
Posted by いざぁりん
at 23:17