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(以下は、コピ^-です)
葉加瀬:もう中学の頃はヴァイオリン弾きになることしか考えていなかったです。小学校5、6年生くらいから東儀祐二先生という五嶋みどりさんをはじめ、数多くのヴァイオリニストを育てられた有名な先生に巡り会って、その先生が堀川高校から芸大に進まれていたので、迷うことなく先生と同じ道へ行くと決めました。それからは毎年行われる全日本学生音楽コンクールの課題曲を練習するために夏休みを全部返上して、毎日10時間以上弾いていたと思います。

--凄い練習量ですね・・・。

葉加瀬:というか、僕にはそれしかなかったんですよね。中学時代の人生におけるプライオリティーは「コンクールに出て賞を獲ったら新聞に名前が出る」、それだけでした(笑)。その頃は単なるクラシックおたくの子どもでしたから、お小遣いで買うのは全部クラシックのアルバムで、小さな家だったので自分の部屋はなかったんですが、自分のスペースが押し入れの一角にあって、そこにブラームスやバーンスタインの写真を貼り・・・つまりピンナップするアーティストがみんなクラシックの作曲家や指揮者、そしてヴァイオリニストでした(笑)。もちろん友達はビートルズやジャーニーとかを聴いていましたし、テレビでベストテンとかを観ることもありましたが、当時の僕には音楽とは思えませんでした。

 それが高校に入ると、音楽科だったのでみんな僕みたいな奴ばかりで、「ここは俺にとって天国だ」と思いましたね(笑)。ベートーベンの5番はカラヤンが良いのか、バーンスタインが良いのかというような話をみんなとできる喜びと言いますかね(笑)。高校の頃もクラシックに限らず色々な音楽が聞こえてきてはいましたが、オーケストラをやったり、室内楽をやったりすることに夢中でしたね。

--では、音楽以外の思い出となると?

葉加瀬:もちろん恋愛もたくさんしましたし、酒や煙草を始めたりと色々な喜びは知っていきましたが (笑)、やるのは同級生と朝までブラームスを聴いて語り合い、そして、自分の恋愛とブラームスのクララに対する恋愛とを重ね合わせたりすることなわけですよ(笑)。変な子ですよね(笑)。でも、結局これってロックにのめり込むのと何ら変わりはないんですよね。

--では、そのころは演奏家になるということ以外のものは何も見えなかった?

葉加瀬:それはずっとそうですね。大学に入るまではクラッシックのヴァイオリン以外は全くイメージしたことがなかったです。子どもの時から唯一自分で観ていたテレビ番組が『N響アワー』だったんですね。その『N響アワー』で僕の高校の先輩でもある堀 正文さんがコンサートマスターとして弾いている姿に凄く憧れていました。とにかく芸大に入って、N響のコンサートマスターになりたい。そうしたら毎週テレビに出られるというね(笑)。

--(笑)。堀川高校から芸大の受験というのは一発で受かったんですか?

葉加瀬:ええ。芸大のヴァイオリン科を受けに来るのが1学年大体200人、そのうち入れるのが20人くらいですから倍率10倍強です。でも、芸大は附属高校があるので、ここからエスカレーター式で上がってくる人がいて、僕らの学年は10人いましたから、残りの枠は実質10なんです。

--たった10人ですか・・・。

葉加瀬:でも、小さい頃からずっとコンクールで戦ってきているから、同じ年代の上手い奴というのは東京に何人、大阪に何人、九州に何人と分かっているんです。その中でお金持ちはみんな私立の桐朋へ行きますから、そこから何人か削られ、残りは何人と大体分かる。だから一杯受けに来ていてもあまり関係ないんです。「ミスさえしなければ何とかなるな」と自分でも分かっているから(笑)。

 ところが大穴みたいな奴もいるんですよね(笑)。僕が受験したときに一次、二次を通っている中に見かけない奴がいて、芸高みたいな制服を着ているので「お前、どこから来たの?」と聞いてみたら、「僕は長野です」と言われて、「長野にそんな奴いるんだ! 聞いてないよ! 番狂わせだ!」と(笑)。そいつは頭のよい県立長野高校出身で、共通一次も1,000点満点中900点以上とっていたんですね。それで「東大に行こうか芸大に行こうか、まだ迷っているんだ・・・」と言っていて、「だったら、東大に行けよ!」と正直思いましたね(笑)。結局彼とは同級生になり今でも友達ですけど、そういう受験だったんです。更に言うと芸大の入試における音楽史やソルフェージュは、堀川高校の1年生の終わりくらいのレベルなんですよ。堀川でやっていたものの方がよっぽど難しかったので、そういう心配はあまりなかったですね。



Posted by いざぁりん  at 00:34