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来年3月、戦争が始まります。
http://digital.asahi.com/articles/DA3S11975739.html
(以下は、コピーです)
 後世の人々が「2015年安保」をネットで検索したら、首相の写真よりSEALDs(シールズ)のデモ映像の方が多く見つかることだろう。

 「立憲主義って何だ」「戦争したくなくてふるえる」。戦地へ送られかねない世代の憤りをみごとに可視化した。

 批判も浴びた。国会審議中は「デモで政策を変えるなんて代議制の全否定」。成立後は「結局はムダだったじゃないか」と。

 言うまでもなく、投票とデモは代議制民主社会を支える2輪である。主輪はたしかに投票だろう。デモという補助輪なしでも安全に進む車が理想的だ。

 しかしドライバーが主輪1本で危険な運転を始めた時は違う。補助輪を回さねばならない。ドライバーが行き先をたがえた場合、補助輪の役割は大きくなる。

 昨年の総選挙で首相は、アベノミクスを唯一の争点かのごとく強調した。党の公約2万7千字中、安全保障はわずか数百字。「集団的自衛権」の文字もない。安保法案提出を明言したとはいえ、選挙戦は増税先送りの大宣伝だった。行く先を偽られたような感がぬぐえない。

 審議はぶざまな幕切れとなったが、落胆する必要はない。海外での大がかりな街頭行動を見ても、若者たちの望む政策がただちに実現した例は少ない。大切なのは、同時代の主権者の胸に何を刻んだかだろう。

 たとえば4年前の米ウォール街占拠の場合、行きすぎた経済格差に目を光らせる機運が生じた。公的資金の投入によって危機を脱した企業が経営陣にいくら報酬を払っているか、社会の目は厳しくなった。

 学生の就職志向も変わった。金融大手に憧れた就活生が「強欲企業」と呼んで避けるようになった。学費ローンの返済に悩む低所得の卒業生をどう救うか、議論は具体化してきた。

 民主選挙を求めた香港の雨傘革命では、学生たちが、香港政府を操る中国共産党の怖さを身をもって知った。「経済一辺倒で政治に沈黙し続けた親世代の轍(てつ)は踏まない」。そんな覚悟が10代にまで浸透した。

 米国や香港の若い世代には挫折感も残る。だがその主権者意識が以前の状態に戻ることはなかった。

 今回は日本でも、主権者意識が驚嘆すべき高まりを見せた。高校生や俳優、元裁判官ら勇を鼓し、しがらみを排して声をあげた人の何と多かったことか。

 政治色がタブーとされる日本では異例の現象である。今回到達した民意の地平は、今後もさらなる高みへ向かうはずだ。

 今後は、安保法制が有効かどうかを争う違憲訴訟が提起されるだろう。来夏には18歳と19歳が初参加する参院選が控える。

 この社会の主輪と補助輪を回すのは私たち有権者の仕事である。1億2千万人の乗った車をみすみす壊すわけにはいかない。



Posted by いざぁりん  at 17:30