京つう

イベント  |伏見区

新規登録ログインヘルプ



2019年02月10日

(続き)

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190210-00264863-toyo-bus_all&p=6
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190210-00264863-toyo-bus_all&p=7
(以下は、コピ-です)

 幼い子を連れてやってきた女性(35歳)は、このハンストに触発され、「私にもできることがあるのでは」と、次の日にバスで辺野古の座り込みの現場を初めて訪れた。市民の間で辺野古問題を考える機運が高まっていることは明白だった。署名総数も、最終的には6500筆にのぼった。

 ハンストは、3日目がいちばんつらいと言われている。空腹で身体に力が入らなくなり、感覚が麻痺して空腹を覚えなくなるという。4日目に入り、明らかに元山さんが衰弱していくのがわかる。話し方もゆったりとしてきて、声も小さくなった。目だけがギラギラと精気を放っている。極限の状況下でも、彼は極力テントの外に座って署名に訪れる人たちに対応している。夕方には病院に出向き、医師の指示で点滴を受けた。
.

 事態は変わらぬまま、週末を迎えた5日目の夕方、通ってくれていた医師が血圧を測る。2日前には150を超えていた血圧が、90台に急激に下がっている。

 「これ以上続けたら危ないです」

 その様子を主要メンバーが見守る。そのひとり、与那覇卓也さん(24歳、仮名)は、上からモノを言わずに意見を聞いてくれる兄貴分のような元山さんを慕い、会の発足当初から行動を共にしてきた。辺野古に土砂が投入された日、ショックで謎の高熱を出して寝込んだ。その悔しさを乗り越えるために、できることは小さいことでもすべてやろうと心に決めた。今回のハンストもアルバイトで抜ける以外は、サポートのために泊まり込みを続けてきた。
.

 元山さんの脇にしゃがんで、与那覇さんが声を掛けた。

 「どうしますか?」

 このとき、公明党の県議が調整に乗り出していることは聞いていた。政治の動きが加速するかもしれない。いま、元山さんに何かあったら、会としての判断を迫られたときに困る。

 今度は、大城さんが元山さんに語りかけた。

 「このハンストがきっかけで県民投票について考える人が増えてると思うよ」

 分断を乗り越えるための対話を促したいという彼の目的は、十分に果たされていると感じたからだ。


 だが、元山さんは首を縦に振らない。

 最後は、与那覇さんが告げた。

 「これで、終わりにしましょう」

 元山さんは、「うーん」と無念そうだが、最後には折れた。

 「悔しいけど、わかった」

 105時間に及ぶハンストが終わった。

 フラフラと立ち上がり病院へと向かう元山さんを、与那覇さんが肩を貸して支える。ふたりで駐車場へ向かう途中だった。小さな声で元山さんがつぶやいた。

 「本当に、ありがとう」

 めったに礼など言わない彼の思いが、痛いほど伝わってくる。自分も悔しさが込み上げてきた。
.

 「全然、いいっすよ」

 そう答えた。

■「大人が静観してていいのか」と政治が動く

 そして彼らの行動が、政治を動かした。

 公明党の金城勉県議が、県議会の新里米吉議長に賛成・反対の2択から、3択へと変更して実施できるよう与野党の調整を願い出ていたのだ。公明党内部でも、ハンストに誘発された市民の声が寄せられ、動くことになったようだ。その金城県議が、謝花喜一郎副知事に3択案を示したときのやりとりが、地元紙に紹介されている。
.

 「沖縄の未来を担う若者が一生懸命にやってるのに大人が静観してていいのか、と金城県議から話があった」

 当初、かたくなに2択を譲らなかった与党も、玉城デニー知事から「私の責任でやらせてほしい」と要請されたことも手伝って態度を軟化させていく。沖縄では野党である自民党が最後までもめたが、最終的には2月24日の投票日をずらすことなく、全県で「どちらでもない」を加えた3択での県民投票が実施できることになった。
.

 2択を前提に署名集めをした元山さんらにとって、3択は妥協の産物だ。だが、全県民が1票を投じることができるようになったことは、何にも代えがたい。

 大城さんが大学生のころ、留学先のアメリカ・ロサンゼルスで、世界中の若い沖縄出身者が一堂に会する「世界若者ウチナーンチュ大会」に参加したことがある。沖縄を知らないはずの2世、3世がエイサーを踊る光景が壮観だった。鳥肌が立つほど心が揺さぶられ、沖縄にいるときは感じなかった県人としての誇りがみなぎるのを感じた。
.

 与那覇さんも同様だ。留学先のハワイで県人会の人が奏でる三線やウチナーグチ(沖縄の方言)を聞いて、アイデンティティーを自覚した。沖縄と向かい合うようになったのは、それからだ。

 海外や東京などに移住して初めて沖縄の置かれている立場に思いをはせて、その沖縄のためにできることを模索する。そんな若者が沖縄の陥っている迷路に光を照らそうとしている。まだまだ、その意識が広がっているとは言い難いが、彼らの捨て身の覚悟は、世論と政治を動かす力を持っている。
.
辰濃 哲郎 :ノンフィクション作家




Posted by いざぁりん  at 23:09