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(以下は、コピーです)
 「さようなら」という言葉が使われなくなっている。代わりに別れる際に話される言葉は「じゃあ」「またね」「おつかれさま」「バイバイ」などいろいろな言い方に変わってきた。日本語のあいさつのうち、「おはよう」「こんばんは」「こんにちは」は昔から使われているが、「さようなら」だけが使用頻度が減っている。なぜか-。大阪ミナミの街頭で人々に聞くと、「さようなら」には「永遠の別れ」のイメージがあるという答えが返ってきた。専門家は「『さようなら』は死語になりつつある」と分析している。(張英壽)


「またね」「おつかれさま」など多様化


 大阪・ミナミの南海難波駅前。ここで、20~70代の男女30人に、「さようなら」、もしくは関西弁の「さいなら」を使うかと質問してみると、ちょうど7割の21人が「使わない」「ふだん使わない」と答えた。


 20~30代の14人に限ると、8割近い11人が「使わない」「ふだん使わない」と回答、「使う」と答えたのはわずか3人だけだった。これに対して、40~70代の16人では、「使わない」とする回答は6割超の10人で、「使う」は6人。年齢層で差がみられた。


 「『さようなら』『さいなら』も使わないですね。友達同士だと『ほなまた』と言っている気がする。仕事では、相手が上司だと『お先に失礼します』、同僚だと『おつかれさまでした』です」


 大阪府和泉市の会社員の男性(23)はそう答えた。「『さようなら』という言葉は、もう会わないような気がするので、使わない。冷たい感じもします」と説明する。


 「さようなら」に「永遠に会えない」というイメージがあるという回答は年齢層を超えて多く聞かれた。


 「『さようなら』は会うのが最後みたいで嫌い」という理由で、「仕事場でもプライベートでも『また、あした』という言葉を使う」と語ったのは、大阪府岸和田市のホテル社員の女性(41)。仕事場では「また、あしたもよろしくお願いします」、週末は「また来週もよろしくお願いします」と別れのあいさつをするという。「あしたにつなげる言葉にしたい」という配慮だ。


 一方、奈良県広陵町の会社員の女性(40)は、「さようなら」に対し、「うそっぽい」「しらじらしい」と感じると打ち明けた。友達と別れるときは「じゃあ」か「おつかれさま」、仕事の上司には「おつかれさまです」を使うという。女性は「『さようなら』は、小学校のホームルームで担任の先生に言って以来、使っていないかな」。


 この小学校のホームルーム以来、「さようなら」と言ったことがないという回答は多かった。


「上司に丁寧」公的な印象がある「さようなら」


 「20代から30代くらいまでは、『さようなら』『さいなら』とも使っていたけど、不思議だけど、いつの間にか使わなくなった。この言葉は風化しつつあるような気がします」と答えたのは、大阪市西淀川区の派遣社員の女性(58)。この女性も「さようなら」には「永遠の別れのイメージがある」とし、ほかの多くの人と同様、「じゃあ、また」「おつかれさまでした」を使うと回答した。


 「さようなら」「さいなら」を使わないとした人の代わりのあいさつとしては、「じゃあ」「ほなまた」「またね」「バイバイ」「おつかれさま」「今度ね」という答えで、だいたい網羅できる。中には、親しい人同士では「ごきげんよう」を使うという回答もあったが、これにはしゃれっ気も混じっているだろう。


 一方、「さようなら」を使用するとした人たちの答えはどうだろうか。


 堺市西区の会社員の男性(41)は「年上の人に使う」といい、「丁寧な感じがする」。またサービス会社員の別の男性(41)は「別れの言葉は基本は『さようなら』。友達には『バイバイ』ですけど、目上の人に対するときや仕事などきちんとした場所では『さようなら』を使う」という。


 「別れ」とは違う「公的な印象」があるようだ。


戦後間もないころまでは一般的だったが…


 岩波書店の「広辞苑」(第六版)で、「さようなら」を調べると、「別れの挨拶語」とあり、「左様なら」と漢字をあて、「元来、接続詞で、『それならば』の意」と説明している。


 それこそ、「それならば」、人々が使うと答えた「じゃあ」や「ほなまた」と本来、同じ意味ということになる。


 小学館の「日本国語大辞典」(第二版)では、「『さようならば』の変化した語」と説明。「先ず『ごきげんよう』『のちほど』などの他の別れの表現と結びついた形で用いられ、次いで近世後期に独立した別れのことばとして一般化した」としている。また「そんなら」などと比べ、「丁寧な言い方」としている。「永遠の別れ」というような記述はない。


 「さようなら」は、長い間、広く別れのあいさつとして用いられたのだろう。実際、戦後間もない頃の映画などを見ると、「さようなら」はごく普通に使われていたことが分かる。


 「さようなら」よりやや短い「さよなら」という言葉もあり、日本語の言葉遣いに詳しい真田信治・大阪大名誉教授(70)=日本語学=は「10、20代の頃は『さよなら』というのが普通だった」と思い出す。


ヒット曲などでイメージが広がった?


 「さようなら」に「永遠の別れのイメージがある」。この感覚は、どこから来るのか。


 思い至ったのが、歌謡曲や演歌、J-POP(ジェイポップ)まで音楽シーンでは、この言葉が歌詞で使われると、悲しい男女の別れを指すことだ。こうした音楽の悲しいメロディーと歌詞を聞き、「さようなら」イコール「別れ」という発想が一般化したのではないか。


 真田名誉教授に、この仮説が妥当なのか聞いてみると、「音楽などによって『さようなら』に『別れ』のイメージが広がった可能性はある。賛成だ」という答えが返ってきた。


 そのうえで、真田名誉教授は「『さようなら』はもともと、現代人が使う『じゃあ』などと同じ意味だったが、日常の言葉から離れ、神格化している」と指摘する。なるほど、ミナミで使うと答えた人たちの「公的な印象」とも一致する。


 その神格化のイメージの一つが「別れ」で、たとえば、葬儀での出席者のあいさつや、夫婦間で離婚する際の書き置きなどに「さようなら」が用いられるという。


 一方、真田名誉教授は「現代で『さようなら』が話されるのは、教室や講堂で先生が生徒や児童に帰り際のあいさつをする場合など、『一対多』の場面にほぼ限られる。『一対一』では、ほとんど言われなくなっている」と分析。「『さようなら』は書き言葉としては残っているが、話し言葉としては死語になりつつある」とみている。



Posted by いざぁりん  at 00:25