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こちらです。
http://digital.asahi.com/articles/DA3S12335970.html?rm=150
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■「みる・きく・はなす」はいま


 4月14日と16日、最大震度7を観測した熊本地震。震源から南西へ百数十キロ、九州電力川内(せんだい)原発(鹿児島県薩摩川内市)から10キロあまりの住宅街で暮らす女性(52)は、揺れる度に不安になる。

 薩摩川内市でも最大で震度4の揺れが3回あった。〈川内原発に異常はないということです〉。テレビでアナウンサーが繰り返す。隣の熊本で大地震が起きるなんて、考えてもいなかった。女性は少しずつ疑い始めている。「本当に原発は大丈夫か」と。

 川内原発は東日本大震災後の新規制基準に基づき昨夏、再稼働。原発では約1300人が働く。女性の近所にも関連の仕事に就く人がいて、原発の話は日ごろから控える空気があった。

     *

 昨年12月20日夕、女性の地元の自治会館で忘年会があった。男性陣は門松を作り、シシ汁や鶏刺しで女性たちをもてなす。約30人で一年の労をねぎらった。

 1時間あまりが過ぎたころ、地元の原発関連企業に勤める男性が立ち上がった。東京電力福島第一原発の近くに長期出張し、除染作業に携わっていた。その話を聞いた元自治会長(75)が「語ってくいやんせ」と頼んだのだった。

 男性は見た光景を話し始めた。干したままの洗濯物。田んぼも道路も草だらけ。辺りに人っ子一人いない不気味な感じ――。

 10分ほどの話が終わると、拍手が起きた。テーブルの一つで、女性は言った。「なんで再稼働したんですかねえ」。わき上がる疑問が口をついて出た。

 原発について考えたことさえなかった。だが東日本大震災から5年が経ち、原発事故を検証したテレビを見て「百%安全なんてないのでは」と思うようになった。元公務員の夫とは「福島のようになったら、この辺には二度と住めなくなるね」と話した。

 忘年会での話はそれ以上続かなかったが、話を振った元自治会長の男性は思う。「賛成だろうと、反対だろうと、もっと語り合える雰囲気ができるといい」

 「地震怖いね」。最近、女性は洗濯物を干しながら隣の家の女性と庭越しに話した。その時は話せなかったが、いつか原発の不安も話したいと思う。

     *

 名古屋市千種区に住む在日韓国人3世の男性(30)は妻(34)が日本人だ。5年前、まだ交際中だった妻に会うため岩手県に行き、東日本大震災に遭遇。しばらく車の中で過ごした。

 混乱の中で頭をよぎったのは、1923年の関東大震災。「朝鮮人が放火している」などの流言が広がり虐殺事件も起きた。男性は本名で生活する。流言で自分が害を被ったら彼女はどうなるだろう、と恐れた。「デマは流れていないか」と、ツイッターを始めた。

 それまでもインターネット上の在日コリアンへの攻撃は気にしていたが、何もしなかった。学生時代に一度、差別的な書き込みに反論したが、大量の攻撃にさらされた。「自分ではどうにもならない現実なんだ」。つらい記憶が残った。

 しかし、ツイッターを始めると、専門知識などを武器に実名で反論している人がいることを知った。「我慢してやり過ごそうとしてきたけれど、それで現実が変わっただろうか」と自問し、少しずつ声を出し始めた。ヘイトスピーチに抗議するため、路上にも立った。

 熊本地震では、直後からツイッターで、「朝鮮人が井戸に毒を投げ込んだ」などの流言が出回った。

 男性は積極的に発信した。「海外観光客も被災する中、差別扇動デマを放置するのは危険です」

 今は思っている。「黙っていてはだめだ」



Posted by いざぁりん  at 00:19