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オーストリアは、右翼国家になってはなりません。
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160524-00170383-newsweek-int
(以下は、コピーです)
 オーストリア大統領選の決選投票が22日行われ、右翼ポピュリズム政党・自由党のノルベルト・ホーファー国民議会(下院)第3議長(45)が緑の党出身のアレクサンダー・ファンデアベレン元党首(72)に49.7%対50.3%の僅差で敗れた。票数にすると、222万3458票対225万4484票。3万1026票という紙一重の差だった。

 「自由」の2文字が党名に入っているものの、自由党はもともと旧ナチ党員を主な支持層として組織された経緯から「極右」と称される。欧州連合(EU)初の「極右」大統領の誕生は民意の結集で何とか阻止できたが、自由党が50%近い票を集めるのは初めて。大きな衝撃が欧州を突き抜けた。

 投票率は72.7%。即日開票の結果、ホーファーが得票率51.9%で14万4千票リード。しかし約70万票の不在者投票が残っていたため23日、不在者投票の開票が行われた。両親がソ連から逃れた難民だったファンデアベレンは「祖国を愛する者は祖国を分断しない」と社会民主党と国民党の票も集めた。都市部で圧倒的な強さを見せ、ギリギリのところで逆転勝ちした。

 当選したファンデアベレンは「私たちは同じ硬貨の裏表。力を合わせてオーストリアを再建しよう」「国民の恐怖心や怒りに対処するため、これまでとは異なる対話の文化や政治システムが必要だ」と呼びかけた。失業問題に最優先で取り組む方針。今年3月、オーストリアの失業率は5.8%。EU加盟国の中で決して高くはないが、2011年の4.6%からじわり、じわりと悪化している。

最大の争点は難民問題

 今大統領選最大の争点は、バルカン半島ルートを北上してきた難民問題だ。人口850万人の1%強に当たる9万人が昨年、同国で難民申請を行った。昨年10~12月期、人口100万人当たりの新規申請者は3590人にまで下がったが、EU域内ではスウェーデンの9015人を除くと断トツに多い。

【参考記事】モノ扱いされる難民の経済原理

 自由党は、ファイマン前政権の難民に対する「門戸開放」に徹底して反対、支持率を上げた。次の国民議会選の露払いとなる大統領選でホーファーは「祖国はあなたを必要としている」とオーストリア第一主義を唱えた。ホーファーはハンググライダー事故で歩行に杖が必要だが、笑顔を絶やさず、人を引き付けるカリスマがある。それが自由党の「極右」イメ―ジを打ち消した。

 極右の国民戦線が台頭するフランス、民族主義を強める新興政党「ドイツのための選択肢」が躍進するドイツも、オーストリアの影響が自国に広がるのを恐れている。しかもオーストリアはハンガリーのオルバン首相と同様、大ロシア主義を掲げるロシアのプーチン大統領への傾斜を強める。共通するキーワードは、「祖国」と「国民のアイデンティティー」を結びつける「権威主義」だ。

【参考記事】テロ後のフランスで最も危険な極右党首ルペン
【参考記事】メルケルを脅かす反移民政党が選挙で大躍進

 右翼ポピュリズムと権威主義の広がりは皮肉にも、自由と民主主義を錦の御旗に掲げるEUの理念と複雑に絡み合っている。



 オーストリアの戦後政治は中道左派の社会民主党(旧社会党)と中道右派の国民党の「合意民主制」に支えられてきた。終戦直後の1945年総選挙で二大政党の得票率は94.4%。それが、冷戦後の99年総選挙では59.3%にまで下がり、26.9%を得た自由党の台頭を招いた。今大統領選の第1回投票でも二大政党の得票率は計22.4%、ホーファーの35.1%に遠く及ばなかった。二大政党と政治支配層はオーストリアの民意を完全に失った。



 二大政党の没落はベルリンの壁崩壊と新自由主義の浸透、EU、ユーロ誕生と同時進行形で始まった。「祖国」「国民」より「欧州」が優先されることへの反発と怒り。競争原理が強化され、EU域内で労働力が自由に行き来する。欧州統合によって、社会民主党が公共住宅や国営産業、組合を押さえ、国民党が農業や官僚、ビジネス界、教会に影響力を持つという政治と産業の構造が完全に崩壊してしまった。

 この空白を巧みに突いたのが1986年、自由党党首に選ばれたイェルク・ハイダー氏(2008年に交通事故死)だった。ナチス協力という戦争世代の傷跡を癒そうと、両親が熱心なナチズム信奉者だったハイダーは「ナチ親衛隊は栄誉と尊敬を受けるべきだ」など親ナチ発言を繰り返す。00年、自由党は国民党との連立政権に参加、国際社会から「極右の政権参加は認められない」とオーストリアは強烈な批判を浴びる。

究極のポピュリズム

 しかし、ハイダーの本質は親ナチでも、オーストリアはドイツに帰属すべきだと考えるドイツ・ナショナリズムでもなかった。「祖国」を求心力にする究極のポピュリズムだ。ハイダー辞任と党分裂を経ても、ポピュリズムは自由党の遺伝子として脈々と受け継がれている。

 自由党は欧州懐疑を叫び、「欧州統合の敗者」である単純労働者に支持を広げてきた。米国とEU間の環大西洋貿易投資協定(TTIP)に反対して保護主義をさらに鮮明にする。ハイダーが反ファシスト、外国人、欧州統合、ユダヤ人をスケープゴートにしたように、現在の自由党は難民、イスラム系移民、欧州統合、グローバリゼーションをやり玉に挙げている。

 ファイマン首相(当時)は、難民への門戸開放を唱えたドイツのメルケル首相に同調したが、国民の反発を受け一転、バルカン諸国9カ国と協力して国境を閉鎖した。しかし難民問題への対応や大統領選の敗北を受け5月9日、首相を辞任。国営の鉄道会社社長だったクリスティアン・ケルン氏が新しい首相に就任した。

 オーストリア社会は大統領選決選投票の結果が示すように真っ二つに分かれている。この対立を修復するのがファンデアベレンの仕事になるが、二大政党が崩壊する中、次の国民議会選でどこまで自由党が議席を伸ばすのか、底知れない不安が広がる。欧州統合という理想が難民危機を引き金に強烈な反動を欧州に引き起こしている。 



Posted by いざぁりん  at 00:16