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こちらです。
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160318-00087070-hbolz-int&pos=1
(以下は、コピーです)
 いよいよ憲法改正が政治的スケジュールに乗るか乗らないかという話題が世間を賑わすようになってきた。特に憲法第9条や「平和憲法」であること、もしくはそれを変えることにこだわりがある人たちの間で、コスタリカの憲法を引き合いに出して論争が繰り広げられることがある。

「コスタリカは日本と同じ平和憲法がある vs 実は徴兵制がある」といった類のものだ。

 ところが、コスタリカを長年ウォッチし、研究してきた筆者から見ると、どちらにも一定の論拠があることは理解しつつも細部が不正確で、そのために神学論争に陥っている観がある。

 上記の論争は、そもそも対立点がかみ合っていない。というのは、コスタリカの憲法は常備軍を禁止している点において「平和憲法」と言ってもよいかもしれないし、一方で兵の募集についての条項もあるから後者の言い分も一理あるように見えるからだ。つまり、同じ憲法の中に両方の要素が混在しているため、憲法の字面だけから判断すれば「どちらも正しい」と言えなくもない。では、何が問題なのか?

 まず、コスタリカが「常備軍」を禁止していることは疑いようがない(コスタリカ憲法第12条)。しかし、逆に言うと「臨時軍」は招集できる。同第12条には、再軍備に関する条件が盛り込まれているからだ。具体的には、「大陸協定(具体的には米州機構(OAS)とリオ条約(米州相互援助条約)と国家防衛のために軍事力を組織できる」と書いてある。

 ついでに言うと、日本国憲法のような「戦争放棄」規定も存在しない。それどころか、第147条には「内閣は国会に対して国家防衛事態の宣言を提案し、兵を募集し、軍隊を組織し、和平交渉する」旨が書いてある。「徴兵制がある」と言われる根拠はこの条文だ。では、現実として「憲法上、再軍備も徴兵もできるのか?」というと、実はこれも事実に反する。

 ここまで読むと、ちょっと混乱するかもしれない。しかし、同じ混乱を日本国憲法は外国人に対して起こしている。日本国憲法第9条は常設であれ臨時のものであれ軍備は持てないし、交戦権すら否定するような文言を使っている。しかし実際は長年にわたって、自衛隊という立派な軍隊を持ち、個別的自衛権(=交戦権の一部)も政府解釈上認められてきた。2014年7月1日の閣議決定では集団的自衛権すら容認し、翌15年に成立したいわゆる安保法制で法的条件整備まで整った。これらはすべて、憲法の文言の「解釈」を問題にした上で提起、議論、制定もしくは実行されてきたわけである。

◆コスタリカ国民が「軍隊は不要」と選択した

 問題はここだ。つまり、コスタリカの憲法に関して、その「解釈」がどうなされ、どう「運用」されているのかについて、ネット上の神学論争では言及されていないのである。

 では、コスタリカの憲法はどのように「解釈」されているのか。

 実は、内閣、国会、裁判所、公安省、法学者、そして一般市民に至るまで、「現行憲法下では、いかなる場合であれ、現実に再軍備をするとなったら不可能であり、仮に再軍備をするとなれば憲法改正が必要である」という認識で一致している。たとえば、2003年に日本の参議院憲法調査団がコスタリカを訪れてその点を質問した際、公安大臣を経験したラウラ・チンチージャ国際関係委員会委員(当時。2010~14年には大統領)は以下のように返答している。

「1949年(筆者注:常備軍を禁止した現行憲法制定年)から半世紀を経て、複雑な問題を抱えた時期をコスタリカは通ってきた。この間に2回、コスタリカの国土は侵略され、又は国防に関する問題が起こった。この2回のできごとを通して、今後、この条項は保持されるに至ったと私は信じる。つまり、コスタリカ国民は、軍隊は不要である、と言ったと私は思っている」

◆軍隊を「持てるのに持たない」コスタリカ、「持てないのに持っている」日本

 まとめると、以下のようになる。

1.コスタリカ共和国憲法は常備軍を禁止している(「コスタリカ平和憲法派」の議論)。

2.一方で、個別的自衛権・集団的自衛権の発動条件を明記し、その際の再軍備規程を有する(「コスタリカには軍隊がある派」の議論)。

3.しかしながら、現行憲法上は再軍備も個別的・集団的自衛権も発動できないという解釈が司法・立法・行政・学者・市民の統一見解である(これが現実の結論)。

4.それは、日本が憲法に有事・平時に関わらず軍備と交戦権を放棄すると書いてあるにもかかわらず、「解釈」でそれらを可能とすることで憲法上問題ないとするロジックと極めて類似している。

 ただし、ひとつだけ留意点がある。制度と解釈や運用のズレの「方向性」に関してだ。コスタリカは制度上軍隊を持てることになっているが、運用として持たないことに決めている。日本は制度上軍隊を持てないことになっているが、運用上持てることにしている。法律の解釈として前者は問題ないが、後者には問題があるのではないか。軍隊を持っているか持っていないかも問題かもしれないが、制度とその運用についてのズレ方にももっと注目をしたほうがよいだろう。

取材・文/足立力也(コスタリカ研究家。著書に『丸腰国家』など)



Posted by いざぁりん  at 00:12