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こちらです。
http://rollingstonejapan.com/articles/detail/27267
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ノーベル文学賞を受賞したボブ・ディランは、授賞式後の晩餐会向けにメッセージを寄せた。「キップリング、ショー、トーマス・マン、パール・バック、アルベール・カミュ、ヘミングウェイなどの偉大な人々と共に名を連ねることは、言葉では言い表せないほど光栄なことです」。

2016年10月初旬、ボブ・ディランにノーベル文学賞が授与されるというニュースが流れた時、その異例とも言うべき決定に最も驚いたのはディラン自身だっただろう。

ディランが受賞すれば1993年以来のアメリカ人受賞者となるノーベル文学賞は「誰か別の人間に授与すべき」と、ゲイリー・シュタインガートやジェイソン・ピンターら何人かの作家から反対の声が上がった一方で、スティーヴン・キングやジョナサン・レセムをはじめ多くの人々からは、「素晴らしい決定」として祝福の声が寄せられた。受賞決定後、何週間もディラン側は沈黙を続けた。ノーベル委員会は「ディラン側の誰からも折り返しの電話がない」とメディアに語った。ノーベル委員会のペル・ヴェストベリイも「(もしこのまま沈黙を貫くとしたら)それは無礼で傲慢な態度だ」とコメントしていた。

10月29日、ディランのアート展覧会に関連してデイリー・テレグラフ紙のインタヴューを受けた彼は、ついに沈黙を破った。「信じられない。とてつもなく素晴らしい。自分が受賞するなど夢にも思わなかった」。インタヴュアーを務めたライターのエドナ・グンダーセンからの「ストックホルムでの授賞式へ出席するか」との問いに対しディランは、「もちろん。できる限り善処する」と答えた。ツアーは授賞式の数週間前に終了したため、授賞式へは出席できるはずだったし、過去数 “とても名誉ある賞”であるノーベル文学賞を受賞したボブ・ディランは、授賞式後の晩餐会向けにメッセージを寄せた十年の間、出席が可能な健康状態の受賞者で出席を断った例はない。

いつものディラン流のやり方で、彼はさらに周囲の思惑をかき回した。11月16日、彼は「授賞式へは出席しない」と宣言したのだ。「昨晩、スウェーデン・アカデミーはボブ・ディラン氏から個人的な手紙を受け取りました。そこには"既に別件が入っているため、12月のストックホルムでの授賞式へ出席することはできません"と書かれていました。彼はまた、"受賞はとても光栄なことで、直接受け取りたかった"とも述べています」との内容の声明をアカデミーが発表した。

ノーベル賞受賞者には、受賞から6ヵ月以内に記念講演を行う機会が与えられる。アカデミーとしては、2017年にディラン自身がストックホルムを訪れることを期待していたが、結局ディランは授賞式向けのスピーチの代読を依頼してきた。

ディランのスピーチは、在スウェーデン米国大使アジータ・ラジが代読した。
以下、その全文:


皆さん、こんばんは。スウェーデン・アカデミーのメンバーとご来賓の皆さまにご挨拶申し上げます。

本日は出席できず残念に思います。しかし私の気持ちは皆さまと共にあり、この栄誉ある賞を受賞できることはとても光栄です。ノーベル文学賞が私に授与されることなど、夢にも思っていませんでした。私は幼い頃から、(ラドヤード)キップリング、(バーナード)ショー、トーマス・マン、パール・バック、アルベール・カミュ、(アーネスト)ヘミングウェイなど素晴らしい作家の作品に触れ、夢中になってのめり込みました。いつも深い感銘を与えてくれる文学の巨匠の作品は、学校の授業で取り上げられ、世界中の図書室に並び、賞賛されています。それらの偉大な人々と共に私が名を連ねることは、言葉では言い表せないほど光栄なことです。

その文学の巨匠たちが自ら「ノーベル賞を受賞したい」と思っていたかどうかはわかりませんが、本や詩や脚本を書く人は誰でも、心のどこかでは密かな夢を抱いていると思います。それは心のとても深い所にあるため、自分自身でも気づかないかもしれません。

ノーベル文学賞を貰えるチャンスは誰にでもある、といっても、それは月面に降り立つぐらいのわずかな確率でしかないのです。実際、私が生まれた前後数年間は、ノーベル文学賞の対象者がいませんでした。私はとても貴重な人たちの仲間入りをすることができたと言えます。

ノーベル賞受賞の知らせを受けた時、私はツアーに出ている最中でした。そして暫くの間、私は状況をよく飲み込めませんでした。その時私の頭に浮かんだのは、偉大なる文学の巨匠ウィリアム・シェイクスピアでした。彼は自分自身のことを劇作家だと考え、「自分は文学作品を書いている」という意識はなかったはずです。彼の言葉は舞台上で表現するためのものでした。つまり読みものではなく語られるものです。彼がハムレットを執筆中は、「ふさわしい配役は? 舞台演出は? デンマークが舞台でよいのだろうか?」などさまざまな考えが頭に浮かんだと思います。もちろん、彼にはクリエイティヴなヴィジョンと大いなる志がまず念頭にあったのは間違いないでしょうが、同時に「資金は足りているか? スポンサーのためのよい席は用意できているか? (舞台で使う)人間の頭蓋骨はどこで手配しようか?」といったもっと現実的な問題も抱えていたと思います。それでも「自分のやっていることは文学か否か」という自問はシェイクスピアの中には微塵もなかったと言えるでしょう。

ティーンエイジャーで曲を書き始めた頃や、その後名前が売れ始めた頃でさえ、「自分の曲は喫茶店かバーで流れる程度のもので、あわよくばカーネギー・ホールやロンドン・パラディアムで演奏されるようになればいいな」、という程度の希望しか持っていませんでした。もしも私がもっと大胆な野望を抱いていたなら、「アルバムを制作して、ラジオでオンエアされるようになりたい」と思っていたでしょう。それが私の考えうる最も大きな栄誉でした。レコードを作ってラジオで自分の曲が流された時、それは大観衆の前に立ち、自分のやり始めたことを続けられるという夢に近づいた瞬間でした。

そうして私は自分のやり始めたことを、ここまで長きに渡って続けてきました。何枚ものレコードを作り、世界中で何千回ものコンサートを行いました。しかし何をするにしても常に中心にあるのは私の楽曲です。多種多様な文化の多くの人々の間で私の作品が生き続けていると思うと、感謝の気持ちでいっぱいです。

ぜひお伝えしておきたいことがあります。ミュージシャンとして私は5万人の前でプレイしたこともありますが、50人の前でプレイする方がもっと難しいのです。5万人の観衆はひとつの人格として扱うことができますが、50人の場合はそうはいきません。個々人が独立したアイデンティティを持ち、自分自身の世界を持ち、こちらの物事に向き合う態度や才能の高さ低さを見抜かれてしまうのです。ノーベル委員会が少人数で構成されている意義を、私はよく理解できます。

私もシェイクスピアのようにクリエイティヴな試みを追求しながらも、「この曲にはどのミュージシャンが合っているか? レコーディングはこのスタジオでいいのか? この曲はこのキーでいいのか?」などという、避けて通れぬ人生のあらゆる俗的な問題と向き合っています。400年経っても変わらないものはあるのです。

「私の楽曲は文学なのか?」と何度も自問しました。

この難題に時間をかけて取り組み、最終的に素晴らしい結論を導き出してくれたスウェーデン・アカデミーに本当に感謝しています。

ありがとうございました。


ボブ・ディラン



Posted by いざぁりん  at 00:44