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こちらです。
http://lite-ra.com/2017/05/post-3175_4.html
(以下は、コピーです)
 いったいなぜ彼らは、『騎士団長殺し』の核心部分である歴史修正主義批判をさけようとするのか。

 ひとつの理由は、ネトウヨたちによる炎上を怖れてのことだろう。事実、発売直後、南京虐殺についての記述をめぐって、百田尚樹、桜井誠、産経新聞などが春樹を「中国に媚びてる」「中国での商売のため」「ノーベル賞狙い」などと猛批判した。このテーマにふれたら、自分たちもその炎上に巻き込まれかねない。情けないことだが、その怯えが批評を核心から遠ざけている部分はあるだろう。

 また、もうひとつ、これには「春樹作品に政治を持ち込むな」という春樹ファン特有の思考がもたらした影響も否定できない。社会問題にコミットしないデタッチメントの姿勢を鮮明にしていた初期のイメージにとらわれ、政治問題にかかわることはダサい、春樹がそんなダサくて野暮なことをするわけがない、政治的な文脈で春樹作品を読むべきではない、とひたすら目を背けつづけてきた。

 そして、今回、ネトウヨたちからよせられた『騎士団長殺し』への攻撃に対しても、まともに反論することはせず、「単なる一部の記述にすぎない」「作品の本筋とは関係ない」などと、問題を矮小化しようとしてきた。

 しかし、こうした態度はあまりに、春樹の変化に鈍感すぎるというものだ。たしかにデビュー当時の春樹は、社会問題にコミットしないデタッチメントの姿勢を鮮明にしていた。しかし、90年代半ばに発表した『ねじまき鳥クロニクル』ではノモンハン事件、満州での中国人撲殺を描き、1997年には、オウム真理教をテーマにしたノンフィクション『アンダーグラウンド』を発表。近年は国内でも散発的に政治的発言をするようになっている。

 その変化は「デタッチメントからコミットメントへの転向」として語られたこともあったが、これは「転向」などではない。春樹は、デビュー当時から、デタッチメントであると同時に徹底的に「個人」であることを貫いてきた作家だ。近年、春樹が政治的発言をするようになったのは、明らかに「個人の危機」を感じ取っているからではないのか。

 デタッチメントな態度が許されるのはあくまで個人の権利や自由が保障された社会であればこそだ。いったん戦争が始まれば、あるいは全体主義や国家主義のもとでは、全体に同調しないものは異物として排除され、個人の意志は簡単にないがしろにされ、デタッチメントでいることなど許されない。「個人の自由」が危機にさらされるならば、春樹がそれにビビッドに反応し抵抗することはむしろ当然のことだ。

 そして、『騎士団長殺し』。春樹はこれまで以上に明確な目的を持って、この作品を書いているのではないか。『騎士団長殺し』にはこんな一節がある。

〈雨田具彦は、彼が知っているとても大事な、しかし公に明らかにはできないものごとを、個人的に暗号化することを目的として、あの絵を描いたのではないかという気がするのです。人物と舞台設定を別の時代に置き換え、彼が新しく身につけた日本画という手法を用いることによって、彼は隠喩としての告白を行っているように感じられます。彼はそのためだけに洋画を捨てて、日本画に転向したのではないかという気さえするほどです〉
〈なぜならあの絵は何かを求めているからです。あの絵は間違いなく、何かを具体的な目的として描かれた絵なんです〉
〈『騎士団長殺し』はそこに秘められた「暗号」の解読を求めていた〉

 これは作中の絵画『騎士団長殺し』とその描き手である雨田具彦についての記述だが、そのまま小説『騎士団長殺し』という小説と村上春樹に置き換えられる。

 実は、春樹がこの作品を書き始めたのは、2015年の7月末だったと、川上未映子によるインタビュー(『みみずくは黄昏に飛び立つ』(新潮社))で明かしている。2015年の夏に何があったか思い出してほしい。安倍政権による安保法制の強行採決、そして安倍首相の70年談話だ。

 さらに、作品を書き始める直前の2015年7月9日に行われた同じく川上との対談で、春樹はこんなことを語っていた。

「どっちかというと最近は、右寄りの作家のほうが、物言ってるみたいだし」
「そのことに対する危機感みたいなものはもちろんある。でもかつてよく言われたような、「街に出て行動しろ、通りに出て叫べ」というようなものではなく、じゃあどういった方法をとればいいのかを、模索しているところです。メッセージがいちばんうまく届くような言葉の選び方、場所の作り方を見つけていきたいというのが、今の率直な僕の気持ちです」
(「MONKEY」vol.7 FALL/WINTERより)

「右寄りの作家のほうが物言ってる」ような状況に対する「危機感」があり、「メッセージがいちばんうまく届くような言葉の選び方」を「見つけていきたい」。その夏、安倍政権は独裁的手法で安保法を強行成立させ日本を戦争のできる国に変え、同時に70年談話で過去の戦争責任をなかったことにした。そして、書き始められたのが、『騎士団長殺し』なのだ。


 そう考えると、ネトウヨの炎上を恐れ、こうあってほしいという春樹像に縛られ、村上春樹が『騎士団長殺し』に込めたメッセージをまともに伝えられないメディアの姿は、皮肉にも、春樹が突きつけた問いの有効性を証明したといえるだろう。

 本稿前編でも指摘したように、春樹は『騎士団長殺し』で戦争の被害でなく、加害者としての問題にこだわっていた。

 ナチスへの抵抗運動に参加したものの失敗し日本とナチスドイツの同盟関係の政治的配慮によりにただひとり生き残った雨田具彦のことも、南京虐殺で捕虜を殺害させられた雨田継彦のことも、もちろんその苦況に心は寄せるが、しかし彼らをただ戦争に巻き込まれた被害者として免罪することをせず、その加害の責任を問う視点を持ち続けていた。

 軍隊などの暴力的なシステムにいったん組み込まれたらノーと言うことは難しい。実際に戦場に置かれてみれば、戦時中の監視社会に置かれてみれば、命の危機にさらされたなら、それに抵抗できなかった者を誰が責めることができるのか。しかしそれでも、そういう国家や社会、システムにノーと言えなかったことの罪はないのか。村上春樹は、それを問うていた。

『騎士団長殺し』の物語終盤には、騎士団長が絵から飛び出し、死が目前に迫った雨田具彦を前にしている〈私〉にこう語りかけるシーンがある。

「見なくてはならないものを見ているのだ」
「あるいはそれを目にすることによって、彼は身を切るほどの苦痛を感じているかもしれない。しかし彼はそれを見なくてはならないのだ。人生の終わりにあたって」

 そう。私たちは見なくてはならないのだ。国家や社会、システムにノーと言えなかったことの罪はないのか。この村上春樹の問いは、戦時中のことだけでなく、もちろんいま現在安倍政権の独裁政治を許している私たちに突きつけられているものだ。



Posted by いざぁりん  at 02:23