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こちらです。
http://digital.asahi.com/articles/ASH754DQRH75UCVL003.html
(以下は、コピーです)
自民党議員の勉強会「文化芸術懇話会」は、メディアを威圧する発言が出席者から相次ぎ、厳しい批判を浴びた。だが、そもそもは、文化人や芸術家を自陣営に引き込み「政策を芸術の域に引き上げる」ための勉強会だったという。文化や芸術が政治と結びつくことに、どのような「価値」があるのか。

「芸術は国家に奉仕するものではない」千葉氏
「ナチレベルの宣伝技術の時代に戻っている」片山氏
「政治とのつき合い、否定すべきではない」平田氏
「感動と一体感、受け手側は警戒を」会田氏

 今回の懇話会で講師を務めたのは、放送作家としてバラエティー番組「探偵!ナイトスクープ」を手がけた作家の百田尚樹氏だった。同会の関係者は「シナリオライターとして画面の向こうの視聴者に働きかけるテクニック」を学ぶために招いたという。設立趣意書によると、「心を打つ『政策芸術』を立案し実行する知恵と力を習得する」ことが会の目的だ。

 「この政策芸術という言葉を聞いた瞬間に、アウトだと思った」と言うのは、文化批評にも定評のある千葉雅也・立命館大学准教授(哲学・表象文化論)。国が特定の価値観に基づく芸術文化を推進してはいけないことは「文化史の常識」だが、「政権側の人たちは、そうした常識に抵抗したいのではないか。ナチス・ドイツがモダンなものを『退廃芸術』と呼んで排除し、保守的でわかりやすいものを推進したことを想起させる」と話す。

 ナチスは国民の支持を得やすい政策的主張や政治手法を徹底的にマーケティングした。そして、その調査の「成果」を、文化・芸術の観点から、言葉の選択や演説方法、旗や制服のデザインなどにまで反映した。「『ユダヤ人が悪い』といった極端に単純化された政治的スローガンもそうした手法から生まれた」。音楽や文学に造詣(ぞうけい)が深い片山杜秀慶応大学教授(政治思想史)は言う。

 戦後は価値観が多様化し、多くの情報が手に入るようになった。成熟した民主主義社会では、宣伝技術で政治を単純化する手法は通用しないと考えられてきた。だが21世紀になって、再び力を得ようとしているのではないかと片山氏はみる。

 経済や自然科学など多くの分野で学問は細分化し、誰もが専門分野以外の領域を理解することが難しくなった。「過剰な情報の中で人の判断力は相対的に落ち、誰もがわかりやすさを求めている。『政策芸術』はそんな時代にはぴったりだ」

 では、文化人や芸術家は、どのように政治とつきあうべきなのか。

 鳩山由紀夫政権などで内閣官房参与を務めた劇作家の平田オリザ氏は、政治とのつながり全てを拒否すべきではないと考える。「文化・芸術が政治と付き合うことには危険性がある。しかし、科学の基礎研究などと同様に、先端的な芸術は経済的自立が難しい。かつては王侯貴族がパトロンだったが、民主主義国家で文化を支えるには、きちんとした文化政策は必要だ」

 二大政党が中心の米国やフランスなどでは、文化人や芸術家が政治的立場を明確にすることも多い。「政権交代が普通にある国では、芸術家の政治への関わり方が確立されているが、日本ではまだ定着していない」

 他方、共著『戦争画とニッポン』を先月刊行した現代美術家の会田誠氏は「自分の軸足は民間に置く」と決めているという。奈良の大仏やエジプトのピラミッドなど歴史に残る芸術は、時の権力と結びついたものが多い。「国家プロジェクトの誘惑は常にある。そうしたものへの憧れを抑える、誘惑との戦いが、僕の作品のモチベーションにもなっている」

 大衆にわかりにくい最先端の芸術は「政治家や国家から呼ばれない」が、「エンターテインメント性の高い芸術、人を感動させる作品には『精神的な詐欺』のような危うさがある」

 芸術の受け手の側も「感動と一体感」には警戒が必要だと会田氏は言う。反対語は「ひとりぼっちで冷める」だ。「みんなの比重が感動の方にちょっと行きすぎたら、一人で冷ややかになる。そうやってバランスをとって揺れ続けるのが、流されない最善の手じゃないですか」(守真弓)

     ◇

《文化芸術懇話会》 6月25日に開かれた安倍晋三首相に近い自民党議員の勉強会。関係者によると、当初は、脱原発に取り組む音楽家の坂本龍一氏ら「リベラル系文化人」の発信力に対抗しようと「意外性のある」講師を検討。「人の心を動かす力があり、世界で活躍する人」という条件で、ハリウッドで活躍する俳優などに打診したが断られ、初回の講師は百田尚樹氏に決まったという。



Posted by いざぁりん  at 08:43