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こちらです。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170320-00163532-toyo-bus_all&p=2
(以下は、コピーです)
なぜ会計検査院なのか

 これまでにも会計検査院は、貸し付けていない土地が無断で使用されていた案件など、国有財産の不適切な管理についてその都度指摘してきた。指摘を受けた所掌省庁は、それに従い是正した。会計検査院の検査結果はいわば「葵の御紋」であり、公式に検査結果として示されたものは批判することが許されず、従うしかないものと位置づけられている。会計検査院は検査報告事項のフォローアップも行っており、指摘事項が着実に是正・改善されているか、状況を把握している。

 安倍首相が、内部調査でなく会計検査院の検査に委ねるとしたのも、こうした検査権限を会計検査院が持っていることを踏まえたものといえる。内部でお手盛りの調査をして批判を受けるぐらいなら、独立性を持った会計検査院に委ねたほうが客観性を保てる。

■前提になっている「行政の無謬性」

 ただ、会計検査院に委ねたもう1つの理由に、「霞が関の面目」があることは否めない。前述のように、会計検査院の検査結果が出れば、各省庁はそれに従って是正・改善しなければならないが、是正・改善を行ったからといって、責任問題に発展することはない。面目を保つことができる。違法性がなければ、各省庁は当該事務事業を当時は悪意なく不適切でないものと認識して実施していたが、後に会計検査院が検査したところ問題があると指摘された、だから改めた、という体裁をとれる。

 これは、いわば「行政の無謬性(むびゅうせい:判断に間違いがないこと)」を前提とした構造である。立法府たる国会で問題の追及を受けても、行政府側は「間違いはない」という答弁しか行わない(体面上そのようにしかできない)。国会で野党議員から間違いを認めよと突き上げられても、官僚は責任問題に発展するおそれもあって、容易に改めようとはしないが、会計検査院から指摘されれば全面的に指摘事項を認めて改める。こうした展開が、今からすでに予想される。

 安倍首相が会計検査院に委ねるとした意図は、ここにもあろう。

なぜ議論がかみ合わないのか

国会もようやく3月6日に、国会法に基づき会計検査院に対して森友学園への国有地売却などについての検査を要請した。そして、翌7日に、会計検査院は検査の実施を決めた。財務省と国土交通省を検査対象とし、売却の経緯や売却額の適正性、関連する行政文書の管理状況などを調べる方針だ。

 ただ、会計検査院の検査も万能ではない。検査結果が出るまでには数カ月かかるうえ、売却の適正性を問うだけで、政治家の関与の違法性まで問うものではない。

■「無謬性」へのこだわりをやめさせる

 森友学園問題をめぐる国会審議は議論がかみ合っていない、と国民の目に映るのは、問題の背景に「行政の無謬性」があるからだろう。「常識から外れているから間違いを認めよ」としゃくし定規に追及してものれんに腕押しである。野党も型にはまった責任追及の仕方でなく、行政府が誤りを認める契機をうまく作って、誤りを改めさせる方法を考えるべきだろう。

 カギは、日本では特に強いとされる「行政の無謬性」へのこだわりをいかにやめさせるかである。国民が政府に間違いを許さない姿勢もこのこだわりを助長している。(頻繁なのは困るが)たまには行政も間違うこともある、という国民の認識が広く共有されれば、行政府も間違いを改めやすくなるだろう。間違いを認めないままごり押しされることが問題なのであって、間違いの責任者を吊るし上げにすることが主眼ではない。間違いがあれば早期に素直に改めてもらうことが大事だ。

 行政府が「無謬性」という鎧兜を脱げる環境を、国民が広く醸成することで、こうした問題での行政の対応も国民の思いに近いものになってゆくことだろう。



Posted by いざぁりん  at 00:35